楽譜ワープロ2008/10/01 22:10

 「楽譜ワープロ」という言葉があるかどうかは、知らない。私が今、欲しいと思っているもののひとつを、あえて表現すると「楽譜ワープロ」だ。無論、Windowsで使えるソフトで。

 学生時代は、手書きの楽譜を配るという行為はごく当り前のことだったので、ワープロが欲しいとは思わなかった。しかし、社会人になった今、手書き譜ではまずい場合もあるらしい。


 これは、私の手書き譜。下が聴音したときの初稿で、上がそれを清書したもの。ちなみに、この曲はとあるTP&HBの曲なのだが…(笑)。

 まずは、メジャーな楽譜作成ソフト,Finaleを無料ダウンロードで試してみた。操作そのものは簡単なのだが、どうも余計なお世話が多い。まず曲のタイトルを入れろと言われるが、1枚の紙に複数の曲を書きたい。
 楽器も最初に指定するのだが、これも余計。調子記号も、初期設定で入れては、途中で転調する場合に困る。
 さらに、文書作成ソフトの自動改行のように、1段の小節数を見た目が良くなるように調整してくれるのだが、使いにくい。多少見た目が悪くても、1段で表現すべき曲想というものがある。
 アウフ・タクトの表記や、複雑な反復記号…あれやこれやで、私はさっさとFinaleを放棄してしまった。

 要するに、私は手書きの感覚で楽譜を綺麗に打ちたいだけなのだ。鼻歌を楽譜にするとか、キーボードにつなぐとかには、まったく興味がない(私は10歳以前に、作曲能力の欠如を自覚した)。
 いっそのこと、「音符ハンコ」をペタペタ押した方が良いのだろうか?

ロバート・E・リー2008/10/04 00:24

  ある日、女房が言った 「ヴァージル早く ほら、ロバート・E・リーが行くわ」
 (The Band "The night they drove old Dixie down" )




 ロバート・E・リー(Robert Edward Lee 1807~1870)。ロックという音楽が好きであれば、記憶しておくべき名前だろう。

 アメリカ合衆国陸軍大佐だったリーは、南北戦争開戦時すでに名将として知られていた。リンカーンはリーに北軍総司令官就任を依頼したがそれを断り、故郷ヴァージニアに戻って南部連合軍に身を投じた。
 リー自身は奴隷制度に反対だったが、愛する故郷,南部を守る道を選んだのだ(このリーの行動のせいで、リンカーンは最高司令官選びに苦労することになる)。

 南北戦争関係の資料を読んでいると、何度も呆れるのだが、南部の多くの将官たちは協調性に欠け、いがみ合いが頻発している。さらに、南部連合大統領デイヴィスも評判の良い人物ではなく、人間関係の悪さがやたらと目につく。
 しかも、もともと人口も工業力も北部に遠く及ばない南部。奴隷制維持という、人道に反する主張(多くの南部人が、それが悪いことだということは分かってはいても、良心と妥協して奴隷制に依存していた)…南部には勝ち目はなかった。しかし、4年も持ちこたえた。それは、南部の人々の誇りと独立を守ろうという熱意と、リーという人物の存在があったからだろう。
 リーは軍人として優秀だったのみならず、高潔な人格で知られていた。クセモノ揃いの南部の将官たちをよくまとめ、貧弱な戦力をどうにか工夫して運用し、兵士たちに慕われ、難しい上司(デイヴィス)からも信頼されていた。
 その戦略は、守りにおいては塹壕などの強固な陣地を重視し、攻勢においては、多くの場合かなり大胆な積極性を持っていた。このため、自主性・機動性のある将官と部隊を特に信頼し、活用した(その代表が、ストーンウオォール・ジャクソンや、ジェブ・スチュアート)。そのうえ、政治的なバランス感覚にも長けており、ともすると彼一人が南部の命運を背負っていたように思えることもある。
 南北戦争を代表する二者で表現するとしたら、北のリンカーン大統領対、南のリーだった。北のグラント将軍対、南のデイヴィス大統領では決してない。南北戦争期の音楽をまとめたアルバムのジャケットが、それをよく表現している。



 そんなリーだが、開戦当初から南軍の総司令官だったわけではない。その役職は、戦争末期までデイヴィスが兼務していた。
 最初、リーはウェスト・ヴァージニアに派遣された。ジェイムズ・テンチが戦死したこの戦役後、将官たちや地元政治家たちの人間関係の悪化を修復するためだったが、さすがにリーの仕事ではなかった。やがてリッチモンドに戻り、デイヴィスの軍事顧問のような形で主戦指揮にかかわり始める。

 1862年春から始まった、北軍マクレランによる半島作戦(北軍によるリッチモンド攻撃作戦)において、南軍の主戦力である北ヴァージニア軍の司令官は、ジョーゼフ・ジョンストンだった(第一次マナッサスの戦いで、援軍に駆けつけた南軍の将)。しかし、ジョンストンは途中で負傷退場。リーが代わって指揮をとった。
 半島作戦は6月ごろまでには手詰まりとなり、マクレランはリッチモンドへの攻勢をゆるめた。すると、リーはのちに「七日間戦争」と呼ばれる攻勢を逆にかける。ぶつかったのは北軍10万に、南軍8万。第一次マナッサスとは比べ物にならない大規模な戦闘の始まりだった。
 結果は、リーの南軍が勝利した。むろん、マクレランの北軍が壊滅したわけではない。単に半島作戦をあきらめただけだが、国力,軍事力において劣り、独立が目的である南部連合にとっては、十分な成果だった。

何か着るのを忘れていませんか?2008/10/06 22:25

 ビートルズの"Revolution" という曲は、2バージョンある。エレキを利かせたハードなシングル・ヴァージョンと、アコースティックなアルバム・ヴァージョン。
 どちらも良い曲だが、選ぶならエレキ・ヴァージョンが好きだ。

 そのエレキ・ヴァージョンの"Revolution" には、プロモーション・ビデオがある。ジョンによる微妙にオリジナルと違う歌詞や、ジョージの持っているギターなど、語るべき所はいろいろあるのだろうが、どうしてもポールに目が行ってしまう。
 それぞれにお洒落をしている3人に対し、ポールのこの格好はどう解釈すれば良いのだろうか?



 ポールは上に何か着るのを、忘れて出てきていないだろうか?彼のトップスは下着に見える。隣りのジョージが、ギターの色とよくマッチした暖色のハイネック・ニットを着ているので、さらに「下着感」が強くなる。
 「ラクダシャツ」という表現を、人の口から聞いたことがあるし、ネット上に何件か見つけたこともある。やはり、下着と思っているのは私だけではないのだ。
 
 そもそも、「ラクダシャツ」とは何だろう?いまどきはあまり目にすることのない商品だと思うが、男性用の下着だろうか。ラクダというからには、駱駝の毛が使われているのか…?いや、それだと原価が高すぎる。
 「ラクダ色の、男性用ババシャツ」という、素晴らしい説明をしてくれた人が居る。「男性用ババシャツ」という微妙な矛盾はともかく、なかなか良い。実際の使われ方としては、構造上寒くなりがちな着物の時、下に着込むのが「ラクダ・シャツ」の主たる役割だったようだ。

 しかし、ポールのこのシャツはラクダ色ではない。飽くまでもあの形状と、質感が下着っぽい。
 そこで思い出すのが、志村けんが演じる「変なおじさん」。あの人のトップスは、ポールのシャツに通ずるものがある。「変なおじさん」のシャツは綿っぽいが、あれが冬用のウール素材だと、「ラクダシャツ」。青くなると、ポールなのか。
 ラクダとか、ババとか、変なおじさんとか言うから良くない。「ビートルズの、ポールが着ていた青いキャメル・シャツ」なら、Rolling Stone誌日本版にも対応できる洒落テイストではないか。現物を見てどう思うかは知らない。

 ポールは歴史に残る映像に、大胆な下着姿で登場したが(もう、そう決めてしまった)、その一方でTP&HBは守りが固い。特に中心メンバー3人。おぼっちゃまはネクタイが基本。マイクは、初めてトムに会ったときの、ハーフ・パンツ・スタイルを、あれ以来見せていないらしい。
 南部育ちのシャイなトムさんも露出が少ないと信じていたら、Runnin' down a dream の本で、どえらい脱ぎ方をしていた。いや、明らかに脱がされている。何がどうして、あのようなことになったのか、気になって仕方がない。せめて、青いキャメル・シャツでも着ていれば…

The Joker2008/10/08 22:45

 スティーヴ・ミラー・バンドの存在を知ったきっかけは、青山陽一だった。
 彼がライブの来場者にだったか、サイン会の参加者にだったか、とにかく非売品の[ extra acoustics ] というCDを配ったことがある。それに収録されていた2曲のうちの1曲が、スティーヴ・ミラーの " The Joker " だった。
 青山陽一の録音は彼ひとりで録ったもので、ドラムとパーカスが打ち込みだったのが残念だが、曲の良さは十分伝わった。

 そこで購入したのが、本家 スティーヴ・ミラー・バンドのアルバム [ The Joker ](1973)である。



 ほかにもライブ盤も含めて、スティーヴ・ミラーのアルバムは何枚か持っているのだが、実のところ彼について殆ど知らない。どうやらアメリカ人らしく、スライドなどのギターの名手であることだけはおさえてある。
 アルバムのジャケットがこの有様なので容姿も知らない。以前、青山陽一が「最近、谷啓みたいになってきた」とコメントしているのを見て、容姿は確認しないことにした(谷啓は谷啓で好きだが)。

 この素晴らしいアルバムを音だけ聴いていると、何年に作られたアルバムなのかが、皆目わからなくなる。流行のジャンルとかファッション、最新の楽器、プロデューシングなどは、どうでも良くなるような、ただひたすら美しく、格好良いシンプルな楽曲の数々。ロックが持っている本質的な力が、瑣末な背後関係を超越しているとでも言うべきか。
 シンプルで軽快なのに、格好良さだけがフワリと飛翔する、"Sugar Babe"。突き放したような、クールさの"Shu Ba Da Du Ma Ma Ma"。一体どうしたら、こんな曲が作れるのかと思うほど、穏やかで狂おしい"The Joker"。そして、オーバーダブとか、オーケストレーションとかに躍起になるのが馬鹿らしく思えるほど、簡素で美しく感動的な " Something To Believe In "。これら以外にもライブ録音も含め、秀作揃いの名作アルバムだ。

 スティーヴ・ミラーと、彼のバンドについての知識は皆無なものの、自分の中では、The BandやCCRと近いカテゴリーに分類していた。ジョージや、TP&HBにも近い位置である。
 だから、ラクダシャツの人のお気に入りギタリストが、スティーヴ・ミラーだと知って咄嗟に驚き、少し考えれば当然かと納得した。ジェフりんがプロデュースに参加しているアルバム、 [ Flaming Pie ] で共演しているとのこと。ポールのソロ・アルバムは一枚も持っていないが、スティーヴ・ミラーと共演となると…さて、どうしたものか?

Johnny's Birthday2008/10/09 22:19

 ジョン・レノンの誕生日。
 マイク・キャンベルのインタビューに導かれ、ビートルズ初期のアルバムをずっと聞いていた時期がある。

「(長いギターソロのあるサザン・ロックよりも)ビートルズやストーンズの初期とかの方が好きだったんだ。3分程度の曲に、イカしたギター・パート。長いギター・ソロなんて必要ない。(中略)大事なのはいかに歌を良くするかであって、ギター・パートじゃない。ジョージ・ハリスンやキース・リチャーズを例えに使っていたね。本当にクールなリズムパートにヴォーカルが乗り、短いギター・ソロがはいる。それは、次にヴォーカルがどう歌うかを語るものなんだ。(中略)
 (曲作りに)行き詰ってしまった時は、自分が好きな曲をプレイする。ビートルズとか、ストーンズとか。心を開き、軸になるものをしっかり落ち着けるためにね。」(マイク・キャンベル 2008年プレミア・ギター)


 私はビートルズ初期におけるジョンのヴォーカルの凄さを、再認識した。あのパワー、悲しみを含んだ響き、何もかもを揺さぶるような迫力の塊。ロッカーとしては、最高の声だ。

 さて。日経が出している、とある微妙なタイトルの音楽雑誌が、「史上最強のボーカリストは誰だ?」という企画を立てた。「ロック酒場」とやらに投票用紙を置き、一般ロックファンからの投票(一人3票)で決めるとのこと。
 私も偶然、この投票に参加することになった。エントリーリストには、奇天烈な名前もあったが(さすがにリンゴっていうのは…どうなんだ…)、私はジョンとエルヴィス、そしてリスト外記入欄に、トム・ペティを書いた。

「一体どこに、トム・ペティに敵うほどのシンガーが居るって言うんだい?」 by マイク・キャンベル

 私は、投票結果をこう予想した。「ジョン,エルヴィス,ロバート・プラント,フレディ・マーキュリーが4位までを占める。」

 結果が掲載されたその雑誌が発売されたので、人に見せてもらったところ(買っていない)、私の予想はものの見事に外れていて、びっくりしてしまった。
 そんなものらしい。

Manassasふたたび2008/10/11 23:56

 身長6フィート4インチ(193cm)。その長身を映した写真は、「立派」と言うより「でかすぎ」の印象を与える。その上、高さのあるトップハット(シルクハット)をかぶった姿が、エイブラハム・リンカーンのトレードマークだった。
 リンカーンは短期間軍隊に身を置いたことはあるものの、実戦経験はほとんどなかった。彼は天性の弁護士,政治家、そして大統領だった。この抜群の政治手腕を持った大統領の任期はすべて戦時であり、もっとも難しい時を乗り越えることを強いられた。
 リンカーンと言えば奴隷解放。彼はその信念を決して曲げることはなかったし、それこそが戦争を北軍の勝利,連邦制の維持に導いたが、かと言って慈悲深く正直なだけの人物でもなかった。
 「奴隷解放宣言」を発するタイミングは慎重に選んで待っていたし、その対象を「南部連合の奴隷」に限定したことにより、北部連邦に残った奴隷州への配慮を忘れていない。戦闘の前線へは、電報で「リーを必ず捕えろ」、「敵を撃滅せよ」、「噛みつき、噛み殺せ」と指示し、戦時の大統領にふさわしい闘志をあらわにしている。

 戦時の大統領と言えば、戦略,作戦,実際の戦闘に関しては専門の軍人に任せきり、口を出さないのが理想だが、少なくとも戦争の前半でのリンカーンはそれに当てはまらない。その身はワシントンにあったが、当時本格的な実用が始まった電信を用いて戦闘現場の情報を集め、ワシントンからの問い合わせも頻繁に行い、現場の将軍への事細かな要望を伝えた。

 マクレランが半島作戦で、リッチモンドを目の前にリーが率いる南軍に反撃されて難渋しているころ。リンカーンはワシントンに留め置いておいた軍勢をヴァージニア軍として編成し、ヴァージニア州西部シェナンドア渓谷(アパラチア山脈の裾野)― つまり西からリッチモンドを攻略する作戦を立てた。
 このヴァージニア軍の司令官に任命されたのは、ジョン・ポープ。1862年7月、ポープはヴァージニア軍45000を率いて渓谷方面へ出撃した。
 北軍主力ポトマック軍の司令官マクレランは、リンカーン大統領が進めたこの作戦に気を悪くしていた。そのうえ相手の力を過大に評価し、万事慎重すぎるマクレランは、半島作戦からの帰還もゆるゆるとして、決してポープに協力的ではなかった。
 一方、南軍のリーは、大胆な作戦に出る。マクレランの動きの鈍さを見るや、リッチモンド防衛に従事していたストーンウォール・ジャクソンを12000の軍勢と共にシェナンドア渓谷へ派遣した。もし、この機にマクレランが再度リッチモンドへの攻勢をかけたら、かなり危ないことになっていたが、そうははならなかった。マクレランは、リーにその性格を読まれ、利用されていたのだ。

 ジャクソンの行軍の特徴は、機動性だった。その特性を活かし、リーはジャクソンに南下する北軍の脇をすり抜けて、北側から攻勢をかける作戦を授けた。このため、ポープはリッチモンドを攻撃するどころか、北側から迫るジャクソンへ対処せざるを得なくなる。結果、今度の戦場は前年と同じマナッサス(ブルラン)と定まった。

 ジャクソンには増援があったとは言え25000の戦力。マクレランが半島から引き揚げて、しぶしぶながらポープに増援して北軍は62000。いつもの如く戦力は北軍が勝っていた。
 8月末、両軍がマナッサスで再び戦闘を行ったとき、ポープは正確な敵状把握ができておらず、ジャクソンに見事な踏ん張りをさせてしまう。しかも即席のヴァージニア軍はポープの司令に対する反応が悪い。そうこう手間を取っているうちに、リーが派遣したジョーゼフ・ロングストリートの援軍30000がマナッサスに到着してしまった。
 主導権は南軍に渡った。北軍は一年前の潰走とはならないまでも、結局16000の死傷者を出し、ポトマック川を渡ってワシントンに撤退した(南軍の死傷者9000人)。これが第二次マナッサス(ブルラン)の戦いの結果だった。

 敗将ポープにしてみれば、マクレランの非協力的な態度は理不尽に思われただろう。一方、マクレランは、戦争の素人であるリンカーン発案のこの作戦が失敗したことを、それほど残念には思っていなかった。
 気の毒なポープは、マナッサスでの敗戦の責任を取らされる形で、解任された。マクレランはポトマック軍の司令官に留任。相変わらず、リンカーンはマクレラン以外に良い人材を見つけられずにいた。

 マナッサス在住のウィルマー・マクリーンは、二年続けて自分の農場が戦場になっていよいよ迷惑し、本当に引っ越すことにした。引っ越し先は、アポマトックス。リッチモンドの西100km弱に位置する、静かな村だ。ここなら、南北の兵隊がぶつかり合う物騒な戦争とは、無縁でいられるだろうと、マクリーンは思っていた。

 スティーヴン・スティルス/マナサスは、1973年に2枚目のアルバム[ Down the Road ]を発表し、これが最後のアルバムとなった。マナッサスでの戦闘が一次、二次とあったように、このバンドは二つのアルバム作品を残したことになる。

人違いのCD2008/10/14 23:02

 F1日本グランプリが、無事終了した。去年は無事とは言えなかった。今年は、「見えなかった!」などというクレームはないことを祈っている。

 フジテレビのF1番組は、昔から音楽に凝っている。今年は要所要所にビートルズ関係の曲を持ってくるのが、毎回楽しみだ。日本GPでは、中嶋ジュニアのセクションで、Here comes the sun を使った。いつかやるだろうとは思っていた。

 決勝中継(実際は殆ど録画だが)の最初に、必ず「予選ダイジェスト」があるのだが、今年の「予選ダイジェスト」のBGMが面白い。バグパイプ系の音が、かなり早いパッセージを奏でている。それが大陸系のパイプなのか、ハイランド・バグパイプなのか、それともアイルランドのイーリアン・パイプなのかは分からないが、とにかく私はCDが欲しくなった。
 ネットで軽く検索をして、どうやらマキシム(maksim)と言う人の、[ 情熱のコンチェルト ] なる曲であるとの情報をキャッチ。マキシムは基本的に、クラシックのピアニストとのこと。ふむ、最近の流行りを反映して、パイプと共演でもしているに違いない。さっそく渋谷HMVのクラシック・コーナーに行って、このアルバムを買った。



 私は、よほど疲れていたか、悩みがあったか、トムさんやマイク先生のことでも考え過ぎていたのか、とにかく。
 どうかしていた。
 まともな判断能力があれば、このジャケットを見れば「やばい」ことぐらい、分かったはずだ。

 聞いてみてびっくり。有名なクラシック音楽とあらば、それが交響曲だろうがレイクイエムだろうが、ピアノでドカンドカン弾きまくり、バックでオーケストラが甲斐甲斐しく盛りたてる、変則コンチェルト形式。しかも、打ち込みのドラムやらパーカスやら、サウンドエフェクトやらが華々しく乱れ飛ぶ!
 特に凄かったのはショパンのエチュード「革命」(原曲はピアノのソロ)。のっけっからドラム(ドラ?なんでも良いや)がドっカぁーン!と打ち上がり、ガラガラドンドン、ピアノが転げ落ちる。続いてユーロビートがズンチャカズンチャカとショパンを担ぎ上げて大爆走(その人、病弱だから…!)。あっけにとられる私をはるか後方に置き去りにして、周回遅れにしてしまった。もちろん、その間もオケが盛大に鳴り響いている。しかも、マキシムのピアノ演奏は非常に上手なのだから、泣くに泣けない。

 私はマキシムに申し訳ない気持ちで一杯になった。本当にごめん、人違いだった!

 例えるなら、北海道の原野でナチュラルなエコ・ライフを送り、ハーブ・ティーを愛飲する友人を、各種コーラとペプシとセブンアップを飲み比べて盛り上がるパーティに連れて行ってしまったような気分(この場合、マキシムはエコな友人である)。
 相手をよく理解もせずに買って、人違いだったなんて、失礼な話だ。私は申し訳なさのあまり、このCDをお店の棚にそぉっと返してきたい気分になった。もちろん、お金なんて良いんです。取っといてください。

 肝心の [ 情熱のコンチェルト ] だが。これはクラシックではなく、最近のオリジナルのようだ。F1の「予選ダイジェスト」に使われていたのは、去年の話。確かに、聞きおぼえがある。
 今年の「予選ダイジェスト」は、Heviaの、[ Etrico ma non troppo ] という曲だ。彼はスペイン人。楽器はアストゥリア地方のバグパイプで、ガイタと呼ばれるものだそうだ。
 アルバムはUKのアマゾンに注文し、アルゼンチンから届いた。トラッドを取り入れたポップスという色が強く、「大好き!」というわけには行かないが、ガイタという楽器を知るきっかけとしては、悪くない。

...Earth to theDandy Warhols2008/10/17 22:48

 8月に発売された、ダンディ・ウォーホルズのアルバム。マイク・キャンベルが参加しているので、買ってみた。

...Earth to the Dandy Warhols


 マイクが参加しているのは、7曲目の"Love Song" 循環コードのフワフワした曲調の中を、縫うように舞い飛ぶバンジョーがマイクだ。
 このマイクの参加している曲は、まぁまぁ好き(マイクが居るから好きなのかも知れない)。
解説には、「70年代後半というパンク全盛の時代にルーツ・ロックの魅力を追求した2人のベテラン ― マーク・ノップラー(ダイアー・ストレイツ)のドブロ、マイク・キャンベル(トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ)のバンジョーをフューチャーしたフォークロックのM7」とある。
 私が想像するフォーク・ロックとは随分違うが、このアルバムの中ではそいういう位置づけなのだろう。

 ウォーホルズと言えば、"Bohemian like you"。あの曲は大好きなのだが、アルバムに収録されている曲の大半は、メロディのはっきりしない - 常に何かがガーガー鳴っている感じで、私の好みから外れている。それでも、このバンドの持っている「自信」というものが、不思議と伝わってくる。
 今回のアルバムには、どういう経緯で、マイクが参加することになったのだろう?

 ともあれ、マイクはやっぱりこのバンドの時が、一番しっくりくるなと当たりまえのことを考える。



 [Sound Stage] を見直していて思った。"Crawlin' back to you" がまだ終わりきらない内に、マイクが後ろからトムさんの肩をとらえて、何事か短くささやいている。



"Handle with care " に入る直前なのだが、あんなタイミングで、あんな短く、いったい何を言っているのだろう?少し珍しい光景だ。

その時義経、少しも騒がず2008/10/19 22:37

 能の「船弁慶(ふなべんけい)」は、一つで色々オイシイ演目だ。分類としては、雑物とも呼ばれる四番目に属するようだが、鬼や妖怪がシテ(主役)となる、派手で激しい動きの五番目物(切能)に分類する流派もある。さらに、前半は女性がシテとなる三番目物(鬘物)の要素を持っている。

 平家を滅ぼした源義経は、兄・頼朝との確執から都を追われ、西国へ船で逃げることになった。弁慶をはじめとして家臣と共に海へ漕ぎだそうとする義経だったが、愛妾・静御前とは別れなければならない。静御前は別れを惜しみ、舞をひとさしまって、義経一行を見送った。ここまでが前半。むろん、シテは静御前で、彼女の美しい舞が見どころだ。
 船に乗って、瀬戸内海に漕ぎ出す義経一行。船頭はアイ(狂言方:きょうげんかた)が演じるので、ここも見どころの一つ。
 やがて海が荒れ始め、恨みを残して死んだ平知盛の怨霊が現れ、義経主従に襲いかかる。すると弁慶が祈り倒し、その法力の前に知盛は消え去る。

 義経は当然成人男子だが、能舞台で演じるのは子方(こかた。子役のこと)である。弁慶も静御前も当然大人が演じるのだが、義経が子供なので知識無しで見ると、ものすごくおかしな印象を受ける。なぜ義経を子供が演じるのか。諸説があり、研究の対象になっている。一説には、子供にやどる神聖性を、義経に持たせるためとも言う。

 「船弁慶」は比較的長い演目だが、その中で印象的な一節がある。
 後場で知盛が登場し、義経主従一行を脅かしたとき。子方演じる義経の、甲高い声が、大ノリ(一文字に一音を当てる、大きな謡い方)で響き渡る。

「その時義経、少しも騒がず ―」

 さらに地謡(コーラス部隊)が「その時義経、少しも騒がず 打物抜き持ちうつつの人に 向うが如く」と続ける。
 私はこの一節が好きでよく使う。さらに、1981年ローリング・ストーンズのライブで起こった、有名な事件が連想される。
 "Satisfaction" の最中に、観客の一人がステージに乱入。
 「その時リチャーズ、少しも騒がず ―」



 キース、冷静沈着!やる気まんまん。あわてず騒がずギターを肩から外すや、素晴らしい身のこなしで暴漢(?)を撃退する。どうも初めてやったようには見えない。当然ハウリングが起きているが、それを眺めているミックも落ち着いたものだ。
 この状況にTP&HBが陥ったら?マイクとキースはキャラが違うので、観客はトムさんに迫るのだろう。しかし、トムさんもマイクもギターが大事すぎて、無抵抗か。

もちろん、トム・ぺティの誕生日2008/10/20 22:34

 10月20日は、トム・ペティの誕生日。1950年生まれ。最高のロックスターが生まれたことにおめでとう。でもそれだけじゃ良いことは起きない。素晴らしい仲間と出会って、バンドを組んでだことに、おめでとう。

 トムさんの誕生日と言えば、1987年。ディランと一緒のツアー最終目的地UKへ。楽屋でトムさんの誕生日パーティとなった。  おそらく、首謀者はジョージだろう…少なくとも、トムはそう思っている。楽屋に(不味そうな)ケーキを持ってきてくれて、友達一同集まり、ゴキゲンなパーティ。そしてトムの宝物になった記念写真がこれ。


 伝説の大スター勢ぞろいで、オーラ皆無!ただの飲み会写真。特にディラン様…あの…この顔、公表されてよかったのでしょうか?可愛い。
 トムさんもひどい顔しているなぁ。ロジャーも楽しそうだし、ジョージは「してやったり顔(新しい友達ゲット!)」。ジェフは表情の何割かは見えません。ベンモントはどういう位置なんだろう?椅子の上に立ってる?
 トムはこの楽しい写真撮影の事を話すとき、必ずマイクも居たと言う。記憶違いではないだろう。 ― マイクはこの写真の撮影者に違いない。さすがカメラ小僧。マイクの大事な持ち物には、自分とジョージが写っている写真があるのかもね。