必殺、上目づかい!2010/05/02 22:47

 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは新譜 [MOJO] の発表と、北米ツアーを控えて、情報の動きが活発になっている。先だっては [MOJO] のジャケットと曲目リストが公表された。私はいまだに、公式ページではジャケットが見られていない。私だけだろうか?
 お知恵を拝借して、ネットショップのカタログでジャケットを確認。うわさ通りの微妙さ。…いや、まずくはない。素材は良いのだが、どうもバランスが悪い。絵心の無い私にも、そのくらいは分かる。
 それでも、私にとってTP&HB関連ジャケット中で最悪なのは [Highway Companion] なので、あれよりは数段マシ。

 [MOJO] のジャケットに使われているTP&HBお揃い写真が、今年のメインイメージなのだろうか。この写真はなかなか格好良くて好きだ。いかにもCoolなロックバンドっぽい。さすが女優トムさん。本番に向けてのお手入れは順調なようで。その髪型は良いです。ひげもやっぱり、ちゃんと手入れしないとね。



 いや、トムさんはどうでもよろしい。マイクが!マイクが反則だ!その格好良さは反則ですよ!
 前から思っていたのだが、マイクの上目使いは天下無敵である。どうしてこういう顔するんだろう?惚れるじゃないか。上背があるくせに、上目使い。巧妙だ。
 私が最初に見たTP&HB映像は、"So you want to be a rock 'n' roll star" だったのだが、この時からして、マイクの上目使い攻撃がすごい!



 たぶん、視線の先には変な服を着た金髪にーちゃんが居ると思うのだが、この人に上目使い攻撃なんてしたって、何にもなるまい。
 そもそも、マイクはマッドクラッチのころから上目遣いだ。トムさんと最初に会った日の写真は、脚線美と上目使い。LAに出てからのマッドクラッチ写真もしかり。



 前の二人と後三人の次元が違う。トムさんのひげは大目に見てやる。
 やっぱり、ロックンローラーは見た目も重要。露出の増えるこれからに備えて、見た目磨きにも一層励んでください。あ、もちろん音楽もですよ。

ゲティスバーグの二日目2010/05/05 22:40

 ゲティスバーグの戦いと言っても、ゲティスバーグの町中で市街戦が展開されたわけではない。実際の戦場は、主に市街の南側だった。ゲティスバーグの戦い二日目、1863年7月2日の戦闘は、南軍のリーがロングストリートが北軍の西側を南下させて、南端から順々に攻撃を仕掛けることから始まった。
 始まったとは言っても、この南軍の攻撃はのっけからつまづいていた。リーは速攻を期して午前中には作戦実行に移りたかったが、発令そのものが昼近くであり、さらに万事慎重なロングストリートの性格を反映して、攻撃開始は午後四時ごろまでずれこんでいた。

 兵力の量で勝る北軍のミードにしてみれば、手堅い陣地を敷いてひたすら南軍の攻撃を跳ね返し続ければ、負けることはなかった。しかも南軍の攻撃開始が遅れていたのだから、防御態勢を取る北軍には準備をする時間がたっぷりあった。
 ところが、南北に長い北軍陣地の中で、南の方に位置するダニエル・シックルズの軍団がまるまる、前夜にハンコックの指示で固めてあったセメタリー・リッジからずっと前進して、南軍がやってくる街道までせり出していたのである。防御態勢を整えねばならない北軍にとって、この突出は明らかに「破れ目」となる弱点だった。
 ポトマック軍総司令官であるミード自ら、シックルズの元に駆けつけて命令不服従を責めるという体たらくだったが、何にせよ既に手遅れだった。ロングストリートは攻撃を開始し、おもにリトル・ラウンドトップ(小円丘)と呼ばれる丘を中心に大激戦となった。
 シックルズの独断行動の理由は、いくつか挙げられている。しかし、彼自身が招いた激戦の結果、シックルズは右足を吹っ飛ばされた。このため、彼は軍法会議にかけられることもなく、独断行動の理由ははっきりしないままだった。
 どうもこのシックルズという人物、戦前は娼婦同伴で州議会にやってきたり、妻を置き去りにしてその娼婦とイギリス旅行に行ったり、妻の浮気相手を堂々と射殺しておいて、社交界のコネを駆使し、マスコミを味方につけて無罪になるなど、女性の身としては好きになれないと言うことは、一応コメントしておく。

 とにかく、シックルズの独断のせいで北軍は思わぬ苦戦を強いられることになった。南軍ロングストリートの攻撃も、決して怒涛の如くではなかったのにも関わらずである。しかも南軍の北側から攻撃するユーエルの第二軍は攻撃のタイミングを計りかねていたし、そもそも南軍は全軍が勢ぞろいもしていなかった(第一軍ピケット師団と、スチュアートの騎兵隊が未着)。
 北軍の中央部で防御を担当していたハンコックはてんてこ舞いだった。シックルズ支援のために自軍を割いていたし、今度は南軍第三軍A.P. ヒル配下の師団が攻撃をしてくる。
 これを跳ね返すためにハンコックの指示で反撃に出た第一ミネソタ連隊は、死傷率82パーセントというべらぼうな壊滅状態だった。それでも、この犠牲は無駄にならず、北軍は持ちこたえた。のちの「ピケット・チャージ」と比較してみると、同じ壊滅状態でも、最終的に勝つか負けるかで、印象がだいぶ変わる。
 
 北側で攻撃のタイミングを計っていたユーエルも日没近くに攻撃を開始したが、結局北軍の防御戦線を打ち破るまでには至らなかった。ミードは、攻撃される箇所が発生するたびにそこへ兵力を移動させるという、対処戦略を展開したに過ぎないが、兵力に勝る方が防御に徹するとすれば、これが最善だったのだろう。
 とにかく、両軍ともに膨大な死傷者を出した。南軍は全力で攻めたし、シックルズの「破れ目」というチャンスもあった。しかし、北軍は守り切った。

一行の賦2010/05/07 23:57

 昨日、伶楽舎の雅楽コンサートに行った。会場は、新宿区の四谷区民ホール。
 今回は、「芝祐靖作品演奏会」ということで、芝先生の作品を特集した。

 芝祐靖先生は無論プロの音楽家なのだが、私の音大時代、実際に雅楽を習っていた先生なので、呼び捨てにはできない。
 芝先生と、雅楽の時間は私の楽しい学生時代にとって、非常に重要なファクターになっている。先生はいつも、学生よりも先に教室(和室)に行って準備を整え、学生たちを笑顔で「いらっしゃーい!」と迎えてくださった。雅楽の授業は初級・中級・上級があって、上に行くにしたがって当然人数は減り、仲間意識が強くなった。大学の講義というよりは、楽しい友達の集まりが、素晴らしい先生の教えを楽しく受けているという、和気藹藹の風景だった。
 音大の学生なので、無論それまでクラシック音楽をやってきた人ばかりなのだが、やはり音楽であり、器楽であり、一部声楽には違いなく、しかも若いとあって学生たちの飲み込みはかなり早かった。これは私が社会人になってから気づいたことである。学生時代はそれが普通だったので、分かっていなかった。
 芝先生は、学生たちをとてもかわいがってくださり、飲み会,食事会の類も気さくに参加しておおいに盛り上がった。ある年の新入生歓迎会では、「えー、非常勤講師の芝です…」と自己紹介して、慌てた教授が「客員教授ですッ!」と訂正していた。

 そもそも、芝先生の家系は、20代続く奈良の楽師の家系である。先生曰く、「祖父が明治政府に引っ張られて、東京に来た」そうだ。
 芝先生も祖父,父上と同じく、宮内庁楽部の楽人(主に龍笛)として活動していたが、1984年に宮内庁を退官し、現代雅楽の作曲,廃絶曲の復曲,敦煌琵琶譜の再興,そして無論古典雅楽の演奏、さらに雅楽演奏団体,伶楽舎を創設し、音楽監督を務めるなどして、活躍している。複数の大学でも教鞭をとった。
 今回の演奏会は、40年以上に渡る芝先生の創作活動の中から、選りすぐりの曲目で構成された。



 まず、芝先生おひとりの演奏で、龍笛独奏曲「一行の賦」。龍笛の音色を堪能できる。この曲は、映画「陰陽師」でも博雅三位が演奏する曲として使用されたそうだ。(この映画はテレビ放映された時に見ようとしたのだが、始まりから10分くらいでギブアップしてしまった。およそ私とは合わない世界だった…)
 三曲目の管弦(舞や歌を伴わない合奏形式),「舞風神(まいふうじん)」が、今回の中では一番良かった。やはり私は古典に即した作品が好きなのだ。難しいだろうが、ちょっと私も吹いてみたいと思わせる。古典形式だが、三管(笙,篳篥,龍笛)を三つのグループに分けて、演奏させる趣向が面白い。
 後半は、武満徹の「秋庭賀一具」に触発されて作ったという、「招杜羅紫苑(しょうとらしおん)」。7曲から成る組曲である。これは現代雅楽というべきもので、古典雅楽よりも冒険が多く、また面白かった。舞台裏に影篳篥を配置して、舞台上との掛け合いをする演奏が良い。

 会場の入りも上々で、芝先生に向けられたカーテンコールの拍手も、熱気のこもったものだった。去年夏の紀尾井ホールよりも、今回の方が良かったというのが、正直なところ。
 楽屋では、先生にご挨拶しそこなってしまった。今後も、さらなる芝先生の活躍を願っている。

 以下は蛇足。
 雅楽の演奏会となると、睡魔に襲われて撃沈する客がかなりたくさん居る。見慣れた風景なのだが、昨日は凄かった。
 私のすぐ左隣のお姉さん。なんと一曲目が始まって何分もしないうちに、「フガッ…」などと音を立て始めた。いやいやいや、早すぎるでしょう。せめて10分は持ちこたえてください。でも、お姉さんは上向きに口をあけて、時折「フゴッ…」とか、「フガッ…」とやっている。
 さらに、そのお姉さんの向こうの人。この人は王道通りに腕を組み、俯いて静かに寝入っていたのだが、突然、物すごい勢いで身を震わせガバッ!!と跳ね起きた。私も驚いたが、隣の「フゴ姉さん」も飛び起きた。
 私はあまりにも可笑しくてツボにはまってしまい、舞台をみつつも、ニヤニヤ笑いがとまらなかった。前の方の席だったので、気をつけないといけない。あとで楽屋で、「目の前でニヤニヤするな!」と苦情を言われてしまう。

Iko Iko2010/05/09 22:37

 4月29日に記事にした、映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」があまりにも好きなので、なかなか手に入りにくいサントラも購入した。
 いろいろ素敵なのだが、ここで取り上げるのは、ザ・ベル・スターズの "Iko Iko"。「いこ、いこ」ではなく、「アイコ・アイコ」。使われた映画のシーンも良くて、かなり気に入った一曲。ザ・ベル・スターズは80年代に活躍したUKの女性ロックバンド。



 どうやらこの曲、映画「レインマン」のサントラとして使われたらしい。ビデオに映画のシーンが入っているのはそのせい。私も大昔に「レインマン」を見ははずだが、この曲のことはまっったく覚えていない。

 "Iko Iko" のオリジナルは、ジェイムズ・”シュガー・ボーイ”・クロフォードの、"Jock-A-Mo"。
 歌詞は、「ニューオーリンズのマルディグラ・インディアンを題材にしたもの」ということになっているが、「マルディグラ・インディアン」というのは、いわゆるネイティブ・アメリカンのことではない。ニューオーリンズのカーニバルで、ネイティブ・アメリカン風の華やかな衣装を身につけてパレードをする、主にアフロ・アメリカンのこと。



 いかにもディキシーランドっぽい、ジャジー&ブルージーな格好良い演奏。確かに、これはカバーしたくなる。
 この曲を有名にしたのは、1965年のザ・ディキシー・カップスのカバーバージョンで、この時にタイトルが "Iko Iko" となった。
 埋め込みコードがないので、こちらでリンク。オリジナルよりも、土臭さがあって、これまた格好良い。

 さらに、1975年ドクター・ジョンがカバー。クロフォードのオリジナルに近いのだが、さらにブルージーに、引きずるようなドクター節が炸裂している。



 この映像、何だろう…?リンゴ・スター&オールスター・バンドかな?ジム・ケルトナーに、リヴォン・ヘルム、ジョー・ウォルシュ、リック・ダンコ、ビリー・プレストン…ガース・ハドソンも居る?
 ドクターの格好が凄まじいが、あれって要するに「マルディグラ・インディアン」のつもりなのだろうか。

 いずれの演奏も素晴らしいのだが、第一印象の刷り込みというのは恐ろしい。私にとっては、ザ・ベル・スターズが一番良くて、それも映画としては「レインマン」がまったく思い浮かばず、つねに「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」と一緒にイメージされている。

Will you stick with me?2010/05/14 23:53

 最新のインタビューによると、マイクがおうちで飼っているミニブタは、目下4匹とのこと。犬(複数)、猫(複数)、そしてミニブタ(定義は体重100キロ以下)…あと、Chinese chickensと書いてあるだが、ググってみても調理済みのブツばかり出てくる。要するに中国系ニワトリ?コーチンとか?
 ぜひともトムさんには、何かの用でマイクの家に行ったら、犬猫豚鶏に追われ、噛みつかれ、踏んづけられてほしい。

 5月12日付で、Cool Dry Place に「カントム」の翻訳をアップした。今回は、life の第二章。マッドクラッチがLAにやってきて、レコード契約をするところから。そしてデニー・コーデルがマッドクラッチをかっさらう。でもバンドは行き詰まり、トムが抜けて解散。そしていよいよTP&HBが結成されるまで。
 第一章に続いて、やや長い章だった。

 冒頭に出てくるピート・ウェルディングという人物は、ジャズなどのライナー・ノーツによく名前が出てくるそうだ。ジャズやブルースの周知活動(?)に功績を残したとのこと。1995年に亡くなっている。トムはその後、彼に会えたのかどうか、「カントム」には書いていない。
 デニー・コーデルの存在は、実に鮮烈に語られている。
 要するに、トムもほかの連中も、コーデルが好きになっちゃったんだな。
 しかも面倒看が良くて、教育熱心。無論、マッドクラッチに育て甲斐があると見たのだろうが、とにかくすぐに大金を稼ぐことよりも、長い時間をかけて、辛抱強く教育するその見識には恐れ入る。そんな物だからなおさら、後にシェルターの売却騒動の事がTP&HBにはショックだったのだろうか。 
 シェルターの指示で、おのぼりさんたちは居を定めるのだが、地名に関してはLAの地理に疎いのでピンとこない。ネット地図で地名をひとつひとつ確認すると、なるほどハリウッドの真中からちょっと離れていることが良くわかる。
 この時期について、「カントム」にはないが、 [Runnin' down a dream (book)] に記載されている、ベンモントのエピソードが好きだ。お坊ちゃま学校から、大学に進んだため、ジーンズを持っていなかったベンモント。彼以外の誰もガス・ストーブを使ったことがないという事を危惧して(家が金持ちかどうかではなく、ベンモントだけがストーブの必要な地域の学校に通っていた)、ぜったいに扱うなと頑張る末っ子ベンンモント…。

 レオン・ラッセルとトムの関係は、私にとって一つの謎だ。いったい、レオンはトムをどう使うつもりだったのだろうか。結局は実を結ばなかったので何とも言えないが、ウィルベリーズみたいなソングライティング風景もなさそうだし、トムをプレイヤーとして使った形跡も無し。なんとなく話を読んでいても、トムとレオンの交流が像を結ばない。
 むしろ、レオンのスタジオに居たジョージやリンゴの方が実体がある。とくにジョージは、Tシャツをプレゼントしてくれている。もっとも、ジョージはその頃のトムさんのことを覚えていたとは思えないが。

 登場人物で鮮烈と言えば、やはりスタンだろう。トムはスタンについて、いろいろな言葉を使って、懸命に説明しようとしているが、どれも説明不足のような印象がぬぐえず、語っているトム自身のもどかしさが伝わってくる。つまり、「スタンの印象だけで本が一冊書ける」という表現が、一番的確なのではないだろうか。
 とにかく、スタンは一見いかにもアメリカのハンサム・ガイっぽいけど、その内面はかなり複雑らしい。それを思うと、実は20年もの長い時間、一緒によくやっていたという方ではないだろうか。

 新しいバンド名をつけるところで登場するのが、有名な「キング・ビーズ」。ベンモントが絶対拒否。そんな名前になったら、パパに顔向けできない!
 「トム・ぺティ&ザ・ハートブレイカーズ」というネーミングに対する、ロジャー・マッグインの見解には驚いてしまった。ザ・バーズも「ロジャー・マッグイン&ザ・バーズ」にすれば良かった…?そうなのだろうか。あのメンバー交代の激しさを思うとそうかも知れないし、いやしかし、「ザ・バーズ」でしか認識してこなかった身には、何かどこかが奇妙な印象。さすがにトムも、「ザ・バーズだって、十分クールだ」と言うだろう。

 今回の英語に関しては、"Stan. Now there's a book in itself." のところで、ウンウン苦しんでしまった。結局英会話の先生に確認したのだが(音楽関係の英語を確認する人がだいたい決まっている)、解説してもらうと、何だ、どうして気付かなかったのだろうと思うのだから、不思議だ。
 トムがマッドクラッチをやめた時。マイクに何と言ったのか? [Runnin' down a dream (映画)」では、"You got stay with me." これは分かりやすい。後半はフェイセズの歌と同じ表現で、「お前は俺と一緒に居てくれるよな。」と訳した。勝手に決め付ける断言口調。いかにも初めて会ったその日に、マイクをバンドの一員と決め付けてしまったトムさんらしい。
 一方、[Runnin' down a dream] の本となると、"You won't leave me though, right? We're going to stick together, right?" こちらは多少、確認口調だろうか。やや直訳気味だが、「お前は俺から離れないよな?俺らは一緒にやり続けるだろう?」懇願ニュアンスもある。
 では「カントム」ではどうかと言うと、"If I quit, will you stick with me?" 簡潔なので、かいつまんで言えばこう、という感じ。「俺がバンドをやめたらお前、俺と一緒に来てくれるか?」 "stick" がうまく訳せていないような気がしてきた。これだと駆け落ちのお誘いっぽい。
 どちらにせよ、これらに対するマイクの答えは、ごく簡単だったようで、"Yeah." しか伝わっていない。うん。

I Should Have Known It2010/05/17 22:47

 いよいよ、TP&HBの新譜 [MOJO] の発売が、来月6月15日に迫ってきている。
 バンドの活動も活発になってきた。全米ツアーが発表され、一部キャンセルされて、オーダーしなおして冷や汗をかかせ。一曲聞かせて("Good Enough")びっくり仰天、二曲目 "First Flash of Freedom" で落ち着きつつも、かなり変わったサウンドになりそうだと思わせて…いよいよ、映像情報が届き始めた。
 オフィシャル・ビデオとしての "I Should Have Known It" ― この曲にはかなり強く心をつかまれた。私は単純に、格好良いリフがクールにキメてくれるブルース調の曲が好きなのだ。トムが声を張っているところも好感。



 何といっても、エンディングでギアチェンジをしてテンポを上げるところが最高。これまでのTP&HBではそれほど頻繁に用いられた手法ではないが、実に自然なバンド・ワークで突っ込んでいく感じが素晴らしい。これはぜひとも、ライブで聴いてみたい。
 この格好良さは、やはりマイクとトムの共作であることに理由があるのではないかと、私は推測している。けっこうピアノも作曲に使うトムに対して、マイクはギター・リフからの作曲に特化しているのではないかと思っているのだが…。
 もちろん、スライドを含むマイクのギター・ソロの格好良さはいつもの通り。それから、そのマイクと背中がぴったりくっついているのではないかとさえ思わせる、ベンモントの連打がニヤリとさせる。

 大事な大事な、ビジュアルチェーック!大事なのだ。もの凄く大事なのだ!ルックスも兼ね備えたロックバンドとしては、ここで気を抜いてはいけない。その意味でも、無論15日に出演した、SNLも確認済みである。
 まず、ベンモントはいつも成績優秀なので、特にコメントすることもない。SNLでは中折れ帽でキメていたが、何をどうしようが、彼は美形なので、特になし。
 マイク。もうドレッドにも慣れてきた。…ブラッシングしなかったからって、ドレッドになるわけないでしょッ?!日本人は髪にうるさいのだよ!とにかく、ドレッドは取れかかりが格好良いので、ツアーの時に良い塩梅になってほしい。ひげは剃ったようだが…ちゃんと染めていれば伸ばしても良いけど、そうしないのなら、やっぱり剃った方が良いな。サングラスは、ステージは外してね。マイクの笑顔が好きなんだ。

 さて、最重要にして、最大の問題。トム・ペティ御大は?!
 今回の髪型は、近年まれに見る傑作だと思っているのは私だけだろうか?私にとってベスト容姿トムさんは、"Waiting" とか、ウィルベリーズ期なのだが、今回の髪型は、前者,80年代前半のそれに近い。襟足にむかって曲線でまとめる感じ。いいな、私もあれにしようかな。前髪のかかり具合も良い感じ![Highway Companion] の時は、前髪を厚くし過ぎたのかもしれない。断っておくが、トムさんの前髪の有無を議論する際、これは生え際の問題ではなく、頭骸骨の問題であることを忘れてはならない。
 体型は…SLNを見る限りは、特に問題なしと思うのだが。着やせするタイプ?
 着る物で思ったのだが、黒を基調に柄シャツを着る傾向は、少々注意を要する。つまり、下手をするとトムさんとマイクが「おそろ」になる恐れがある。いや、べつに「おそろ」になっても構わないのだが。ネタとしては。
 ひげ。…私は別にひげでも構わない。手入れさえしていれば。剃るとお肌のトラブルを目立たせるのかもしれないし。そこはお任せする。ただ、ひげの分だけ顔は膨張するので、気をつけること。
 サングラスの形は好き。トムが若いころから思うのだが、こういう大きくてマッカーサーみたいなシェイプ(あれって、何と言うのだろうか)の方が似合う。どうも憧れでロジャー・マッグインとか、ジョン・レノンのタイプも好んで着用するのだが、似合わない。
 ともあれ、今回のルックス作戦はかなり良い!さすが女優!ばっちり本番に合わせてきた!

 あとは、ステージでどう振舞うかだが。SNLで手ぶらの時は、変な踊りのような、モジモジのような、手持無沙汰のような、忘れ物をしたような…中途半端で変。マラカス投げちゃうし。だったら最初からタンパリンを持っていれば良いでしょう。「ジーン・クラークみたいだよ!」などとおだてれば、そうするだろうか。
 「手ぶらトムさん」を見ていたら、ミック・ジャガーの偉大さを思い知ってしまった。

Del, I love you.2010/05/22 23:31

 Cool Dry Place にまた「カントム」をアップしようとしているのだが、長くなったのでページを分けようとしたらえらく大変な作業になってしまった。もともとPCに弱いのだから、致し方がない。
 今回アップしようとしている箇所には、トム・ペティのセリフの中でも、特に私が気に入っているものの一つ、「デル、愛してる。ハウイはいただくよ。」が含まれている。
 そこで、デル・シャノンの映像など眺めてみる。

 60年代の映像は置いておくとして、まずは1978年。TP&HBのライブ映像から。ゲストにフィル・セイモアとデル・シャノンが登場するのだが、フィル・セイモアはほぼ居ないのと同じ。



 比べては気の毒だが、ウィルベリーズのカバーに耳が慣れていると、このオリジナル,デル・シャノンの迫力に圧倒されてしまう。特にあのファルセットは稀有のものだろう。ファルセットなのに、ものすごく厚みがあって、凄まじくパワフル。いかにも貫禄充分の、格好良いロックスターで、大ファンになってしまう気持ちは良く分かる。
 あの有名なキーボードのソロパートは、ベンモントが張り切ってくれている。いいぞ、ベンモント!
 それにしても、この1978年という時期は、興味深い。TP&HBにしても [Damn the Torpedoes] のブレイク前ではないだろうか?その駆け出し時期には、すでに共演している。もう知り合っていたのか、それともこの時期がきっかけだったのか。そのあたりの経緯は、「カントム」では語られていない。

 続いて、デル・シャノンの衝撃的な死後に作られた短いドキュメンタリー [ Side Story ] 。家族や、マネージャー、そしてデルを尊敬するアーチストとして、トムとボニー・レイットが登場する。



 不謹慎だが、この映像に登場するトムさんは格好良い。帽子が良い雰囲気を作っている。
 最後に、デルがウィルベリーズも加わっていたかもしれないとの示唆があるが、この点についてはトムが「カントム」で明確に否定している…が、それほど「否定」が知られていないのは、どうしたわけか。相変わらず「幻のVol.2」の話題はそこかしこで目にする。結局、そういう話の方がロマンチックで良いということだろうか。

マイケル,ハワード,ベンジャミン2010/05/24 23:41

[ 追記 ]
 タイトルを訂正しました。アップして、ベッドに入ってからどうもおかしいなと考えていたら、「そうだ、ハワードだ…」と気付きました。ふふふ。

 5月23日付けで、「カントム」をCool Dry Placeにアップした。

 まず、冒頭でレコード会社との契約問題が出てくる。私が「カントム」を順番通りに翻訳していないため、前章から続いているであろう、契約をめぐる裁判沙汰の流れが、よく分からない。今回の [Hard Promises] 時期の冒頭まで、最終的な解決策は完結しなかったということだろうか。
 アルバムの価格をめぐる戦いの中で、ミック・ジャガーが登場したのが興味深かった。トムは後になって知ったのだろうが、天にも昇るほど嬉しかったのではないだろうか。

 ストーンズついでだが、章の最後で、ビートルズの話題になる。一番印象的だったのは、「彼らは周囲に惑わされず」というところ。そういえば、言われてみればそうかも知れない。私たちファンは、ビートルズはビートルズなのだから、あのようなぶれも迷いもない、自由で大胆な創作活動ができて当たり前だと思ってしまうが、実はものすごい事なのだ。
 ビートルズの音楽は良く売れ、会社を潤すわけで、それは経済活動上の利益にほかならない。そうなれば当然、会社の意向が働き、アーチストへの指示もあって当然だ。こう言った時に発生する、アーチストと会社(もしくは権力者)との軋轢は、べつに今に始まったことではなく、音楽が職業として成り立った時から、連綿と受け継がれている。
 それを思うと、ビートルズの凄みは、トムが言うように、どう横槍が入ろうと、自分たちの意志を押し通した創作活動を続けたところにある。この点に関しては、ジョージ・マーティンの存在も大きいのかもしれない。彼のプロデューサーとしての腕前もさることながら、彼はEMIからレーベル一つを任された「社長」でもあった。彼と、間違いなくヒットを生み出す小僧4人が組んでしまえば、会社もそうそう強いことを言えそうにない。こうして比較的幸せな時期を過ごし(無論、何もなかったわけではなかろうが)、そして、メンバーの中に、その自由な創作活動の不具合を感じた者が出た時点で、ビートルズが終わるのは必然なのだろう。
 ストーンズも基本的にビートルズと同種のバンドであって、学ぶべきものをきちんと学びとっていたクレバーさも、トムは示唆している。私はストーンズのそういう所も好きだし、ビートルズでは実現できなかったことを、やってのけるストーンズや、TP&HBも、ビートルズと同様に偉大なのだと思う。

 慢性的な扁桃炎を、「メンタルの問題だ」と言われ、頑張って直そうとする健気なトムさん。あの頃の可愛いルックスも相まって、愛おしさ百倍…(RDAD bookでもっとも衝撃的なトムさんのセクシーショットって、この時期?)
 そして登場、妖精(だった)スティーヴィー・ニックス。口を極めて大絶賛。でも、絶対にハートブレイカーズ入りする人ではない。
 一方、運命としてハートブレイカーズ入りするハウイ。いかにハウイが完璧なハートブレイカーだったか、おおいに語るのだが、今となっては恋しければ恋しいほど、同じ質量で悲しい。ライブ音源などで、耳がハウイのハーモニーを追っていることに、ふと気づいたりする。
 悲しいと言えば、デル・シャノンの死。それを知った時の情景が、すごく鮮やかで、物悲しい。マイクが来て、そのことを伝えるあのシーン、たぶんトムの中でも、まるで映画の一場面かなにかのように、痛いほど鮮明に焼き付けられているのだろう。

 トムの語り口を追うと、トムが自分自身を、あくまでも「ハートブレイカー」だと認識しているところが、うっすら嬉しかったりする。そのハートブレイカーズ、自分の領分でもほかの人が上手く演奏すれば、それを喜んで採用する…と、言っているが、それは大人なマイクとベンモントだからではないのか?
 どうでも良いが、突然、「マイケル」とか言われると、ドッキリする。「ベン」とかは普通だけど、突然「ベンジャミン」とか言ったら、喧嘩でもしたのかと疑いそう。
 そのベンジャミンだが、常に何らかの意見を言う、「一言居士」であるところが面白かった。道理で、ディラン様にも色々言うわけだ。
 私の記憶だと、この「カントム」には、スタンとは意見が衝突し、ハウイは中立を保ち、ベンモントは何らかの意見を持っている…と書いてあるが、マイクに関してこの手の記述がなかったと思う。実際、どうなんだろう…?マイクはトムと完全一致なのか、それともマイクの意見にだけは屈せざるを得ないので、悔しいからトムが何も言わないのか…?

 Potに関するところは、なんだか痒いような、直截さが無いような…ようするに、「悪いことだけど、やってました。でも、良くないから真似しないでね!」という虫の良い話なのだろう。ええ、真似しませんとも!

ピケッツ・チャージ2010/05/28 23:49

 ゲティスバーグの一日目は、南北両軍とも衝突が始まり、一気に押しきれたであろう南軍がそれをやり切らずに終了。
 ゲティスバーグの二日目は、南軍の攻撃がやや遅く、チャンスはあったが活かし切れず、北軍が守って終了。
 ゲティスバーグの三日目は、戦力がそろったところで、南軍が最後の攻撃を仕掛ける ― 大まかにいえばそういう流れだろうか。

 とにかくゲティスバーグは南北戦争最大の、派手な戦闘であり、ここを境にして南軍が一気に劣勢へと立たされた(ように見える)ため、熱心に研究され、文献も多く、Wikipediaなどにも実に詳細な記事が載っている。これらを読んでいると大まかな流れが分からなくなりかねないので、南北戦争ビギナーとしては、極力視点を引いて見ている。
 その中でも三日目は、やはり「ピケットの突撃(Pickett's Charge)」が象徴的で、分かりやすい場面だ。

 ゲティスバーグの二日目は、南軍が北軍陣地の左右両翼から攻撃をしかけたものの成果が上がらなかった。その日 ― 1863年7月2日の夜には、南軍のいずれの部隊も二日間の戦闘で疲労し切っていたが、ロングストリートの第一軍旗下,ジョージ・ピケット少将の師団が、新たに到着していた。
 この、まだ元気でフレッシュなピケットの師団を戦闘に、北軍陣地の中央を突破しようというのが、リーが立てた三日目の作戦である。ピケット師団の直接の上司であるロングストリートは、かなり強硬に反対した。彼にはこの攻撃に勝機を見出すことができなかったのである。かと言ってロングストリートが、他に具体的に勝てる何かの案を持っていたのかと言うと、そうでもなさそうだ。
 私が参考にしている書籍「南北戦争 49の作戦図で読む詳細戦記」の記述では、「ピケットは計画を聞いてかなり乗り気になっていた。」とある。
 結局 ― そして無論,最高指揮官であるリーの作戦は、翌7月3日、実行に移された。
 すなわち、ピケット師団を先頭にして、北軍中央への集中突撃が行われたのだ。ピケット師団のほかにも師団はあったし、総じて言えばロングストリート指揮下の数師団がこの突撃を行ったのだが、主力であり、先頭を切ったピケットの名を取って「ピケットの突撃」と呼ばれている。

 しかし、ロングストリートは乗り気ではない。ここからして、すでに幸先悪い。負けを予感するロングストリートに同情を覚える一方で、いったん突撃が決定となって、それが実行の段階になったら躊躇するべきでもない。ロングストリートの評価の難しさは、この辺りにあるのだろう。
 とにかく、突撃を補佐するために重要な要素である、集中砲撃はいくらか中途半端だった(それでも、旧来の戦闘に比べてると凄まじい砲撃だったが)。
 ピケット師団は、ルイス・アーミステッド准将が先頭に立って突撃を行い、一時は北軍の防御線を突破した。そこが、「南軍の最高到達点 The high-water mark of the Confederacy」と言われている。しかし、針の一突きが「突破した」だけで、さらに進むことはできず、むしろここが「限界地点」だったと言うべきだろう。
 北軍は防御陣地を立て直し、前日に続いてハンコックの軍団を中心になって、南軍を防いだ。アーミステッド准将はこの突撃で致命傷を負い、間もなく死亡した。
 「ピケットの突撃」に参加した南軍兵士はあわせて12000人。死傷者はその半数にも昇り、特にピケット師団の実に8割以上は無事では済まなかった。

 南軍の中央突破作戦は失敗に終わった。半減となった兵士たちが戻ってくるのを、リーは自ら出迎えた。彼は作戦の失敗と、このゲティスバーグでの敗戦を痛いほど味わっただろう。
 ピケット自身は生きて帰還したが、その師団の壊滅的な被害とともに、彼の心理状況も粉砕されていた。彼は突撃を命じたリーを許さず、その感情を表す言葉も、実際に発している。果たしてこれが、当初は「乗り気だった」軍司令官のあるべき姿だろうか。一方で、それほどまでにこの作戦の結果の悲惨さは、凄まじかったとも言える。

 ところで、この日の戦闘はピケットの突撃が行われた、中央部だけではなかった。7月3日の早朝、南軍ユーエルに対していた北軍の右翼が攻撃を仕掛け、南軍を押し戻していた。
 一方、南軍本体への合流が著しく遅れていたスチュアートの騎兵も、7日2日の夜には到着しており(スチュアートを愛していたリーも、さすがにこの時ばかりは、騎兵隊長への不満を露わにした)、翌3日は北軍の背後の撹乱を意図していたが、逆に北軍騎兵に妨害され、ピケットの突撃を助けることにはならなかった。

天使を見たかい2010/05/30 00:44

 ピアノの話。シューマンの後、またバッハを弾こうと思っていた。私はすぐにバッハに逃げる。べつに得意というわけではなく、多少の安心感があるのだ。ところが、なぜか謎のの克己心が沸き起こり、ショパンを弾くことになった。
 ショパンはこれまでにワルツ,即興曲,スケルツォ,エチュードを弾いているので、今回はノクターンに挑戦。まず、「遺作」で通っている cis moll(嬰ハ短調)。映画「戦場のピアニスト」で有名になったし、バンクーバー・オリンピックのフィギュア・スケートでも複数の選手が使っていた、超メジャー曲である。
 幸いにして、ショパンにしては技術的にはそれほど難しくなく、曲の長さも短いので、私としては助かる。無論、ショパン特有の臨時記号の多さと、独特の左手の動きには苦労するが。

 以前、NHKでシプリアン・カツァリス(1951~ フランス)の公開レッスン番組が放映されたことがある。この番組はショパンの特集だったので、この「遺作」のノクターンも取り上げられ、当時発売されたカツァリスのコメントつきの楽譜がある。
 ある個所に、こう書いてある。「天使が舞い降りてくるように」



 天使が舞い降りてくるように…?

 私は天使を見たことがない。
 ましてや、それが舞い降りてくるところなど、見るはずがない。画家のクールベが、「天使を描いてほしかったら、天使を連れて来い」と言ったエピソードがあったような気がする。
 せいぜい「木の葉が舞い散るように」くらいだったら、何となくわかるのだが。世間一般的には、天使が舞い降りる様というのは、さほど珍しくない光景なのだろうか。

 それとも、私が非クリスチャンの、日本人であるせいだろうか。そういえば、能「羽衣」のラストシーンだって、「天つ御空の 霞に紛れて 失せにけり」などと言いつつも、当の天女はスベスベと橋掛を歩いて、引っこむだけである。
 ある人が、「パトラッシュが死んじゃうところに出てくる、天使だよ!」と言うのだが、あいにく私は「パトラッシュが死んじゃうところ」とやらも見たことがない。困ったものだ。

 コメントしたカツァリス当人の演奏で確認してみる。1分14秒から始まる個所が、カツァリスが言うところの「天使が舞い降りる」ところ。



 ブレーキの具合が良くない自転車が坂をころげおちる様に聞こえなくもないが、とにかくこれが「天使が舞い降りる」というやつということで、参考にしよう。