(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understanding2015/03/03 21:34

 先週のディラン様ラジオこと[Theme Time Radio Hour] のテーマは "Question"。タイトルが疑問になっている曲の特集だった。

 番組の最後の方に登場したのが、(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understanding ― ディラン曰く、エルヴィス・コステロの歌として有名だが、一体だれがこの曲を書いたのか?
 そのようなわけで、まずはエルヴィス・コステロ 1978年。



 良い曲だし、良い演奏だと思うのだが…どうも、私にはコステロがフィットしない。ポップで明るく軽快で、私が好きなテイストなのだが…たぶん、あの容姿というか雰囲気がタイプではないのだろう…

 この曲を誰が書いたのかというと、ニック・ロウ。1974年に、当時かれが所属していたンバンド,ブリンズレー・シュウォーツが録音している。



 どうやら、こちらの方が好みらしい。マッシュルームなニック・ロウがとても可愛い。

 実は、私はこの曲をコステロでも、ニック・ロウでも知らなかった。知っていたのは、ザ・ウォールフラワーズのバージョンだ。ろくすっぽクレジットを見ていなかったので、てっきりウォールフラワーズのオリジナルだと思い込んでいた。

(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understanding / The Wallflowers

 このたび確認して初めて知ったのだが、この曲は2002年ウォールフラワーズのアルバム [Red Letter days] の日本版ボーナストラックだったのだ。ディラン様ラジオは2009年。ジェイコブが2002年にこの曲を収録していたことは知っていたのだろうか。
 ライブ・パフォーマンスもある。ああ、「ディラン家の一族」だなぁと…当人は嫌がるだろうが、思わずにいられない。そして、大好きだ。

Crosby, Stills & Nash in Tokyo2015/03/07 15:40

 3月6日東京国際フォーラムに、クロスビー・スティルス&ナッシュのコンサートに行った。

 私は特にCS&Nの大ファンというわけではない。でもけっこう好き。持っているアルバムは、ファースト・アルバムと [CSN]、&ヤングの [Déjà Vu ], [So Far]だけ。あとはクロスビー&ナッシュの1枚と、スティルスはマナサスを含めた3枚。
 これまでライブを見たこともないし、特に情報も追ってもいなかった。今回も前情報は収集せず、動画などもチェックせずに臨んだ。

 後悔した。
 なぜ、もっと頑張って前の席を取るようにしなかったのだろう。なぜ、一日目も取らなかったのだろう。ジャクソン・ブラウンが見たいのではなく、純粋にCS&Nの凄さに圧倒されてしまったのだ。

 特に凄かったのは、デイヴィッド・クロスビーの歌声。あの声量、張り、音域。豊かで緊密で、広い会場を支配する圧倒的な声。「美声」というのとも違う、人間が成す何かを越えた大いなる響き。ロックの分野で、彼に比肩する声の持ち主は何人居るのだろうか?
 彼のソロの曲ではもちろん、その声の凄まじさを堪能できるし、アンサンブルでは声量を落としてもその存在感と安定感は群を抜いている。
 あの独特の暗くて、不気味で、奇妙に耳に残る印象的なクロスビー楽曲の世界も、堪能できた。
 クロスビーのことは、もちろんバーズのメンバーとして知っていたが、その凄さを初めて知ってしまったような気がする。昔とくらべてアレコレと言う人もいるが、人のいうことなど、どうでも良く、自分の目で見る、自分で耳で聞くことの大切さを思い知った。
 どんなにアーチストが年老いても関係ない。「俺は昔のもっとすごかった頃を見た」なんていう自慢話をする輩は放っておけばいい。今からでも遅くない、興味のあるアーチストはためらわずに見に行くべきだ。それをクロスビーは教えてくれた。

 ナッシュは想像通りの人だった。あのハイトーン、ポップな曲調、スリムでフットワークの軽い、そしてその素晴らしい人柄が滲み出るロック界の宝だと思うのだ。
 ただポップなだけではない、政治性も含めたメッセージ性も説得力がある。

 スティルスは、歌声に関してやや残念だった。まず声が出ないし、音程が定まらない。"Girl From the North Country" を独りで歌うのはまずいというくらい、歌は良くなかった。もっとも、そこはクロスビーとナッシュがスルスルと進み出て、素晴らしくサポートしてくれるのだが。
 聞くところによると、どうやらスティルスは耳が不調とのこと。音楽は結局、最後は耳だ。今後快復して、また素晴らしい歌声を取り戻してくれると良いのだが。
 一方で、ギタリストとしての活躍はさすが。コンサート全体も、ハードなロック・バンドサウンドや、アコースティックな響き、静謐なソロや、ゴージャスなサウンドの雨など、これぞロックの多様性を具現化しているという演奏構成で、とても楽しかった。

 スティルスの歌が不調で残念などと思いつつ、最後に "Love the One You're With" が始まったら、吹っ飛んでしまった。正直に言って、私が今回のセットリストで一番好きな曲は、スティルスのソロ作品の曲、"Love the One You're With"。CS&Nのコンサートで聞けるとは思っていなかったので、大感激だった。
 そしてこの曲でも、クロスビーの声が冴え渡っていた。特に、コーラス前に客席に向かって "Come on!" と叫んだ声の素晴らしいこと。呆然としてしまった。

 アンコールで、誰もが "Suite: Judy Blue Eyes" を待っていたに違いない。電気がついてしまうと、周囲から 「ジュディは?」という声がたくさん聞こえた。
 ファースト・アルバムの冒頭を飾る、あの象徴的な曲を聴けなかったのは、やはり残念だ。スティルスの耳の不調は無関係ではないのだろう。
 それでも、消化不良という気はしない。"Love the One You're With" をCS&Nで聴けただけでも大満足。ぜひともまた次回、コンサートに足を運びたい。

ベントンヴィルの戦い / テンチ家の兄弟(その10)2015/03/11 22:27

 またもや間が開いてしまったが、南北戦争も大詰めである。

 東部戦線では南部連合国首都ヴァージニア州リッチモンドの約30kmのピーターズバーグにロバート・E・リー率いる南軍が布陣し、それに対して北軍のグラントは持久戦に持ち込んでいた。
 一方、西部戦線は、北軍を率いるシャーマンがジョージア州サヴァンナ,即ち大西洋岸に達し、彼らはそこから北上しはじめた。1865年1月、ノースカロライナ州ウィルミントンが陥落。いよいよ、シャーマンはヴァージニア州へと進もうとしている。

 もはや西部戦線(だった)南軍は壊滅状態だった。残った兵たちをまとめる役目が、ジョーゼフ・ジョンストンに回って来た。彼は前年のアトランタ陥落以降その任を解かれていたのだが、この土壇場に来て、また引っ張り出される事になったのだ。
 ジョンストンのもとに集まった南部連合軍は21000。上級将官たちは、P.G.T.ボーレガードに、グラグストン・ブラッグ,ウィリアム・ハーディ,D.H.ヒルなど、これまでの戦いに名を連ねたお歴々である。

 シャーマンが率いる北部連邦軍はノースカロライナ州を北上し、ヴァージニアのグラントとの連携を意図していた。それを阻止するべく、ジョンストン率いる南軍は、3月19日、ベントンヴィルで北軍に攻撃を仕掛けた。
 まず、南軍の騎兵が北軍の左翼への攻撃を行った。当初北軍はそれほど大きな部隊の攻撃とは思っていなかったが、続いて歩兵が攻撃を仕掛け、北軍は退却を余儀なくされた。
左翼が退却したとは言え、シャーマンが率いる北軍は南軍の約3倍の兵力である。すぐに援軍が南軍の攻撃を押し返した。
 3月21日には、シャーマンは逆に南軍の左翼に攻撃を仕掛けた。南軍が北軍の左翼を集中的に攻撃下以上、南軍自身の左翼は当然手薄だったのだろう。シャーマンにとっては、この残存兵の集まりを壊滅させ、降伏に持ち込むチャンスだったが、彼は判断を誤った(自分で認めている)。
 シャーマンは攻撃を停止させ、もう追撃する余力のないジョンストンの南軍を置いて北進を続けることにしたのだ。

 南軍の損失は2000。その兵力は10000を切ってしまった。万事休すだった。

 さて、ここでまた久しぶりの人物が登場する。ジョン・ウォルター・テンチ(ベンモント・テンチの曾祖父)と、ルービン・モンモランシー・テンチ。テンチ家の兄弟である。
 彼らが所属していたジョージア第一騎兵連隊は壊滅状態で、この頃にはウィーラーの騎兵に編入されていたようだ。
 ウィーラーもベントンヴィルの戦いで騎兵を率いているので、おそらくテンチ家の兄弟も参加していただろう。その後も、テンチ兄弟はジョンストンの指揮下に残ることになった。
 テンチ家の兄弟が騎兵として南軍に身を投じたのが1861年開戦当時。その6月には末の弟ジェイムズが戦死している。あれから4年。テンチ兄弟の南軍騎兵生活も最終局面を迎えていた。

Song to Soul / Layla2015/03/14 21:54

 衛星チャンネルで放映されていた番組,[Song to Soul] で、デレク&ザ・ドミノスの "Layla" が特集されていたので見た。

 私は音楽が好きな割に、あまり音楽関係の本を読まないし、CDのライナーもろくに読んでいない。そのようなわけで楽曲に関する知識というものが乏しい。私が気に入らない "Layla" の後半は、ジム・ゴードンが持ってきたものだということは、今回初めて知ったような気がする。
 しかもボビー・ウッドロックによると、ゴードンが「とってきた」らしい。
 そうとなると、俄然あの後半のコーダが気に入らないのも当然という気がしてくる。前半のスピード感と緊張感のあるマイナーと中心としたコード進行を台無しにするような、甘ったるくて空虚なコーダは、ない方が良いと思っている。
 別の曲とするならそれとして良い曲のようだが、あの "Layla" にくっつける気になったのはどう言うわけだろう。クラプトンの判断がおかしいのか。
 ともあれ、これからは安心してコーダは聞かずに飛ばすことにする。

 "Layla" アンプラグド・バージョンもずいぶん流れたが、私はアレも嫌いなのだ。オリジナルの "Layla" の命は、何と言ってもリズム。前のめりの疾走感、過剰なほどのパーカッションが有無を言わせない緊張感を構成し、その上で鳴り響くギターバトルをけっして浮き上がらせない。
 なのに、あのアンプラグドはリズムもなにもない。ブルース的には中途半端だし、ロック的には骨抜き。

 どうにも辛いコメントが多いが、そうは言っても "Layla" は最高の名作。収録アルバムもかなり好きだ。特に "Bell Bottom Blues" や、"Why Does Love Got to Be So Sad?" など、格好良いギターが鳴り響く、歌もほどよく聞こえる、バランスの良さが素晴らしい。
 しかもサウンドが分厚く、緊密で遠慮の無い調子が良い。肩に力がはいりまくり、どっと疲れるような、心地よい痺れが音楽を貫いている。
 CDでしか持っていないが、ずいぶん前に買った物。最近のリマスターもあるようなので、買い直しても良いなと思っている。

 "Layla" ときて、どの動画を選ぶか。
 どのライブ演奏もスタジオ録音の凄さにはとうてい及ばないし、アンプラグドは嫌いだし。
 その点、これは良い。コーダも無いし。最高。

Kennedy's Kitchen2015/03/17 21:47

 3月17日はセント・パトリック・デー。そのようなわけでアイリッシュを何か聴こうと思った。
 トラディショナル・アイリッシュ・ミュージックのオムニバス・アルバムである、[Victims of Irish Music] の内、ティン・ホイッスルの演奏でとりわけ上手いと思わせた演奏があったので、そのアーチストを改めてチェックした。
 アメリカはインディアナ州に拠点を置くアイリッシュ・バンド、ケネディーズ・キッチン Kennedy's Kitchen がそれだった。
 ジョン・ケネディが中心になって結成され、1998年から活動している。アルバムも何枚か出しているので、さっそくiTunes で 2006年の [A Pocket Full of Lint] を購入した。



 とにかくティン・ホイッスルのリアムが上手い。ほかの人も、もちろん上手いが、自分がホイッスラーなだけに、あの超絶吹奏には感動してしまった。
 特にCDだけを聴くと凄まじく速く、難しい演奏を何事もなく、鏡のように滑らかに吹いてみせる。あまりの滑らかさにややヒンヤリとした質感すらするが、私は上手さに対する崇拝があるので、この凄さは好きだ。
 難しいもの、速いものを一分も乱れずに、何でもなく演奏する格好良さに憧れる。難しい曲を、いかにも難しそうに、オーバーアクションに演奏する人がいるが、ああいうのはダサいと思う。もっとも、現実の私自身は喘ぎながら笛を吹き、悶絶しながらウクレレを、七転八倒しながらピアノを弾いているのだが。
 ちなみに、リアムはフルートを吹くときは普通の人とは逆に構える。左利きなのだろう。アイリッシュ・フルートならそれも可能。

 それにしてもケネディーズ・キッチンの速さは度を超している。ライブになるとどんどん速くなる。これなど、本気で心配したくなるような異次元の速度に突入してゆく。



 余りの速さに、大気圏はおろか地球の引力圏をも突き抜けそうな勢いだ。だれか、ギターを止めろ!たぶん、彼がリーダーのジョンだ!
 しかしそれについて行くメンバーがスゴイ。さすがにこの速度で演奏したいとは思わないが、尊敬する。

 もちろん、アルバムの最初から最後までぶっ飛ばしている訳ではない。スローな曲や、楽しい歌もある。
 歌の方はケルト色が薄く、アメリカでモダンな感じになった曲になっている。それが残念といえば残念か。
 歌からダンス・チューンに入る楽しい曲もある。



 楽器もできれば、歌もできるというのは羨ましい限り。
 アルバムは合計5作発表しているので、揃えてみたいと思う。

Down on the Corner2015/03/20 22:54

 iPodに入れている音楽を、アルファベットの Z から遡って聴いていくということをしているが ― ストーンズ,TP&HB, ディラン,ジョージは除く ― いよいよ、C に突入した。
 昨日から今日にかけては、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル。CCRも数枚持っていた 。

 CCRも素晴らしい曲がたくさんあるが、一番好きな曲はどれかと言うと、多分 "Down on the Corner" だと思う。派手なドラマチックさはないけれど、淡々とした中にも躍動感があって、ワクワクするような音楽だ。



 Willy and the Poor Boys という半ば素人っぽいバンドの、通りでの演奏風景を歌った物で、いろいろな楽器が登場する。
 ハープは、もちろんハーモニカ。 "Gut Bass" というのは、伏せた金だらいに棒を立て、弦を張った原始的なベースのこと。これでちょっとしたソロも披露すると歌っている。
 ウォッシュボードは、もちろん洗濯板のこと。これを爪のようなものをつけた指で叩いたりかき鳴らしたりする。
 CCRがテレビ番組に出演した際、ちょっとした再現のようなことをしている。もちろん、この楽器でこんな音はしないので、リップシンクなのだが。



 よく分からないのは、"Poorboy twangs the rhythm out on his kalamazoo" のところ。「カラマズー」とは何か?
 どうやらギブスンのギターの一種のようだ。しかし、金だらいベースに洗濯板、そこにギブスンというのはしっくりこない。これだけ変に立派で洒落た楽器なのだが。貧乏バンドが、ギターだけは奮発してまともな楽器を入れたのだろうか?
 もしくは、この後に出てくるカズーと韻を踏むために入れたのかも知れない。

 カズーというのはブーブーなる笛のこと。音を聞けば、ああ、あれかと分かる。
 アンプラグドは嫌いだといいつつ、この動画にはカズーはもちろん、ウォッシュボードも登場する。しかもウォッシュボードを叩くのは、スティーヴ・フェローニ!ニースのコンセルヴァトワール!



 それにしてもアンディ・フェアウェザー・ロウのハーモニカはしょぼ過ぎるなぁ。

 "Down on the Corner" は、やはりリズムが一番の要素なのだろう。狭い音域でうろうろしているメロディを、ぐいぐい引っぱり、サビのコーラスの美しさを引き立てている。
 足しすぎず、やり過ぎず。作曲も素晴らしいが、この仕上がりにしたプロデューシングの良さにも感動する。

Llamas2015/03/23 21:58

 ディラン様ラジオこと [Theme Time Radio Hour] のテーマが2週連続で "Noah's Ark" で、いろいろな動物が出てくる曲が流れた。

 それで唐突に思い出したのだが、リャマという動物がいる。日本語ではラマとも書くらしい。

 リャマときて、真っ先に思い出すのは、モンティ・パイソン。怪しいスペイン語を話す謎の連中が異常な熱意でリャマについて説明し、歌いまくる。くちばしで蜜を吸うとか、ひれで泳ぐとか、もちろん内容はデタラメ。



 「リャマはカエルより大きいよ~♪」と歌うエリック・アイドルの胡散臭い笑顔が最高。そしてリャマはとても危険なので、リャマが逃げ出したら大声で「リャマに気をつけろー!!!」と叫ばなければならない。
 そういえば、先日アリゾナで、白昼堂々2頭のリャマが脱走し、大空撮中継祭りとなった。



 物々しく「黒いリャマ捕獲」などと出るのが良い。本来なら、もっと腰を入れてタックルを仕掛ければ捕まりそうに見えるが…。でも、途中でアナウンサーが地元住人に「リャマを追いかけないで下さい」と注意している。
 リャマの大脱走の時に活躍したのが、ザ・マイティ・ブーシュのハワード。相棒のヴィンス曰く、リャマが脱走したとき、誰も手が出せなかったが、ただ独りハワードだけがリャマの捕獲に成功したのだという。
 リャマの捕獲にはコツがあり、歌もある。"Calm a llama down" マイティ・ブーシュではお馴染みの「クリンプ」という言葉遊びのような短い歌だ。



 Wikipedia によると、リャマは荷物の運搬に用いられたり、毛や皮を衣類に用いられるとのこと。人が乗るかどうかはよく分からない。ラクダの仲間なので、人が乗っても大丈夫だと思うが。
 「リャマに乗る」という歌詞が出てくるのが、この曲。



 すっかり見かけなくなった彼女が、タブロイド紙に載っているというので買ってみたら、リャマに乗った女の写真があった ― という歌詞。ジョージの爽やかな歌声に、ウィルベリーズらしい精密で美しいコーラス、分厚いギターサウンド。そしてこれまたいかにもウィルベリーズらしい、ヘンテコな歌詞。
 リャマというのは、何となく創作意欲を駆り立てる動物なのだろうか。

Clarence2015/03/26 22:13

 ディラン様ラジオこと [Theme Time Radio Hour] は、最終回に向けて2週連続で集中放送。先週は2時間の拡大版 "Clearance Sale" の放送があった。
 「在庫一掃」の "clearance" と掛けて、クラレンス Clarence という名前の男性の特集でもある。

 クラレンスという名前の起こりは、クラレンス公爵というイングランドの爵位から始まっており、王族の公爵位としては、あまり高くない ― という解説。最初のクラレンス公爵は、「アントワープのライオネルという人」とのこと。
 それで、はたと思った。そうか、クラレンス・ホワイトのクラレンスは、クラレンス公爵のクラレンスであって、あのライオネル・オブ・アントワープなのかと。
 あまり高くないとは言っても、そこは公爵であり、王族にのみ与えられるのだから、かなり高い位だ。

 「あのライオネル・オブ・アントワープ」は、彼自身の事績こそほとんど知られていないが、その子孫の存在がその後のイングランド史に大きな影響を及ぼしたため、それだけの知名度を持っている。
 プランタジニット家のイングランド国王エドワード三世には成人した男子が5人おり、上からエドワード,ライオネル,ジョン,エドマンド,トマスと言う。父親と同名の長男エドワードが「ブラック・プリンス」として有名な人物で、次の国王のはずだったが、父王より先に死んでいる。このため、エドワード三世の次はブラック・プリンスの息子,リチャード二世が即位した。
 次男のクラレンス公爵ライオネルは兄よりさらに早く30歳の時に死んでおり、フィリッパという女子のみを残した。このフィリッパが、第3代マーチ伯爵エドマンド・モーティマーと結婚し、その息子は同じく第4代マーチ伯ロジャー・モーティマー。国王リチャード二世が、自分にとっては従妹の息子にあたるこのロジャー・モーティマーを、王位継承者に指定したのが、混乱の元だった。
 国王リチャード二世がマーチ伯を王位継承者に指定したのは、国王がまだ若い時で、世継ぎが生まれるのはこれからだというのに、「従妹の息子」という、エドワード三世の男系男子たちにとっては、王位からは遠いはずの人物を指名したのだ。混乱は当然だろう。
 その後の展開は割愛するが、とにかくイングランドの王位を巡る薔薇戦争の泥沼は、初代クラレンス公爵ライオネル・オブ・アントワープが残した唯一の歴史的事績 -娘フィリッパの誕生から発している。

 ライオネル・オブ・アントワープに男子がなかったのでクラレンス公爵位はいちど廃され、次にクラレンス公爵になったのが、トマス・オブ・ランカスター。ランカスター朝の初代国王ヘンリー四世の次男だ。ちなみに、エドワード三世の曾孫にあたる。
 兄のヘンリー五世が即位したと同時にクラレンス公爵に叙され、兄の代理としてフランスとの百年戦争の戦闘を指揮したが、33歳の時に戦死してしまった。指揮官である国王の弟が戦死するほどの負け戦というのも驚きだが、とにかくこのクラレンス公爵には子供がいなかったため、再びクラレンス公爵位は空位となった。
 ちなみに、ヘンリー五世は弟の死後、自らフランスに乗り込んで大勝ちしている。

 次にクラレンス公爵になったのが、ジョージ・オブ・ヨーク。エドワード四世の弟で、エドワード三世の四代孫にあたる。
 おそらく、このジョージが一番有名なクラレンス公爵だろう。欲が深く、簡単に人に唆され、行動に説得力がない。なかなかのキャラの持ち主で、せっかく兄が大バトルの末に国王になったのに、裏切ったり、謝ったり、あっちについたり、こっちについたり。しまいには反逆罪で処刑(?)される。イメージでは、ワインの樽に頭からさかさまに突っ込んでいる。
 そんなクラレンス公爵ジョージには男子エドワードがおり、実はこれがプランタジニット家の最後の男子だった。血統からするとかなり有力な国王候補なのだが、時流には逆らえず、チューダー朝の開祖ヘンリー七世によって処刑された。

 ジョージの印象が悪すぎるのか、クラレンス公爵位はその後長い間空位となったままで、次に登場したのは18世紀末だった。ジョージ三世の三男がクラレンス公爵になったのだが、後にウィリアム四世として即位する。
 ウィリアム四世にも嫡男がなかったため、クラレンス公爵位はまたもや空位となり、19世紀末にヴィクトリア女王の孫アルバートがクラレンス公爵になった。しかしまたもや嫡子を残さないまま死んだため、以後クラレンス公爵位は現在まで空位のままとなっている。

 音楽と歴史、とりとめもなく思いを馳せるのは最良の娯楽だ。
 最後は、クラレンス・ホワイトのギター・ソロだと…思う、ザ・バーズの "Ballad of Easy Rider"。

BOSE QuietComfort 20i2015/03/29 21:09

 ヘッドフォンを買い換えた。
 買い替えは珍しいことではないが、今回は購入するモデルを大きく変更することになった。

 そもそも、15年ほどソニーのノイズキャンセリングヘッドホンを愛用していた。インイヤー型で、7000円ほど。低周波音(電車や飛行機のゴーっという音)などをよく消し、コンパクトで使いやすく、値段も手ごろだった。ただ耐久性が悪いのだけが不満だったが、それもモデルチェンジするたびに改善していったと思う。
 何台目かのソニーが壊れたのが去年の暮れ。いつものように家電量販店で買おうとしたら、生産を停止したと言う。もうずいぶん長い間モデルチェンジもしておらず、ソニーはこの価格帯のノイズキャンセリングからは撤退してしまったとのことだ。一応、高価格帯のものはあるらしい。

 困ったと思いつつも、べつにソニーにこだわりがあるわけではないので、同じ価格帯のノイズキャンセリングということで、ビクターのHP-NCX78を購入した。その店には、同じ価格帯のメーカーとしては、ほかにオーディオテクニカがあるだけだった。

 商品名を出してしまって気の毒だが、このビクターが大失敗だった。
 コンパクトさや、低周波音のノイズキャンセリングはソニーと同じくらいで、問題ない。音そのものは、ソニーよりも良いくらいだ。
 人の話し声などの高さの音に対する、キャンセリング機能が弱いのは、どのメーカーも同じだそうだ。しかし、このビクターの場合、硬いもの同士がぶつかる音が、鋭い破裂音に増幅されて耳に入る。ボールペンをカチカチいわせたり、ビニールをガサガサいわせたりする音、人のクシャミ、咳などが、かなり不快に聞こえてくる。さらに、バスが停車したときなどによく聞く、エアコンプレッサーの空気を抜く「プシューッ」という音に至っては、「ザーッ」という大きな騒音に変換されて耳に入るのだから、たまったものではない。
 こうなると、ほかの点もいろいろ気に入らない。両耳のコードを上にあげて耳に掛けるタイプで、どうにも煩わしい。さらに、俯くと音の出が悪くなり、3割ほど小さくなる。
 私の使い方が悪いのか、それともただの不良品なのか。とにかく、瞬く間に我慢できなくなってしまった。

 こうなったら、もっと違うもの ― 思い切って、もっと高い価格帯のものに替えることにした。
 そこで真っ先に思い浮かんだのが、BOSEのQuietComfort。

 BOSEのノイズキャンセリングは、もっぱらオーバーヘッド型で、コンパクトなインイヤー型にしか興味がない私とは縁がなかった。
 BOSEがインイヤー型のQuietComfort 20を出したのは2013年。私はその年のロンドン滞在中に、テレビCMで初めて見た。おお!あのBOSEがインイヤー・タイプのノイズキャンセリングを出している!



 すぐさま、帰りの空港免税店に見に行った。
 しかし高い!高すぎる!ヘッドフォンにはせいぜい一万円以下しか想定していなかった私には、高すぎた。税別で30000円。ずっと使っていたソニーやその後のビクターの4倍以上である。
 その時はあきらめたが、ソニーもビクターも駄目となっては、そうも言っていられない。
 まずはBOSEのショールームに乗り込み、お兄さんをとっ捕まえてアレヤコレヤと試聴しまくる。イヤーチップをかえたり、外の雑音を増やしたり、自分のiPodにつなげたり、ノイズキャンセリングでお兄さんが何を言っているかまったく聞こえず、コミュニケーション不能になるまで、さんざん試し倒した。そして、予算を組んでこのたびBOSEを購入するに至った。ショールームのお兄さんには悪いが、家電量販店にて購入。

 私はiPod Classicを使っているので、Apple 製品対応モデルである、QuietComfort 20i を購入した。



 まず全体にケーブルが太く、頑丈な感じ。耳のくぼみに引っ掛けるイヤーチップは小柄な私でもMサイズでOKだった。
 ケーブルのもう一方の端に、ノイズキャンセリングのコントロールモジュールがある。この装置が、低価格帯のノイズキャンセリングと比べて、かなり大きい。低価格帯のものはコントロールモジュールがケーブルの中間付近にあって、ぶらさげるか服に引っ掛けるかだったが、BOSEの場合はこの大きなモジュールをプレイヤーと一緒に携帯することになる。私の場合、iPodをいつもバッグに入れており、一緒にこのモジュールをしまうので、問題なし。
 そのかわり、イヤホンの下に小さなコントローラーがついていて、再生,停止,ボリューム調整などができる。これまで、お店でのやりとりなどで耳からはずしたり、停止したりするのが億劫だったが、それが大幅に軽減される。かなり小さいので、服にひっかける必要もなく、この点も快適。
 しかも、この小さなコントローラーを服などに固定するためのクリップがあるのだが、これも回転の利く、フレキシブルなクリップでとても使いやすい。価格の高い製品というのは、こういうところにもお金を掛けて良いものを作ってくるようだ。
 これまでの低価格帯製品は、BOSEほど大きくはないが、ぶら下げたままには出来ない大きさのコントロールモジュールが邪魔で、クリップの性能も芳しくなく、落ちたりして面倒な思いをしていたのだ。

 肝心のノイズキャンセリング機能は、さすがにでっかいモジュールを持っているだけのことはあり、優れもの。低周波音はまず聞こえないし、人の声、アナウンスなどもかなり軽減される。音楽を聞いている間は、音楽以外の音はほとんど聞こえない。ビクターで味わったような、逆に騒音が大きくなるようなことはもちろんないし、当然、俯いたら音が小さくなるようなこともない。
 まずは、BOSEのWave Music Systemを購入したときと同じく、トム・ペティの [Full Moon Fever]を聞いた。
 音楽の音質に関しては、あまり私にこだわりが無いので詳しく述べることはできないが、とにかくよく聞こえており、大満足。繊細な音色の再現や、奥行きのあるサウンドが味わえると思う。

 最近、F1の中継はパソコンで見るのだが、パソコンのスピーカーではエンジン音にかき消されて、解説の音声が聞こえないのが不満だった。
 ためしにBOSEでF1中継を見たら、びっくりするほど聞きやすい。エンジン音が鳴り響いていても、解説陣の言葉がきちんと聞こえてくる。ボリュームを大きくする必要もなく、性能の良さを満喫できた。フェラーリの久しぶりの快勝もあって、感動もひとしおだ。

 耐久性に関しては、まだ使い始めたばかりなので何ともいえない。しかしケーブルは太く、全体にがっちりした作りだから、華奢だとは思えない。
 ソニーやビクターではイヤーパッドが度々外れたり、紛失したりして困ったものだが、BOSEの場合はツメで引っかけるタイプなので、そう簡単には外れそうにない。

 BOSEの短所は、内蔵されている充電式リチウムイオン電池の再生時間が短いこと。2時間の充電で連続16時間ということになっている。
 これまでの低価格帯ノイズキャンセリングは、単4電池で機能し、かなり長時間連続使用が可能だった。16時間は通勤なら十分だが、海外旅行となると短いだろう。
 電池切れになっても、ノイズキャンセリング機能無しのヘッドフォンとして使えるが、やはり困る。これからの改良を望むとしたら、この点だろうか。

 こうして、私にとっては二つ目のBOSE製品との音楽生活が始まった。特にヘッドフォンは殆どの音楽鑑賞時間をサポートする重要な製品。じゅうぶんに機能を発揮してほしい。