Der Tod und Layla2012/10/01 20:29

Der Tod und das Mädchen:「死と乙女」 シューベルトの歌曲

 どういう訳だが、デレク&ザ・ドミノスの名曲 "Layla" は、よくCMに使われる。
 名曲なのだから「どういう訳だか」というのもおかしいが、私にとって、この曲は非常にCMに不向きに思えるのだ。
 最近目にするのは、日本生命の乳がん対策PR用CM。ものすごく違和感がある。



 "Layla" のどんなところが良いのか ― 私は、この曲が絶望の曲だから良いのだと思う。
 明るさ、優しさ、穏やかさ、愛、希望、夢、生きる喜び ― そういうものとはほど遠い、血と鉄の臭いのする、殺伐とした、救いのない、死の影が漂う ― それが異常に格好良い音楽なのだ。
 特に「死」の気配の濃さは、この曲が録音,発表された当時のこおを思えば、さらに深まる。デュアン・オールマンは間もなく事故で亡くなるし、ジミ・ヘンドリックスをはじめとして、多くのロックンローラーたちが相次いで死んでいる。その上、クラプトン自身も、自らを死の淵へと追い詰めつつあった。
 "Layla" はそういう暗さ ― 悪魔の側であることを引き替えに、名曲なのだ。

 決して、白い衣装に身を包んだ美しい女性にポーっとなる、明るいオフィスの音楽ではない。"Layla" は、美しきパティ・ボイドへの愛情を歌ったものだが、同時に魂と引き替えでもしないかぎり得られないほどの友情との葛藤でもある。こういう明るく、困難にも立ち向かい、お互いに勇気づけながら乗り越えてゆこう ― という雰囲気の音楽ではない。
 この曲を選んだ時点で、ものすごい失敗だと思うのだが…だれかがどこかで、No とは言わなかったのだろうか?私が「べつの曲」だと思っている、"Layla" の後半と取り違えたのだろうか。

 以前、"Layla" は車のCMにも使われたが、それは「車が提供する、平和で穏やかな日常」のようなイメージで、これまた全く合っていなかった。

 私が珍しく "Layla" をBGMに使って、「合っている」と思ったのは、唯一「つれたか丸」である。TOKYOの長瀬くんが、廃船「つれたか丸」を復活させ、クロマグロ漁に挑んだテレビ番組企画なのだが(結局、大きなカジキを釣り上げた)、これのテーマ曲が "Layla" だった。
 普通に芸能人の「挑戦ものバラエティ」のはずなのだが、灰色の海と、重装備と、大波と、大量の徒労が、ひどく "Layla" に合っていて、これを選曲した人は大した物だと思った。

 そして、やはり"Layla" の持つ「死」の気配が、「つれたか丸」には合っていたのだと思う。漁で或る以上、魚にとっては必然的に、そして人間にとってもある程度、そこには「死」が存在している。「死」をはさんだ緊張感、切迫した空気、そういうものこそ、"Layla" という名曲なのだろう。

 "Layla" の後、死にもしなかったし、パティもジョージも失わずに済んだクラプトンが、どうライブで歌っても、オリジナルの "Layla" は再現できていないだろう。アンプラグド・バージョンとなると、全く別の、そして二流以下の曲だ。
 そういう刹那的な良さこそが、"Layla" ― あの後半すらなければ良いのにと、本気で思っている。あの後半は良い曲だが、「あれが良いんじゃん!」…といえるほど、「通」ではない。

Glenn Gould2012/10/04 06:00

 グレン・グールド Glenn Gould (25th Sep. 1932 - 4th Oct. 1982)



 今日、10月4日は、カナダ人ピアニスト,グレン・グールドが50歳で亡くなって、ちょうど30年目。彼は自分の誕生日の二日後に倒れ、その一週間後に死んだ。
 つまり、今年はグールドの生誕80周年、没後30周年というわけ。CDショップに行けば、グールドのコーナーが賑々しく飾り立てられている。もっとも、グールドというアイドルのコーナーは、いつだって華やかなのだが。
 グールドは、間違いなく歴史上最高のピアニストの一人だろうし、その個性、魅力  ― そして魔力、理解不能、特異性も、随一の人物であり、議論の的であったことは、確かだ。

 以前にも書いたが、私は自分を、グールドのファンとは認めたくない。深い意味はなく、単にロックなどと比較して、クラシックにあまり興味がないからだ。
 とは言え、私もアマチュア・クラシック・ピアニストの端くれ。しかも比較的(本当に比較の問題)得意にしているのがJ.S.バッハときているので、どうしてもグールドは無視できない。自分の学習・演奏には何の役にも立たないと思いつつ、なんとなく買ったCDも数枚ある。試みに、数えてみた。

J.S. バッハ ゴールドベルク変奏曲(1955年)
J.S. バッハ,スカルラッティ,C.P.E. バッハ曲集(イタリア協奏曲など)
J.S. バッハ パルティータ,フランス組曲,イタリア協奏曲など
J.S. バッハ 平均律クラヴィーア曲集
J.S. バッハ パルティータ,小フーガ,プレリュードとフーガなど
ベートーヴェン ピアノソナタ集(悲愴,月光,熱情)

 意外と持っている。しかも重複も多い。クラシックにあまり興味のない私において、同一演奏者でこれだけ持っているのは珍しい ― ファンではないが、魅力は感じていることを認めざるを得ない。

 それにしても。グールドはとんでもないのだ。
 演奏がとんでもなく上手すぎて、とんでもない解釈をして、とんでもなく魅力的なのだ。
 あまりにもとんでもなさすぎて、聞くなり、笑ってしまうことも多い。一番、笑ったのは、私も学生時代は十八番にしていた、「イタリア協奏曲」の第三楽章。本当に、これは大爆笑した。



 ある意味、「ひどい」。どこか狂っているとしか言いようがないような、すさまじいテンポで、しかも完璧に弾いている。問答無用。感想やら、分析やらは馬鹿馬鹿しくなってしまう。爆笑するか、呆れて開いた口がふさがらないか。

 今年の年末、私はピアノの発表会を控えている。
 困ったときのバッハ頼みで、今回は平均律第1巻15番(G-Dur)を弾く。フーガが珍しく長くて、華やかだし、演奏会向きかなと思ったのだが…これまた、グールドの演奏はとんでもないことになっている。
 まずはプレリュード(前奏曲)から。なぞの絵画つき。



 たったの44秒!最後はリットして44秒!何もそこまで!一体どこへ行くつもりなんだ、グレン・グールド!ボイジャーなんかに乗らなくても、完全に宇宙の彼方へすっとんでいる。
 試しに、私も目一杯速く弾いてみたのだが、どうしても50秒はかかる。
 そして、フーガがこちら。



 ご多分に漏れず、グールドのへんな歌つき。この早さで、フーガを完璧に、ノンレガートで弾きまくり、一分の隙も無い。
 なんだかもう、嫌になってしまうのだが、ひとつ良いのは、グールドがこの演奏で、装飾音をほとんど省略しているところ。私も、グールドに倣ってという言い訳で、装飾音を省くことにした。

 以前、グールドの録音風景をとらえた、映像を見たことがある。ライブ演奏をやめたグールドは、録音に凝るのだが、テープを切り貼りすることも認めていた。これには賛否両論があるだろうが、あそこまで上手だと、もう何も言う気にもなれず、好きにすれば良いと思う。
 何の曲だったか、とにかくすさまじい早さのバッハを、エンジニアと一緒に聞くグールド。ひとしきり聞いてから、

「うーん、どうだろう。速すぎる?」

 いまさら、何がどう「速すぎる」のだろう?エンジニアが無表情に、「いや、全然」というのが、かなり可笑しかった。
 とにかく、私にとって、グールドはもうどうしようもなくて、笑うしかないピアニストらしい。

Truth is the daughter of Time2012/10/07 20:43

 F1日本GPに関しては、まだこれから見る方もいらっしゃるだろうから、後日に回す。私はCSの生中継で観戦済み。疲れた。
 それにしても、F1が地上波で生中継されないというのは、どうにもけしからん。

 先週、日本経済新聞の夕刊文化面に、某信託銀行の社長さんが「こころの玉手箱」というコラム連載をしていた。
 この社長さん、「40年以上のめり込んでいる」という、エリック・クラプトンのファンだそうだ。「魂震わされ続け40年 エリック・クラプトンのCD」と題したその文章に、以下のような部分があった。

 彼の演奏を最初に聞いたのは、16歳ぐらいの頃。ビートルズの「ホワイトアルバム」だった。ビートルズはそれほど好きではなかったが、何となく「ホワイトアルバム」を聴いていたら、妙にギター音が気になる曲がある。曲名は、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」。  ジョージ・ハリソンってこんなに上手かったかなと、クレジットを見返してみると、作曲ジョージ・ハリソン、ギター演奏エリック・クラプトンとあった。それからクラプトン追跡が始まり、「クリーム」だ、「デレク・アンド・ザ・ドミノス」だとなり、クラプトン関係のレコード、CD、DVDは100枚くらい持っている。

 この話は、本当だろうか?
 最初に断っておくが、私はこの手のコラムに、厳格な正確さは求めていない。飽くまでも思い出話、エッセイである。たとえ本当ではなくても、この社長さんを非難するつもりもなけば、悪く思うわけでもない。むしろ、お堅い信託銀行社長に、私と同じような趣味があるとは、微笑ましいとすら思っている。
 ただ、私はグレイフライヤーズ・プロジェクトで、リチャード三世でないかという遺骨が発見されて以来、「時の娘 The Daughter of Time」(ジョセフィン・テイ Josephine Tey)を、日本語,英語で読み直している。伝聞や記憶・思い込みと、真実の間を、追求したくなる「ブーム」が来ているのだ。

 まず、この信託銀行の社長さんが「16歳ぐらいの頃」という記述。
 社長さんは1952年2月17日生まれなので、「16歳」だったのは、1968年2月17日から、1969年2月16日まで。一方、ビートルズの[White Album] は、英国で1968年11月22日、米国で11月25日、日本では翌1969年1月21日発売ということになっている。
 つまり、社長さんが「16歳」で二枚組の [White Album] を聴いていたとしたら、あの時代にわざわざ輸入盤を速攻で手に入れたか、日本発売されて25日間内に入手したことになる。そうなると、「ビートルズはそれほど好きではなかったが」という記述は怪しくなる。好きな方でなければ、そこまではしないだろう。二枚組で通常のアルバムより高価だったとなると、なおさらだ。
 むしろ、社長さんの「16歳ぐらいの頃」という記述が重要だ。本当に「ビートルズはそれほど好きではなかった」としたら、[White Album] を聴いたのは既に17歳になって以降だと考えるのが妥当だ。しかし、新聞のエッセイには、「ホワイト・アルバムの発表年 1968年」から、「自分の生年 1952年」を単純に引いた「年齢」を書いたのだろう。

 さて、社長さんは "While my guitar gently weeps" を聞き、ギターが気になり、「クレジット」を見ると、「ギター演奏エリック・クラプトン」とあったと言う。本当だろか。
 まず、「クレジット」という言葉をそのまま解釈すると、この記述は誤りだろう。[White Album] には、エリック・クラプトンの名前はクレジットされていない。これは有名な話だ。リマスターされたCDの「解説」にこそクラプトンの名前が中にあるが、私が持っている昔のCDには「クレジット」されていないし、1968年や翌年に発売されたLPにも、クラプトンの名前は「クレジット」されていないはずだ。もし、「クレジット」されている現物をお持ちの方は、ぜひご一報を。

 では、社長さんが見たのは、「クレジット」ではなく、「解説」だったらどうだろうか。私が持っているようなCDになら、解説にクラプトンの名前が載っている。つまり、ギターの音が気になって解説を見ると、クラプトンの名前があったというパターンだ。ただし、ビートルズのCD化 ― つまり1980年以降の話。
 ここで疑問がわくのが、この社長さんが聴いた時代の日本国内盤のアルバムには、どのような「解説」がついていたかという問題だ。社長さんが16歳ではないにしても、せいぜい1970年ごろまで。日本盤の「解説」には、クラプトンの名前はあったのか、否か?これは大いに興味があるので、これまた現物をお持ちの方には、ご一報願いたい。

 私はむしろ、社長さんはレコードのクレジットも、解説も見たわけではないと推理している。たとえば、ラジオやテレビ、雑誌の記事などで、「"While my guitar gently weeps" でリードギターを弾いているのは、クラプトン」と言うなり、書くなりされたものを、見聞きしたのではないだろうか。
 そこでまた気になるのは、世の中で最初に「"While my guitar gently weeps" でリードギターを弾いているのは、クラプトン」という事実が知られるようになったのは、いつかという点だ。
 遅くとも、1971年8月1日までには知られていただろう。つまり、[Concert for Bangladesh] である。このコンサートで、当然のように "While my guitar gently weeps" のギターソロは、クラプトンが担当している。CFBの映画は、日本でも上映されており、当時ファンたちは何度も見に行ったという話を聞いている。社長さんも例外ではあるまい。

 そこまで考えて、私は思った ― そうだよ、ブレント・キャラダイン!
 社長さんが、クラプトンの演奏を最初に聞いたのは、[White Album] だっということも、本当は違うのではないだろうか?
 [White Almum] および、"While my guitar gently weeps" を最初にいつ聞いたのかはともかくとして、実は何かのきっかけでクラプトンのファンになった社長さんは、後になって、"While my guitar gently weeps" でリードを弾いているのはクラプトンだと知り、改めて [White Album] を聴いたのではないだろうか?
 つまり、日経に載せた「いい話」っぽいエピソードは、作り話というわけさ、ブレント。

 「作り話」などと言うと悪い印象になってしまうが、もしこの推理が正しかったとしても、私はそこに悪意があったとは思えない。
 実のところ、この「ジョージってこんなに上手かったっけ?…と思ったらクラプトンだった」という手の話は、そこらによく転がっているのだ。私はこういう話を、今までに二回か三回くらいは見聞きしていると思う。
 つまり、「いかにもありそうだけど、事実ではない話」というわけ。
 さらに、社長さんにとってクラプトンのファンになった頃と、知識を得た時期がおなじく40年以上前となると、「いかにもな話」と、自分の記憶がまぜこぜになり、まるで自分自身の体験のように錯覚しても、不思議ではない。

 さらに踏み込むなら、クラプトンのファンは、この「ジョージってこんなに上手かったっけ?…と思ったらクラプトンだった」という話が、好きだということだ。そう、トム・ペティがジョージとの思い出話をするのが大好きなように。偶然、交差点の信号待ちの隣りにジェフ・リンが居たという話をするのが好きなように。
 クラプトンの凄さを語る上で、「あの、偉大な、世界で一番有名な ― そう、音楽に興味のない人でさえ知っている ― あのビートルズの中にあっても、特異に聞こえるほど素晴らしいギターを演奏しているのが、あの『エリック・クラプトン』なんだぜ!」と、「自慢」するには、格好な、そして手頃な「物語」なのだ。

 良く出来た落語のネタのようなもので、まぁ、それを「実体験」として嬉しそうに語ったところで、別に悪くもないし、微笑ましい程度のことだろう。ただ、私のようなジョージ・ファンにとっては、なんだかジョージを悪用されたようで、良い気持ちはしない…という、正直で醜い感情は、一応表明しておく。要はこれが言いたかったんだな…
 へぇ、クラプトンって、凄いんだ。…と思ったら、その凄い演奏をさせる凄い曲を作ったジョージ、クラプトンに演奏させる気にさせるジョージ、さらにクラプトンとはまた違う凄いギターを弾くジョージ、彼のソロ・アルバムや、ウィルベリーズを聴いてくれると嬉しい。

 そういえば、「いかにもありそうだけど、事実ではない話。そのくせ、実体験として語る人が多い話」が、もう一つある。

 「アメリカで、ボブ・ディランのコンサートに行ったんだ。自分も、観客も、みんな大盛り上がりでさ。ボブ!とか叫んでるんだ。でも、実はディランがステージ上で何て歌っているのかは、さっぱり分からない。だから、隣りで盛り上がっている、アメリカ人とおぼしき白人の男に『なぁ、ボブは今、何て歌ってるんだ?』と尋ねたら、その白人にいちゃんも、『俺も分からん!』…だってさ。」

 私はこの話を、少なくとも別の日本人、二人から聞いている(一人は、南こうせつ)。
 これはおそらく、「ボブ・ディランは独特の語り口で、何を歌っているのか分からない」ということを表現するのに、格好な、手頃な、そして実体験として話すとウケる、「ネタ」の一つだろう。

* ブレント・キャラダイン:「時の娘」の登場人物。入院中の刑事アラン・グラントに変わって、リチャード三世の真実を調査する、若いアメリカ人。「時の娘」を映画化するとして、キャスティングは…ベネディクト・カンバーバッチでいいやと、いい加減に考えた。グラントは、マーティン・フリーマンで。かなりいい加減だが、意外とはまってるような気がする。

Documentary: Jeff & Sound City2012/10/11 20:50

 まずは、トム・ペティさんからのニュース。
 国境なき医師団のために、愛車1996年のジャガーXJSを、eBayでのオークションに出品するとのこと。オークションは、10月21日まで。
 この車をに関する来歴は、いまのおくさんがおきにいりのくるまをかったとかなんとかかんとかそういうことは ― 女子ファンにとってはどうでもよろしい!
 注目すべきは、写真である。



 これって…車の展示会の時に、ピカピカの新車に張りついてるお姉さんみたいなものかな?
 まぁ、ひどくはないが、やや油断気味のトムさん近影。おぐしは良いとして、そのボトムズは…ちとリラックスしすぎ。おなかも出て見えますよ。

 一方、ウィルベリー兄弟。
 英国BBCでジェフ・リンのドキュメンタリー番組 "Mr. Blue Sky: The Story Of Jeff Lynne And ELO" が放映されたのだが、ファンサイトさんに上がっていた動画で見た。このデジタル時代にどういう加減なのかは分からないが、音声の回転が速く、ややみんな声が高い。年内には英国版のソフトが出るだろうから、これは買いだろう。
 その、なんとなくみんな声の高いドキュメンタリーだが、ウィルベリー・ファンには大満足だが、ELOのファンにとってはどうなのだろうか。ちょっとタイトルに偽りありという感じがした。
   ゲストのラインナップも、ポール、リンゴ、オリヴィア・ハリスン、ダーニ、トムさんなど、ウィルベリーズっぽい人が多い。私は嬉しいけど。

 その、トム・ペティだが…これが素晴らしく女優モードで登場した。即ち、おぐしも、お肌も、服装も綺麗に決めた、「オンの」トムさんなのだ。まるでツアーの時のような気合いの入れよう!ジョージ映画の時もすばらしくキメていたが、今回はまた素晴らしい。あ、しかしこのボトムズは、車に寄りかかっている人と同じかも。



 話しかたは、あいかわらず分かりやすい。一緒に仕事をした時期のみならず、まだ一ファンとしてジェフの曲を聴いていた頃や、ビートルズのアンソロジー・プロジェクトについてもコメントしている。
 小さなネタだが、やはりジェフのスタジオには、マイク・キャンベル・モデルのデユーセンバーグが置いてあった。ちゃんと映るように撮影したのだろう。
 リン邸はとても綺麗で、片付いていた。マイクの家とは…対照的に…。しかし、マイクのところと同じなのは、そこかしこにジョージや、ビートルズの写真が飾ってあるところ。結局同類らしい。
 ごく若い頃、ジェフ・リンの名前を、なぜか G. Lynn とクレジットされてしまったという話。名字の方は、e を落としただけなので、分からないでもないが…。ファースト・ネームの方は、おそらく Geoffrey と間違えられたのだろう。チョーサーと同じ綴り。

 ドキュメンタリーときて、もうひと作品。有名な録音スタジオ "Sound City" のドキュメンタリーが制作されているが、この中で登場するミュージシャンが、「初めての音楽の想い出」を語るところがあるらしい。
 その中から、まずはトム・ペティ。例のエルヴィスの思い出を語っている。



 これは、ちょっとミステリアスなトムさん。背後に並ぶギターの中に、マイク・キャンベル・モデルのデューセンバーグ発見。だんだん、「ウォーリーを探せ!」みたいになってきた。このジャケットは、ジェフの時と同じかも。
 お次は、ベンモント・テンチ。彼も出てるんだ…



 ベンモントにとっての、初めてのレコードは、ビル・ヘイリー。ピアノもクラシックで習っていたけれど、えらく難しく、大変で、ポップの方がやりたかったとのこと。
 相変わらずお坊ちゃまオーラ一杯の、端正なベンモントなのだった。

Three men in a boat2012/10/14 22:16

 丸谷才一氏が亡くなった。
 私は氏の小説や評論など、著作には興味はない。― もとより、私は文学というものに興味がないのだが。ただ、大好きな小説,「ボートの三人男」の翻訳者としての印象が強く、この誰にでも勧められる素敵な小説の紹介者の死を悼まずにはいられない。

 「ボートの三人男 ― 犬は勘定に入れません」 (Theree men in a boat, To say nothing of the dog!) は、1889年に発表された、ジェローム・K・ジェローム (Jerome Klapka Jerome 1859~1927) の小説。あまりにも好きなので、原語版も読んだし、2010年に中公文庫の装丁が池田満寿夫から、和田誠になっただけで、もう一冊買ったほどだ。無論、後者の表紙の方が小説に合っている。

 

 舞台は、19世紀末。ロンドンに住む三人の男 ― 「ぼく」こと、語り手の J ( 「ジム」とも呼ばれる。もちろん、ジェロームのこと)、J のルームメイトで、シティの銀行に勤めるジョージ、彼らの共通の友人ハリス、そして J の飼い犬モンモランシー(かなり自己主張の強いフォックステリア)は、自分たちが働きすぎで病気だと勝手に判断し、休暇を取り、ボートでテムズ川にこぎ出し、オックスフォードを目指す。

 それからぼくたちは食物のことを議論した。ジョージは、
「まず朝食のことから始めようや」
 と言った。(ジョージはこれほど実際的な男なのである。)
「さて、朝食にはまずフライパンがいるな」
 ハリスがこれを聞いて、
「フライパンなんて食べられないぞ」


 万事、この調子。彼らのドタバタ続きの旅と、多くの間抜けな挿話がテムズ川沿いの風景や歴史とともに語られる。現在に至るまで、多くのファンを獲得し続けた名作小説であり、いくつかのパロディやオマージュ作品を生み出している。
 時代は、ヴィクトリア朝末期。ちょうど、シャーロック・ホームズと同じ時代なので、ホームズファンは必読だ。大爆笑を呼ぶというよりは、間抜けさ、しょうもなさ、アホっぽさ、でもいちいち本気で、融通の利かない連中の可愛くて楽しい話の連続。
 私が特に好きなのは、ヘンリー・オン・テムズ(ジョージ・ハリスンが住んでいた街)での、白鳥襲撃事件。人間が白鳥を襲撃したのではなく、その逆。そのショックで、ハリスが夢遊病になる。

 さて、この最高に楽しい小説の中にも、数カ所、音楽に関するエピソードが登場する。
 まず、印象深いのは、「ドイツのコミック・ソング」の挿話。J が参加した、ある「教養ふかい人々ばかりの、ソフィスティケイトされたパーティ」にて、ドイツ人の学生に J を含めた出席者達がはめられ、この上なく悲しいドイツ語の歌で、大爆笑させられ、お通夜のような顔で帰ることになる話。
 ここで分かるのは、当時すでにパーティ会場にはよくピアノがあって、それにあわせて楽しく歌を楽しんでいたということ。そしてコミック・ソングも親しまれていたということ。

 シティで銀行に勤めているジョージは、J やハリスからやや遅れて、ボートに乗り込むのだが、その時、ジョージは妙な形の包みを抱えている。

 まるくて、平べったくて、しかも真直ぐな長い柄がつき出している。ハリスが、
「なんだね、それは?フライパンかい?」
 と訊ねると、ジョージは目を異様にキラキラさせながら、
「違うよ、この夏、大流行なんだ。誰でもこれをかかえて河遊びに出かける。バンジョーだよ。」
 これを聞いてぼくとハリスが異口同音に、
「ほう、バンジョーを弾けるのか?」
 と叫ぶと、ジョージは答えた。
「いや、弾けるという訳じゃない。でも、楽器屋の話によると、ひどく易しいそうだ。それに独習書も買ってきた」


 嘘つきな楽器屋もいたものだ。そもそも、私は楽器は人から習うべきであって、独習本でモノになるとは信じていない。
 ボートでの旅行中は、J とハリスと、モンモランシーの猛烈な反対に遭い、ジョージもバンジョーを弾かずじまい。家に戻ってから弾こうとしても、下宿の奥さんに遠回しに苦情を言われ、仕方が無いから夜中に広場で練習したら、警察に逮捕された。そういうわけで、ジョージはバンジョーを諦める。

 ついでに、楽器を習得することの難しさを表す挿話がある。とある青年ジェファーソン君が、風笛(バグパイプ)を購入し、練習しようとする。どうやら、スコットランド系の曲名が登場するので、スコティッシュ(ハイランド)・バグパイプのことらしい。
 この男はまず家族から猛烈な反対を受け、このような楽器を吹き鳴らすのは冒涜的な好意だとか、さんざんなことを言われる。仕方がないので、夜に練習したところ、近所で「ジェファーソンさんの家で、ゆうべ殺人事件があった!」という凄い評判が立つ。
 こんどは、家から1マイル離れた所に小屋を作り、ここで練習をするのだが、近くに通った人がいちいち発狂しそうになる。
 結局、ジェファーソン君は1曲しかモノにしなかったのだが、J は「レパートリーが少なすぎるという苦情を聞いたことはない」と言う。同じ曲なのに、何度聞いても別の曲に聞こえるそうだ。

 産業革命の成果で、都市が発達し、裕福な人々の間に余暇というものは増え、その中で趣味で音楽を修得しよう、自ら楽しもうとする人々が居たことが、はっきりと見て取れる。彼らは、私たちの先輩と言うべきだろう。
 音楽はともかくとして、とにかく「ボートの三人男」は面白い。以前、マイケル・ペイリンや、ティム・カリーなどでドラマ化したことがある。そろそろ、若いキャスティングで、再度映像化してほしいものだ。

リンゴ・スターがやってくる、ヤァ!ヤァ!ヤァ!2012/10/18 20:39

 リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドの来日公演が決定した。大ニュース。

リンゴ・スターが18年ぶりの来日

 東京は二日あるのだが…場所が問題。ZEPP TOKYO…。これはこまった。どちらかと言えば嫌いな会場。そもそも、ステンディングは嫌だ。かといって2階指定席が獲れるとは思えない。
 そもそも、お台場という立地の悪さはいかんともしがたい。第一、箱が小さいような気がするのだが。いつぞやの、ディラン様のときなど、本当に大変だった!

 条件の悪さはともかく、とにかく見に行きたい。楽しく盛り上がって、一緒に歌えそうな感じがする。
 リンゴのライブでやりたいことと言えば、"Liverpool 8" のエンディングで一緒に拍手とコールをすること。盛り上がりそう。
 大きな会場の動画よりも、この程度の小さな規模での、盛り上がりが素敵。場所がリヴァプールということもあるだろう。



 この Early Exclusive Live という番組、以前はTP&HBも出ていたような気がする。
  TP&HBで思い出したのだが…べつに、ベンモント・テンチくんだって、リンゴと一緒にバンドメンバーとして来ても構わない。と、言うよりは大歓迎。来て下さい。
 こんなポーズだってできちゃうし!



 "Liverpool 8" のほかにも、たくさん盛り上がるだろうが、やはり"Photograph" には期待してしまう。いや、想像するだけでも泣きそう。

62歳のRefugee2012/10/21 20:22

 昨日10月20日は、トム・ペティ62回目の誕生日だった。Happy birthday Tom!
 6月にロンドンで見た見たトムさんは相変わらずキラキラ輝く、格好良いロックンローラーだった。これからも期待しています!
 そういえば、今年のツアー前に、スタジオに入って録音したって言っていたような気がするのだが…あれはどうなったのだろう。



 さて、若い頃のトムさんの動画を見ていたら、こういうものが引っかかった。



 この1980年(?)のライブ映像自体はよく見るのだが、意外と画像クォリティの高いものは少ない。この "Refugee" は、一番綺麗な方ではないだろうか。
 右下を見ると、「BS洋楽」とあるので、どうやら、日本のテレビ番組だったらしい。私はこの手の番組を見る習慣が最近ないので、ちょっと意外だった。TP&HBも取り上げてもらえるらしい。

 汗びっしょりになって熱唱するトムさんが格好良い。金髪がよく映える衣装だし、スタイルも良い。もともとはマイクのものらしい、ストラトキャスターで、ソロを弾いている。ソロはさすがに最近の方が上手い。
 マイクの衣装がちょっと笑える。"You got lucky" の帽子を斜に被っている。やっぱりトムさんより格上のギタープレイを見せ、珍しくトムさんにふざけてドンっとぶつかるところが大好き。二人とも楽しそうな笑顔。
 あの笑顔は、30年経った今年になっても変わらない。さらなる笑顔を、これからもよろしく。

CRT: Jeff Lynne Night2012/10/24 21:46

 CRTこと、 Country -Rockn' Trust については、毎年一月の「ジョージ・ハリスン祭り」に参加している。楽しいトークと、含蓄のある考察、名曲を大音響で聴き、お客さんたちのコメントなども面白い。
 今月は、新譜を二つ出したということで、ファンたちが待ちに待った「ジェフ・リン Night」ということになった。ジョージやトムさんがお世話になっていることだし、私も喜び勇んで参加してきた。  出演者は、萩原健太さん、祢屋康さん(レコード・コレクターズ編集部)、ゲストの竹内修さん。

 会場は満員。萩原さんは「ジェフ・リン、そんなにキてるの?!」…と、嬉しくも驚いた様子。見たところ、ジョージ祭りと比較して、女子率が格段に低かった。
 萩原さんによると、約十年ごとに、「ジェフ・リン、これは来る!(or 来た!)」と思うそうだ。まず、[Armchair Theatre],そしてELOの [Zoom] …いずれも「来る!」と思ったら、意外とそうでもなく、 そして今回の新譜二連発で、今度こそ本当に「来る…のか?!」という段階だそうだ。
 アルバムを聞けば、ソングライティングも、プロデューシングもすばらしいジェフ・リン。彼のどんなところがすばらしく、一方でどんなところが「来ない」のかという話になった。

 面白かったのは、ジェフのコード使いの話。ディミニッシュと呼ばれる減三和音の上手な多用を、萩原さんがギターを弾きながら解説してくださった。私は音大出身のくせに異常に和声に弱く、ウクレレを習い始めた今も弱い(私が伴奏ではなく、ソロ楽器としてウクレレを習っているせいでもある)。ギターが弾ける人の実演解説は、とても説得力があった。

 それから、実は新奇なことを殆どせず、50年代ごろからのルーツの要素を非常にうまく自分のものとして表現できると言うところが、彼が今でもUK では「お茶の間でおなじみの音楽の人」にしているという話。これも納得。
 私もコメントに書いたのだが、ロンドンで見たテレビCMに、"Mr. Blue Sky" が使われていて、やはりELOは大人気なのだなと実感したものだ。これは、British Gas というプール(そう、プール。なぜ gas なのかはよく分からない)のCM。



 一方、なぜ「来ない」のか ― つまり、なぜ世界的なヒットや、ツアーの成功に繋がらないのかという話になる。
 無論、ウィルベリーズや、TP(&HB)、しまいにはビートルズまでプロデュースしたその仕事に関しては、言うまでもなく大成功しているのだが、ジェフ・リン個人としては、意外と盛り上がりきれないという点を、「来ない」と指しているのであって、彼の仕事の良さとは、また別問題。
 まず、ウィルベリーズ以降、トムさんとの仕事などは特に、シンセサイザーなどより、生の音をダイレクトに響かせる手法でずっと来ているため、70年代のいわゆる 「ELOらしい音」を愛しているファンにとっては、盛り上がりきれないという説。なるほど、私はシンセサイザーが苦手なのでこのグループではないが、昔からのファンとしては有り得ること。理解できる。

 ライブについては、萩原さんの「ライブは、ただ上手いだけじゃ駄目なんだ、グルーヴが必要なんだ」というコメントが印象的だった。
 その代表として、Zoomのツアーの "Telephone Line" の映像を見た。確かにとても上手い演奏だが、その前にみんなで見たCFGでの "Handle with care" 比較すると、まったく熱気の点で劣り、とても物足りない。





 ともあれ、今回の新譜は特に [Long Wave] の評価が高い。ロイ・オービソンのカバーである "Running Scared" は、あのドラマチックな展開で盛り上がりっぱなしでババーン!と終わってしまう。 その終わりの瞬間が、萩原さんにとっては、

 「右京さん!」

 …という感じだそうだ。そうなんだ。亀ちゃんなんだ。ソン君とか、カイト君じゃなくて。

 お客さんからのコメントでは、もちろんELOやジェフ・リンも大好きだし、ムーヴやアイドル・レースが好きだというコメントもたくさんあった。そういえば、この両者のアルバムは持っていない。欲しくなってきた。
 トムさんや、ビートルズなどのプロデューシングへの思い入れよりも、やはりみなさん長年のジェフ・リン,ELOなどのファンなのだと、実感させられる。
 
 一つ気になっているのは、祢屋さんが見たという、UKのクイズ番組の話。
 「この三人の中に、ELOが好きで、それにちなんだ名前に、自分の本名を変更した人がいます。それはどの人でしょう?」という問題で、正解の人物は、自分の名前を Bluesky に変更して、"Mr. Bluesky" になったとのこと。
 この話を聞いて、私はとっさに、あのBBCの名物番組、Never mind the Buzzcocks だと思ったのだが、今のところ検索でヒットしない。違う番組なのだろうか。The Mighty Boosh のノエル・フィールディングが出ている番組なので気になる。詳細をご存知の方は、ご一報ください。

 探していてヒットした、別のクイズ。2006年のシーズン18,エピソード5 から、「この中に、かつての大ヒットグループELOのケリー・グロウカットが居ます。さぁ、どの人でしょう?!」 (2分40秒ごろ)



 ジェフ・リン祭りではあるが、トムさんたちもいくらか見られ、その面でも満足。そろそろトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ祭りをやって欲しいのだが、きっかけが必要なのだろうか。
 それとも、CRT 158回の歴史の中で、既にやったことがあるのだろうか。もしそれを逃しているのだとしたら、とても悔しい。

ケネソー山 / ピーチツリー・クリーク / アトランタ2012/10/27 21:13

 南北戦争の記事が停滞する理由を考えてみたら、どうやら私が個々の戦闘にとらわれ過ぎているのが原因らしい。
 南軍のリー将軍が活躍するような東部戦線は、そもそも狭い地域で戦闘を行い、かつリーが特に構成力のある作戦を立てるため、そういう個々の戦闘にこだわっても良いのだが、西部戦線はそうはいかない。
 もともと、「西部」の地域が非常に広く、さらに南北双方の司令官があまり構成力を持たずに、行き当たりばったりな小競り合い、もしくは大規模な戦闘を繰り返しては、戦局が停滞するということの繰り返しているのだ。

 ここで、視点をぐっと後ろにさげ、アトランタという南部でも最大規模の街を巡る戦闘を、おおざっぱに追うことにした。



 前回の記事は、1864年5月17日のレサカで終わっている。
 北軍司令官シャーマンは、塹壕という防御装置を強固にする、ジョンストン率いる南軍を攻めあぐねていた。これまでは、無駄に損害を出すよりはと、常に南軍の南西側に回り込んで、ジリジリとアトランタを目指すのが、シャーマンの手法だった。
 6月27日朝、シャーマンは珍しくケネソー山に陣取る南軍に対して、正面攻撃を仕掛けた(地図左上端)。しかし、この点の地形では、上を取った方が常に有利だ。ジョンストンはシャーマンを撃退することに成功した。一方、北軍は3000もの損害を生じた。

 シャーマンは再度南軍の南西側に回る込むべく、マリエッタ(地図ケネソーの右下)の南に陣地を構え、さらに北東のロズウェル(UFOで有名なニューメキシコとは全く別の街)にも同じく陣地を構えた。
 ここで妙なのは、ジョンソンが一気にアトランタからわずか10キロのチャタフーチー川まで退いて、陣地を構えたことである。後退イコール負けではないが、アトランタに近すぎる。少なくとも、南部連合デイヴィス大統領は、このジョンソンの後退が理解できなかった。
 やや私情に流されやすいデイヴィスの欠点は、この時も表面化した。もともと、デイヴィスとジョンソンはあまり相性が良くない。その上、ジョンソンの指揮下で不満を持っていたフッドが、ジョンソンを非難し、自分を推す手紙をデイヴィスに送っていたのだ。
 チャタフーチー川に布陣したジョンソンは司令官から解任され、フッドがその後釜となった。この手の人事異動を繰り返す軍に勝機はあまりないだろう。しかも、南軍の中でも、フッドの昇格を面白く思っていない将官もあり(ハーディなど)、南軍の人事はあまり良い効果をもたらさなかったようだ。
 なぜジョンソンはチャタフーチー川まで退いたか。彼は、川を利用して一気にシャーマンを撃退する気でいたようだ。これまでのように、行き当たりばったりに、回り込んできたシャーマンをいちいち押し返すだけでは、南軍の消耗が続くだけだ。ジョンソンは、一度アトランタ間際まで大きく引き、そこで北軍に大打撃を加え、退かせようとしていたようだ。

 フッドはジョンソンの考えを引き継いだ。即ち、チャタフーチー川の支流である、ピーチツリー・クリーク(地図赤丸付近)で、シャーマンの北軍を迎え撃ったのだ。時に7月20日。
 南軍はよく戦ったが、結局持ちこたえることは出来ず、シャーマン率いる北軍は南軍を後退させた。

 しかし、アトランタへの道が一気にひらけたわけではない。アトランタ北側の防御は非常に固く、シャーマンも正面切ってそこから攻撃する訳にはいかない。
 北軍のマクファーソンは、シャーマンの本隊とは離れて、アトランタの東ディケーター(地図右端)付近に陣取っていた。南軍のフッドは、防御側としては大胆なことに、このマクファーソンを攻撃する手にでた。
 ハーディの軍を南から大きく迂回させ、ストーンウォール・ジャクソンの如き、神出鬼没の働きを期待したが、7月22日の攻撃は、そう鮮やかには展開しなかった。狙い目は良かったが、北軍もかつての北軍とは違う。よく訓練され、よく戦い、決定的な破綻は免れていたのだ。
 時間は北軍に味方した。ハーディは期待したほど素早くは迂回できず、南軍が北軍への本格的な攻撃を開始したのは、午後になってからだった。北軍は、将官であるマクファーソンを戦闘中失ったが、シャーマンからの援軍を得て、南軍の攻勢を跳ね返したのだ。
 ちなみに、マクファーソン少将は北軍の中では戦闘中に死んだ将官の中でも最高位の人物だった。

 このアトランタ東側の戦いは、「アトランタの戦い」と呼ばれている。ハーディが攻め込めた最深部地点の名前を取って「ボールド・ヒルの戦い」という呼び方もあるようだが、ほとんど「アトランタ」で統一されている。
 「アトランタの戦い」というと、映画などでも有名なアトランタ陥落の戦いを連想していしまうが、それまではあと一ヶ月アトランタは持ちこたえることになる。

Mr. Tambourine Man2012/10/30 21:37

 私にとっての新ジャンル、モータウンのアルバムは、コツコツと買っては、コツコツと聞いている。
 モータウンの中でも、私の重心は主に、60年代から70年代前半のスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ,スティーヴィー・ワンダー,ジャクソン・ファイブ、そしてマーヴィン・ゲイに置かれている。やはり、男声好きには変わりない。

 ロックとの違いとして驚いたのは、同一の曲を同時期に複数のモータウン・アーチストが歌っていること。
 いわゆる「カバー」とはちょっと違う。モータウンは、ソング・ライティングを担当する専門チームがあり(スモーキーや、スティーヴィーはこのチームの一員でもあった)、その作品をいろいろなアーチストが録音するのだ。
 その一方で、本当の意味でのカバーもある。当時、はやったロックなどもカバーしているのだが…さすがに、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの "Hey Jude" はちょっと違う。ロックはアーチスト当人が演奏するという要素の重さがやはり、違うのだろう。
 スティーヴィー・ワンダーの "Blowin' in the wind" も有名だが、私の感想はいまいち。ディランの原曲はまだ「フォーク」というカテゴリーの頃の作品だが、やはりロック寄りの性質があるのではないだろうか。

 そんな中、スティーヴィー・ワンダーの "Mr. Tambourine Man" は、なかなか良かった。タンバリンのリズムカルなイントロが、ストレートで良い。



 ディランの "Mr. Tambourine Man" オリジナルも、もちろん名作だが、やはりザ・バーズの演奏を聞いてしまうと、こちらの格好良さが圧倒的。



 そして、もちろん「ボブ・フェスト」での、ロジャー・マッグイン with TP&HB…最高!スタンや、ハウイの居る、一番好きな時代のハートブレイカーズ。
 イントロがマディソン・スクェア・ガーデンに鳴り響く瞬間は、60年代ロック黄金期から息づき続いた全ての時間が、一瞬に凝縮されたような感動がある。そして、私は特に、2分25秒くらいからが好き。さらに、必殺!トムさんウィンク!ズキューン!



 バーズによる "Mr. Tambourine Man" はとても有名だが、ウィキペディアによると、1965年だけでも、13ものカバーが発表されたそうだ。そういう時代とは言え、これは凄い。
 中には、こんな物もある。(フランキー・ヴァリ &)ザ・フォー・シーズンズ。これは何というか…彼ららしいと言えば、彼ららしいが、かなり脱力系。



 そういう物もあるのかと印象的だったのは、1984年の、ジーン・クラークによるカバー。20年後の元バーズ。全く異なるアプローチだが、とても感動的で良い出来のカバーだ。ちょっとアルバムを買おうかという気持ちにさせられる。