伶倫楽遊 ―― 伶楽舎第十七回雅楽演奏会 ― 2025/01/26 21:26
雅楽の伶楽舎が創立40周年だそうだ。私が音大で芝祐靖先生や宮田まゆみ先生に雅楽を習っていた頃は、まだ伶楽舎も創立からそれほど経っておらず、人数の要る演奏会では学生も手伝っていたりしたが、時が経つのは早いものだ。
40周年記念演奏会が、紀尾井ホールで開かれた。
四ッ谷の駅からトコトコ歩いて紀尾井ホールへ向かうと、おや?と思ったのが、紀尾井ホールの壁。「日本製鉄 紀尾井ホール」とある。頭に「日本製鉄」なんてついていたっけ?紀尾井ホールも30周年だそうだ。確かに、当時の新日本製鐵のメセナ事業として創立されたのが紀尾井ホールだというのは知っていたが、2025年4月から「日本製鉄 紀尾井ホール」になるとは…!
楽曲は現代曲三曲。現代曲というのは、50年以上昔でも「現代」と言う。古典でなければ現代曲である。
一曲目は ―― 残念。ぜんぜん。イマイチ。雅楽器の響きを理解し切れていない。唐突で説得力がない。よくあるんだよなぁ、この手の「雅楽の現代曲」。玄妙に鳴らしてみたり、目一杯音を出して騒々しくしたり。結局空振り。いつものことなので、驚かない。
二曲目は、芝先生の「舞風神 序破急」 ―― こちらは安定の芝先生。さすが、芝先生は古典への造詣が深い。太食調の音取りから始まり、序破は古典だと言われても分からない。しかし急になると、マーチのように勇ましくなり、ウキウキした気持ちになった。さらに、いつもは最前線にいる打楽器を最後部においたのもよかった。ホールの鏡板(能舞台で言う松の板…)のすぐ前に打楽器があり、特に羯鼓の響きが天上から振ってくるような豊かな響き。とても良かった。
三曲目は、名曲・大曲の誉れ高き武満徹の 「秋庭歌一具」。
これまで私は、「秋庭歌」は過大評価だと思っていた。おそらく、聞いた場所が悪かったのだろう。最初は明治神宮の外庭、二回目は国立劇場。どちらも音が散る、大きすぎるなどで、「秋庭歌」には向いていなかった。この曲は演奏グループをいくつかに分けて、オーディエンスに対して立体的に配置されている。その音の立体構造の中に響くものこそ、「秋庭歌」なのだ。
特に笙の贅沢な使い方が素晴らしい。九人もいるのだ。逆に言うと、笙は蚊の鳴くような音なので、これだけ必要なのだということ。
合計五カ所から響き渡る雅楽器のリレーが滑らかで、巧妙だ。特に龍笛が一つの息が異常に長いのかと思わせるような絶妙なアンサンブルで、はっとするような美しさだった。本曲である「秋庭歌」までがこの曲の良さが詰まったパートだ。後半パートになると、構成的にやや息切れかなと思う。次に聞くときは、この箇所の感想が改まるだろうか。
パンフレットの曲目解説を見ると、「秋庭歌一具」は音大の先輩が書いていた。わぁお、なつかしい!先輩方にも久しぶりに会いたいと思う、演奏会終わりだった。
40周年記念演奏会が、紀尾井ホールで開かれた。
四ッ谷の駅からトコトコ歩いて紀尾井ホールへ向かうと、おや?と思ったのが、紀尾井ホールの壁。「日本製鉄 紀尾井ホール」とある。頭に「日本製鉄」なんてついていたっけ?紀尾井ホールも30周年だそうだ。確かに、当時の新日本製鐵のメセナ事業として創立されたのが紀尾井ホールだというのは知っていたが、2025年4月から「日本製鉄 紀尾井ホール」になるとは…!
楽曲は現代曲三曲。現代曲というのは、50年以上昔でも「現代」と言う。古典でなければ現代曲である。
一曲目は ―― 残念。ぜんぜん。イマイチ。雅楽器の響きを理解し切れていない。唐突で説得力がない。よくあるんだよなぁ、この手の「雅楽の現代曲」。玄妙に鳴らしてみたり、目一杯音を出して騒々しくしたり。結局空振り。いつものことなので、驚かない。
二曲目は、芝先生の「舞風神 序破急」 ―― こちらは安定の芝先生。さすが、芝先生は古典への造詣が深い。太食調の音取りから始まり、序破は古典だと言われても分からない。しかし急になると、マーチのように勇ましくなり、ウキウキした気持ちになった。さらに、いつもは最前線にいる打楽器を最後部においたのもよかった。ホールの鏡板(能舞台で言う松の板…)のすぐ前に打楽器があり、特に羯鼓の響きが天上から振ってくるような豊かな響き。とても良かった。
三曲目は、名曲・大曲の誉れ高き武満徹の 「秋庭歌一具」。
これまで私は、「秋庭歌」は過大評価だと思っていた。おそらく、聞いた場所が悪かったのだろう。最初は明治神宮の外庭、二回目は国立劇場。どちらも音が散る、大きすぎるなどで、「秋庭歌」には向いていなかった。この曲は演奏グループをいくつかに分けて、オーディエンスに対して立体的に配置されている。その音の立体構造の中に響くものこそ、「秋庭歌」なのだ。
特に笙の贅沢な使い方が素晴らしい。九人もいるのだ。逆に言うと、笙は蚊の鳴くような音なので、これだけ必要なのだということ。
合計五カ所から響き渡る雅楽器のリレーが滑らかで、巧妙だ。特に龍笛が一つの息が異常に長いのかと思わせるような絶妙なアンサンブルで、はっとするような美しさだった。本曲である「秋庭歌」までがこの曲の良さが詰まったパートだ。後半パートになると、構成的にやや息切れかなと思う。次に聞くときは、この箇所の感想が改まるだろうか。
パンフレットの曲目解説を見ると、「秋庭歌一具」は音大の先輩が書いていた。わぁお、なつかしい!先輩方にも久しぶりに会いたいと思う、演奏会終わりだった。
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