悶絶スローハンド2008/12/05 23:50

 日本経済新聞が出している某ロック雑誌。タイトルも内容もやや微妙で、なかなか買う気が起きない(そもそも、私は音楽に関する書籍や雑誌をほとんど読まない)。12月1日発売の号は、来日を控えたエリック・クラプトンの表紙と特集。第二の特集がジョージ。ギタリスト特集ということらしい。
 実は、この号のとある記事に関して、私も一枚噛んでいる。そこで、発売日に本屋でパラパラと眺めてみた。ジョージ特集なら、TP&HBの話題が期待できたのだが、結果は実に残念。結局、購入せずに本屋を去った。トムさんやマイク先生さえ出てくれば…

 エリック・クラプトン。60、70年代の彼は確実に大好きなアーチストだし、80年代の作品もけっこう好き。90年代以降のアルバムはあまり聞かず、iPodに入れていないものもあるが、ギターは相変わらず上手い。
 90年代以降はあまり…と言いつつ、「コンサート・フォー・ジョージ」でのクラプトンの仕事ぶりは最高だと思う。演奏そのものは勿論、画面から伝わってくる情熱に、共感が持てる。リハーサルなど、ちょっと入れ込み過ぎのきらいもあったようだが、このコンサートに懸ける情熱を思うと、当然だろう。
そして、入念な練習,リハーサルは、その過程が辛くても素晴らしい結果をもたらしてくれる、という音楽演奏における大事な事実を証明しているあたりも好きだ。

 コンサートも後半になってくると、クラプトンの情熱がどんどん昂ぶって行き、ポールが歌う”All things must pass” では、マイクから離れた後方で大熱唱している。その身もだえるするような熱唱ぶりに、思わず「マリア四郎か?!」と突っ込んでしまいたくなる。(注*)



 ジョージの写真がはじめて大映しになり、歌詞の内容からしても泣きモードの曲だが、クラプトンに注目するたびに、笑い、同時に嬉しくなってしまう。

注*マリア四郎:60年代末に活躍した「悶絶歌手」。代表曲に、「恋のふきだまり」や、「あなたの愛を知りました」、「もだえ」など。

悲愴2008/12/07 22:15

 12月、日本ではベートーヴェンの季節だ。年末に一年の総決算として、賑々しく交響曲第九番「合唱つき」を盛んに演奏するこの習慣は、なかなか気が利いていて好きだ。しかも、ベートーヴェンは12月生まれ。先生の誕生日祝いも兼ねていて良い。

 私自身は現在、ピアノ・ソナタ17番「テンペスト」を練習しているが、一番お世話になった曲と言えば8番「悲愴」ということになる。某楽器メーカーのピアノ教師ライセンスを取ったときの自由曲が「悲愴」の第三楽章で、かなり長い時間をかけて仕上げ、おかげでライセンス取得に成功した(別に先生になるつもりはなく、単なる努力目標として試験を受けただけ)。
 「悲愴」はベートーヴェン28歳の時の作品。まだ耳の病気も進行していないころで、モーツァルト時代の軽やかさと、いかにもベートーヴェンっぽい重厚で厳粛な雰囲気を持ち合わせ、ピアニストとしても一流だった彼の実力がいかんなく発揮されている。
 人気のある曲という意味で、「三大ソナタ」に数えられているが(ほかの2曲は14番「月光」,23番「熱情」)、テクニック的には中の上級だろう。音大のピアノ科に進む人なら、中学か高校時代に弾く。
 以前、音楽大学を舞台にしたドラマの第一話だけを見たことがあるが、主人公の女の子(音大ピアノ科2年生)が「悲愴」を熱心に練習しているシーンがあり、ちょっと違和感があった(ついでに言えば、もう一人の主役,天才らしきピアノ科の上級生男子が、国際コンクール向けに「月光」を練習しているものも、やや不自然なような気もしたが…)。
 テクニックは中の上でも、やはりベートーヴェン。三つの楽章を完璧に表現するには、ものすごい労力が必要だ。しかも、いかにもベートーヴェンらしく、ピアノ譜をオケに渡しただけで、即座にアンサンブルができてしまいそうな、完全無欠の楽曲構成。
 私が好きな録音は、おそらく60年代の録音と思われる、ルドルフ・ゼルキン(1903~1991 / ピーター・ゼルキンの父親)の演奏。なぜか家にLPがあって、とり憑かかれた様に聞いていた。CDになっていたらぜひとも購入したい。

 「悲愴 Pathetique」という通称は、珍しくベートーヴェン自身がつけたらしい。あの第一楽章の冒頭、c-moll の主和音をガツンとかます瞬間に、この「悲愴」という名称の絶妙さがよく分かる。疾走するがごときの第三楽章もしかりだ。
 しかし、「悲愴」でもっとも有名なメロディは、いかにも「悲愴な」第一楽章でも、第三楽章でもなく、第二楽章だろう。
 「Adagio Cantabile, ゆっくりと歌うように」。ひたすら美しく、ロマンチックなメロディは、一見(一聴?)簡単そうだが、実は各声部が複雑に絡まり合う構造で、一筋縄ではいかない(ベートーヴェンの曲はみんなそうだ!)。
 第二楽章のこの美しいメロディは、さまざまな形でカバーされてきた。中でも傑作なのが、ビリー・ジョエルの”This Night”。「今夜はフォーエバー」という凄まじくダサい邦題がついているが、名曲だ。
 “This Night” の良さは、「悲愴」にただ歌詞をつけただけの、芸のないカバーではないところだ。ビリー・ジョエルはまず、学校でのパーティ風のスローダンスを繰り出すのだが、そこは彼のオリジナル。古風で粋なコーラスが昔懐かしい雰囲気を盛り上げたかと思うと、突如サビが「悲愴」に展開する。



 ビリー・ジョエルは、子供のころクラシック・ピアノを習っていた。好きな作曲家はベートーヴェンとモーツァルト。一時期、音楽活動をクラシック路線に変更したことさえある。「そんな彼だからこそ」という要素が、”This Night” に多少は反映されているだろう。
 ちなみに、我らがベンモント・テンチ。彼が好きなミュージシャンにバッハとベートーヴェンを挙げている。どのあたりの曲や演奏家が好きか、とても興味がある。

Torn2008/12/09 21:11

 1998年に"Torn トーン" をヒットさせたナタリー・インブルーリアは、オーストラリア出身の歌手兼モデル。ロレアルのモデルを務めていたこともある。
 "Torn" は何と言うことのない、普通の良くできたポップスだが、私はある事がきっかけでこの曲にがっちり心をつかまれた。

 そのきっかけが、これ。2006年のシークレット・ポリスマンズ・ボールでの、デイヴィッド・アルマンドのパフォーマンスである。



 このパフォーマンスがあまりにもおかしいので、iTunesで"Torn"を一曲買いしてしまった。

 シークレット・ポリスマンズ・ボールは、アムネスティ・インターナショナル主催のチャリティ・イベントで、オリジナルは70年代にモンティ・パイソンが活躍して開催された事で有名。ロック・アーチストも出演しており、ジェフ・ベックの姿も見られる。
 それが2006年に復活し、DVDが発売された。私はお気に入りのコメディ・デュオがお目当てで鑑賞したのだが、一番笑ったのは、このデイヴィッド・アルマンドのパフォーマンスだった。

 デイヴィッド・アルマンドは、イギリスのコメディアン。例によってケンブリッジ大学出身である。YouTubeの表記ではJohan Lippowitzとなっているが、これはアルマンドがコメディ番組で演じた役名。
 アルマンドのマイムも凄いが、やはりナタリー・インブルーリアが登場して一緒に踊ってくれっているところが凄い。エンディングのギター・プレイのところでは、音高とポジションが逆だが、これはナタリーとの踊りとの兼ね合いで、普段のアルマンドは正しい位置で演じている。

サン=サーンス 交響曲第三番オルガンつき2008/12/11 22:16

 大のフィギュア・スケート・ファンという友人が居る。その愛好歴も長いし、かなりの知識も有しており、テレビの解説よりもよほど役に立ち、わかりやすい説明をしてくれる。
 この友人は音楽にも造詣が深く、その面でもよく私と話題が盛り上がる。

 その友人が、今日「安藤美姫がフリーの曲を変更するらしい!しかもサン=サーンスの『オルガンつき』に…!」と、興奮気味に教えてくれた。
 これは、びっくり。

 そもそも、私はクラシック音楽にあまり興味がないが、その少ない興味の中でも、人にお勧めできる楽曲のひとつが、このサン=サーンスの交響曲第三番「オルガンつき」である。
 その名の通り、曲の最後(第二楽章の後半)にパイプ・オルガンが盛大に鳴り響く、変則「パイプ・オルガン協奏曲」のような形になっている。ベートーヴェンの第九が終楽章に合唱をもってきているのと、同じ趣向だろう。
 私はこの曲を、大学の入学式で聞いた。巨大なパイプ・オルガンから鳴り響くとんでもない迫力の音にしばし呆然としたものだった。
 パイプ・オルガンの地を揺るがすような大音響は、どんなアンプにも再現できないだろう。この曲の本当の良さは、コンサート・ホールでこそ味わうことができる。
 しかも、生まれつきの天才体質で器用な人だったサン=サーンスの面目躍如と言うべきか、ピアノが二台入っているオケ構成も楽しい。


私が持っているのは、カラヤンのベルリン・フィル。オルガンはパリ・ノートルダム寺院。1981年

 安藤選手がフリーにこの曲を使うということは、やはりあの第2楽章なのだろうか。
 しかし、この曲はバレエやオペラのような「何事かの物語を表現する音楽」や、詩や歌を感じさせるものではない。純粋に「音楽のための音楽」、いわゆる「絶対音楽」に分類されるものだろう。
 そうなると、フィギュア・スケートの表現は非常に難しそうに思える。しかも、この曲は印象があまりにも壮大過ぎる。
 これまで、安藤選手はバレエ音楽「ジゼル」をフリーで滑っていたので、どんな風にまったく違った滑りを見せるのか、週末が楽しみになってきた。

小ネタ・アラカルト2008/12/14 23:00

安藤美姫選手
 サン=サーンスの交響曲第三番「オルガンつき」。予想通り、第二楽章の冒頭から。
 さぁ、あのマエストーソ(荘厳に)のオルガンが鳴り響くのか?どう滑るのか?…と期待していたら、最後の最後にちょっと聞こえただけだった。…ほぼ、「オルガン抜き」だったかも。

シェリル・クロウ
 金曜日、友人Mちゃんのご厚意によって、シェリル・クロウのライブに行った。東京ドーム・シティにある、JCBホール。こじんまりとした会場で、迫力のあるパフォーマンスを堪能。
 白状すると、私はシェリル・クロウのことを殆ど知らなかった。その程度を物語るエピソードがあるが、それはあまりにもひどい内容なので、ブログには書けない。
 曲目のうち、三曲はCMで聞いたことがある。彼女は、伸びのあるサビが得意なようだ。キャッチーで、ぐっと心をひきつける力を持っている。
 たとえ詳しく知らなくても、やっぱりロックは良いね。

グラミー賞
 RDADが、長編ビデオ賞にノミネートされた。RDADマニアとしては、まずはうれしい。受賞できると良いのだが、対抗馬がどういうものかが分からない。
 これまたマニア級に好きなCFGの時は、対抗馬にスコセッシのブルース映画があったが、見事CFGが勝利。スコセッシには気の毒をしたが。 スコセッシは次回、ジョージ映画の時にあげるから、まぁ良いじゃん。

メリーランド作戦2008/12/17 23:21

 東部戦線では、ロバート・E・リー率いる南軍が、第二次マナッサスの戦いの勢いを駆って、北部へ攻め入るメリーランド作戦を実行し始めていた。
 南部連合としては、北部連邦が南部連合の独立を認めてくれさえすれば良いのであり、それには北部が戦争を嫌になってしまえば良い。そこでリーは、圧倒的に劣る戦力ながらメリーランド州やペンシルベニア州、さらにニューヨークにまで南軍の進撃を見せつけて北部に厭戦感を 起こし、引き分けのうちに和睦にもちこみたかったのである。

 1862年9月上旬、リーは55000の兵を率いてマナッサスを出発、ポトマック川を渡ってメリーランド州へ侵攻した。
 対する北軍の主力,ポトマック軍の将マクレランは、相変わらずの慎重居士でリーの行軍に肉薄することなく、ゆるゆると84000の兵を北上させリーの出方を見ていた。南軍の東側面は、これまでもさんざん北軍を悩ませてきたジェブ・スチュアートの騎兵が牽制していたという理由もあるが、やはり今回もリーはマクレランの万事消極的な性格を読んでいた。
 ところが、今回はマクレランにとんでもない幸運がもたらされる。リーの南軍に遅れること1週間後の9月13日、マクレランの北軍がフレデリックの町に進軍した。そこでマクレランは、偶然にも南軍の将が紛失したリーの命令書を入手したのだ。
 その命令書によると、リーはここフレデリックで、ただでさえ少ない軍勢をさらに四つに分け、各交通,軍事拠点の占拠に向かわせていた。現に、ストーンウォール・ジャクソンは一番大回りして、大規模な軍事施設のあったハーパーズ・フェリーを落としている(このとき、ハーパーズ・フェリーの住民たちは、名高いストーンウォール・ジャクソン将軍がひどくみすぼらしい身なりをしているのに驚いた。)
 リーの意図を知ったマクレランは当然、大喜び。俄然、行軍速度をはやめて、少人数で散在する南軍の撃滅にかかった。

 ところが、マクレラン側もうかつだった。「北軍がリー将軍の命令書を入手した」という情報が、逆にリーに漏れたのだ。
 リーは即座に分散した兵力を集結させた。しかし、マクレランの行軍も待ってはくれない。南軍はシャープスバーグの町に41000あつまったところで、87000の北軍と衝突することになった。
 このときの戦いは、シャープスバーグの東を流れるアンティータム川の名を取って、「アンティータムの戦い」と呼ばれることが多い。

 9月17日朝、大規模な戦闘が始まった。北軍は圧倒的な戦力を持っているのだから、一斉攻撃で勝利を収めることができたはずだが、マクレランは何を思ったか、部隊を小出しにしかせず、南軍の撃滅には至らなかった。
 そのダラダラした一日の戦闘のせいで、北軍12499、南軍14000の死傷者を出した。これは南北戦争における一日の死傷者数の最高記録である。
 結局、南軍に最後の援軍が到着したところで、マクレランは兵力を温存したまま戦闘の手を緩めてしまい、リーに退却の ― しかも上手い退却のチャンスを与えてしまった。

 アンティータムの戦いは確かに北軍の勝利だった。リーのメリーランド作戦は頓挫し、南軍は退却したのだから。
 しかし、北部連邦 ― そしてリンカーンにとっては、勝利どころではなかった。せっかく、敵方の作戦情報を得て、圧倒的な数の優位を誇り、守りが得意なリーに対して開けた土地での会戦を挑めたのに、いたずらに死傷者ばかり増やし、肝心のリーを取り逃がしてしまったのだ。リンカーンにとっては、勝ちの喜びよりも、圧勝できなかった落胆の方が大きかった。そこを分かっていないマクレランは、リンカーンにとってやはり全幅の信頼をおける将軍ではなかった。
 軍人がこの体たらくでも、リンカーンは抜群の政治家としての手腕を発揮した。内容的には不満でも、アンティータムの戦いは北部連邦の勝利だ。彼はこれを好機ととらえ、奴隷解放宣言を行う。しかも、かなり巧妙に。

 ところで、リーのメリーランド作戦が始まったときのこと。南軍の兵士たちは、ポトマック川を渡り、メリーランドに進軍する道すがら、「メリーランド 我がメリーランド Maryland, my Maryland」を歌っていた。この曲は現在、メリーランド州の州歌になっている。



 このメロディ、日本では「もみの木」というクリスマス・ソングで知られている、ドイツ民謡から取られている。

カンタベリー物語2008/12/23 23:15

 ザ・バンドの解散コンサートの記録映画「ザ・ラスト・ワルツ」を初めて見たのは、学校を出てからだった。
あまりの素晴らしさに衝撃を受け、なぜ大学図書館が映像資料を所有していなかったのかと狂おしく思った。
 (ちなみに、私は「研究に必要だ」と言って、図書館に「コンサート・フォー・バングラデシュ」や、「ボブ・フェスト」を購入させた。私の卒論テーマは、「能」である。)

 この映画の序盤。”It makes no difference” に続いて、サンフランシスコの詩人、マイケル・マクルーアが朗読をするシーンが挟まれる。
 詠まれているのは、「カンタベリー物語」。

 「カンタベリー物語」は、中世イングランドの詩人ジェフリー・チョーサー(1343?~1400)が亡くなるまでの約14年間を費やして記した物語である。
 イングランド最大の巡礼地、カンタベリー寺院へ詣でる人々が偶然同道することになり、互いに興味深い物語をしようという趣向が大枠。このため、「カンタベリー物語」では年齢,性別,職業,出身地が異なる巡礼者たちが語る、高尚なものから下品なものまで、様々な物語を楽しむことができる。
 中世といっても長い。チョーサーが生きたイングランドはヨーロッパの僻地ではあるが、すでに始まっていたルネッサンスの波が及びつつあった。そのため、巡礼の人々は騎士も学者も聖職者も、そして粉屋、料理人、免罪符売りなども、生きることを楽しみむ活力に満ちている。

 「ザ・ラスト・ワルツ」に登場する「カンタベリー物語」は、いったいどの部分なのか、ふと気になった。(私が持っている本は、岩波文庫の桝井迪夫 訳)

 つきとめるのは、造作もないことだった。物語の冒頭部分なのだ。「総序 General Prologue」と呼ばれる。
 マックルーアの朗読は、おそらく冒頭「四月がそのやさしき にわか雨を… Whan that Aprill, with his shoures soote」から始まっているのだろう。映画では総序の途中から入ってくる。

小鳥たちは美わしき調べをかなで And smale fowles maken melodye,
夜を通して目をあけたるままに眠るころ That slepen al the night with open ye,…
 (中略)
人々はカンタベリーの大聖堂へ to Caunterbury they wende,
昔病める時、癒し給いし聖なる尊き殉教者に The holy blisful martir for to seke,
お参りしようと旅に出る。That hem hath holpen, whan that they were seke.


 このあと、チョーサーが続ける。
 「そんな季節のある日のこと、こんなことが起こりました。じつは、私はとても敬虔な気持ちからカンタベリーへ念願の巡礼にでかけようと、サザークの陣羽織屋に泊っておりました。」
 そこに、職業もバラバラな29人の巡礼者がやってきて、カンタベリー物語が始まる。

 マックルーアが朗読する古い英語は、丸みをおびて、暗示的で、何かをかきたてるような響きがある。あのロックの祭典に登場した、はるかなるカンタベリー巡礼の詩。そして、きょとんとしたであろう、ヒッピーな観衆たち…。
 ザ・バンドが解散し、そしてそれぞれが新たな旅を始めるという暗示としての「カンタベリー物語」なのか、それとも特に意味はないのか。私には後者に感じられるが、そのナンセンスさが「ザ・ラスト・ワルツ」が持っている「厚み」の重要な要素になっているように思えてならない。

 ところで。
 ウィキペディアの英語版,The Last Waltzの項を見ると、映画の順番と並べて、実際のライブ・パフォーマンス順が記述されている。この「実際の演奏順」には、「カンタベリー物語」が入っていない。
 マックルーアによる朗読は、コンサートのどこに位置していたのか、興味があるが、今のところ分からないでいる。

続カンタベリー物語2008/12/25 23:08

 「続」と言っても、どこかの修道院からチョーサーの未発表原稿が見つかったわけでも、私がそれをでっちあげた訳でもない。「カンタベリー物語」の記事が続くという意味だ。

 「カンタベリー物語」は、聖書やシェイクスピアほどではないものの、イングランドの人々の間に広く膾炙され、影響を及ぼし、引用されている。

 ロック・ミュージックにおいてもっとも有名な引用は、プロコル・ハルムの ”A Whiter Shade of pale 青い影” に登場する。



 この曲はロックにおける大金字塔であり、語るべき要素の多い一曲だが、ここでは無論、歌詞の話題。
 星の数ほどある傑作歌詞の中でも、「意味不明」という分野では、他を大きく引き離すのが、この “A Whiter Shade of Pale”。さまざまに解釈されているが、作詞した当人さえも意味が分からないというほどだから、深く考えることはナンセンスかもしれない。
 ともあれ、あの印象的なサビの歌詞にこうある。

And so it was that later
As the miller told his tale
That her face at first just ghostly
Turned a whiter shade of pale


 この詞に関しては、翻訳するのも愚かしいので、それはしない。ただ、2行目の「粉屋が彼の話をしたとき」とは、「カンタベリー物語」に登場する「粉屋の話」のことである。私が持っている岩波文庫の完訳版では、「騎士の話」につづく、二つ目に位置する。
 一話目の「騎士の話」が、ギリシャを舞台にした愛と騎士道の物語なのに対し、「粉屋の話」は、オックスフォードの町で展開される大工とその妻、妻の愛人である学生、大工の妻に横恋慕する教区書記が繰り広げる、下品なドタバタ劇だ。
 粉屋がその話をすると、顔色を変える女。それは誰…?

 蛇足。「騎士の話」。
 2001年のアメリカ映画、「ロック・ユー!」は、中世イングランドの馬上槍試合を題材にしているものの、クィーンの楽曲を使うなど、斬新な演出が面白かった。主演は、故ヒース・レジャー。単純で分かりやすい愛と友情のスポコン・ドラマだが、「明るい中世」を見せてくれるところが良い。

 原題は、”A Knight’s tale”  ― 「騎士の話」。もちろん、「カンタベリー物語」から引用している。
 物語には、主人公の仲間となる「ジェフ」なる人物が登場し、ポール・ベタニーが演じている。どういうわけだか、この「ジェフ」がやたら思い切りよく脱いでばかりいる裸族で、しかもその名前が「ジェフリー・チョーサー」というのだから、ぶっ飛んだ。
 物語の最後に、この裸族「ジェフ」は、「カンタベリー物語」について少し言及する。ぶっ飛んではいるが、こういう遊びは好きだ。

Famous Beethoven's 9th symphony2008/12/31 20:00

 ビートルズの映画の中では、"Help !" が一番好きだ。
 音楽的に素晴らしいのはもちろんだが、スラップ・スティック映画(ドタバタコメディ)としての出来も良い。この作品が、あのモンティ・パイソン出現以前というのだから、大英帝国はやはり凄い。それから、忘れてはならない重要な要素。この映画でのジョージは抜きんでて格好良い。

 謎の(…というか、けっこう可憐で健気な)宗教団体カイリ教徒から逃げ回る、かの有名なビートルズ。標的はかの有名なリンゴなのだが、迷惑しつつ、他の3人も付き合っている。  さて、4人が入ったパブにもまたトラップが仕掛けられており、リンゴは地下室に閉じ込められてしまった。しかも、そこにはロンドン動物園から逃げ出したかの有名な人食い虎が…!
 昔、千葉県警が虎狩りをしたことがあるが、今度はスコットランド・ヤードと帝国の誇りFab4が虎との対決。
 意外なことにこのトラ、かの有名なベートーヴェンの交響曲第9番,「歓喜の歌」を歌えばおとなしくなるのだ!



 あまり頼りにならなかったスコットランド・ヤードの警視、ここでは真っ先にドイツ語で第九を歌っております。
 いつの間にかその合唱は大観衆へと引き継がれ…と、言うのはいかにもブリティッシュ・コメディの王道。
 このシーンの最後に登場する大観衆。スタジアムには「トッテナム・ホットスパー」とあるので、どうやらトッテナム・ホットスパーFC(*)のホーム・グラウンド,ホワイト・レーン・スタジアムのようだ。

 それにしても。ジョンのハーモニカと一緒に第九とは、ずいぶんと贅沢な話。ジョージにビールをぶっかけられ、しかも脚を抑えてもらっている警視も羨ましい。
 私が知っているロンドン動物園は、たいてい動物が脱走しているか、盗まれているかのどちらかだ。

*注:ホットスパー Hotspurと聞いて、ヘンリー・パーシーと連想するあなたは、シェイクスピア・ファン。このクラブチームの前身チームの本拠地が、かつてヘンリー・パーシーの所領だったことに由来するらしい。