One Way Ticket ― 2013/08/25 20:26
私は音楽好きではあるが、その一方で音楽に関する本はあまり読まない。音楽についての本は音楽そのものよりずっと魅力がないし、どうせ読むなら音楽以外の内容を読む方が効率が良くて楽しいと思っている。
そんな訳で好きな割に私の音楽に関する知識は貧弱なものだ。ニッキー・ホプキンズの伝記を読み始めて、彼のバンドマンとしてのキャリアがかなりイロモノなバンドから始まっていることに驚き、しかもそのバンド ― Screaming Lord Sutch and the Savages は、フロントマンの、スクリーミング・ロード・サッチの名とともに、かなりの有名バンドだったのだ。後に、ジミー・ペイジや、リッチー・ブラックモアなどもバンドメンバーに加わっている。
ニッキーは18歳ぐらいからすでに、ちょっとした有名なキーボード奏者だった。自分のバンド以外にも、セッションマンとして早くも活動している。面白かったのは、そういったセッションマンとしての仕事の時、彼のクラシックの素養が役に立ったのだということ。楽譜の読み書きが出来ない人もかなりいる中、ニッキーはそれを難なくこなして、役立てていた。
ニッキーの幼なじみは、ニッキーの弾くショパンのノクターンが印象深かったと述べている。Eフラットと言うから、おそらく有名な第2番9-2だろう。
ニッキーがプロとして活動を始めたのは1962年頃。まだビートルズも旋風を起こしていない頃で、ロンドンのマーキークラブには、ミック・ジャガーや、キース・リチャーズ、ジミー・ペイジなどがネクタイにカーディガン姿で聞きに来ていた。写真もある。ニッキーの背後で、かなりダサい格好のジミー・ペイジがニコニコしていた。
ニッキーは1944年生まれだが、キャリア的にはかなり先を行っていたようだ。ただし、クローン病の発症でしばらく活動休止を余儀なくされるのだが。いま、ここまで読んだところ。
さて、そのニッキー初期の活動で一番印象的だったのは、ケイシー・ジョーンズのセッションだ。ケイシー・ジョーンズがステージ・ネームで、一般的にはブライアン・キャッサーというそうだ。この人物はリヴァプール出身で、シルバー・ビートルズも出演したらしい(確認ができていない)ザ・カサノヴァというクラブも所有していた。 まだメジャー・デビューする前のビートルズのライバルだったようだが、レコード発売などはビートルズよりも先行しているし、ロンドンに出るのも早かった。
そのロンドンでのレコーディングに、ニッキー・ホプキンズが参加しているのだ。この "One Way Ticket" のレコーディングに、エリック・クラプトンも参加していたというのだから、びっくりしてしまった。クラプトンはニッキーよりもさらに1歳若いはず。
そういえば、私はクラプトンのヤードバーズ以前のキャリアを知らなかった。クラプトンはごく短期間だが、ケイシー・ジョーンズ&ジ・エンジニアーズのメンバーだったとのこと。
まさに、これはUKロック史上、もっとも早いスーパースターのコラボレーションと言うべきではないだろうか。わくわくしながら、聴いてみた。
ニッキーの圧勝。特にソロをあてがわれていないクラプトンは腕を披露する機会に恵まれていないのだが、とにかくニッキーが凄い。エンジニアーズの正式メンバーではないのに、完全に主役を務めている。
恐るべし、ニッキー・ホプキンズ少年。
そんな訳で好きな割に私の音楽に関する知識は貧弱なものだ。ニッキー・ホプキンズの伝記を読み始めて、彼のバンドマンとしてのキャリアがかなりイロモノなバンドから始まっていることに驚き、しかもそのバンド ― Screaming Lord Sutch and the Savages は、フロントマンの、スクリーミング・ロード・サッチの名とともに、かなりの有名バンドだったのだ。後に、ジミー・ペイジや、リッチー・ブラックモアなどもバンドメンバーに加わっている。
ニッキーは18歳ぐらいからすでに、ちょっとした有名なキーボード奏者だった。自分のバンド以外にも、セッションマンとして早くも活動している。面白かったのは、そういったセッションマンとしての仕事の時、彼のクラシックの素養が役に立ったのだということ。楽譜の読み書きが出来ない人もかなりいる中、ニッキーはそれを難なくこなして、役立てていた。
ニッキーの幼なじみは、ニッキーの弾くショパンのノクターンが印象深かったと述べている。Eフラットと言うから、おそらく有名な第2番9-2だろう。
ニッキーがプロとして活動を始めたのは1962年頃。まだビートルズも旋風を起こしていない頃で、ロンドンのマーキークラブには、ミック・ジャガーや、キース・リチャーズ、ジミー・ペイジなどがネクタイにカーディガン姿で聞きに来ていた。写真もある。ニッキーの背後で、かなりダサい格好のジミー・ペイジがニコニコしていた。
ニッキーは1944年生まれだが、キャリア的にはかなり先を行っていたようだ。ただし、クローン病の発症でしばらく活動休止を余儀なくされるのだが。いま、ここまで読んだところ。
さて、そのニッキー初期の活動で一番印象的だったのは、ケイシー・ジョーンズのセッションだ。ケイシー・ジョーンズがステージ・ネームで、一般的にはブライアン・キャッサーというそうだ。この人物はリヴァプール出身で、シルバー・ビートルズも出演したらしい(確認ができていない)ザ・カサノヴァというクラブも所有していた。 まだメジャー・デビューする前のビートルズのライバルだったようだが、レコード発売などはビートルズよりも先行しているし、ロンドンに出るのも早かった。
そのロンドンでのレコーディングに、ニッキー・ホプキンズが参加しているのだ。この "One Way Ticket" のレコーディングに、エリック・クラプトンも参加していたというのだから、びっくりしてしまった。クラプトンはニッキーよりもさらに1歳若いはず。
そういえば、私はクラプトンのヤードバーズ以前のキャリアを知らなかった。クラプトンはごく短期間だが、ケイシー・ジョーンズ&ジ・エンジニアーズのメンバーだったとのこと。
まさに、これはUKロック史上、もっとも早いスーパースターのコラボレーションと言うべきではないだろうか。わくわくしながら、聴いてみた。
ニッキーの圧勝。特にソロをあてがわれていないクラプトンは腕を披露する機会に恵まれていないのだが、とにかくニッキーが凄い。エンジニアーズの正式メンバーではないのに、完全に主役を務めている。
恐るべし、ニッキー・ホプキンズ少年。
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