ゲティスバーグからの退却2010/06/20 23:20

 Dunlop TVのインタビューにマイクが出演。素敵なたたずまいで話しているのだが、みごとにジョージ好き過ぎ病の症状が出ている。
 いくらでもTP&HBの話は出てくるのだが、南軍をゲティスバーグからバージニアに戻さなければならない。

 1863年7月3日、ピケットの突撃が終わり、南軍のリーは一連の北部侵攻策が、このゲティスバーグでもって終了であることを悟った。北軍93000に対して、南軍71000が激突したゲティスバーグ。結果は、北軍死傷者23000,南軍もほぼ同数。損失率は南軍の方が明らかに高く、さらに損失の補充は圧倒的に北軍が有利だ。
 7月3日の夜、リーは指揮官との会議を持った。意外にも士気はまだ高いままだった。しかし、リーは引き際を見極め、最低限の損失で兵を故郷バージニアに連れて帰らなければならない。
 翌日、7月4日。両軍はほぼ睨みあいに徹し、やがて雨が降り始めた。この雨は、南軍にとって不利だった。南軍はポトマック川を渡って退却しなければならない。リーは、落ち着いて兵をまとめ、夜には順々に退却を始めた。

 一方、北軍のミードは、慎重だった。セオリーとしては、勝っている方が負けて退却する相手を追って、徹底的に叩かなければならないし、勝っている方としてはその方が戦いやすい。しかし、ミードにはゲティスバーグで圧勝したという実感がなく(実際、圧勝ではなかった)、さらに北軍全体が持っている共通認識として守りに入った時のリーの凄まじい強さに対する恐怖があった。
 その頃、ワシントンのリンカーンは電信でゲティスバーグでの、一応の勝利を知らされた。「その頃」というのは、7月4日。アメリカ独立記念日である。しかも1863年独立記念日の場合、リンカーンには二つの戦勝の知らせがもたらされていた。西部戦線のそれはここではさて置き、とにかくリンカーン大統領はゲティスバーグでの勝利に喜んだ。
 さらにリンカーンは、この勝ちに乗じて、ミードがリーを追撃し、撃滅せしめることを期待した。リンカーンは、リーを取り逃がすことが、いかに危険なことか、完全に理解していた。
 ミードにもリーの恐ろしさは分かっていたし、その北軍全体の恐怖は、退却する南軍に対する攻勢に影響した。

 リーは敗軍とはいえ、南軍を順調に退却への道へ導いていた。この時ばかりは、ゲティスバーグに遅れたスチュアートの騎兵たちが偵察に、後方の防御に、小競り合いにと大活躍した。
 しかし、何もかもが順調とはいかない。最大の問題は、ポトマック川である。リンカーンも、退却する南軍をポトマック川渡河の前に捕捉することを期待している。川は、4日に降り始めた雨で増水しており、浅瀬を渡ることが困難だった。さらに、橋,浮橋なども北軍側の先行部隊に破壊されており、南軍はポトマック川で立ち往生した。

 7月13日、リーは覚悟を決めて、北軍を待ち受けた。
 ここで、珍妙なことが起きる。南軍は北軍の攻撃を「待っていた」のだが、北軍は塹壕を作り始めた。負けて退却する南軍を攻撃するのに、何もそこまでと思うのだが、実際北軍はせっせとその作業を始めた。その光景に、リーが逆にいらだってしまった。
 そうこうしているうちに、南軍工作部隊が、新たな舟橋を作り、渡河が可能になった。さらに、川の水かさが減り、所によっては浅瀬を渡れるようになったのだ。
 13日から14日にかけて、南軍はポトマック川を渡った。リーと、南軍は逃げおおせた。

 無論、南軍もゲティスバーグから無傷でバージニアに戻ったわけではないし、各所で起こった小競り合いでの損失も発生した。ゲティスバーグの戦いは北軍の勝利だった。しかし、完勝は逃した。そしてリーを逃した。
 南北戦争は開戦から2年経っていた。明らかに南軍の勢いは限界を迎えていた。ゲティスバーグは、戦争を急速に収束させるチャンスだった。しかし、ミードはリーとともにそれを逃した。
 リンカーンはその優れた頭脳で理解していた。リーを取り逃がしたことは、戦争を倍に引き伸ばしたこということを。
 同時に、ミードはゲティバーグの戦勝将軍でありながら、後世にそれに見合う名誉を得ることはなかった。

コメント

_ dema ― 2010/06/23 17:59

こんにちは
考えてみたら、リーがまともに敗北を喫したというのはこのゲティスバーグだけです。七日会戦でも、リーは失敗してるけど、マクレランの方が勝手に退却してしまったし。
ミードは正面からリーを破った唯一の将軍です。
でも、ミードは終始リアクションです。現実的判断力に蓮tれていても、意外性や創造性には欠けたのかもしれません。
ゲティスバーグから易々と撤退できたのは、やはりリーのネームバリュー。「死せる孔明」を思い出しますね。

_ NI ぶち ― 2010/06/23 23:48

>demaさん
 確かに、アンティータムもマクレランがやり損ねた感じがしますよね…。確かに、ゲティスバーグはリーと南軍の負けですが、そのあとの撤退戦を見たら、「おいおい、ミード。やる気あんのか?!」と、リンカーンと一緒に大突っ込みしちゃいましたよ。
 ミードは、それまでのヒゲおやじや、フッカーなどに比べれば「まともで普通」なのであって、確かにリーの敵ではなかったですね。逆にいえば、指揮官がそれほど卓抜していなくても、戦力さえ揃えば、戦争は勝てるし、何といっても政治面での優位性が物を言うのでしょう。もちろん、戦争がどれくらい長引くかというのは、別問題ですが…
 確かに、「死せる孔明」ですね!しかーし、ミードが仲達ってのはムリですけどね!(笑)ストーンウォール・ジャクソンは趙雲ってことにしましょう。げ、スチュアートまさかの馬謖…?!?!ぎゃー。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの制作者名最初のアルファベット半角大文字2文字は?

コメント:

トラックバック