五線譜絶対音感2009/05/11 22:02

 私は絶対音感などと言うものに関しては、どうでも良いと思っている。

 究極的に言えば、絶対音感とは聴いた全ての音の振動を何ヘルツ(hz)かを言い当てられる能力のこと。
 よくマスコミに登場する絶対音感の持ち主は、ある音(電車の発車ベルとか?)を聴いて、「レのシャープ」などと答える。これは便宜的に西洋音楽の12音階(イタリア語で言うドレミファソラシ,さらに、それを平均律に調律した場合)にあてはめただけであり、音の世界はもっと微妙なものだ。
 たとえば、雅楽の龍笛で夕(しゃく)の音を吹いて聞かせ、「絶対音感の持ち主」は「ラ」と言い当てるのだが、実はこの音は「12音階のラに近い」だけであって、振動数にすると438~443hzぐらいで、笛の個体差,演奏者のくせ,その日の天候,所属する団体の方針によって異なる。さらに一音鳴らす間にも上下する。この「ぶれ」があるからこその龍笛の音であり、「ぶれ」を排除すると、電子音と変わらなくなってしまう。

 では、西洋音楽で言う12音階(の平均律。平均律に関して説明しようとすると、高度な数学問題で無理。簡単に言えば、一般的なピアノの調律方法のこと)に限定した絶対音感の場合はどうか。  これには利点がある。耳にした音楽の調を瞬時に判断できるからだ。調とは、どの音を主音(キー)にした音楽かという事で、絶対音感の持ち主は、24種類の調を聞き分ける事ができる。さらに、音が溶け合ってしまいがちな、和音も的確に把握できる。
 モーツァルトが絶対音感の持ち主だったことを語るエピソードとして、「二度聴いただけの複雑な宗教音楽を譜面に写した」というものがあるが、彼の絶対音感が作用したのは、調と和音を正確に把握したところであり、膨大なメロディとリズムのデータ認識したのは、記憶力のなせる技である。

 とにかく、絶対音感というのは音一つの高さ(振動数)の把握能力であって、音楽的に優れた才能とは、あまり関係がない。絶対音感を持っている人でも、もし音と音の幅の認識が甘いと、その人は音痴ということになる。
 ピアニストには音痴が多い。これは絶対音感とは別次元の問題だ。
 歌や、管楽器、弦楽器の奏者は、呼吸や、フレットの位置を調整して正しい音の高さを出す事を要求される。これは絶対音感と言うより、先に述べた「音と音の幅」を正しく認識する能力 ― つまり、音痴の反対であることが大事なのだ。
 一方ピアノの場合、ひとつのキーに一つの音が割り当てられ、その調整は調律師の仕事である。だから、ピアニストは自分が弾いている音が半音以下の幅で合っているか否かには、ほとんど無頓着なのだ。

 私自身に関して言うと、絶対音感は持っていない。教えてもらわなければ曲の調は分からないし、子供の頃から聴音(聞いた音を譜面に書き取ること) ― 特に和声聴音の成績は最悪だった。その上、ピアノ弾きという事情も手伝って音痴ときている。
 ところが先日、私が「五線譜に対してのみ絶対音感」であることが判明した。

 アイリッシュ音楽のティン・ホイッスルを習っているが、今まではずっとD管を吹いていた。先日、これより完全4度低いA管を吹くことになった。そこで先生から渡されたのが、「A管用の楽譜」。

 「A管を手に持ちながら、D管を持っているつもりになって、譜面を読み、吹け」と言うのである。この時点で、まず私は混乱してしまった。

 つまり、譜面にE(ミ)と書いてあったら、D管を持っていたときにEが出た指使い(指5本塞ぐ)をする、というのである。しかし、実際に吹いているのはA管なので、H(シ)が出る。実際に鳴る音が、譜面に書いてある音より、完全4度低いのである。
 これが、私には気持ち悪くてたまらない。確かに、譜面と指使いの関係は従来慣れていたD管と同じなのだから楽なのだが、実際の音の高さを感じる脳が、譜面と指を受け入れないのである。
 先生によると、これは私がピアノに慣れ過ぎた「五線譜絶対音感」の持ち主だからだそうだ。

 移調楽器が多い管楽器奏者の場合、最初から「五線譜+指使い」と、「実音の絶対音程」が違っていても、慣れで弾きこなせるらしい。つまり、音楽が譜面に縛られず、自由自在にキーを変えることができるのである。この調性世界は、ギターを中心としたポピュラー・ミュージックの人にとっては常識だ。
 一方、私は五線譜上の音程が、実音の絶対音に縛られており、移調楽器の指使いも、実音の絶対音程にしか対応できない。音だけ聞いて譜面に取る場合も、絶対音程でしか記譜できず、ティン・ホイッスルに合わせてすべてを、「Dをキーにして移調」という行為が、どうしてもできないのだ。
 いうなれば、五線譜上の絶対音感を持っていることになる。

 実に悲しむべきことだが、この「五線譜絶対音感」は、応用のきかない貧弱な能力としか思えない。私は、音楽が好きな割にその能力が低い。要するに、落ち込んでいるというわけ。

 真に音楽的才能の豊かな人と言うのは、演奏中に自由自在にキーを変えたり(ディラン)、それにあわせて咄嗟に音楽的冒険を楽しんだり(TP&HB)、独自のユニークなチューニングでギターを弾きこなしたり(ジョニ・ミッチェル)、右利き用のベースをそのままひっくりかえして左利きで弾きこなしたりする(ポール・マッカートニー)。
 その器用さの上に、さらに美しい歌を作り続けるのだから、彼らの才能のすさまじさには畏怖の念を覚える。

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