Crossfire Hurricane ― 2012/11/25 20:49
ザ・ローリング・ストーンズの結成50周年ドキュメンタリー映画、「クロスファイアー・ハリケーン Crossfire Hurricane」が劇場公開されたので、見に行った。
"crossfire hurricane" とは、"Jampin' Jack Flash" の歌詞に登場する言葉。
今回の劇場公開、全国で20カ所,1週間限定の公開と非常に機会が限られており、ぎりぎりでの観賞になった。思えば去年、ジョージの [George Harrison: Living in the Material World] は、1ヶ月以上も劇場公開されつづけたのだから、恵まれていたものだ。
さて、[Crossfire Hurricane] は、結成50周年記念ドキュメンタリーとは言っても、描かれるのは60年代から70年代までの、20年である。
ストーンズのドキュメンタリーというと必ず登場するのが、「ビートルズはクリーンなイメージでみんなに好かれ、ストーンズは嫌われもするワルのイメージで売り出した」という話。
60年代の大人流ショービジネスでは当然の手法だろうが、当人達にとっては至極迷惑だっただろう。実際、キースに言わせれば「あいつら(ビートルズ)も俺たちと同類」。
大人達の「対立構造構想」とはうらはらに、ビートルズもストーンズも同じ若くてやんちゃで、音楽が大好きな青年であり、実際両者は非常に仲が良かった。
それにしても、60年代の熱気の凄さは圧倒的だった。観客達の興奮、混乱、暴力とドラッグ、猥雑で、何もかもが沸騰したような時代。良いとか、悪いとかではなく、そういう時代だった!
今、私たちが見ると、とんでもない状況だし、当人たちにとっても凄まじかったようだ。それでも、ストーンズの美しくてポップで格好良い音楽だけは頑丈に時代を貫いている。
ストーンズにおける最大の奇跡は、ミックとキースがソングライティングの才能を発揮したことだろう。
彼らのデビュー当時はまだ顕在化していなかったが、ビートルズがデビュー前からそうであったように、これからのロッカーは自らソングライティングをしなければならないという、大きなハードルが存在していた。
ミックとキースはピンと来ていなかったようだが、そこは気の利く大人が導いてくれた。この点はさすがに感謝するべきだろう。若き60年代のミックとキースが、ふたりでアイディアを出しながら、曲作りをする様子は、創造的、建設的、健康的で、とても美しかった。ステージの混乱や、ドラッグでグチャグチャになった乱痴気騒ぎより、ずっとイカしている。
一方、自分が作ったストーンズに取り残される結果になったブライアン・ジョーンズ。その死の下りは、ひどく胸が痛む。特に、彼の葬儀の時。
ごく普通のブライアンの家族。ごく普通のブライアンの葬列、ごく普通のブライアンの棺。どんなにぶっ飛んだ、イカしたバンドマンでも、結局ほかの誰とも変わらない。生まれて、死んでゆく。
オルタモントの悲劇のくだりは、なかなか丁寧に描いていた。それだけではなく、ドキュメンタリー映画にしては、ライブシーンや音楽の尺が長めに取ってあるのが嬉しい。
その代わり、端折りも大胆だった。そもそも、2時間に50年のキャリアを詰め込むのが無理なのである。ロニーが出てくると、すぐに終わってしまったという印象だった。
映画は、1980年代初頭のツアーシーンから、[Shine a light] のライブシーンにひとっ飛び。これは仕方がないのだろう。
ストーンズはやはり60年代ロック黄金期に大爆発を起こし、その長い長い燃焼が続いているバンドなのだと思う。この映画のように、割り切って60年代と70年代にのみ集中してしまっても、構わない。あとはそれぞれのライブ映像作品や、音楽を聞けば済むのだろう。
劇場公開では、本編の前にロンドンで行われたプレミアの様子を流していた。
どういうわけだか、ストーンズは年を取った後の方が、メンバー同士がイチャついている。
ロニーは、「ぼくの登場まで、そんなに待たせないよ!」などと言っているが、あれは嘘。ロニーは最後の最後に出てきて、映画がすぐに終わってしまう。…そうだ、ロニー好きな私としては、その辺りが不満。
あとは、ストーンズの広い交友関係はあまり描かれていなかったのが惜しい。なにもかも、時間が足りないとしか言いようがない。
いっそのこと、ビートルズのような8時間くらいのアンソロジー・ドキュメンタリーを作って良さそうな物だが、なにせ未だに現役のストーンズ。なかなか実現しにくいだろう。
それで良いんだよ、ストーンズは。いつも不満の残る、未完のドキュメンタリーしか出来ない、転がり続けるストーンズで。
"crossfire hurricane" とは、"Jampin' Jack Flash" の歌詞に登場する言葉。
今回の劇場公開、全国で20カ所,1週間限定の公開と非常に機会が限られており、ぎりぎりでの観賞になった。思えば去年、ジョージの [George Harrison: Living in the Material World] は、1ヶ月以上も劇場公開されつづけたのだから、恵まれていたものだ。
さて、[Crossfire Hurricane] は、結成50周年記念ドキュメンタリーとは言っても、描かれるのは60年代から70年代までの、20年である。
ストーンズのドキュメンタリーというと必ず登場するのが、「ビートルズはクリーンなイメージでみんなに好かれ、ストーンズは嫌われもするワルのイメージで売り出した」という話。
60年代の大人流ショービジネスでは当然の手法だろうが、当人達にとっては至極迷惑だっただろう。実際、キースに言わせれば「あいつら(ビートルズ)も俺たちと同類」。
大人達の「対立構造構想」とはうらはらに、ビートルズもストーンズも同じ若くてやんちゃで、音楽が大好きな青年であり、実際両者は非常に仲が良かった。
それにしても、60年代の熱気の凄さは圧倒的だった。観客達の興奮、混乱、暴力とドラッグ、猥雑で、何もかもが沸騰したような時代。良いとか、悪いとかではなく、そういう時代だった!
今、私たちが見ると、とんでもない状況だし、当人たちにとっても凄まじかったようだ。それでも、ストーンズの美しくてポップで格好良い音楽だけは頑丈に時代を貫いている。
ストーンズにおける最大の奇跡は、ミックとキースがソングライティングの才能を発揮したことだろう。
彼らのデビュー当時はまだ顕在化していなかったが、ビートルズがデビュー前からそうであったように、これからのロッカーは自らソングライティングをしなければならないという、大きなハードルが存在していた。
ミックとキースはピンと来ていなかったようだが、そこは気の利く大人が導いてくれた。この点はさすがに感謝するべきだろう。若き60年代のミックとキースが、ふたりでアイディアを出しながら、曲作りをする様子は、創造的、建設的、健康的で、とても美しかった。ステージの混乱や、ドラッグでグチャグチャになった乱痴気騒ぎより、ずっとイカしている。
一方、自分が作ったストーンズに取り残される結果になったブライアン・ジョーンズ。その死の下りは、ひどく胸が痛む。特に、彼の葬儀の時。
ごく普通のブライアンの家族。ごく普通のブライアンの葬列、ごく普通のブライアンの棺。どんなにぶっ飛んだ、イカしたバンドマンでも、結局ほかの誰とも変わらない。生まれて、死んでゆく。
オルタモントの悲劇のくだりは、なかなか丁寧に描いていた。それだけではなく、ドキュメンタリー映画にしては、ライブシーンや音楽の尺が長めに取ってあるのが嬉しい。
その代わり、端折りも大胆だった。そもそも、2時間に50年のキャリアを詰め込むのが無理なのである。ロニーが出てくると、すぐに終わってしまったという印象だった。
映画は、1980年代初頭のツアーシーンから、[Shine a light] のライブシーンにひとっ飛び。これは仕方がないのだろう。
ストーンズはやはり60年代ロック黄金期に大爆発を起こし、その長い長い燃焼が続いているバンドなのだと思う。この映画のように、割り切って60年代と70年代にのみ集中してしまっても、構わない。あとはそれぞれのライブ映像作品や、音楽を聞けば済むのだろう。
劇場公開では、本編の前にロンドンで行われたプレミアの様子を流していた。
どういうわけだか、ストーンズは年を取った後の方が、メンバー同士がイチャついている。
ロニーは、「ぼくの登場まで、そんなに待たせないよ!」などと言っているが、あれは嘘。ロニーは最後の最後に出てきて、映画がすぐに終わってしまう。…そうだ、ロニー好きな私としては、その辺りが不満。
あとは、ストーンズの広い交友関係はあまり描かれていなかったのが惜しい。なにもかも、時間が足りないとしか言いようがない。
いっそのこと、ビートルズのような8時間くらいのアンソロジー・ドキュメンタリーを作って良さそうな物だが、なにせ未だに現役のストーンズ。なかなか実現しにくいだろう。
それで良いんだよ、ストーンズは。いつも不満の残る、未完のドキュメンタリーしか出来ない、転がり続けるストーンズで。
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