The Great Silkie of Sule Skerry / I Come and Stand at Every Door2015/08/23 23:07

 F1ベルギーGPの興奮冷めやらず、まだドキドキしている。やれやれ。

 今日は、アイリッシュ・パブでのセッションだったのだが、食事中に聴いたBGMが、ふと気になった。確か、ザ・バーズで覚えている曲だ。アイリッシュ・パブで聴いたということは、アイリッシュ・ミュージックか、少なくともケルトの曲なのだろうか?

 この曲の原曲は、グレイト・ブリテン島の北方に位置する、オークリー諸島から伝えられたフォーク・ソング "The Great Silkie of Sule Skerry" だと言う。
 オークニー諸島は、ノルウェイやデンマークなどの北欧との接触が多く、簡単にケルトとはくくれないようだ。オークニー諸島の人々自身は、自分たちを「オーカディアン」と呼び、独自の文化,言語を持っている。
 "The Great Silkie of Sule Skerry" の歌詞は非常に不気味。父親の知れぬ子を産んだ女が、やがてその子の父親が海にあってはアザラシだという男だと知る。そして黄金の詰まった財布と引き替えに子供を父親に渡す。しかし父親が予言をする。女はやがて鉄砲の射手と結婚し、その射手が父子を殺すだろう ― 
 民話のような、神話のような、人間とアザラシ、文明と自然、生と死が溶け合った不思議な世界を、美しくも暗く、妖しく歌い上げている。

 この"The Great Silkie of Sule Skerry" も何人ものアーチストが歌っているが、どうやら私が今日聴いたのは、ジョーン・バエズのバージョンだったようだ。



 この曲に、ピート・シーガーがナジム・ヒクミットの詞を組み合わせて歌ったのが、"I Come and Stand at Every Door" だ。
 この曲の主題は、広島の原爆で死んだ七歳の少女。幼くして命を奪われ、その魂がこの世を彷徨い、平和を願う。やはり生と死、戦争と平和、全く違うようで、境界が曖昧なような。不思議なイメージがこの曲と詞を融合させている。

 ザ・バーズは、1966年のサード・アルバム,[Fifth Dimension] で、この "I Come and Stand at Every Door"をカバーしている。



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