正倉院復元楽器2023/05/29 19:47

 昨日、伶楽舎の雅楽コンサート「芝祐靖作品演奏会 その4」を鑑賞してきた。
 しばらく改修工事中だった四谷区民ホールに戻ってきて、さぁどう新しくなったのかと思ったら、目に見えるところは大して変わっていなかった。シートは変わっていたようだが…トイレに温水洗浄器がついていないなんて、日本の音楽ホールなのに、みすぼらしいじゃないか!…と、思う。

 今回は安心、安全の芝先生作品集。なんと言っても、復元曲である「曹娘褌脱(そうろうこだつ)」と、「長沙女引(ちょうさじょいん)」が素晴らしかった。

 芝先生のオリジナル作曲作品も三つあり、三味線,十七弦(箏,琴。つまり近世,江戸時代風の箏)と、雅楽器とのコラボレーションもあったし、正倉院の所蔵楽器を復元した、いわゆる「正倉院復元楽器」の演奏も加わり、器楽好きとしては見所の多い演奏会でもあった。
 はっきり言ってしまうと、三味線や十七弦のような近世楽器は、かなのり強敵―― というか、雅楽器はやや不利である。そもそも騒々しい篳篥や龍笛はともかく、雅楽の楽琵琶や、楽箏の音は、三味線や十七弦と比べてると恐ろしく音響が貧弱なのだ。ついでに、実は笙も一管一管は蚊の鳴くような音なので、こちらも負けている。
 狭い宮中やごく一部の寺社でほそぼそと伝えられた雅楽は、いかにも可憐でそこが好きなのだが、やはり近世,庶民文化の花開いた江戸時代のパワーは桁が違う。そのことを思い知る演奏会だった。

 正倉院復元楽器のうちの一つ、箜篌(くご)は小型のハープのような楽器である。弦は23三弦なのだが、これがまた音が小さい!そもそもフレームが華奢なので ―― と言うか、二本の木材が直角に繋いであるだけなので、フレームとも言えない ―― 響かないのである。
 演奏者にきいてみると、まずチューニングで発狂しそうになるそうだ。一応、一弦一弦にペグがついているのでチューニングはできるのだが、最後の一弦をチューニングすると、脆弱なフレーム故に全体が歪む。そうしたらまたバランスの取り直しである。そりゃぁ、発狂もするだろう。
 正倉院復元楽器が、なぜ一般に流布せず、正倉院にだけ残ったのか。要は音が小さい、扱いにくい、あってもなくても良い ―― そういった事情だったのだろう。

 ともあれ、珍しい楽器とその演奏を鑑賞できるのはとても楽しい。伶楽舎にはこれからも頑張って欲しい。

シロウト、歌舞伎座へゆく2023/03/25 22:08

 先日、生まれて初めて歌舞伎を見た。場所は、東京,東銀座の歌舞伎座である。
 そもそも、邦楽に関しては雅楽か能楽にしか興味が無い私が、どうして歌舞伎を見に行くことになったのか。これには訳がある。
 1974年に発表された当時の新作歌舞伎「花の御所始末」の作曲を、芝祐靖先生が担当しているのだ。芝先生なら何でも良いのかと聞かれそうだが、まぁなんでも良いのだ。それがこのたび、再演となったというわけ。

 話の筋としては、足利将軍家の内輪争いのの中で、足利義教が悪行の限りを尽くして人殺しをしまくるという内容。シェイクスピアの「リチャード三世」に触発されたとのことだが、主役が悪人設定という以外は、大して関係ないなぁ。
 主演は松本幸四郎。ほかには、中村芝翫、片岡愛之助。ここまでしか知らない。要するに歌舞伎役者はテレビに出ている人しか知らないのだ。



 そもそも、どうして歌舞伎で雅楽の芝先生が作曲をするのか不思議だったのだが、見てやっと分かった。全体的に花の御所の雰囲気を雅楽器、雅楽の雰囲気で作ろうという意欲作なのだ。それで芝先生にお鉢が回ってきたらしい。
 歌舞伎の筋は荒唐無稽だというのは散々言われてきたのだが、それにしても作りの甘いストーリーで、そのくせ演出が大袈裟なので、ややぽかーんとしながら見ていた。大向こうも聞こえるのだが、なんとなく盛り上がらない。
 初めて歌舞伎を見るには、余り良くない演目だったことは間違いない。もっと王道の古典から見るべきだろう。

 歌舞伎の見方というのも、勉強になった。どうして休憩が35分もあるのかと不思議だったが、その間にシートでお弁当を食べるのだ。ホールのシートでの飲食は絶対禁止だと思い込んでいたので、そういう思想がなかった。
考えてみれば、江戸時代から旦那衆が芸者を引き連れ、枡席を占領し、一日飲み食いしながら芝居見物をしたのだから、ホールのシートになった現代も、シートでお弁当を食べるのが正しいのだ。
 なるほど。何事も経験である。経験して得る知見ほど、身になる物は無ない。

静嘉堂文庫美術館 ミュージアム・コンサート「雅楽 宮田まゆみ」2023/02/25 23:06

 今日は、丸の内に移転した静嘉堂文庫美術館に行った。
 かねてから静嘉堂に行きたいと思っていたし、例の有名な曜変天目茶碗も見たかったのだ。そしてこのたび、美術館のホワイエで、宮田まゆみ先生を中心とした雅楽コンサートがあるというので、これは良いチャンスだ。

 曜変天目が展示されているかどうかは、タイミングがあるので分からないのだが、今日はラッキーなことに展示されていた。小さい、小さいとは聞いていたが、本当に小さい。そして曜変は美しい。可愛くて神秘的で、大袈裟ではない。いかにも日本人好みの宝物だ。

 コンサートが行われたのは、美術館のホワイエ ―― そういえばホワイエって厳密にはどういう意味だろう?ググってみると、「劇場やホール等の入口から観客席までの広い通路のこと」とのこと。
 このホワイエ、床はピカピカの大理石(もどき?)天井も壁も漆喰なのか、がっちがちである。要は絨毯やソファで布部分が多い音楽ホールとはまったく逆の質感で、見るからにこれは音がとんでもない反響をしそうだ。

 まずは宮田まゆみ先生の笙ソロで、雙調調子。笙と言う楽器は基本的に和音を奏でる楽器だが、一本一本の管からは蚊の鳴くような音しかしない。そういうわけで、笙のソロは程よく響き、相性が良かった。
 問題は、篳篥(中村仁美先生)、龍笛(八木千暁さん)が加わる合奏。特に、龍笛の音は大変だった。高音が高すぎ、大きすぎ、響き過ぎで、許容範囲を振り切ってしまい、左耳がキーン!と痛んだ。
 芝祐靖先生の各楽器のための独奏曲があり、最後に静嘉堂所蔵の前田青邨の大作「蘭陵王」にちなんで、その曲を三管で演奏した。だいたい旋律は分かっているので、龍笛の最高音が来るたびにビクビクしなければならなかった。

 とはいえ、小さな会場でシンプルな演奏。こういう雅楽のコンサートも良いなと思った。できれば、絨毯があるところで。

伶倫楽遊/伶楽舎第十六回雅楽演奏会2023/01/28 22:14

 今日は紀尾井ホールで、伶楽舎の雅楽演奏会に行ってきた。
 紀尾井ホールだから、すこし格式のある感じの演奏会で、特別感を体験できる。
 それにしても、入場者制限をしていたのだろうか。それにしては、計画的に席を空けているようには見えず…それでいて入りは六割程度だろうか。なんだか心配になってきた。

 前半は、古典楽曲の演奏。これが目当てである。
 管弦は太食調(たいしきちょう)なので、私も演奏したことのある楽曲もある。まずは仙遊霞(せんゆうが)。斎宮が伊勢に向かう途中、琵琶湖の勢田の橋を通るときに楽人が同行してこの曲を演奏したと伝わっている。この斎宮が伊勢むかうことを「群行」というそうだ。楽人も引き連れていたというのだから、かなり荘厳、かつ華麗な物だったのではないかと想像する。
 管弦のもう一曲は「合歓塩」(がっかえん)。これは学生の時に演奏したことがあり、とても親しみ深い一曲だった。

 舞楽は、春を迎えようとする今にふさわしく、「春庭花」(しゅんていか)。四人で舞われる優雅な舞楽で、平安の春を彷彿とさせる、駘蕩とした雰囲気がまず良かった。さらに、二回繰り返しに入ると、舞人が回りながら位置を変えて舞う。その様がまた華麗で印象的だった。

 さて、後半は「いわゆる」現代雅楽である。
 現代の作曲家に、雅楽の楽曲を作ってもらって演奏するという活動を、伶楽舎はずっと続けており、これはこれで音楽的活動としてとても重要だ。ただし、私が鑑賞するという意味においては、評価がとても低い。「現代雅楽」というもので感動したこともないし、良いなと思ったこともない。例外は芝先生の古典に即した楽曲だけ。
 今回も二曲演奏された。一曲目はオノマトペをふんだんに用いた楽曲だったが。うむ、はぁ、それだけ。
 二曲目は、作曲者みずからなんとも言えない身体表現もみせてくれたが、ああ、やっぱり残念な雅楽の現代楽曲の一つに過ぎず、とっても残念。
 こればっかりは付き合いとはいえ、聞いているのが面倒ください。ただし、演奏している伶楽舎の面々の努力はたいそうな物で、そこは高く評価する。ただ、その音楽に感動しないだけである。

 もらったパンフレットによると、5月の伶楽舎雅楽コンサートは、芝祐靖先生の作品演奏会とのこと。これは期待できそうなので、いまからとても楽しみだ。

蘇莫者 / 小鍛治2023/01/03 20:10

 お正月は、テレビで雅楽や能狂言を見ることが出来る時期である。この両者は、近世邦楽に比べて、極端にテレビに取り上げられる機会が少ない。

 まず、宮内庁楽部による舞楽の放映があった。1曲目が「蘇莫者(そまくしゃ)」。これは初めて見た。唐楽で右方の舞。聖徳太子が山中で笛を吹いたところ、黄金の猿の姿をした山の神が現れて舞い踊るという演目だ。
 とても特徴的なのは、「太子」という聖徳太子役の横笛奏者が一人舞台に立つことである。これは非常に珍しい演出である。芝祐靖先生で見たかった!先生の美しい立ち姿が目に浮かぶようだ。
 そして黄金の面、黄金の鬘を身につけた山の神が神々しく、しかも走り舞という、特殊な足運びで舞い踊る。とても見応えがあった。

 「日本の伝統芸能」という番組でも伶楽舎の雅楽の演奏があるというので見たのだが、残念ながら非常に短いバージョンの「越天楽」だった。確かにあの曲は長いが…短いバージョンにもいくつかやり方があって、今回は短すぎた。始まりから終わりまでの速度感に関して収まりが悪く、消化不良な感じがした。

 能楽では、喜多流の「小鍛治」の放映があった。名工宗近が、勅使から刀を打つことを命じられるが、それにふさわしい合いの手(鋼を一緒に打つ相手)がいない。そこで稲荷大明神に参ると、不思議な童子が現れて、いずれ手助けに現れると言って去る。そこで中入り。
 後シテは稲荷明神で、今回は白頭という白い衣装の演出だった。宗近と稲荷明神が力を合わせて刀を打って勅使に渡し、明神は去って行く…という話しだったが、なんとなくキリが私が記憶していたものと違う。
 動画を見ると、観世流のキリの仕舞があって、ああこれだと思った。やはり能で演じるのと仕舞では大きな違いがある。小鍛治のキリ、この格好良さが好きだった。

枕草子を聴く2022/05/28 22:28

 本題に入る前に、まずは F1 ―― いよいよ、モナコである。ルクレール!勝てよ!絶対勝てよ!!
 打倒フェルスタッペンとして、どうしてもルクレールには勝ってほしい。彼はちょっと運のないところがある。チャンピオンには強運も必要なのだ。その強運を自分で引き寄せて欲しい。
 私の贔屓たちの動向は…まず、ボッタス。絶好調。この移籍は大正解だった。ルイスは去年の最終戦に受けた心の傷が癒えていない気がする。どうか折れずに粘って欲しい。リカルドはどうしちゃったかな…あの笑顔もドッカン・ブレーキ・ぶち抜きもすっかりご無沙汰だ。
 ノリスが、体調不良をおしてスペインで出走したのには、ハラハラさせられた。それでも上位入賞するのだから、やはり彼が次世代のエース候補ではないだろうか。頑張れ。
 やたらと話題を振りまく、ベッテル君。マシンの調子は良くないが、マイアミでは入賞圏内を走っていた ―― ところにミックがぶつかる。おいおい、それ、去年キミがやらかしたのと一緒じゃん!どうしてセブが大事にしている人がちゃんとミラー見てないかねぇ。しかもセブは「ふたりとも馬鹿だった」とか言って、ミックを庇うから親馬鹿認定されてるし。そういう所も好きだけどね。極めつけは、スペインでひったくり犯をスクーターで追いかけたというとんでもない話。やめて!面白いけど、やめて!危ないじゃない!セブが強盗に何かされたら、本当に耐えられない!キミ、ちゃんと叱っておいてください。あ、そういえば、去年までキミのフィジオだったマークだっけ?彼は今年からセブについたそうだ。仲良きことは良いことかな。
 セブが今年で引退するんじゃないかとか、またヒソヒソ言う人がいるけど(毎年のことだ)、私が思うに今年のセブはそれほど悪くない。むしろ、マクラーレンがリカルドに見切りをつけた場合、セブを呼び寄せる可能性もなくない。若いランドーがエースで、セブがコーチ&サポート役。ありだなぁ…もしそうなったら、私とってはフェラーリ時代に次ぐ、超ドリーム・チームだわ。

 前置きが長くなった。F1 についてはもっと早くコメントする予定だったが、今週はひどく忙しく、連日夜の11時、12時まで働いていたので、ブログをアップできなかったのだ。もっとも、ここまで凄いのはめったにないし、どうせ自宅だし、給料はちゃんと出るから、苦痛ではない。

 忙しさの中の一瞬を突いて、伶楽舎の雅楽コンサートに行った。題して「枕草子を聴く」これは面白いテーマだ。
 COVID-19 以来、伶楽舎の演奏会には行けなかったので、今回はとても久しぶり。四谷区民ホールが改修中のため、今回は中野ZERO 小ホール。うーん、大ホールは音響が良いと評判らしいけど…いかんせん、古い。ぼろい。演奏会に来たときの特別感がないんだよな … 早く四谷に戻って欲しいというのが本音。

 さて、清少納言は美しいもの、イケてるもの、素敵なもの、イマイチなもの、様々な物を自分の感性で書き記している。その中に、雅楽にまつわる記述もいくらかあり、まず楽器そのものについてコメントしている。
 彼女は横笛(龍笛など)がお気に入りだった。これは彼女特有というわけではなく、今も昔も、横笛というのはなぜか魅力的なのだと思う。私が小学生から中学時代にフルートを、大学から社会人時代に龍笛を吹いていたのも、そういう横笛マジックにかかってのことだ。
 演奏は、芝先生が復曲した「獅子乱声」を会場を歩き回りながら演奏するという、面白い指向。枕草子でも、遠くで聞こえたり、近くで聞こえたりするのが良いと言っている。
 笙はなにか面倒そうで、不思議な楽器だと言っている。これは鋭い。笙というのは複雑な構造で、メンテナンスにも手が掛かる。その割にか弱い音がするし、演奏者の顔は見えない。それでいて、雅楽最大の音色的特徴を担当しているのだ。こちらも芝先生の復曲で「狛犬乱声」で単数,複数の笙の音色を堪能できた。
 篳篥は、枕草子ではとにかくうるさいと言われている。急に凄い音を出して、びっくりさせられる。悪い意味ではなく、その「びっくりする感じ」は分かる。龍笛と笙が神秘的な空気を作ったところに、猛烈な勢いで飛び込んでくる篳篥のパワフルな音は、これまた雅楽には欠かせないし、同時に弦や打楽器も一斉に飛び込んでくるのだから、その力強さも当然だろう。曲は黄鐘調調子。
 箏の調弦の違いと、「想夫恋」のことが枕草子で言及されているため、演奏されたので、これを管弦で演奏することになった。
 雅楽には歌もあるが、その一つである東遊をやってくれてのも良かった。途中で和琴の柱が倒れてびっくりしたが、よくあることのようだ。

 後半は舞楽。枕草子で言及されてる、「抜頭」と、めずらしい二人舞の「納曽利」。うーん、今回はどうかな…どちらもちょっといまいち。特に「納曽利」での二人の舞人の息が合っていないような感じがして、改善の余地あり。
 私はどうも、芝先生の文化勲章叙勲祝いで上演された「瑞花苑」があまりにも良すぎて、あれを越える舞楽があるだろうかという価値判断になってしまっている。舞楽といえば、まずお薦めなのは「陵王」なのだろうが、私は同時に「瑞花苑」をもっとたくさん上演して、入門演目に加えるといいと思う。ご検討いただきたい。

雅楽の番組2021/10/15 22:40

 今日は珍しく、NHK が雅楽に時間を割いた。主に宮内庁楽部の演奏活動である。
 そもそも、NHKの邦楽関連の放送は、近世邦楽に偏っていると思う。確かに一番盛んだろうし、人気もあるのだろうが。能楽なんてもっとやって良いと思うし、雅楽に至ってはほとんど皆無なのだ。
 そんなわけで、「雅楽とは何か」から話が始まった。皇居楽部の舞台から、巨大な火焔太鼓 ―― やはりあの巨大な太鼓の音は、あの現場に行かないと体感できない。そういえば、楽部が春秋に行う一般公開は去年、今年はどうしているのだろう?
 私が楽部の演奏会にもっとも頻繁に行ったのは学生時代で、よくカーテンの向こう側に潜り込んで、先生たちの練習室を覗いたりした物だ。当時は先生方の間で卓球がはやっていたので、部屋の片隅に卓球台があるのには笑った。

 番組では、雅楽の装束の煌びやかさにも言及している。これは良い点だと思う。ただ、装束の話になれば、舞楽には右方と左方があることくらいは、説明しても良かったような気がする。
 それから、楽士さんと研修生の稽古の様子。陵王の練習といっても、当曲ではなくて、陵王乱序(入場の曲・舞)の練習だった。あれを見ると、音大時代に陵王一具をやったことを思い出す。私は龍笛の主管だったので、仕事も多かったが、今思えば恐れ知らずの気楽な時代だった。
 芝先生、宮田先生をはじめとする先生方と、脳天気な学生たちのただただ楽しい挑戦。屈託がなくて、純粋に楽しんでいたのだから、音楽において重要な一要素を実現していたと思う。

 こういう雅楽紹介の話になると、舞楽として披露されるのは、だいたい「陵王」だ。たしかにそれに値する名曲である。
 しかし、私の中で舞楽ナンバーワンは、近年「陵王」ではなくなっている。芝先生が作った、「瑞花苑」があまりにも素晴らしく、あれが一番お気に入りなのだ。
 伶楽舎が再演してくれることを願っているし、他の雅楽団体もどんどんやればいいのにと思う。確かに芝先生の曲・舞楽だけど、名作はみんなの名作であるべきだ。

 年末にかけて、伶楽舎の演奏会も計画されている。ここ一年半、演奏会に行くこともままならなかったが、私もそろそろ演奏会を楽しむことが出来るのだろうか。自分のピアノやティン・ホイッスルのレッスンも再開しつつある。
 籠もる生活もそれなりに好きだが、音楽と共に外に出る生活も楽しい。焦りは禁物だが、そういう日常が戻ることを願ってやまない ―― そんなことを思う雅楽の時間だった。

さよなら Moto2021/05/09 20:07

 連休中に、本と CD の整理をした。俗に言う断捨離だが、別に部屋が散らかっているわけではない。数をいくらか減らさないと、新たに購入した分を収納できないので、不要,聞かない CD は売却することにしたのだ。
 そして、とうとう全ての邦楽を処分するに至った。

 以前、時々洋楽に混じって邦楽を聴くことがあったが、最近はすっかり聴かなくなった。本当に自分は洋楽好きなんだなぁと実感する。
 そんな中でも、最後まで残っていた邦楽が、佐野元春だった。

 佐野元春を知ったのは、たぶん中学生の頃だったと思う。ビートルズに出会った後だろう。兄が佐野元春を聴いていた。代表曲の "Someday" は既に「永遠の名作」と呼ばれていた。中学生にとって、"Someday" は心に刺さらずにはいられない曲だろう。
 高校生のころ、お金をためてシングル集を購入して、聴き倒していた。
 やがてもっと自由に CD が買えるようになると、欲しい洋楽に混ざって、佐野元春のアルバムも集めていった。
 初期の名作アルバム群も良いし、90年代の [Sweet 16] や、[Barn] なども好きだった。

 しかし、2004年、[The Sun] が発表されたとき、佐野元春と私の分かれ道がやってきた。このアルバムは、発表されると同時に購入したのだが、聴いてみると、失望感が広がった。
 そこには、私の好きな佐野元春がいなかった。これは違う ―― 私の心が彼から離れた瞬間だった。あの悲しいような、空しいような体験は、忘れられない失望感として覚えている。
 そのときから、私と佐野元春の音楽は離れていった。かつて感動した数々の音楽がなんとなく空々しく思えるようになった。
 iPod のアルバム・シャッフルをして、偶然、佐野元春のアルバムになったときも、最初は懐かしく聴き始めるのだが、すぐに飛ばしてしまうようになった。
 [The Sun] というアルバム一枚が、私には合わなかっただけなのに。どうしてこうなってしまったのだろう。そう思いつつも、名曲揃いの大量の洋楽に押し流されて、私の心が佐野元春のところに戻ることはなかった。新譜も、ふっつり買わなくなってしまった。

 そして今年の春。
 私は佐野元春のアルバムを、全て処分することにした。どこかで、心の痛みや、後ろめたさを感じていたような気がする。でも、手元に残しておこうという、強い理由もなかった。
 なんとなく、また聴きたくなったら、買い直せば良いと思っている。
 こうして、本と CD 併せて90点は、6,650円の現金となり、収納スペースが増えた。たぶん、これで良かったのだと思う。

 さよなら、Moto ―― さよなら、中学生だった私。さよなら、確実に、ある時期ファンだった佐野元春。また、いつか。会う日が来るなら、その日まで ――

Quijada / Vibraslap2021/04/11 20:06

 ラテンアメリカの打楽器に、キハーダというものがある。
 馬やロバの下顎の骨を用いたもので、歯肉がなくなった分、顎の骨と、歯の間に隙間が出来て、そのため叩くとそれらが細かくぶつかって、独特な音がする。



 しかし、大量生産に向いていない上に、壊れやすい。私は昔、テレビで斉藤ノヴ(当時はたしか「斉藤ノブ」だったような気がする)が、キハーダの現物を叩いたと同時に、壊れたのを見たことがある。

 キハーダの代替品として開発されたのが、ヴィブラスラップである。
 日本では、なぜか時代劇の効果音で多用され、そして一番有名なのは、「与作」だろう。開始17秒、右奥のボンゴを前にして立っている、パーカッショニストさんと、その音に注目。



 デーモン閣下は、拍子木と一緒に、もっと分かりやすくやってくれる。



 最近、自分の好きなロックをランダムに聴く機会があった。ある曲で、ヴィブラスラップの音がするなぁと、何となく分かった。しかし、ちょうど取り込んでいたので、それが誰のどの曲だったのか、すっかり分からなくなってしまって、気持ちが悪い。たしか、ストーンズだったと思うのだが、結局わからない…
 あれこれググっていたら、エアロスミスの "Sweet Emotion" で、ヴィブラスラップが使われていた。言われてみれば、確かにそうだ。
 こちらの動画の冒頭では、スティーヴン自ら、「ヴァイブラ」スラップの使用を解説してくれる。ついでに壊れた時の音も入っているとか。



 なかなか効果的な使われ方なので、エアロスミスのコピーバンドの方は、ぜひともヴィブラスラップも取り入れて欲しい。

雅楽ライブ配信公演2020/11/27 23:46

 伶楽舎が、11月17日に、ライブ配信公演を行った。音楽ホールから生で YouTube に動画を配信した、この演奏会。ライブで見られなくても、五日後までは視聴することが出来た。
 私はライブ当日、都合が悪くて、オンタイムで見られなかったので、後追いで試聴しようとしたのだが ―― 
 残念ならがら、10分で演奏の鑑賞を止めてしまったため、多くの感想は述べられない。

 演奏が始まる前、プログラムの内容を画面に出してくれたのは親切で良かったが、バックに流れるピアノのやすっぽいムード音楽が良くなかった。雅楽の演奏会に臨む雰囲気が削がれるので、ほかのものにしてほしかった。
 しかし、問題はこれではなかった。

 ホールからの中継が始まるなり、なんと、ものすごい音量の空調音 ―― ゴバァーッ!という音が鳴り響いたのだ。パソコンのスピーカーの音質は当てにしていなかったので、ヘッドホンを使ったのだが、この轟音で、もう雅楽を聴く気が失せた。
 これまで意識してこなかったが、音楽と静寂は、不離のものなのだ。特に雅楽のように繊細な音色を特色としていると、なおさら静寂の重要性が高まる。とんでもない空調音を聞かされるのには、我慢が出来なまった。

 雅楽の演奏が始まってみると、空調音の向こうで笙が鳴るのだが、まったく響きの豊かさを感じることが出来ない。音の厚みが全くないのだ。
 さらに、篳篥と龍笛が入ると、高音域が振り切れてしまい、音が割れる。まったく話にならなかった。

 そのようなわけで、好きな音楽で苛立たしい思いをするのは、まっぴらごめんなので、10分で諦めた。

 曲目が、芝祐靖先生の作品群だったので、ものすごく残念。ただ、カメラワークは面白かった。まともな音で聴きたかった。
 雅楽は生で聴くに限ると、思った今回のネット配信だった。