Proud Mary2023/06/02 19:56

 "Proud Mary" という曲に関しては、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのオリジナルでしか聴いたことがなかったが、ティナ・ターナーがカバーしていたのをきっかけに、ほかにもいくつかのカバーが発表されていることを知った。

 まずは、オリジナルが発表されて間もなく、1969年,ザ・チェックメイト・リミテッドによるカバー。プロデューサーはフィル・スペクターだそうだ。



 さすがはフィル・スペクター。このやり過ぎ感、半端ない。オリジナルにある簡素な美しさ、格好良さが塗りつぶされていて、これはこれで音楽プロデューサーのやりがいなのだろう。

 エルヴィスも晩年にカバーしている。



 テンポが軽快なのは良いし、エルヴィスの唄が異様に上手なところは凄い。それにしても半音ずつあげていくオシャレな編曲は、この曲オリジナルのイメージとは遠い感じがして、ちょっとイラっとくる。

 最後はやはり、オリジナル CCR の1969年ロイヤル・アルバート・ホールにおけるライブを見て心を浄化してもらおう。
   ちょっと呑気なテンポ感、そしてロックという音楽において非常に重要な要素なのだが、リズムギターの刻みが最高である。こういうリフの刻みができるギタリストの有無はバンドの本質的な実力に直結する。
 どんなカバーを見ても、やはりこのオリジナルが最高だなと思うと、ロックンロールという音楽ジャンルが、必ずしも騒々しい物ではなく、引き算の、ある意味枯淡というスピリットも持ち合わせていることが分かる。

Steps of Freedom2023/06/12 20:13

 「アイルランド映画祭2023」で、興味深い映画があったので、二作品見てきた。
 まずは、アイリッシュ・ダンスのドキュメンタリー 「ステップス・フォー・フリーダム Steps of Freedom:The Story of Irish Dance」



 なんと言っても、緑溢れ、風がごうごうと鳴るアイルランドで、力強くステップが踏まれるアイリッシュ・ダンスのパワーに圧倒される。
 アイリッシュ・ダンスの起源として、祭事のほかに軍の行軍が「3+3」の二拍子、ジグの誕生に大きく貢献していると言う話しも興味深かった。極端に強調された足音、アクセントのを説明するには、この「行軍説」がとても説得力があると思う。さらにその様子は、エリザベス朝の頃からすでに人々の印象に強く焼き付けられていたという文献もある。
 それから強くステップを踏む踊りの形式は、アイルランドから南下してイベリア半島(フラメンコが特徴的)や、西アフリカへと南北に分布しているという。この関連性への言及もとても興味深かった。
 さらに、アイルランドは長きにわたってイングランドの植民地としての苦難の歴史を歩んだことも、当然強調された。イングランドはアイルランドをイングランド化しようとしたが、アイルランド人は勇気を持って抵抗し、力強く踊ってきた。極東に生まれた私が、アイルランド音楽とダンスに心を強く引きつけられるのは、その屈服しない精神、力強い魂のパワー故だと思う。

 さらに、ジャガイモ飢饉を代表とする、貧困故のアイルランド移民達の、移民先での音楽とダンスの伝統もとても力強かった。特に印象的だったのは、黒人奴隷、およびその子孫達と、年期奉公人だったアイルランド人たちが、互いにステップを競い合ったという点だ。試合も盛んだったという。今で言えば協調、調和、友愛で理由付けが出来るが、当時としては互いのアイデンティティを懸けた真剣な勝負だっただろう。
 そして、アイリッシュダンスはアイルランドのケルト人だけのものではなくなる。1990年代に大ケルトブームを巻き起こし、現在も吹き続けている風の原点であるリバーダンスでさえ、そのダンサーの多くはカナダ、アメリカ、オーストラリアから参加しているし、日本人ですらそのメンバーに加わっている。
 特に、マンハッタンのど真ん中で、イカしたアイリッシュ・ステップを踏む黒人女性,モーガン・ブルックが良かった。「この人種はこの音楽を、このダンスをやるべきだ」と観念は、ある意味その血統や宗教、文化伝統の意味で説得力も有るかも知れないが、しかし素晴らしい音楽や、そのほかの芸術は人種を、地域を、時空を越えるのである。極東の島国に住む私がクラシックピアノを弾き、ロックンロールを聴き倒し、アイルランドのティン・ホイッスルを吹くのは、そういう芸術のパワーに裏打ちされた一つの現象なのだ。

 アイルランドでは伝統的なダンスの保護を目的として、スタンダードな踊りを制定し、その他雑多なものをうち捨ててきてしまったという歴史もあるという。雅楽にも同じようなことがあった。長く伝えようとする余り、形式にこだわりすぎてかえって内容が貧しくなってしまうと言うことは、往々にして起きるようだ。
 しかも、教会が家々の台所や町々の交差点で行われていたダンスパーティを不謹慎なものとして規制したという、アイルランド人にとっては自分で自分の首を絞めるといった時代もあったという話しも、興味深かった。

 ザ・ボシー・バンドや、ザ・チーフテンズも登場したし、最近のダンサーではガーディナー・ブラザーズもチラっと登場した。



 そろそろロックのライブも色々見たいし、演奏もしたい。そういう意欲をかき立てさせる、良い映画だった。
 リバーダンスもそろそろ曲目や演目を一新したら良いと思うが、どうだろう?

The Commitments2023/06/16 20:06

 「アイルランド映画祭2023」で見た二本目の映画が、「ザ・コミットメンツ The Commitments」―― 1991年のアイルランド映画だ。特に前知識はなかったのだが、ピーター・バラカンさんがお薦めしていたので、見に行った次第。バラカンさんのトークつき上映だった。

 舞台はダブリンの北側(この「北側」という点が重要らしい)で、ジミーという若者(例によって無職)が、マネージャーとしてソウル・バンドを結成しようとギタリストとベーシストの友人を誘い、新聞広告を見てきた人や、友人、その他の縁でメンバーを揃えるところから始まる。
 ジミー曰く、アイルランド人(特にダブリンの北側人)は、「白人の中の『黒人』であり、ソウル・ミュージックをやるのにふさわしい」とのこと。そういうわけで、1960年代のソウル・ミュージック・バンドを演奏する、ザ・コミットメンツが結成される。



 音楽は最高。ライブシーンも長く取られているので、音楽を満喫するには十分すぎる作品だ。ブラック・ソウルの異様に上手な白人,しかもアイルランド人バンド。みんな尖っていて妥協が無い。
 バンド活動というものは楽しいが、まともなバンドを結成するのはとても大変であることがよく分かる。なんと言っても良いシンガーが必要だし、演奏人口の少ないドラマーに辞められると,本当に困ってしまう。人間関係はいくらでもこじれるし、長続きするバンドの方が希少なのだ。
 言うなればこの映画はホワイト・ソウル・ミュージック版「荒野の七人」である。あれこれ事情はあれど、腕の立つメンバーが揃い、崩壊する様を楽しく明るく、笑いながら、音楽を聴きながら楽しむ映画だ。

 英語の映画の場合、極力英語を聞きながら字幕を見ることにしているのだが、この映画は早々にあきらめた。余りにも英語が分からなすぎた。
 ジミーの役者さん、容姿やしゃべり方、声が誰かに似ているなぁと思ったら、ジョン・レノンに似ているのだ。ジョンもアイルランド系移民の子孫だから、無理のない類似だろう。
 バラカンさんの解説ではじめて分かったのだが、ギタリストのアウトスパンを演じていたのは、[Once] のグレン・ハンサードだった。長髪でヒゲ無しだったので、全く気付かなかった。

 アイルランド人がブラック・ソウル・ミュージック。音楽は人種、文化、宗教、その他様々な違いを越えて理解することは出来るのか。日本人である私にとっても興味深い点を考えさせる良作。お薦めだ。

Long Black Veil2023/06/20 21:20

 アイルランドの伝統音楽好きとしては、もちろんザ・チーフテンズの存在は巨大だと思う。
 しかし、時にそのサウンドの作り方がオーバー・プロデュース気味で、「やり過ぎ感」も否めない。そういう意味で言うと、やはりザ・ボシー・バンド辺りが、私の好みとしては丁度良い感じなのだ。
 ともあれ、チーフテンズは超大物なので、名だたるミュージシャンの大勢が喜んで共演してくれる。
 こちらは、ちょっと取り合わせとしては意外なミック・ジャガーとの共演。楽曲の "Long Black Veil" はもともとアメリカのカントリーなので、ルーツ帰りして、さらにロンドンっ子との共演という複雑な道筋を通っている。



 サウンド・エフェクトを効かせすぎなのはミックの責任では無いだろう。ともあれ、ミックが一音一音丁寧に歌い、語る様子は、ステージ上のダンスで吹っ飛んでいる彼とは、また違う一面が良く現れていて、素晴らしい。

 "Long Black Veil" は1959年のカントリーとのことだが、私がこの曲を知っているのは、ザ・バンドが "Music from big Pink”に収録しているからだ。
 ザ・バンドが1970年に演奏した映像が残っている。リック・ダンコがザ・バンドに参加するにあたり、彼の印象は「ハンサムだった」というコメントがあるが、それが真実であることがよく分かる。

Concert for George を見よう!2023/06/25 19:37

 何週間か前から告知されているのだが、このたび、ジョージ・ハリスンの誕生80年を記念して、「コンサート・フォー・ジョージ Concert for George」が劇場特別版公開されることになった。
 2002年に開催され、2003年に公開されたCFGは、DVD 発売時に日本でも特別試写会があって、オリヴィアやクラプトンも会場にいた。私もその会場の大スクリーンで鑑賞したのだが、それ以降、意外なことに劇場公開はされていなかった。
 これはとても良い機会なので、ぜひともCFG 未見の方も、何度も見た人も大スクリーンで楽しんで欲しい。

ジョージ・ハリスン生誕80周年記念 劇場特別版公開



 私は自称、日本一の CFG ファン。何度見たか数知れないし、そのたびに号泣している。
 特にジョージ・ファンでもないけれど、ある程度ロックが好きな人に何セット DVDをプレゼントしたかも覚えていない。いずれの人からも大好評だった。
 あるジョージ・ファンが「だって、ジョージは出てないんでしょ?」といって見ていない。そこで「私が責任を取る!だまされたと思って見るのだ!」といって説得。結果、次に会ったとき、その人は「泣いちゃったよ…!」と言っていた。
 そして、特に音楽ファンというわけではないが、「モンティ・パイソン教育」を施した友人に、その総仕上げとして CFG を見せたのだが、「あのコンサート、なんか凄くよかったね」との、感想を得た。

 CFG の良さを挙げると切りが無い。
 まず演奏される音楽の多くが、ジョージの名曲であること。そしてその名曲の数々を超一級のミュージシャン達が抜群の名演して魅せる。「コンサート・フォー・バングラデシュ」や、日本公演での思い出、ビートルズ時代の輝き、ソロ時代の豊かな音楽世界を入念なリハーサルをしたうえで披露する。この完璧な演奏が CFG の骨幹だろう。
 そして、インド音楽のセクションが冒頭にあり、興味深いインド音楽の世界を紹介してくれる。多彩な音色、不思議と心沸き立つリズム感、たくさんの特徴的な楽器が奏でる世界が、更に広がり、西洋楽器のストリングスや、クラプトンのギターと相まって、壮大な世界を見せてくれる。なかなかない機会だ。
 そしてモンティ・パイソンがスケッチを披露して、ジョージのチャーミングな一面を懐かしみ ―― しかも、パイソンで泣かされるとは思ってもいなかったのだが、本当に感動的なのだ。
 まだ20代前半で、ジョージとうり二つのダニー、それを囲むバンド、ジョージと親しかったクラプトン、ジェフ・リン、ゲイリー・ブルッカー、ジョー・ブラウン、サム・ブラウン、ビリー・プレストン、そしてトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの名演奏は、迫力と説得力に満ちている。
 終盤には狂乱のビートルズ時代を共にした、リンゴとポールが登場し、さらに会場の熱量をあげる。ハンブルグ時代からの親友、クラウス・フォアマンも加わって、あの60年代を共に生きた同士を想い、その存在、音楽、愛情を讃える、温かな瞬間のひとつひとつ ―― そうして、奇跡的なコンサートを作りあげてゆく。

 最後の最後に、"Wah-Wah" を演奏するシーンは本当に圧巻だ。このパフォーマンス後、この曲をカバーするアーチストが続出するのも、納得だ。若くして亡くなった友人の追悼コンサートなのに、みんなが笑顔で幸せそうなのが印象的だ。
 そしてコンサートの締めくくり ―― おそらく、ジョージ自身がリクエストするであろう、"See You in My Dream" ―― まぁ、とにかく見てくださいと言うしかない。私はこの二十年、何度見ても号泣している。

 劇場版は一部コンサートをカットしているので、ぜひともDVD,もしくはブルー・レイ・ボックスを買って欲しい。
 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの "I need you”での、トムさんの切ない表情が泣かせる。
 ほかにも名場面を挙げたら切りが無い。"Something" でのポールの高音の素晴らしさ、ジェフ・リンのコーラスの絶妙さ、クラプトンとの名演は本当に極上。リンゴが登場するなり、ステージ上も、会場も、見ているこっちも笑顔になる不思議な魔法。
 "While my guitar gently weeps" 渾身の演奏後にうつむくクラプトンに、そっと声をかけるダニー。胸がいっぱいになる。

 私に CFG を語らせたら、たぶん数日はしゃべり続ける。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのパートだけでも丸一日かける自信がある。
 ジョージ・ファンも、そうでなくても音楽に興味がちょっとでもある人、そして友情をテーマにした作品を見たい人、全てにお薦めの作品である。
 そう、一番大きなテーマは友情。「友達っていいな。」きっとそう想うに違いない。

The Lost King2023/06/29 20:56

 きたる9月22日、映画「ロスト・キング 500年越しの運命」が日本で公開される。2012年、イングランド, レスターの駐車場から発掘された骨は、本物のリチャード三世のものだったという一大事件を、その発掘プロジェクトの中心人物のひとり、フィリッパ・ラングリーを主人公にして映画化したのが、この「ロスト・キング」だ。
 なんて素晴らしい!この日本で、私が見に行かずに誰が行く?!

『ロスト・キング 500年越しの運命』9月22日公開決定!



 2012年にリチャード三世の骨が発見され、ニュースになったときは、本当に興奮した。BBCはフィリッパと発掘の様子、およびDNA鑑定で骨がリチャードのそれであることを証明した経緯をドキュメンタリー番組にした。それにより、彼の顔も再現されたのだ。
 翌2013年、私はボブ・ディランのロイヤル・アルバート・ホール公演に合わせて渡英し、レスターの現場を見に行った。このとき、日本のリカーディアン(リチャード三世「擁護派」という人々)の代表と言うべき、Akiko.T さんを誘った。彼女はは北国の町に住んでおり、私とはネット上の交流だけで、一度も会ったことがなかったのに、中世イングランド史とボブ・ディラン好きという共通点だけで旅を共にしたのだ。ボズワース古戦場と、レスター大聖堂、タウン・ホールでの展示、そして工事中だったリチャード発見現場を塀越しに拝んだ。
 2018年、私はレスターを再訪し、リチャードの発見現場に建てられた博物館を訪れ、そしてその発掘場所を見学し、彼の墓を訪ねた。このとき、Akiko.T さんはこの世に亡く、私は心の中で彼女へ報告したものだった。

 それにしても、この映画は楽しみすぎる!
 プリデューサーの一人で、出演もしているスティーヴ・クーガンは私がよく見る英国映画,コメディではお馴染みの人物だ。
 そしてなんと言っても魅力的なのは、リチャードの再現だ。美しい!でも、かなり現実的で、「あり」なリチャード像ではないか?骨からの再現像にも近いし、リチャードのちょっと神経質そうな表情の肖像画とも似ている。そもそも彼は生前、美男で有名だった兄(エドワード四世。ただし、「女のこととなると理性を失う」)の「次に美男子だった」と言われているのだ。

 確かに、リチャードは兄王の亡き後、その息子達の王位を否定し、自ら王位に就いた。王位簒奪と言われて当然だろう。しかし、彼に対する容姿醜悪、極悪非道、悪魔そのものという評価は明らかに不当だし、二人の甥の死に関する責任は歴史の謎のままなのだ。彼はヘンリー・チューダーとの戦いに敗れて死に、ヘンリーが王位に就いた。そのヘンリーのチューダー朝においてリチャードは前述のような怪物に仕立てられ、シェイクスピアは素晴らしい戯曲の主役として描いた。かくして悪王リチャード像は広く流布するに至った。
 私自身は、プリンスたちの死に関して、首謀者がリチャードなのか、ヘンリーなのかと言う点について、完全に五分五分だと思っている。
 ともあれ、これからも一般的には甥から王位を奪った悪名はリチャードにつきまとうだろう。しかし、その一方でこの映画のような「素敵なリチャード」があっても良いと思うのだ。

 人には格好良い仕草というものがある。私にとっては、F1 レーサーがバイザーを下げる仕草だが、中世ヨーロッパ騎士のヘルメットのバイザーもしかり。キング・リチャード、格好良し!God save the King !