Taxman with Mike Campbell (1992)2025/03/29 15:34

 まさかまさかと思っていたら、あれよあれよという間に、本当にレッドブルのローソンと角田がスワップされてしまった。しかも角田くんのレッドブル初戦が鈴鹿という…!これはとんでもないことになった。普段、フリー走行は見ないのだが、今度の鈴鹿ばかりはフリー走行1回目から見なければ…!
 フィギュアスケートは、女子のトップ選手がショートで総崩れしてしまった。まぁ、そういうこともある。大事なのはリカバリーである。そもそも、この大会はアメリカのための大会という観がなくもない。

 ジョージが最後にオーディエンスを前にしたライブを行ったのは、1992年のロイヤル・アルバート・ホールであり、バンドはクラプトンから借りた「ハイジャック・バンド」であることも有名だ。
 さらに重要なのは、このときマイク・キャンベルがハートブレイカーズのツアーでロンドンにおり、ジョージに電話一本で呼び出されてクラプトンの代役を務めたことだ。マイクにとっては憧れのスターとの夢の共演である。さらに、このとき初めてマイクはスティーヴ・フェローニという超優秀なドラマーを知り、彼がハートブレイカーズに加入するきっかけにもなった。
 この大事なライブの映像というのは公式には残っておらず、オーディエンス撮影の断片があるばかりだ。残念な限り。
 ところがこのたび、どうやらテレビクルーが撮ったらしき、リハーサルの動画を見つけた。”Taxman” の演奏の様子だ。



 まずそのクリアな映像に驚かされる。これ、もっとないのだろうか?!
 リッケンバッカーを携えたマイク登場。頭髪がこれでもかと爆発している。ジョージがマイクと話すと…近い!顔が近い!ジョージ特有の距離感である。背後ではスティーヴ(若い!)がレイ・クーパーと談笑している様子も見える。この金髪のベーシストは誰だろうな?ネイサン・イーストではなかったのだろうか?
 マイクのギターソロはやっぱり冴えているし、原曲よりも長い。かと言って出しゃばりもしない。[Concert for George] へのつながり思うと感慨深いものがある。

 この映像があまりにも良いので、本当に他にないのかと期待してしまう。特に “While My Guitar Gently Weeps” とか。マイクがギター・ソロを聴かせてくれるのでは?ジョージとのツインリードの絡みを見せてくれるのでは?どこからか現れるのを待っている。

1964 Concert at Philharmonic Hall2025/03/10 20:04

 ボブ・ディランの伝記映画 [A COMPLETE UNKNOWN] を見る気はないし、サントラも聞く気がなかったのだが、ラジオで流れたため、はからずも聞くことになった。
 大まかに言って、ティモシー・シャラメは上手いと思う。歌そのものが上手いし、ディランの真似としても上手い。ギターはどこまで彼が弾いた音なのかはわからないが。ともあれ、ディランを演じる歌唱としては、十分なクオリティだと思う。
 ただ、似ているだけに、微妙に「かゆい」。気持ち悪いというか、不完全さに苛ついてしまう。やはり私はボブ・ディラン当人のファンであり、彼の容姿も声も、彼自身だからこその、大ファンということを再度認識するに至った。

 「かゆみ」を鎮めるには、ディラン様本人のパフォーマンスを耳から叩き込むに限る。
 「かゆみ」を発症したのはだいたい1964年頃のディランの真似だったので、ブートレグ・シリーズ Vol. 6 [Concert at Philharmonic Hall] がちょうどいい。
 このコンサートと一番好きな場面は、” I Don't Believe You” の歌いだしの歌詞を忘れてしまい、イントロを長々と弾き続け、ああでもない、こうでもない。しまいには観客に「歌詞分かる人?」と呼びかけ、客先から教えてもらい、「そうだ、I can’t understand …」と歌い出すところだ。
 トラックの切れ目の関係で、このやり取りはその前の曲 ”It's alright ma (I'm Only Bleeding)” の最後に聞くことができる。ところが、YouTube(静止画だが)だと、観客とのやりとりがまるっきり切り取られているのだ。つまり、あの面白いやりとりを聞くには、CDを買うしかない…のか?配信やダウンロードではこういうものは、どうなっているのかよくわからない。もしオミットされているのだとしたら、とんでもなくつまらない話だ。やはり私は CD を買い続けるだろう。



 ラジオで流れた例の映画のサウンドトラックの中には、ジョーン・バエズとのデュエットもも含まれていた。彼女を演じた女優の歌もうまいし、ジョーン・バエズの真似もうまい。しかし、これまた「かゆい」。シャラメと合わせて二倍「かゆい」ので、やはりこれも特効薬は本物を聞くことだ。



 このデュエットでも歌詞に怪しいところがあって、二人でボソボソ相談しているのが面白い。幸い演奏中のやりとりなので、オミットされていない。「そっちの番なんだけど」、「なんだっけ?」「when」とバエズがいった途端に間髪入れずに歌い出すディランのタイミングも最高だ。

 ディランの長いキャリアの中で、60年代こそが最重要で映画にする価値があるというのが一般の認識だろうか。しかし、私にとっては長い長い彼のキャリア全般が素晴らしい音楽であり、性格に難のある「若気の至り」ではなくなってからの彼も、十分魅力的だ。
 私がプロデューサーだったら、ディラン様とジョージの友情物語の映画を作るなぁ。そりゃぁ、もちろん漏れなくトムさんも重要人物になるわけだけど。ラストシーンはディンによる “Something” で間違いないだろう。
 本人じゃないから気持ちが悪いと言いつつも、こういうことを想像するのは、この手の映画に一定の「布教活動」的な目論見があるからだろう。私にしてみれば60年代のディランにも、ビートルズにもいまさら布教活動は無用だが、ウイルベリー兄弟の物語や、ハートブレイカーズをたくさんの人に知ってもらうには、「モノマネ大会映画」も一つの手段かもしれないと思う。

Dylan's Movies2025/03/02 19:02

 金曜日に仕事で同僚と話していると、最後に「そういえば今日、映画行くんですか?」と訊かれた。どうして?と問い返すと、「ボブ・ディランの映画の公開日じゃないですか」と言われた。
 私はディラン様のファンだけど、ティモシー・シャラメによるディランのモノマネには興味がないなぁ。
 私は例の映画は見ないと思うけど、この映画でディラン様に興味を持った方々はウェルカム!もれなくジョージとトムさんとセットでプレゼンさせていただきます!

ディラン様の動画を検索してみると、ジョージがステージに参加したときの映像がでてきた。これは1987年のディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーのロンドン公開だろう。



 このツアーに同行していたロジャー・マッグインの姿もある。姿こそ見えないがベンモントが演奏するオルガンの存在感が大きい。一方、存在感がないのがトムさんだ。居るはずだが姿がない。スライドを弾いているのはマイクではないようだから…ハウイがスライドで、トムさんがベースなのだろうか。
 ジョージがふらふら〜っとディラン様に近づくと、デレデレな笑顔に溶けそうになるディラン様…幸せがだだ漏れ…!それを軽く受け流し、いい加減な歌詞でやけくそ気味に歌うジョージ。ウィルベリー兄弟見参!

 もう一つ見た動画は、ディランとハートブレイカーズのリハーサル風景。テンポがゆっくりで、丁寧に歌うディラン様も良いが、一番気になるのは…背後でふらふらしている金髪青年!くわえタバコで、ふーらふら、近づいてきたり、離れたり、また寄ってきたり…すごく気になる。ディラン様とワンマイクで歌わないときは、こうだったのか。
 姿も存在感もキラキラ輝きつつ、やや暇を持て余している感じが、トムさんの魅力を表現していて、これまたたまらんのであった。

Typewriter2025/02/13 22:41

 ボブ・ディランが滞在中のホテルの一室で、ジョーン・バエズが歌っているシーン。ディランは、タイプライターを打っている。タイプライターの独特の音がするし、紙の右端になるとタイプライターに仕込まれたベルが「チン!」と鳴り、リターン・レバーを引いて改行する。



 私の家にも、タイプライターがある。1950年頃に祖父がアメリカから持ち帰った物とのこと。有名なタイプライター・メーカーの、レミントン・ランド製。
 私がこどものころにはすでに骨董品だったが、どこも壊れていないので立派に機能する。中学生のころはさかんにこれでバンド名や曲名、歌詞を打ったもので、作文の宿題をこれで出したこともある。



 インク・リボン式。さすがに年月を経てカラカラになってしまい、色が出ないが、かすかならが文字が打てる。このカシャカシャした打ち心地が気持ち良い。シフトキーが重くて、私には小指で押さえることが出来ないが、ディラン様はちゃんと小指で操作していた。



 タイプライターと言えば、ルロイ・アンダーソンの "Typewriter" ―― カジュアルなコンサートではお馴染みのナンバー。
 タイプライターを演奏するのは大抵、打楽器奏者。オフィスワーカーっぽい演出や、無意味なチューニングがお馴染みだ。上述の通り、本来紙の右端に来るとタイプライター内のベルが鳴るのだが、この曲では机上のベルを叩くことで音を再現している。



 楽器としてのタイプライターの使用というのは意外と珍しくはなく、ビートルズの "Revolution No. 1" の冒頭でも音が聞こえる。
 もう一つタイプライターで思い出す話と言えば、モンティ・パイソンがネタの打ち合わせ中、議論が白熱しすぎてケンカになり(主にジョン・クリーズとテリー・ジョーンズの間で)、タイプライターをぶん投げたというエピソードだろうか。

Gunnar Nilsson Memorial Trophy (Donington Park 3 June 1979)2025/01/23 21:49

 ガース・ハドソンが亡くなった。彼に関する記事は、また改めて。週末のラジオの反応も聴いてみたい。

 去年、イモラでセバスチャン・ベッテルが、アイルトン・セナ・トリビュートとしてマクラーレンMP 4/8 ショウ・ランをしたときに被っていた、スペシャル・デザイン・ヘルメットのミニチュアがセブの公式ショップで発売されるなり、速攻でポチってしまった。なかなかのお値段だが、推しは強い。



 左側がブラジル国旗をベースにしたセナのデザイン、左側は白にドイツ国旗カラーをあしらったセブのデザインだが、赤の横線オーストリア国旗デザインと、ローランド・ラッツェンバーガーの名が描かれている。1993年におなじイモラで亡くなった、二人をトリビュートしているというわけだ。



 箱を見れば分かるのだが、このミニチュア・ヘルメットを制作したのは、ヘルメット・メーカーの Bell だ。
 でも、セバスチャンといえば、カートの頃から一貫して Arai の愛用者として有名。実際、セブが被っていたヘルメットは、もちろん Arai 製なのだ。でもミニチュアは Bell かぁ … 微妙だなと思っていたら、なんと後ろにちゃんと Arai のロゴが入っていた!ミニチュア・ヘルメット制作ってそいういう物なんだ…



 ヘルメットを眺めていて思い出した。ジョージが F1 ファンだった脈絡でよく登場するのが、ジョージがレーシング・スーツにヘルメット姿で、レーシング・カーを運転している写真。そもそも、あれは何なのだろう?



 1979年6月に、ドニントン・パークで行われた、グンナー・ニルソン・メモリアル・トロフィーの時の模様だそうだ。前年に現役 F1ドライバーながら癌で亡くなったニルソンを追悼し、癌基金を作るための二日間のイベントで、有名なレーサーたち ―― もちろん、ジョージの親友ジャッキー・スチュワートを含む。ほかにも、ニキ・ラウダ、ジェイムズ・ハント、マリオ・アンドレッティ、ネルソン・ピケなどなど ―― が参加したレースも行われた。そのなかのドライバーの一人として、ジョージも参加したというわけ。
 運転しているのは1961年ロータス、スターリング・モスのマシンとのこと。F1マシンが大きなウイングを備える前のマシンなので(そもそもフロント・ウイングらしき物が登場するのは1979年頃から)、いわゆる「葉巻型」というやつだ。
 ジョージのヘルメットは、Bell ―― Arai が F1 で用いられるようになる前なので、致し方なし。

 ジョージと言えばその素晴らしい髪のボリュームがシンボリックだが、さすがにヘルメットをかぶるとペッタンコになっている。凄く珍しいと思う。

右京さんとジョージさん2024/11/25 19:35

 F1 ラスベガスGP で、今年の年間チャンピオンが決定した。本来なら、もっと早くに決まっていても良さそうだったが、シーズン中盤から俄かに王者が調子を崩し、マクラーレン,とりわけノリスの猛追が今シーズンを面白くした。のこす2戦、さらに面白いレースを期待している。 ―― たしかに、今のチャンピオンは偉大な業績を残しているが、私個人的には今回が4度目のワールド・チャンピオンだとは思っていない。彼の1度目のチャンピオンタイトルは、手違いで彼の物になったといのは、私の解釈。
 角田君も良いパフォーマンスが続いていて嬉しい。彼は、これまでの日本人トライバーにはないキャラクターで、かなりびっくりさせられるが、その分結果も出してくれる。大好きなお友達の近所にも引っ越したことだし(笑 きみらは、現代版セブ&キミか…?)、これからもどんなチームにしろ、がんばってほしい。

 片山右京さんが、インスタグラムにジョージとの思い出を語ったというので、話題になっている。
 ジョージは言わずと知れた F1 の大ファンで、ドライバーやチーム関係者にも友人が多い。今回の右京さんのコメントはというのが…

ジョージさんはF1が大好きで、ジャッキー・スチュワートさん​の頃からサーキットに足を運んでて僕も彼の世界中にあるだろう別荘に何度も誘ってもらった。ただ現役の頃は余裕無くてなかなか遊びに行けなかったんだよね。
ジョージさんは日本の文化が大好きだったから、僕のことも凄く応援してくれてたのに、いま考えたら申し訳なかったなーって、彼の愛にあふれた笑顔を見て思った


 実は私、右京さんにファンレターを出したことがある。私がこれまでの人生で出した、たった2通のファンレターのうちのひとつが、右京さん宛てだ。しかも結構最近。数年前のことだ。
 ふと思い立って、ジョージのピクチャー・シングル [Faster] を2枚手に入れ、1枚を自分のものとし、もう1枚をファンレターと一緒に右京さんに贈ったのだ。右京さんはご丁寧に返事を下さり、このときも「ジョージさんの優しい笑顔を思い出します」て書いていた。
 そう、右京さんて、ジョージのことを「ジョージさん」って呼ぶんだよね…

 やっぱり右京さん、ジョージの別荘に招待されていたか!さすが「人たらし」のジョージ。カミカゼ・ウキョウを逃すわけがないよね。
 面白かったのが、右京さんとジョージの記念撮影の写真。これは右京さんのインスタグラムで確認してほしい。

Ukyo Katayama ukyokatayama8163

 右京さん、首ふとっ!!!!当時、ほかのドライバーに比べて華奢だと思ってたけど、さすがに首は太い!!というか、角田くんそっくり!!!やっぱり F1 ドライバーたるもの、この強靱な首の太さは生命線だよな…。ラスベガスでのコラピントのクラッシュなんて、"I'm OK." とか言ってたけど、全然 OK じゃないよ!
 F1 は本当にスポーツか疑問を持たれる点も多いけど、最後はフィジカルなのであって、強靱な肉体がないと20人のF1レーサーにはなれないし、やっぱりお金だけではないのだと思う。"Paydriver" という言葉もあるけれど、彼らだって首は強靱なはずだ。

Living in the Material World 50th Anniversary Edition2024/11/16 20:25

 ジョージの [Living in the Material World] が50周年を迎えるにあたって、特別エディションが発売された。オリジナル・アルバムは2024年ミックスで、エクストラ・トラックは、ほぼ全曲のデモや別バーションだ。
 例によって数枚のアナログ盤や Bluray がつくヴァージョンもあるが、例によってアナログを集める趣味が無いのと、ジョージの新しい動画があるわけではなさそうだったので、今回は2枚CDセットの購入にとどめた。



 先にエクストラ・トラックから聴いている。
 まだオーバー・レコーディングが施される前のヴァージョンの数々が良い。ジョージの声の調子も良いし、乗りに乗っている。
 昨今、ニッキー・ホプキンズが注目を集める中、このアルバムでもその優れた手腕が発揮されている。ニッキーの優しい性格の出た演奏と、ジョージの慈愛に満ちた曲想がすごく合っていて、ぐっとくる。



 そういえば、先だってロイヤル・アルバート・ホールでライブでのクラプトンのライブのアンコールにダニーが登場して、"Gove Me Love" を演奏していた。豪華なラインナップだが、動画を見る限り演奏はイマイチ。リハーサル不足だと思う。
 "Gove Me Love" というのは難しい曲なのだ。テンポが抑え気味のくせに、リズムが難しくて、維持するのが難しい。たしか "Concert for George" のときも難度が高くて、それなりに入念な準備が必要だったときいている。
 その点、ジョージの来日公演はさすが。スティーヴ・フェローニと、レイ・クーパーがそろっているのでまちがいない。

Eyes of the Storm2024/09/29 20:39

 ニューヨークへ行く前、ポールのビートルズ写真展、[Eyes of the Storm] を見に行った。
 ポールが私物のカメラで、1963年から1964年に欠けて撮影した写真が中心。ライブの合間に楽屋や、移動中、滞在先でとったもの。ビートルズの一人がカメラマンだったのだから、まさにゼロ距離での映像だ。



 63年、64年と言えば、ジョンとリンゴが24歳、ジョージに至っては20歳か21歳。もう存在するだけで輝くような「若さ」の時代であり、その姿の美しさったらない。
 そもそも、ポールの写真集が展覧会になると報じられた時に、公開されたジョンとジョージをとらえたこの写真が全てを物語っていた。



 この写真のポストカードが欲しかったのだが、売店にはなかった。人気故に売り切れだったのか、はたまた2万円ほどする特別プリントを買わせる戦略か。

 美しい FAB4 の姿も良かったが、写真集の表紙になった、ニューヨーク6番街で、ビートルズを走って追いかけるファンの姿をとらえた写真が良かった。
 ビートルズの人気の勢いを象徴するようで、同時にビートルズに熱狂した時代、若者たち自身の勢い、活力、輝きが焼き付けられている。


New York 雑感2024/09/22 20:47

 ニューヨークから帰ってきて、数日たった。
 今回のニューヨーク滞在は3泊。いつもより2泊短かった。ライブが一つであれば、3泊でも充分だった。

 まず、Jeff Lynne's ELO のマディソン・スクェア・ガーデンのコンサート。約2万の席が Sold out, 追加公演もあるとのことで、大盛況であった。
 20時開演ということにはなっていたが前座があったので、実際にジェフとバンドが登場したのは21時少し過ぎ。演奏時間は90分ほどの、コンパクトなコンサートだった。もちろん ELO の名曲、ヒット曲の目白押し。ジョージやトムさん、ウィルベリーズなどのトリビュートは無し。本当に ELO の楽しいコンサートで、私は気楽に楽しめた。
 ハートブレイカーズのライブの時は一生懸命アリーナの前の方に席を取ろうとしたり、大柄アメリカ人を前にして跳んだり跳ねたりしていたが、今回は2階席でゆったり。
 お馴染みの ELO ソングを会場全体で合唱したりして、とにかく楽しかった。私にとって、ジェフは海外遠征までしなければならないアーチストではないとは思うが、でもこのまま一度もライブを見ないでいるのは、なんだか惜しい。サクっとニューヨークに飛んで、サクッと楽しむという意味で、とても良かった。

 ニューヨークは2017年以来7年ぶりだった。どうやら、私がニューヨークに抱いていたキラキラしたイメージは、すっかり煤けてしまったようだ。ニューヨークのうるさくて、汚くて、臭くて、ぐちゃっとした感じが押し出されていて、なんとなく疲れる。
 マンハッタンに行くたびに増えるのが、歩道に張り出す足場。どのビルも何らかの工事が必要で、しかも建物がびっしり並んでいるので、足場は歩道に張り出すしか無い。
 地下鉄の料金システムは、クレジットカードのタッチ機能を中心とした OMNY に切り替わり、どの店もカードはタッチ決済が基本だ。帰国したら早速、カード会社に電話してタッチ決済カードへの切り替えを依頼したが、ある会社はまだ対応していないという。これは不便なので、早くどうにかするべきだろう。

 ニューヨークと言えば美術館も見所だ。今回はノイエ・ギャラリーと、メットだけ。
 去年、フィレンツェに5泊もしたのがいけなかった。確かにメットの収蔵品は膨大だが、私が好きなルネサンス絵画においては完全に「しょぼい」。ともあれ、みんながエジプトに行っている間、フェルメールとレンブラントの部屋に私一人という贅沢な時間を過ごせたのは良かった。
 アメリカン・ウイングは、別にたいした美術品はないし、一部はほとんど大塚家具なのだが、ハートブレイカーズ・ファンとしては、ホーマーの "The Veteran in a New Field" 詣でをしなければならない。ところが、なんと展示室がクローズ中。残念。

The Session Man2024/09/07 20:16

 ニッキー・ホプキンズの伝記映画 「The Session Man セッションマン ニッキー・ホプキンズ ローリング・ストーンズに愛された男」を見に行った。
 当然である。私が好きなピアニストは、グレン・グールド,ニッキー・ホプキンズ,ベンモント・テンチ。



 60,70年代のロック好きなら、この映画を見なければならない。ロックバンドが、ギター、ベース、ドラムスだけで構成されていた次元から、一気に多様でカラフルで魅惑的なサウンドに発展したのは、ニッキー・ホプキンズあってのことだった。ビートルズやローリング・ストーンズ「のような」バンドは数多あるが、ニッキーの存在は唯一無二。彼はその虚弱な体質と引き換えに、天からその才を授けられ、この世に使わされたに違いない。

 いくつも面白い話しが出てきた。マーキー・クラブに出始めたニッキーを見て、ミックとキースが顔を見合わせて「ワァオ」というのは、トムさんとマイクのパターンでもよくある。
 そのキース曰く、曲が半分できてもその先が出来ない時にニッキーに任せると、ちゃんと凄い物ができる。映画の独特な表現なのだが、ニッキーは、キンクス、ストーンズ、ザ・フー、そしてビートルズと、「グランド・スラム」を成し遂げたのだとか。ついでに、解散後のビートル4人のアルバムに参加するという、これまた「グランド・スラム」だそうだ。
 我らがベンモント・テンチはニッキーに会ったことはないが、ニッキーのファン代表の現代の「セッション・マン」。ニッキーの素晴らしさを語る。ニッキーはその音楽を直感的に、しかも完璧に理解し、完璧なピアノを弾いた。ベンモント曰く、「曲のイントロからではなく、途中からはいってくるタイミングも完璧」。その話しのバックで流れているのが、 "Give Me Love" だった。



 それにしても、ニッキーのストーンズに対する貢献度は本当に計り知れない。たしかにロックンロールスターたちが音楽の革命を起こしたが、セッション・マンであるニッキーの存在なしには、今日まで続くストーンズは考えられないだろう。



 ひとつ謎が解けたのが、"Edward" の話。ニッキーのソロ・アルバム [The Tin Man Was a Dreamer] に収録されているのこの曲がどうして Edward なのかと不思議だった。
 キース曰く。スタジオでチューニングをしようとして、ニッキーに「Eをくれ!」と言ったところ、
「え?聞こえない」
「E!」
「なに?」
「エドワードの E!」
 それでニッキーのあだ名がエドワードになったそうだ。なるほど。



 映画の終盤で、ニッキーが自分はショパンの生まれ変わりだと語っていた話がでてくる。生まれ変わりという事がピンとこないひとや、ショパンをよく知らない人には分からないが、私にはよくわかる。
 ニッキー・ホプキンズはショパンの生まれ変わりだということは、かなり納得がいく。その天才性、ピアノに特化した音楽、虚弱体質で、早世する。親指と中指でオクターブをおさえるべらぼうな手。確かにニッキー・ホプキンズはショパンの生まれ変わりだっただろう。