Un Sospiro2017/04/06 20:26

 去年、ピアノでスカルラッティを弾いた後、リストの「三つの演奏会用練習曲 第3曲」を弾いていた。
 タイトルをこう書くとピンと来ないかも知れない。「ため息」という通称で良く知られている曲だ。
 「ため息」はショパンの「別れの曲」のように、日本でだけ通じる通称なのかと思ったら、どうやら "Un Sospiro" でも広く知られているようだ。ウィキペディアによると、リスト自身がつけたわけではなく、フランスの出版社がつけたらしい。特にこの「ため息」は素晴らしいネーミングだ。

 どういう訳だか、この曲が収録されているCDを持っていない。ルービンシュタインのリスト集に入っていると思い込んでいたのだが。
 YouTubeでいくらかの演奏を聴いてみたが、いずれも「ため息」というには、やや威勢の良い、賑やかな演奏が多い。冒頭に関しては、もっと密やかで、静かな演奏が好きだ。
 ここでは、チリ出身、20世紀の伝説,クラウディオ・アラウの演奏。



 ちなみに、この動画に使われているリストの肖像画は、ハンガリー,ブダペストにあるリスト記念博物館所蔵のもの。悲鳴をあげる女性に追い回される音楽家のルーツのような人なので、この肖像画もそういう雰囲気を意識しているに違いない。

 アラウの演奏は、コーダのところが、私が弾いた版とは異なる。
 
 「ため息」には、古い古い想い出がある。
 まだ私が 4, 5 歳の頃のこと。生まれて初めて、ピアノの発表会というものに出た。椅子から両足をぶらぶらさせている初心者なので、当然発表会の冒頭に弾いたと思う。
 その発表会のトリが、この「ため息」だった。あれを弾いたのは、現役音楽大学生だったのだと思う。音大生というものは、こういうものなのだ、これがピアノだという印象を強くしたと同時に、「ため息」というタイトルが記憶に焼き付いている。
 あれから数十年、私が「ため息」を弾いている。あの音大生だった人は、いま、どこでどうしているのだろうか。知る術もないが、ただ名曲「ため息」の美しいメロディだけが、今もかわらず流れている。

Florence Foster Jenkins2016/12/18 21:29

 映画「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」[Florence Foster Jenkins] を見た。

 1944年ニューヨーク。裕福なクラシック愛好家フローレンス・フォスター・ジェンキンス(メリル・ストリープ)は、夫(内縁)兼、マネージャーのシンクレア(ヒュー・グラント)の支えを受けながら、芸術活動への援助を行っている。
 好きが高じて、若い伴奏ピアニスト,マクムーン(サイモン・ヘルバーグ)を高額で雇い、高名な教師による声楽のレッスンを受けるのだが、彼女には歌の才能が完全に欠落しており、要するに自覚の無い音痴だった。
 身内だけの小さな演奏会で歌い、批評家を買収できたうちは良かった。しかし、周囲におだてられて音痴の自覚がないフローレンスは、レコードを制作し、音楽の殿堂カーネギー・ホールで演奏会を開くと言い出す。



 この実在した伝説の音痴,フローレンス・F・ジェンキンスについて、このブログでも記事にした覚えがある。いつのことだったかと確認してみたら、2008年7月だった。このブログを始めたばかりのことだ。

2008年7月1日 伝説の歌姫 フローレンス・F・ジェンキンス

 感動とは、作れる物だと思い知る映画だった。
 私にとってフローレンスは楽しい笑いを提供する「ネタ」だったが、映画を作る人の手にかかると、彼女の一生懸命な姿に情が移り、いつの間にか応援してしまう。
 笑いと感動、華やかな画面、古きニューヨークの風景,調度品,ファッションなども存分に楽しめる。

 メリル・ストリープはさすがの演技力。見ていて安心感がある。そしてヒュー・グラント。こういう、完璧ではないけど、共感を呼ぶ英国男を演じさせると上手い。
 一番良かったのは、マクムーン役のサイモン・ヘルバーグだ。どこかで見た顔だと思ったら、"Big Bang Theory" のひとだった。マクムーンは、雇い主のあまりの音痴さと、それでも「上手い」とおだてる周囲の人々に呆然としつつも、「真実」を暴露することなく、フローレンスを支える側になってゆく。彼の感覚が映画の観客の心情にもっとも近いだろう。

 さて、自覚のない音痴である富豪夫人をおだてて、レコーディングやカーネギー・ホールまで突き進ませてしまった周囲の人々には、罪があるかどうかという問題。

 映画ではフローレンスを音痴ではあるが、音楽を愛する好人物、努力を惜しまず、誠実な人として描いており、そんな彼女を支える人々を好意的に描くのは当然だろう。理解ある友人たちに、下手な歌声を披露しても、寛容の精神と友情で平穏な調和がとれているのなら、それも良いと思う。歌うことが彼女にとって、生きることであれば、なおさらだ。

 しかし、映画でも少し出てくるが、おだてるだけおだてて、金を引き出していく人もいる。
 登場人物のひとりは、「音楽への冒涜だ」と言った。私は「冒涜」などと言う言葉を使うほど大袈裟な話ではないと思う。しかし、フローレンスを後世まで「嘲笑の対照」にしてしまったという、彼女の尊厳に対する責任を思うと、さすがに「一生懸命やっているのだから応援しよう」だけでは済ませられないような気もする。
 もっとも、8年前の記事でも分かるとおり、私も彼女の録音を聞いて笑っている人の一人なのだが。

 メリル・ストリープの演技は上手い。元々は歌の上手い彼女が、音痴になるように、特別なレッスンを受けたという。見事な音痴ぶりを演じてはいるが、それでもまだ、上手すぎた。本当のフローレンス・フォスター・ジェンキンスはあんなものではない。
 録音だけでは分からないが、おそらく声量も足りていなかっただろう。カーネギー・ホールで、どの程度彼女の音痴程度が「響いた」かは疑問だ。



 音楽の殿堂カーネギー・ホール。「カーネギー・ホールには行くにはどうすれば良い?『練習、練習、練習』」という言葉があるが、実際には「金」でも良いらしい。それなりの借り賃を払い、スケジュールさえ合えば、基本的に音楽的レベルには関係なく、演奏会を開くことが出来る。
 音楽ホールなのだから、本来そうであるべきだろう。ただし、「あのカーネギー・ホールで演奏した!」という宣伝文句には、要注意だ。

Jupiter2016/12/09 22:28

 唐突だが、私は星を見るのが好きだ。
 天気の良い夜は道を歩きながら、よく空を見上げ、知っている星を探す。天体観測を趣味にしても良かったが、寒さが苦手という致命的な弱点のため、そうはなっていない。
 ともあれ、星を確認するために、よくこのサイトを見る。

 今日のほしぞら - 国立天文台暦計算室

 今はちょうど、日没後の南西に金星が煌々と輝いている。さらに火星と、フォーマルハウト(みなみのうお座)が金星とともに三角形を成している。北西にはベガ(こと座),デネブ(はくちょう座),アルタイル(わし座)が沈んでいき、逆に南東からはアルデバラン(おうし座)とカペラ(ぎょしゃ座)が昇ってくる。
 最近、朝は夜明け前に家を出るのだが、北西にプロキオン(こいぬ座)やカストル,ポルックス(ふたご座)が沈む一方、白む南東に昇る春の星々,スピカ(おとめ座)、デネボラとレグルス(しし座),アークトゥルス(うしかい座)が美しい。
 その上、今はちょうど同じ方向に、木星が明るく見えるのだ。同日の朝と夕に、三つの惑星が見られるのは運が良い。

 木星はジュピター(Jupiter)というが、ホルストの組曲「惑星」(1916年)の中でも、一際有名なのが、この [Jupiter] だ。



 ゆったりとした中間部が圧倒的に有名なのだが、私は冒頭が一番良いと思っている。あの格好良さは尋常ではない。一時期、NHKの「N響アワー」のオープニングに使われていた。

 とは言え、中間部の人気は凄まじく、ホルストの存命中に、愛国的な歌詞が付けられ、[I vow to thee, my country] として親しまれている。今でも、戦没者慰霊式や葬儀のみならず、王族の結婚式でも演奏されるそうだ。



 ジュピターと言えば、もう一つ。ノーベル賞授賞式には出席しないボブ・ディランの曲にも、"Jupiter" が登場する。
 私がかなり好きなアルバムの一つ、[Street Legal] のオープニング・チューン "Changing og the Guards" の、"She was torn between Jupiter and Apollo" という歌詞だ。

 数々のディランの詩の中でも、この曲は特に難解な内容で、支離滅裂にも思える。曲が良いから、大好きな曲だが。
 ともあれ、訳詞をされる方々も苦労しているようだ。"Jupiter" のところは、だいたい「彼女はジュピターとアポロの間で引き裂かれた」としてる。
 果たして、この「ジュピターとアポロ」とは何を指すのか。ギリシャ神話のゼウスとアポロンにあたるから、この二人の間で引き裂かれたのか。私は「木星と太陽の間」ではないかと思っている。どちらにせよ、意味不明だが。

モーツァルトは子守唄を歌わない2016/10/05 21:25

 好きな作家と言えば。

 司馬遼太郎
 塩野七生
 アガサ・クリスティ

 ここにもう一人、加えたい人が居る。
 森雅裕がその人だ。
 その作品の幾つかしか読んでいない。しかし、1985年江戸川乱歩賞を受賞した出世作,「モーツァルトは子守唄を歌わない」は、私が読んだ回数としては、一位の作品だろう(二位は、たぶん「坂の上の雲」)。

 モーツァルトが死んで18年後、ナポレオン率いるフランス軍が進駐するウィーンでのこと。18年前に死んだフリースという医者が作った子守唄を、楽譜屋がモーツァルト作曲として出版すると知って、その娘シレーネ・フリースは憤慨していた。
 ところが、その楽譜屋はベートーヴェンが演奏会に向けて練習していた音楽ホールの貴賓席で、「水浴びした焼死体」となって発見される。それがきっかけとなり、ベートーヴェンはモーツァルトとフリースの死にまつわる謎を追い始める。
 探偵役ベートーヴェンの相棒は、弟子でピアニストのカール・チェルニー。やがて彼らは、モーツァルトを毒殺したという噂のあるサリエリや、モーツァルトも所属していたフリーメイソン、宮廷、フランス軍などを巻き込んだ「真実」に迫る。

 35歳で死んだモーツァルトに関して、毒殺だ、陰謀だという話は昔からある。私はモーツァルトだろうが、そうでなかろうが、歴史に関して陰謀説はまったく信じない人なので、モーツァルトもあの時代はよくあった、若くして死んだ人の一人だと思っている。
 この作品に描かれる内容は全くのフィクションなので、人物の描かれ方なども含めて、本気にはせず、気楽に楽しんでほしい。
 とにかく、この小説は江戸川乱歩賞に相応しいミステリーであり、極上のエンターテインメントだ。
 探偵役にベートーヴェンを起用した時点で、まずこの作品の勝利は決まったような物だ。気むずかしくてぶっきらぼう、皮肉屋で口の悪いこの大作曲家と、天才ピアニストだけど生意気な弟子のコンビ芸は、一読の価値がある。

「先生。思いきってここで死んで、モーツァルトの境地に達することにしますか」
「だから、お前はピアニストなんてやめて、ワイン屋でも始めろ、というんだ」


 曲目としては、モーツァルトのオペラ「魔笛」が重要な存在になっている。しかし、聴いたことがなくても支障は無いだろう。むしろ、ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番「皇帝」は、聞いておくと良いかも知れない。何度か演奏シーンがある。
 それから、フルートという楽器が「木管楽器」であり、本来「木製」であることを知っていると良いだろう。キーの沢山ついた金属製の楽器になったのは、19世紀後半以降だ。

 とにかく、このミステリー小説には 殺人あり、暗号有り、宝探しあり、楽器学あり、ワインあり、歴史あり、活劇あり。てんこ盛りのめまぐるしい展開が、明るさと軽妙さにつつまれて、詰めこまれている。
 もう一つ特筆すべきは、作品の舞台がほぼウィーンの町中に限られていること。このウィーンをベートーヴェンとチェルニーが駆け回るのだが、馬車を使うシーンは1回くらいしかない。ウィーンを訪ねる前に読むと楽しさも増すだろう。

 ひとつ残念なのは、この作品は新品で入手できないことだ。
 1985年の江戸川乱歩賞は、森雅裕と東野圭吾が同時受賞した。後者は今や押しも押されぬ売れっ子作家。一方、我が森雅裕は、作家としての成功の道をたどらず、その著作はどれも絶版になっている。
 どうやら森雅裕という東京芸術大学,美術楽部出身の作家は、大人として、社会人として、必要であるコミュニケーション能力や、自己制御能力に欠けるところがあるらしい。うまく「プロの作家」として振る舞うことが出来ず、その世界からはドロップアウトしてしまった ― もしくは、させられたようだ。

 しかし、森雅裕のファンというのは、確実に居る。「モーツァルトは子守唄を歌わない」もかなりの部数が刷られたはずだし、10年ほど前には復刊企画で発売もされた。古本市場にはたくさん出まわっているだろう。
 明るく楽しいミステリーが好きな方には、一読をお勧めする。

 「モーツァルトは子守唄を歌わない」には、続編「ベートーヴェンな憂鬱症」もある。同じ森雅裕作品としては、芸大を舞台にした、オペラと美術をめぐる学園ミステリー「椿姫を見ませんか」も、とてもお勧め。

Die Fledermaus2016/10/02 21:17

 ヨハン・シュトラウスⅡ作曲のオペレッタ「こうもり Die Fledermaus」のDVDが欲しくて検索してみると、これまたあまり選択肢がない。結局、評判の良いものを選んだら、1983年12月31日,ロンドンはコヴェントガーデンのロイヤル・オペラハウスになった。なんと、30年以上前。
 指揮はプラシド・ドミンゴ。テノールとして有名な彼の、指揮者としての出世作だ。豪華な出演陣に、サービス旺盛な演出。最高にハッピーで楽しい作品に仕上がっている。そもそも、「こうもり」というのは楽しさだけで出来ている。

 あらすじと言っても、馬鹿騒ぎの連続で、他愛も無い。
 法廷侮辱罪で5日間の服役を命じられた裕福な銀行家のアイゼンシュタインに、名バリトン,ヘルマン・プライ。その妻のロザリンデにキリ・テ・カナワ。ロザリンデにしつこく言い寄る元恋人のテノール歌手が歌いまくったあげくに、アイゼンシュタインのかわりに収監される。
 一方、アイゼンシュタインは入獄前の楽しみを提案してきた友人ファルケ(あだ名は「こうもり博士」)の誘いに乗り、オルロフスキー侯爵の夜会に出かける。ロザリンデもその夜会に仮面をつけて乗り込む。一方、ロザリンデの小間使いアデーレも女優に化けて夜会に参加。そして刑務所長のフランクまでやってくる。
 享楽のひとときののち、刑務所に集まった一同は、「こうもり博士」が仕掛けた復讐劇の真相を知ることになる。

 キリ・テ・カナワにヘルマン・プライといえば、この当時最高のメンバーだ。特にヘルマン・プライは私にとって「セヴィリアの理髪師」のフィガロ役が印象深い。コミカルな演技の上手さが最高。キリ・テ・カナワの当惑しつつも夫を手玉に取る妻ぶりに安心感がある。進行する喜劇の案内役でるファルケのベンジャミン・フランクリンもダンディで格好良い。
 この公演は大晦日の祝祭に相応しい豪華な演出で、ゲストのバレエあり、コミック・ソングあり、しまいにはシャルル・アズナヴールまで登場して あの "She" を披露する有様!
 「こうもり」はドイツ語の作品だが、この舞台では、英語とイタリア語も併用。このめまぐるしさも舞台に勢いを加えている。

 「こうもり」と言えば、歌手だけではなく、コメディアンが演じる看守フロッシュのクオリティも重要だ。この舞台のフロッシュでも大笑い。特に良かったのが、チップをくれたアルフレードが「コヴェント・ガーデンの歌手だ」と知るなり、可哀想になってチップを返すところが最高だった。
 指揮者がドミンゴであることも、忘れてはいけない。「オルガ,イーダ」という二人の女性の名前から「アイーダ」(ヴェルディのオペラ)を連想したフロッシュが、「行くぜ、マエストロ!」と「清きアイーダ」を歌い始めると、すかさずドミンゴが歌い出す!

 最高に盛り上がる「シャンパンの歌」と、「アイーダ」の下りがまとめられた、動画があった。スキンヘッドの人は、オルロフスキー侯爵。女性が演じることになっている。黄色いドレスの女性は、ヒルデガルド・ハイヒェレ演じるアデーレ、次に歌う男性がヘルマン・プライ演じるアイゼンシュタイン。




 「こうもり」と言えば、外せないのは「序曲」。聞いたことの無い人は居ないほど、有名な序曲。シュトラウスの作品の中でも、最高の作品ではないだろうか。
 コヴェントガーデンの「序曲」は動画になかったので、ここは2010年のウィーン・フィル,ニューイヤー・コンサート。指揮はジョルジュ・プレートル。会場はもちろん、楽友協会の「黄金の大ホール」。ニューイヤー・コンサートはシュトラウスのポルカやワルツが多く、やや退屈な曲目なのだが、さすがに「こうもり序曲」は輝いていた。



 このウィーン・フィルはさすがに溜めの大きい演奏だが、ドミンゴとコヴェント・ガーデンはもっと軽快でストレートな演奏だった。私の好みは後者。

 「こうもり」はオペラ全ての作品の中でも、万人に勧められる作品。重苦しい作品は敷居が高いかも知れないが、「こうもり」は気軽に楽しめ、しかも作品としての完成度が高い。クラシックに馴染みの無い方にもお勧め。

Tosca2016/08/12 20:47

 プッチーニのオペラ「トスカ」を Blu-ray で見た。

 21世紀になってからの新しい画像が良いと思ったのだが、Amazon で検索すると、以外と選択肢が少ないのに驚いた。イタリア語のオペラなので、字幕も必須だ。
 あまり多くない選択肢から選ばれたのが、2006年アレーナ・ディ・ヴェローナ。野外劇場でドカンドカンと大砲を撃ちまくる。この会場は夏期のオペラ公演で有名。マリア・カラスのイタリアでのデビューもこの場所だったそうだ。

 トスカというと、歌姫トスカとその恋人で画家のカヴァラドッシ、トスカに横恋慕するスカルピアの愛憎劇。トスカには気の強さ、激しさが求められ、同時に最初から最後まで金切り声を上げ続ける強靱さが必要。
 カヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」とトスカの「歌に生き、愛に生き」が有名。トスカを知らなくても、この曲に聞き覚えのある人は多いだろう。
 「トスカ」の鍵となるのは、スカルピアだと思う。バリトンの悪役。この役どころが弱いと、オペラ全体が締まらない。私自身が、テノールよりバス,バリトンの方が好きなので、この舞台でもルッジェーロ・ライモンディが演じるスカルピアが一番良かった。
 こちらは、第一幕のフィナーレ「テデウム」。マーラーに言われれば「鐘が鳴りっぱなし」の騒々しく、荘厳で、エネルギーに満ちた名場面だった。



 「トスカ」はオペラ上演中のハプニング・エピソードには事欠かない。トスカがスカルピアを殺害するシーンで実際に怪我をさせたとか、ナイフが無くて仕方なく絞め殺したとか、ロウソクの演出が決まりなので、延焼が発生するなどの騒ぎが多い。
 第三幕のフィナーレ,つまりオペラのラストシーンは、トスカがサンタンジェロ城から身投げするのだが、トランポリンで歌手が壁の向こうから何度も跳ね上がったという伝説もあるし、兵隊がトスカに続いて次々飛び降りたとかいう話もある。
 私が見たディスクのトスカは飛び降りるのではなく、サンタンジェロ城先端の天使像の上で十字をかざすというシーンで終わっている。ちょっと中途半端ではないだろうか。演出としては難しいところだろうが、ぜひとも飛び降りて欲しかった。

中村紘子2016/07/31 16:38

 ピアニストの中村紘子が亡くなった。ご冥福をお祈りします。

 彼女の功績は大きい。日本において、ピアニストという職業のシンボルだった。
 多くのピアニストは若くして才能を認められ、海外へ留学し、有名な国際コンクールで良い成績を残す。彼女はその典型だった。日本で押しも押されぬ「天才」だった彼女が、ジュリアード音楽院に入学するなり、指一本の下ろし方から叩き直されたという。そこからまた鍛錬を重ね、国際ショパンコンクールで四位に入賞した。
 コンクールでの成績は、プロのピアニストとしては最初の一歩に過ぎない。重要なのは、その後のさらなる成長であり、中村紘子はそれを成し遂げたからこそ、その後のピアニストとしての足跡を残せたのだと思う。

 世界のトップクラスと認識される「超一流」のピアニストだったわけではない。上には上がいる。私も、音高進学以降に彼女の演奏を選んで聴くことはなかったと思う。
 しかし、小学生くらいまでは、ピアニストといえば中村紘子だった。彼女の華やかな演奏活動は、これぞピアニスト。綺麗なドレスを着て、素晴らしくショパンを弾く姿は、多くの少女達の憧れであり、音楽大学への進学を志すきっかけになったことだろう。
 ピアノを習う子供の親は、中村紘子のレコードやCDを買うこともあっただろう。それを通じてショパンやリストの名曲がお馴染みのものになったことも、彼女の功績だ。
 「ピアノの実力はイマイチだが、それ以外の要素で売っている」という存在ではなく、飽くまでもプロとして立派な、一流ピアニストだった。

 中村紘子の凄いところは、一流のピアノ以外にも才能を発揮したことだ。雄弁であり、文章が上手く、構成力と企画力があった。ピアノを弾くだけではない、バイタリティに溢れた文化の発信者だった。
 テレビに出演しても面白い話をするし、ピアノの実力がそれを説得力のあるものにした。「N響アワー」で、海老沢敏先生と番組の司会を務めたこともあった。

 病気療養中、「病気が治ってもピアノが弾けないのは嫌だ」と語ったという。気持ちは良く分かる。しかし、彼女はたとえピアノが弾けなくなっても、ピアノの、そして音楽文化のために、沢山のことを成し遂げたに違いない。

 ポリーニやアルゲリッチが、バリバリの現役で活躍しているのを思うと、中村紘子の死は早すぎた。なおさら惜しい人を亡くしたと、残念に思う。

Woman in Gold2016/07/22 20:15

 去年公開された映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」([Woman in Gold])のDVDを購入した。一度見てみると良い映画だったので、5回も見てしまった。
 クリムトの有名な肖像画,通称「黄金のアデーレ」をめぐる実話を元にした映画で、主演はヘレン・ミレン。



 美術物,歴史物,法廷物,友情物として盛りだくさんで、面白い。ミレンの衣装も良いし、いろいろ美しいものも登場。
 要するにナチスに収奪された叔母の肖像画を、老婆になった姪,マリア・アルトマンが、若い弁護士とともに法廷闘争の末に取り戻す話。
 色々なところで見覚えのある俳優が出てくるのも面白かった。「刑事フォイル」や、「ダウントン・アビー」などが好きな人にとっては特に。F1映画 [Rush] でニキ・ラウダ役だった、ダニエル・ブリュールが出てきたのも嬉しかった。
 やや残念なのは、絵を手放すまいとするオーストリア側がちょっと印象悪く描かれているところ。マリアに協力してくれた人は、実際にはもっと居ただろうし、最終的にオーストリアは絵を返還する。その決断をもっと丁寧に描いても良かっただろう。

 さてこの映画、音楽的にも面白い。
 まずは、アルノルト・シェーンベルク。オーストリア出身のユダヤ人で、アメリカに亡命したこの有名な作曲家の存在は、非常に重要。登場人物の存在そのものに大きな影響を与えている人物であり、その代表曲「浄められた夜 Verklärte Nacht」も重要な場面で出てくる。
 演奏シーンは、ウィーンのコンツェルトハウス。オーケストラへの編曲もよく演奏されるが、映画ではオリジナルの弦楽六重奏が用いられた。



 登場人物の一人がバリトン歌手で、歌声を披露したのは、「ドン・ジョヴァンニ」の、セレナーデ "Deh, vieni, alla finestra"(窓辺においで)。
 映画ではピアノの伴奏で歌われていた。実際の舞台では、歌手がマンドリンの弾き真似をしながら歌う。ここでは、コンサート形式の演奏。本物のマンドリン奏者が隣りで実際に弾いてくれているのが嬉しい。



 主人公の名前が「マリア」なので、「メアリー」の曲も出てくる。
 "Mary Don't You Weep" は、ゴスペルや、アレサ・フランクリンのバージョンで有名だが、この映画では、ブルース・スプリングスティーンのバージョンを、デロン・ジョンソンが歌っている。この人が何者だか、まったく分からない。



 ウィーンに行ってみたくなるし、ニューヨークに「アデーレ」を見に行きたくもなる。英語の勉強にも良いのだが、英語の字幕が無いのが惜しい。

国立音楽大学 創立90周年 特別記念演奏会2016/06/14 21:28

 「こくりつ」ではない。「くにたち」音楽大学である。通称、「くにおん」
 1926年創立で、今年90周年を迎える。音大としては歴史の古い方で、私学では日本で一番古い。校名は東京都国立市にあったことに由来しているが、現在大学は立川市に移転し、高校から幼稚園までが国立市にある。
 創立90周年記念事業として、様々なコンサート、レクチャー、講義などが開催されている。そこで、6月12日にサントリーホールでの音大オーケストラと合唱による演奏会に行った。



 指揮は、準・メルクル。日本人と、ドイツ人の間に生まれた彼は、オペラ指揮者としても多く活躍しているが、NHK交響楽団との共演も多く、管弦楽の指揮でもテレビでよく見る。現在、国立音大の招聘教授だそうだ。
 オーケストラは国立音楽大学の学生が中心。一部OBや先生もいるようだが、ほとんどが学生だ。合唱は学生だけだろう。

 曲目はまず、武満徹の「セレモニアル」。オーケストラの演奏の前後に、笙の独奏が入ることが特徴。演奏は宮田まゆみ ― 先生。もともと、武満は彼女を想定して、この曲を作ったと思う。宮田まゆみ先生には、私も音大時代、雅楽でお世話になった。
 残念ながら私は武満のファンでもないし、雅楽は古典が一番良いと思っている。それでも、サントリーホールに笙の音が響くとぞくっとする。
 オーケストラ・パートは、ちょっと自信がなさげで、曲を掴み切れていない感じはする。メルクルが一生懸命引っぱっていく実感が伝わってきて、やはり学生の拙さは隠せないのだということと、良い勉強をしているということを実感する。

 二曲目はベートーヴェンの交響曲第九番「合唱つき」。
 舞台にオケと合唱が揃ったところでわき上がる拍手。思わず笑ってしまった。武満のときと、盛り上がりが違う。合唱メンバーの家族もいるだろうし、殆どの人が第九目的で来ているのだろうから。

 第一楽章は、まずおっかなびっくり。管楽器が慎重だ。確かに学生の技量なので多くは期待できないのだが、それにしても勢いがない。弦が入って、やっと曲が前に進む感じ。
 第二,第三楽章になると、だんだん滑らかに、余裕のある演奏になってきた。
 しかし、問題は第四楽章だった。第九は全曲で70分ほどかかる。体力を消耗する管楽器にとって、第四楽章がきつかったらしい。第一楽章が慎重だったのは、第四楽章のための体力温存だったのだろうか。
 二回目のテーマが始まったところで、管が大崩れを起こしてしまった。間髪を入れず合唱と独唱が立ち上がる。独唱は立派なプロなので、大崩れに惑わされない。合唱もさすがに完成度が高い。
 一度はオケも持ち直すのだが、繊細な表現で難しいトルコ行進曲のパートになると、ピンチ再び。管が息も絶え絶え。メルクルはテンポを落とさず、逆にどんどん上げていく。おそらく、テンポを緩めると、息がもたず、演奏をキープできなくなるのを防いでいるのだろう。
 技量に差のある二者が同時に同じ曲を演奏すると、もの凄いことになるのだ。
 終盤は、合唱が圧倒的な技量でホールに音楽の渦を巻き起こす。メルクルも、合唱の実力を信頼している感じが非常に強い。合唱の学生達自身も、自信をみなぎらせているのが分かる。

 同行した友人も言っていたのだが、「第九」という曲は、最後までやりきると、否応無しに感動する。あの失敗も、あのグダグダも、大崩れも、すっかり過去のことになり、幸せな気持ちだけで終わる。合唱が上手ければ、なおさらだ。
 フィナーレを迎えた瞬間の盛り上がり、大喝采、舞台に満ちる満足感。やれ俗っぽいとか。作曲者の自意識過剰だと、あれこれ言われるが、結局は否定のしようのない名曲なのだ。
 オーケストラに関しては、まだまだ成長途中。もっと体力をつけて、大きな曲を最後まで余裕をもって演奏し切る技量を身につけて欲しい。
 そんな厳しいことを言っているが、管楽器の学生達はよくやったと思う。人数も少ないし、ピアノやヴァイオリンに比べると演奏キャリアも短いだろう。そんな彼らには第九は荷が重かったと思うが、本当によくやった。

 合唱はさすがの上手さ。第九のために国立を目指す人が多いのだから、当然だろう。

 テレビで見るメルクルは笑顔が印象的だが、指揮する体全体が笑顔のようで、気持ちの良い人だった。あきらかに劣るオーケストラを鼓舞し、励まし、褒め、アドバイスを繰り返したに違いない。学生達にとっても、良い経験になっただろう。
 とても印象が良かったので、彼の指揮をほかでも見たくなった。オペラなどはどんな感じなのだろうか。

 天気の良い休日に、友人と楽しくお喋り、食事、素晴らしいコンサートホールで名曲の鑑賞。贅沢な一日になった。

 帰りに、のど飴をもらった。カンロと国立音大が共同開発したとのこと。音大生と、のど飴。あるある。

Domenico Scarlatti2016/05/03 20:01

 ショパンのバラード1番を ― 本番は悲惨な結果だったが ― 弾いた後、何を弾こうかと考えて、まずは比較的得意なバッハの平均律を1曲弾き、その後スカルラッティを弾こうと思い立った。
 実のところ、スカルラッティがどういう人かは殆ど知らずに、なんとなく「軽やかなバッハ」くらいの認識で選んだのだ。その提案を聞いた先生曰く、軽やかで繊細なタッチの練習には最適だとのこと。

 さて、実際スカルラッティのソナタを弾いてみると、なんだか想像していたのと違う。バッハほどのガチガチのポリフォニーでもなく…バッハというよりは、ハイドンやモーツァルトに近かった。
 そもそも、作曲者についてろくに知らずに弾こうとするのが間違っている。
 ドメニコ・スカルラッティは、バッハやヘンデルと同じ1685年にナポリで生まれた。そういえば、ピアノをやっていてイタリア人作曲家というのはなかなか演奏しない。ソナチネのクレメンティ以来、私はイタリア人の曲を弾いていなかった。
 スカルラッティのソナタはポルトガルの王女のために作られており、バッハが音楽家になる息子達の鍛錬のためも兼ねて作った曲などに比べると、やはり平易で典雅な雰囲気になるのだろう。

 さて、スカルラッティのレッスン初日。私が一通り弾き終わると、先生が尋ねた。

 「誰かの演奏を聴きましたか?」

 説明しよう!
 この場合の「誰かの演奏を聴きましたか?」が意味するのは、「その演奏は変。何か変な癖のある演奏を聴いて、それを真似ようとしているらしいけど、下手だし」ということである!
 そして、私の答えは…

 「グ、グールドを…」

 説明しよう!
 このブログでも何度か話題になっているカナダ人ピアニスト,グレン・グールド(1932-1982)とは、天才としか言いようのない、大ピアニストである!異常に上手いのだが、変人で、個性的どころか、異様な癖のある演奏をすることで有名だ!その強烈さゆえ、アンチはもちろん、熱狂的なファンも多い!
 対して上手くもないピアノ弾きが、グールドの演奏を聴いて感化されるというのは、どういうことかというと、私が美容院に行って、
「若い頃のシネイド・オコーナーみたいな髪型にしてください!」と注文するようなものである!

*参照:若い頃のシネイド・オコーナー



 レッスン室に漂う微妙な空気はお分かりいただけただろう!

 子供の頃から音大までの先生だったら、もの凄い勢いで怒鳴られるところだが、今の先生はお優しいので、婉曲に表現してくれる。

 「私はラローチャを聞きましたよ♪軽やかで繊細で…」

 すいません。
 そのようなわけで、お手本にするのはアリシア・デ・ラローチャ(スペイン人。1923-2009)ということにする。よろしくお願いします。