4月1日 GH & WS2012/04/01 00:00

 ジョージ・ハリスンが生前に制作していた、幻のアルバムが発見されたそうだ。
 制作した時期は、はっきりしない。おそらく、70年代から90年代の長期間にわたって作りためていた楽曲の寄せ集めと思われる。
 なぜそれほど長い間未発表のままになっていたかというと、ジョージ自身も扱いにこまって仕上げ損ねてしまったというのが実情のようだ。と言うのが、楽曲の全てがシェイクスピアに関連する内容で、あまりにも狙いすましたようで恥ずかしかったらしい。トラックリストは、以下の通り。

1. My band for a guitar
2. Cars, cars, cars
3. Why did you bring them?
4. Once more unto the beach
5. Kiss me mate
6. Merely prayers
7. The feast of crisps
8. Exit, pursued by girls

 "My band for a guitar" は、「リチャード三世」の台詞、「馬を、馬を、馬の代わりに王国をくれてやる! A horse, a horse, my kingdom for a horse」から来ている。「ギターをくれれば、バンドをくれてやる」…って、本末転倒な曲。

 "Cars, cars, cars" は、「ハムレット」の「言葉、言葉、言葉 Words, words, words」を、ジョージが大好きな車に置き換えたものらしい。歌詞は、好きな車のブランドや、レーサーなどを連呼しているだけ。

 "Why did you bring them? " は一見分かりにくいが、「マクベス」の「なぜその短剣を持ってきたのですか? Why did you bring these daggers from the place?」というマクベス夫人の台詞から。歌詞の内容は、そんな恐ろしげな話ではなく、1980年にポールがイケナイ物を日本に持ち込んだことをからかっている内容だ。

"Once more unto the beach" は、「ヘンリー五世」の「もう一度突破口へ Once more unto the breach」 から、"r" を抜いただけで「ビーチへ行こう!」にしてしまっている。ハワイでダーニと楽しく過ごした日々を描写している。

 "Kiss me mate" は、「じゃじゃ馬ならし」の、ペトルーキオの台詞「キスしてくれ、ケイト! Kiss me Kate」を、「メイト(友達,相棒)」にしただけ。いかにも友達を大事にするジョージらしい。この曲聴いて、「メイトって、俺のこと?!」と思う連中がたくさん居るんだろうなぁ…

 "Merely prayers" はとても宗教的な曲で、「ただ祈りを捧げる人々」なのだが、元ネタは「お気に召すまま」の、「人間は男も女も役者なのです  And all the men and women merely players」らしい。

 "The feast of crisps" は、「ポテチ祭り」という意味だが、元ネタは「ヘンリー五世」の、「今日はクリスピアン祭の日だ This day is call'd the feast of Crispian」という有名な王の演説。ジョージはこの作品がお気に入りなのだろうか?

 "Exit, pursued by girls" は、「冬物語」に出てくる、シェイクスピアのト書きの中でも一番有名で、シュールな一節「熊に追われて退場」のパロディ。「女の子に追われて退場」とは、さすがモテ男。

 アルバムの仕上げはダーニとジェフ・リンが担当し、追加録音として、一部マイク・キャンベルのスライド・ギター、ベンモント・テンチのピアノ、トム・ペティのコーラスが入っている。さらに、シェイクスピアと並ぶ英語圏の偉大なる詩人であるボブ・ディランが、「ぼくのジョージ」という文章をスリーブに載せているとのこと。
 ウィルベリー兄弟が力を合わせて完成させた幻のアルバム。発売が楽しみだ。

Not Fade Away2012/04/03 21:36

 ザ・ローリング・ストーンズのライブDVD "Some Girls, Live in Texas '78" を見た流れで、最近ずっとストーンズを聴いている。
 デビューから50年になろうとしている彼らのアルバムは、どれを聴いてもだいたい安定感のあるロックンロールが貫かれていて、安心感がある。あまり「コンセプトアルバム」とか、「ロック・オペラ」みたいなものに振れなかったのも良いと思う。
 思えば、二十歳そこそこの若者(ある意味子供?)だった頃と同じ事を、何十年後も自信をもってできるのだから、格好良いのは当たり前だ。
 まずは、若い、若いストーンズによる、"Not Fade Away"



 テンポもあるし、ミックの声も甲高いので早回しかとも思うのだが、どうやらそうでもなさそう。
 私はこの "Not Fade Away" という曲のオリジナルは、ボ・ディドリーだと固く信じていた。このたび、確認してみてバディ・ホリーの曲と知ってびっくり仰天してしまった。



 なるほど、確かにバディ・ホリー!
 あのリズムなら絶対にボ・ディドリーだと信じていたわけだが、バディ・ホリーが、ディドリーに影響されて作ったということらしい。
 そこで、今度は本当のボ・ディドリー。これは映画 [Runnnin' down a dream: Tom Petty & The Heartbreakers] で使われた映像かも知れない。



 この独特のリズムは、ザ・ボ・ディドリー・ビートと呼ばれているそうだ。バディ・ホリーをはじめ、多くのロックンローラーに影響を与え、私が一番好きなTP&HBの曲である、"American Girl" もこのリズムだ。
 ウィキペディアの解説には、音符を使ってこのリズムを説明してある。なるほど、こういうことかと改めて納得。いわゆる、「2拍に3連符をあてこむ」…という、学生時代にさんざんやった…アレだ。

 最後は、TP&HBによる、"Not Fade Away"。…格好良いッ!

MC The Guitars : Chapter 12012/04/06 23:07

 マイク・キャンベルによる、「ギター語りドキュメンタリー」 Mike Campbell : The Guitars (別名、「マイク・キャンベルのギター大好き!」)の公開がいよいよ始まった。
 のっけから凄まじいおもしろさ。これはやはり、公式ファンクラブであるHighway Companion Clubに入会して、観賞するべき。TP&HBに特に入れ込んでいないとしても、純粋にギターが好きな人には大いに楽しめる内容ではないだろうか。さぁ、今すぐ入会&観賞!!



 第一回は、[Chapter 1 Introduction: Treasured Gifts That Keep Giving]。ギターを弾き始めた頃、親に買ってもらったギターから登場する。
 二本目に出てきたのは、沖縄に駐留していた父親が送ってくれた、日本製のギター。そう、Mayuさんと、Toshiさん、そしてSさんという、素晴らしき日本人TP&HBファンが探しだし、マイクへプレゼントしたギターが登場。マイクは最大級の感謝を述べていた。おめでとう!最初の画面からマイクの背後に置いてあったので、「来るな」と思っていた。本当に素敵なこと。

 三本目に出てきたのは、マイクが欲しくてたまらなかったものの、お金がなくて持てなかったアコースティックギター、ギブスンJ-45。これほど奇妙な来歴のギターもないものだ。殆どのアルバムの制作で使っている名器と言えるこのギター、なんとマッドクラッチのライブを見に来た「どっかの兄ちゃん」が、「あんた、ジェリー・ガルシアみたいでいいね。俺のギターをあげるよ」と言いだし、本当にただでくれたと言うのだ。
 このエピソードは、インタビューでも語っている。偶然だが、Cool Dry Place にそのインタビューの日本語訳を載せてある。「インタビュー類 > ヴィンテージ・ギター 2006」がそれ。
 世の中にはどんな幸運が転がっているか、分かったものではない。この「どっかの兄ちゃん」に、マイクは二度と会うこともなかったし、名前も知らない。しかし、ロックの歴史を作ることになるのだ。

 マイクのことだから、15回にわたるギター語りの中には、何回かジョージ・ハリスンが登場するとは予想していた。しかし、まさか1回目から出てくるとは思わなかった!恐るべし、マイクのジョージ愛!
 なんでも、"I Won't Back Down" を作っているとき、トムさんやジェフ・リン、そしてジョージがそれぞれアコースティック・ギターを手にしていたのだが、ジョージが真っ先に「これ」と言って弾いたのが、「どっかの兄ちゃん」からのプレゼントだった、ギブスンJ-45だと言うのだ。ジョージが弾いただなんて、「どっかの兄ちゃん」が知ったら、卒倒するのではないだろうか。

 ドキュメンタリーの、エンディングの曲がとても美しくて素晴らしい。インストでも十分素敵だが、トムさんが歌をつけたら、もっと良いかもしれない。次回もマイクのギター語りが楽しみ。次回は1964年のフェンダーとのこと。
 締めは "I won't back Down"。いつ見てもジョージの動き出しが笑える。

Don Giovanni2012/04/09 22:18

 ガイ・リッチー監督の映画「シャーロック・ホームズ シャドウ・ゲーム」を見た。ロバート・ダウニー・ジュニアと、ジュード・ロウ主演のこの映画、はっきり言えばアクション映画なのだが、私が好きなホームズというジャンルなので、一応確認している。
 別に「ホームズ」と銘打たなくても良さそうな内容だが、そこはある程度の「枠」があるほうが表現しやすいのだろう。
 音楽に関しては、前作からかなり凝っていて好きだ。特に、アクションシーンにアイリッシュ・ミュージックのダンス・チューンを持って来るセンスが良い。この点に関しては、また別の記事にするかもしれない。
 今回、クラシックではシューベルトの歌曲と、モーツァルトがクローズ・アップされていた。特に、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」はオペラ座のシーンもある。実は、私が好きなオペラの一つが、この「ドン・ジョヴァンニ」なのだ。

 映画で使われたのは、「ドン・ジョヴァンニ」第二幕のフィナーレ。
 女ったらしの無法者ドン・ジョヴァンニ(イタリアで640人、ドイツで231人、フランスで100人、トルコで91人、スペインで1003人…!)が、殺した男の石像を冗談で晩餐に誘ったところ、本当に石像がノシノシと屋敷にきてしまう。この石像、ドン・ジョヴァンニに改心を迫る。それを拒否したドン・ジョヴァンニは石像に手を掴まれ、そのまま地獄へ飲み込まれてオペラはフィナーレとなる。
 「ドン・ジョヴァンニ」のジャンルはおおかた明るく楽しい、オペラ・ブッファ(「フィガロの結婚」と同じ)なのだが、この凄まじいフィナーレが強烈で、序曲から作品全体に不吉な死の臭いがまとわりつく。オペラにはいわゆる「悲劇」がたくさんあるが、「ドン・ジョヴァンニ」のフィナーレの重さは格別であり、喜劇的要素との絶妙なコントラストが素晴らしい。
 フィナーレはバージョンによってはドン・ジョヴァンニが地獄に飲み込まれたあと、他の登場人物が現れておめでたい感じで終わるものもあるが、私は地獄に飲み込まれてお終いの方が良いと思っている。
 ここでは、ドン・ジョヴァンニとレポレッロの名コンビ,サミュエル・レイミー&フェルッチョ・フルラネットに、石像はカート・モールの舞台でどうぞ。



 「ドン・ジョヴァンニ」と言えば、もう一曲。第一幕のドンナ・アンナのアリア「Or sai chi l'onore 誰が名誉を奪おうとしたか」。曲の内容は、真夜中の侵入者に父親を殺されたドンナ・アンナが、ドン・ジョヴァンニこそ、その犯人だと知り、恋人のドン・オッターヴィオにそれを告げるというもの。
 高貴で若い未婚の女性という役どころのドンナ・アンナだが、なぜかかなりの迫力をもったベテラン・ソプラノの動画がよく引っかかる。この人だったら、ドン・ジョヴァンニより強いんじゃないかなぁ…とか…。ここは、アンナ・トモワ・シントウで。



 この曲をわざわざ挙げたのは、実はこの曲をもとにしたある曲が大好きだからだ。
 1991年に、NHKで放映された「アインシュタインロマン」という科学ドキュメンタリーシリーズがあった。このメインテーマ曲になったのが、この「ドン・ジョヴァンニ」のアリアを元にしたヴァイオリン・コンチェルトで、ソロはコー・ガブリエル・カメダが弾いていた。
 この曲があまりにも素晴らしかったので、かなり苦労してサントラCDを手に入れた。YouTubeにも上がってないかしらと一生懸命探したのだが、見つからない。あんなに良い曲なのに、もったいない…
 と、思ったらニコ動の方で、妙な使われたかをしていた。とある出版社が「マンガでわかる」と題した科学系の書籍を出しているのだが、その紹介動画。音楽に、私の大好きなアインシュタインロマンのメインテーマが使われていたのだ…!

オーム社 マンガでわかるシリーズの表紙絵

 あまりにも良い曲過ぎて、オリジナルより、こっちの方が断然好きだ。演奏時間、2分30秒…ちょっと短いが、フィギュアスケートで誰かがこれを使ってくれると良いと思う。できれば表現力に長けた人で。

 ここまで書いておいて恐縮だが、実は「ドン・ジョヴァンニ」の中で一番好きな曲については今回は述べていない。オペラの全てのアリアの中でもトップクラスに好きな曲― もっとも、クラシック音楽は大して知っていないが ― レポレッロのアリア「Madamina, il catalogo è questo 奥様、これがそのカタログです(カタログの歌)」は、また別の機会に。

MC G Chap-2:Stratocaster (4/14 追記)2012/04/13 23:28

追記

 大変!
 トムさんとマイクのギター、合計5本が、盗まれたって!許さーん!
 Rolling Stone誌の記事はこちら
 なんて罰当たりな!そういう不届きなドロボーは、食事に虫が入り、階段から転げ落ち、買ったばかりの六ヶ月定期券を紛失し、ハゲがますます進行し、友達全員に嫌われればいいんだ!

 いや、うそ。今返せば、許してやる。返してッ!!

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 「マイク・キャンベルのギター大好き!」…も2回目。今回は、1964年フェンダー・ストラトキャスター。マイクにとって、最初のストラトで、友人から入手し、代金は出世払いにしてもらったというエピソードは、やはり「ヴィンテージ・ギター」のインタビューで語っている。

 このストラト、入手以来30年以上ずっと、ハートブレイカーズのメイン・ギターだったとのこと。特に、トムが素敵なリズムやリフを響かせたことに、マイクはご満悦の様子。確かに、あの "Listen to her heart" のイントロにはゾクっとする。最近のライブではオープニングになることの多いこの曲、あのイントロのファンファーレのような美しい響きが、ワクワク、ドキドキするあの瞬間にぴったりきて、好きな選曲だ。
 ここでは、トムさんがこのストラトを弾いている "I need to know"



 マイクが語るギターの話にはたびたび出てくる現象なのだが、トムさんとマイクは普通に同一のギターを弾いている。有名な "Damn the Torpedoes" ジャケットのリッケンバッカーも、マイクに言わせれば「もともとは、ぼくの」とのことだが、全然普通にトムさんが持っているし、今回紹介されたストラトも、ごくごく普通にトムさんが弾いている…。
 トム・ペティとマイク・キャンベルに関しては、これって普通のような感じがしているが、他のバンドではどうなのだろう?二人のメンバーが互いのギターを普通に弾いたりするのだろうか?どうもトムさんとマイクのコンビ以外では想像しにくい。
 単に、二人とも貧乏時代が長くて、「それぞれ個人のギター」などと言っている余裕がなかった時代が長く、それが当たり前になっているだけなのか?
 「個人のギターというよりは、ハートブレイカーズのギター」なのだろうか。そうなると、キース・リチャーズに優とも劣らない凄まじいバンド愛なのだが。とにかく、この二人特有の感覚なのかも知れない。

 思い出したのだが、60年代から70年代に活躍してたロック・レジェンドたちは、あの時代の青春特有の感覚なのか、仲間意識が強くで仲が良い。自然、ギターもよくやりとりしていて、「だれだれからもらったギター」なるものが、よく話に登場する。
 TP&HBは70年代後半のデビューだが、精神的にはそういう雰囲気を受け継いでいるのかも知れない…

 最後に、蛇足。今回、目についたのがマイクの左側にある小さな丸テーブル。上に載っているのは…めがね?カポとかじゃないよね?眼鏡?それって…ろ、老眼鏡?!
 老眼鏡だとしてもおかしくない年齢か。日本人じゃあるまいし、近視でなければ老眼も早い…かも。トムさんと違って、マイクなら「ロジャー・マッグイン眼鏡」も似合いそう(トムさんは憧れでよく『ロジャー・マッグイン・サングラス』をかけていたが、お世辞にも似合うとは言えない)。

 次回は、フェンダー・ブロードキャスターとのこと。楽しみ、楽しみ。

Brownie2012/04/16 22:17

 お気づきの方も居るかと思うが、私は簡単な洋菓子を作るのが趣味だ。
 先日、知人に「ブラウニーは簡単に作れるか」と訊かれ、はたと考えた。ブラウニーの定義とは何だろう。漠然と、味の濃いチョコレートケーキだと思っていたのだが。
 そこでさっそくWikipediaを見てみると(悪い癖だ)、いきなり「ギターの名前」が出てきてしまった。
 Brownie - エリック・クラプトンが60年代末から70年代初頭にかけて愛用していた、1956年製のフェンダー・ストラトキャスターで、そのサンバースト・カラーから、「茶色」ということで、「ブラウニー」と呼ばれていたらしい。

 何度も言うようだが、私のクラプトン評は必ずしも高くない。特に20世紀末から21世紀に入ってからは底なしの下降線で、今もどん底にある(CFGのみが例外)。
 一方で、60年代の彼はロック黄金期に欠かせない人材だし、70年代は最高。80年代はあの時代としてはよくやった方だと思っている。とにかく、私にとって一番のクラプトンはデレク&ザ・ドミノスから、70年代のソロワークということになっている。
 「ブラウニー」は、1967年頃に購入し、その後「ブラッキー」がメインになるまで、頻繁に用いていたそうだ。1970年発表の彼のファースト・ソロ・アルバムのジャケットには、その姿が写っている。



 なるほど、クラプトンのソロの中ではトップクラスに好きなアルバムで、それで用いられたとなると、「ブラウニー」にも愛情がわく。
 このアルバムは、とにかくどの楽曲もできが良い。1987年以降の作曲能力の枯渇ぶりが信じられないほど、いずれの曲も素晴らしいメロディで、美しく、しかも格好良い。共作者も良いのだろうが、クラプトン自身に、一貫したテンションがあったのだと、私は信じている。美しいバラードの "Easy Now" などは、後年の甘ったるくて軟弱な曲とは比べものにならないほど、芯のある美しさと強さを兼ね備えているではないか。
 「ブラウニー」が実際に使われているかどうかはともかくとして、エレキが鳴っている曲として、ここは代表で最後の曲、"Let It Rain"。最近の「ただチョーキングしていればいい」という風情で下手なジャズなんぞやっているクラプトンとは比べものにならないくらい、ソリッドでエッジが立っていて、ロックンロールを熱く、格好良く理解している、エリック・クラプトンと仲間達が居る。



 この時代の曲は "Layla" なども含めて、スタジオ録音が最高だと思う。80年代以降のなんだか気の抜けた甘い飲み物みたいなライブ演奏は、どれもイマイチだ。

 ところで、ブラウニー。ギターではない。
 天板に薄く生地をのばして焼き、四角く切り分けた、チョコレート味の濃い焼き菓子で、ケーキのようでもあり、クッキーのようでもあるらしい。多分、それほど難しくはない ―が、基本的にチョコレートというのは、扱いが難しいので、初心者には向かない。
 せいぜい「チョコレート・パウンドケーキ」が妥当なところだが、それでもチョコレートはそれなりに難しい。

The Congress Reel2012/04/19 22:27

 ガイ・リッチー監督,ロバート・ダウニー・ジュニアとジュード・ロウ主演の映画「シャーロック・ホームズ」のシリーズでは、いくらか音楽的なこだわりが見られる。
 中でも、アイルランド系の音楽の使い方が面白かった。
 そもそもロンドンが主な舞台である「ホームズ物」にアイルランド音楽がどう関係するのかと言うと、特になさそうだ。原作で音楽というと大抵クラシック。アイリッシュ・ミュージックは、監督の趣味なのだろう。無理にこじつけるとしたら、"Sherlock" という変わったファーストネームは、アイルランド系のファミリーネームから拝借しているという説がある(「ヴェニスの商人」のシャイロックから来ているという説もあるが…)。

 私が特に心惹かれたのは、リールのセット。明日結婚式というドクター・ワトスンのバチェラー・パーティで、ホームズが殺し屋と大乱闘を演じる時に流れる。
 リールというのは、四分の四拍子で、猛烈な速さのダンス・チューンである。私はアイリッシュ・ミュージックであるティン・ホイッスルを習っているが、セッションなどではいつもリールに挑戦することにしている。

 映画で使われのは、Poitin というバンドの演奏による、"The Congress Reel"。これはかなり格好良い。アイリッシュに特に興味が無い人でも、グっとくるのではないだろうか。



 もともと、映画のサウンドトラックとして録音されたものではないとのこと。
 "Poitin" というバンド名は「ポイティン」と読めるが、どうやら「ポイティーン」が近いらしい。アイルランド語で言う何らかのお酒の名称だとか、パブの名前からきているとか、詳しいことは良く分からない。
 とにかく、この演奏は格好良い。楽器編成は、おそらくティン・ホイッスルに、フィドル、バウロン(太鼓)、ギター、コンサーティーナ(アコーディオン)だと思われる。
 その猛烈な速さときたらべらぼうで、♩=240以上はある。1小節に1秒かからない。こうなると四拍子でリズムを取るのは無理で、だいたい二拍子で取っている。

 曲のタイトルは、"The Congress Reel" となっているが、どうやら前半の曲のタイトルがこれにあたるようだ。"The Congress Reel" の楽譜なら検索してすぐに見つかるのだが、後半の曲が分からない。調べてもよく分からず、面倒になったので、聴音した。
 この場合の「聴音」とは、自分の耳で音を取り、楽譜にすること。学生時代、この聴音の成績が最悪でかなり苦労したが、こういう単純な曲ならどうにかなる。
 そういう訳で、夏にかけてこの曲を猛烈な速さで吹けるように、練習することにした。


 もし、「その楽譜欲しい!」という方がいらしたら、当ブログの親サイトCool Dry Placeを参照して、私にメールを下さい。PDFファイルを差し上げます。
 ただし、この楽譜はあくまでも「メモ」です。アイリッシュ・ミュージックは基本的には譜面にはたよらず、覚えたうえで自由にバリエーションを加える物です。楽譜は最低限のメロディラインをメモったにすぎず、Poitinのように格好良く吹くには、装飾音などを格好良加える必要があります。
 それから、残念ながら私の手書きの楽譜です。楽譜ソフトは持っていないので。自分でやる方の音楽は、徹底的にアナログなのです。手書き譜に慣れていない人には、ちょっと読みにくいと思います。基本、悪筆な私にしては頑張って綺麗に書いたつもりですけどね。

Levon Helm2012/04/22 20:30

 2012年4月19日、リヴォン・ヘルムが亡くなった。
 最初に癌だを聞いたのはずいぶんの前のことで、それこそジョージもまだ健在だったころだ。長い癌との戦いの日々だったとともに、良く生きた、充実した、すばらしき日々だったのではないかとも思う。
 ともあれ、ロック・レジェンドの死は寂しい。

 私にとってリヴォン・ヘルムというと、ザ・バンドのメンバーとしてしか知らない。たとえば、ジョージを語るのにビートルズのジョージしか知らないようなもので申し訳ない気がする。
 ザ・バンドも、私は「ザ・ラスト・ワルツ」までのザ・バンドしか聞いていない。その後の再結成や、メンバーのソロ・ワークなどはまだ聞いてない。
 ザ・バンドは良いソングライターが居て、演奏が上手く、バリエーションの効く複数のヴォーカリストがいるという、かなり理想的なロックバンドだったと思う。一般的に「渋い」と言われているのだろうが、私にとってはポップな音楽の部類で、そこが好きだ。
 リヴォンはドラマーとしても、ヴォーカリストとしてもザ・バンドの要であり、彼なしのザ・バンドはあり得ない(もっとも、全てのメンバーについて、同様のことが言えるのだが)。
 やはり印象的なのは "The night they drove old Dixie down" での格好良いプレイだ。



 思えば、このブログでの南北戦争記事連載で、リッチモンドが陥落する前にリヴォンが亡くなってしまったわけだ…

 これはドラマー仲間の楽しいワン・ショット。三人それぞれにポーズが個性を出していてほほえましい。



 初期のリンゴ・スター&オールスターバンドにも参加していたのだ。凄い時期もあったものだ。気の置けない仲間と楽しくプレイしている姿も良いし、内情や感情と利害の対立があるにしても、ザ・バンドのどの作品も最高に良いと思う。



 癌に負けたんじゃない。癌とのつきあいが終わったんだ。お疲れ様。どうかゆっくり休んで下さい。みんなによろしく。リヴォン自身は苦笑いするだろうけど、しばらくザ・バンドを聞くことにする。

English conversation2012/04/26 22:26

 めずらしく、日記のようなことを書く。
 今日、4年間通った英会話教室をやめた。契約の延長をせず、最後のレッスンを迎えたと言うことだ。

 英語を専門的に勉強したこともなければ、もちろん留学経験もないが、4年前、英会話がまったく出来なかったというわけでもなかった。喋る方は中級という感じで、聞く方はそれよりやや勝っていた。すでにモンティ・パイソンにはまり、読書も英語でするようになっていたし、要するに英語に関して初心者ではなかったようだ。
 ともあれ、4年も通えばいくらか上達するというものだ。それでも、私が一生懸命英語で会話しようとしている日本人であることを理解して、つきあってくれる人が相手での上達なのであって、学習者レベルであることには違いない。

 やめるきっかけは、転職をしてお金の使い方を見直そうと思ったこと。そして、この3月に受けたTOEICのスコアが目標レベルを超していたから。
 そもそも、4年も続けたのは長いだろう。いわゆる「マンツーマン」と呼ばれる個人レッスン形式だったので、料金も高かった。そろそろ英語学習の手段を変える時期だと判断した。
 外国語は使わなければ錆びる。元々がたいしたことが無いのだから、退化も早いだろう。これまでよりもリーズナブルに、おそらくグループレッスン形式になるだろうが、また別の形で英会話を続けたいとは思っている。

 ネイティヴ・スピーカーのインストラクターたちが、時々私の英語で驚いたのは、ところどころでブリティッシュ・イングリッシュが混じっていたらしいこと。これは完全に英国コメディの影響。確かに、列は queue と言うし、英語で話しているときに限って、エレベーターは、lift と言う(なぜか日本語の時は普通にエレベーターと言う)。おばあちゃんのことを nana と言ったときは、英国出身の講師に本気で驚かれた。
 ロックの話題などでもいくらかマニアっぽかったらしい。

 ロックの影響で覚えている表現というものも、もちろん多い。代表的なところでは、shadow of a doubt という表現。普通は、Without a shadow of a doubt と言って、「疑いの余地無く」という表現らしいが、私はTP&HBの歌詞で覚えていたため、with a shadow of a doubt で覚えていた。
 これは、テレビ出演したときのプレイ。この、「チョコミント・シャツ」のトムさんが、とびきり可愛くて好き。



 もう一つ、ロックの影響で奇妙な表現をしていたのが、「強い雨」という意味で使っていた hard rain。インストラクターによると、間違いとは言わないが、普通は heavy rain と言うそうだ。そりゃぁ、ディラン様が言ったのだもの。そっちを使いますよ。


アトランタへの道2012/04/29 23:37

1863年11月末、西部戦線では、その後の戦況を決定付けるような戦いが行われた。すなわち、チャタヌーガの戦いである。
 南軍はこの敗戦によって、テネシー州とアトランタ州の州境を守りきることができず、北軍のアトランタへの進軍を許すことになった。
 アトランタ。ジョージア州の州都であり、南部最大の都市。この街を守るか落とすかは、実際の戦況のみならず、人々の心情的にも大きな影響をもたらす。

 しかし、冬の間は、戦闘も一時休戦となった。南北両軍とも、戦力,兵站の整備・補給が必要だったし、人事異動もあったためだろう。

 まず、北軍は西部戦線の事実上の総大将であったユリシーズ・グラントが、北軍全体の現場総司令官のような形で中将に昇進し、東部戦線でリーの南軍と対峙することになった。
 グラントの代わりに西部戦線北軍司令官となったのが、ウィリアム・テクムセ・シャーマン准将である。グラントとは強い信頼関係にあった。双方ともリーのような隙の無い、傑出した司令官ではなかったが、互いに助け合い、なんとか北軍有利に持ってゆく ― 政情的にも、軍事力,経済力的にも北軍有利は当たり前だが ― という、消極的なようで、確実な歩みを進めるタイプだった。
 グラントは、シャーマンに三つの軍団を預け、南軍との決定的な会戦は避けつつ、じりじりとアトランタへ迫る戦略を任せた。実際、チャタヌーガからアトランタまでは200kmほど。どこかで関ヶ原のような決戦を行う必要はなく、とにかくアトランタを落とすことに、まずは重点が置かれた。
 シャーマンという将軍は、不思議な印象を抱かせる。"War is Hell.(戦争は地獄だ)"という、簡潔で、殺し合いそのものを嫌うという思想を実に分かり易い言葉で表現する一方で、南部における進軍の様子ゆえに、南部の一部の人々からはひどく嫌悪されている。また、南北戦争後のネイティブ・アメリカンたちとの戦いでは、まさか嫌戦家とは信じられないような、強硬ぶりなのだ。
 当方は二十一世紀を生き、歴史を遠くから眺めているからこそ、そういうシャーマンの矛盾を不思議に思うのだが、かといって、簡単に彼を悪役にしてしまっては、歴史は面白くなくなる。シャーマンの存在は、歴史を楽しむという知的作業こそ、非常に複雑で、知識と想像力を必要とし、冷静で客観的な視線を持つ娯楽なのだと、考えさせる。

 やや話がわき道に逸れたが ― 一方、南軍側も大きな人事異動があった。
 それまでずっと西部戦線の南部総司令官をつとめていたブラクストン・ブラッグは、南部連合大統領デイヴィスと個人的に親しかったから故に、その地位にあるともっぱら言われ続けていた。実際、そうなのだろう。
 しかし、チャタヌーガの敗戦によって、デイヴィスもブラッグを更迭せざるを得なくなった。代わりに、司令官となったのが、ジョゼフ・ジョンストンである。
 ジョンストンは南北戦争開戦当初は、東部戦線でロバート・E・リーより前に総司令官的な地位にいた人物である。しかし1862年の北軍マクレランによる半島作戦で負傷したため、後送され、その後をリーが継ぐことになった。その後のリーの活躍は既にのべた通りだ。
 ジョンストンは傷を癒やした後、前線に戻ることを希望していたが、デイヴィス大統領との人現関係が良好ではなかった。デイヴィスにはそういう個人的な感情がそのまま政策に反映されてしまうという大きな欠点があった。このため、ジョンストンはしばらく西部戦線の上級司令官同士の調整役といった、閑職にあった。
 ブラッグの更迭により、ジョンストンは1863年冬から、西部戦線司令官となった。その後のアトランタ方面作戦において、彼の地位は二転三転するのだが、重要なのは、ジョンストンが南北戦争の最終盤まで、北軍に対し続けた将軍だということだ。彼が降伏するのは、リーよりも後のこと。それはいずれ述べるとして ― 

 とにかく、アトランタ方面作戦は、1864年5月に始動する。それから約3ヶ月。その夏は熱気がアトランタへと向かうが如き、戦況を示すことになる。