悲愴2008/12/07 22:15

 12月、日本ではベートーヴェンの季節だ。年末に一年の総決算として、賑々しく交響曲第九番「合唱つき」を盛んに演奏するこの習慣は、なかなか気が利いていて好きだ。しかも、ベートーヴェンは12月生まれ。先生の誕生日祝いも兼ねていて良い。

 私自身は現在、ピアノ・ソナタ17番「テンペスト」を練習しているが、一番お世話になった曲と言えば8番「悲愴」ということになる。某楽器メーカーのピアノ教師ライセンスを取ったときの自由曲が「悲愴」の第三楽章で、かなり長い時間をかけて仕上げ、おかげでライセンス取得に成功した(別に先生になるつもりはなく、単なる努力目標として試験を受けただけ)。
 「悲愴」はベートーヴェン28歳の時の作品。まだ耳の病気も進行していないころで、モーツァルト時代の軽やかさと、いかにもベートーヴェンっぽい重厚で厳粛な雰囲気を持ち合わせ、ピアニストとしても一流だった彼の実力がいかんなく発揮されている。
 人気のある曲という意味で、「三大ソナタ」に数えられているが(ほかの2曲は14番「月光」,23番「熱情」)、テクニック的には中の上級だろう。音大のピアノ科に進む人なら、中学か高校時代に弾く。
 以前、音楽大学を舞台にしたドラマの第一話だけを見たことがあるが、主人公の女の子(音大ピアノ科2年生)が「悲愴」を熱心に練習しているシーンがあり、ちょっと違和感があった(ついでに言えば、もう一人の主役,天才らしきピアノ科の上級生男子が、国際コンクール向けに「月光」を練習しているものも、やや不自然なような気もしたが…)。
 テクニックは中の上でも、やはりベートーヴェン。三つの楽章を完璧に表現するには、ものすごい労力が必要だ。しかも、いかにもベートーヴェンらしく、ピアノ譜をオケに渡しただけで、即座にアンサンブルができてしまいそうな、完全無欠の楽曲構成。
 私が好きな録音は、おそらく60年代の録音と思われる、ルドルフ・ゼルキン(1903~1991 / ピーター・ゼルキンの父親)の演奏。なぜか家にLPがあって、とり憑かかれた様に聞いていた。CDになっていたらぜひとも購入したい。

 「悲愴 Pathetique」という通称は、珍しくベートーヴェン自身がつけたらしい。あの第一楽章の冒頭、c-moll の主和音をガツンとかます瞬間に、この「悲愴」という名称の絶妙さがよく分かる。疾走するがごときの第三楽章もしかりだ。
 しかし、「悲愴」でもっとも有名なメロディは、いかにも「悲愴な」第一楽章でも、第三楽章でもなく、第二楽章だろう。
 「Adagio Cantabile, ゆっくりと歌うように」。ひたすら美しく、ロマンチックなメロディは、一見(一聴?)簡単そうだが、実は各声部が複雑に絡まり合う構造で、一筋縄ではいかない(ベートーヴェンの曲はみんなそうだ!)。
 第二楽章のこの美しいメロディは、さまざまな形でカバーされてきた。中でも傑作なのが、ビリー・ジョエルの”This Night”。「今夜はフォーエバー」という凄まじくダサい邦題がついているが、名曲だ。
 “This Night” の良さは、「悲愴」にただ歌詞をつけただけの、芸のないカバーではないところだ。ビリー・ジョエルはまず、学校でのパーティ風のスローダンスを繰り出すのだが、そこは彼のオリジナル。古風で粋なコーラスが昔懐かしい雰囲気を盛り上げたかと思うと、突如サビが「悲愴」に展開する。



 ビリー・ジョエルは、子供のころクラシック・ピアノを習っていた。好きな作曲家はベートーヴェンとモーツァルト。一時期、音楽活動をクラシック路線に変更したことさえある。「そんな彼だからこそ」という要素が、”This Night” に多少は反映されているだろう。
 ちなみに、我らがベンモント・テンチ。彼が好きなミュージシャンにバッハとベートーヴェンを挙げている。どのあたりの曲や演奏家が好きか、とても興味がある。

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