ロッキー・フェイス・リッジ / レサカ ― 2012/06/11 21:12
1864年になると、西部戦線における南軍の指令官が代わった。ジョーゼフ・ジョンストンである。いくらかのブランクを経て司令官になったジョンストンは、やや消極的という評価がついてまわっていた。「防御に長ける」と言えばリーも同じだが、それほどの褒め言葉ではないらしい。
南部連合大統領デイヴィスは、テネシー州と、その南ジョージア州(州都は南部最大の都市,アトランタ)の州境付近で膠着した戦線を打開し、テネシー州を奪還せよと、ジョンストンに命じていた。これに対し、ジョンストンは物資や兵士の数から現実的に判断したのか、それとも本当に消極的なのか、春になるまで大きな動きは見せなかった。
一方、グラントから西部戦線を任された北軍のシャーマンは、当然さらに南下してアトランタを落とすことを、まず第一の目標としていた。
春を迎えた5月。いよいよ、シャーマンは動き出した。マクファーソン,スコフィールド,トーマスの三人の少将が率いる三つの軍 ― 総勢100000以上が、動き始めたのだ。
一方、60000の兵と少数の騎兵(ホイーラーの騎兵)を率いるジョンストンは、南北にのびるアトランタへの補給の生命線,西部・大西洋鉄道を守るべく、その西側,ロッキーフェイスリッジの山沿いに、ジョン・ベル・フットや、ハーディの軍勢を配置して、これを迎え撃った。時に、1864年5月4日のことである。
北軍のシャーマンが巧妙だったのは、いかに数で勝っていても、主力で南軍の正面を全力攻撃はしなかったことである。彼は気が長いのかも知れない。なにもこの一戦で南軍を壊滅させる必要はない。要は、アトランタまで大軍を引っ張っていき、この重要拠点を落とせば良いのである。
シャーマンは数の優位を活かし、まずは南軍の正面を突き、それに対する抵抗に耐えつつ、別同軍を南軍の左翼に回り込ませてゆくという作戦をとった。
必然的に、北軍の先鋒はどんどん南下する。南軍はアトランタを守るために、後退せざるを得なかった。そういうジリジリとした戦闘が約1週間続く。
5月17日には、さらに南下して戦闘はレサカ付近で行われた。レサカは南軍にとって、一定の「食い止め」になった。南軍の左翼に回った北軍は補給路が延びていたし、大軍とは言え、先鋒が先に行きすぎると、戦力の分散になる。
ここでシャーマンは慎重さを発揮して、北軍がまとまるのを待った。これによってジョンストンの南軍は破綻を免れたが、反撃に出ることはできず鉄道を守るにとどまっていた。
レサカ。アトランタまであと100kmほどの距離まで、北軍は迫っていた。
南部連合大統領デイヴィスは、テネシー州と、その南ジョージア州(州都は南部最大の都市,アトランタ)の州境付近で膠着した戦線を打開し、テネシー州を奪還せよと、ジョンストンに命じていた。これに対し、ジョンストンは物資や兵士の数から現実的に判断したのか、それとも本当に消極的なのか、春になるまで大きな動きは見せなかった。
一方、グラントから西部戦線を任された北軍のシャーマンは、当然さらに南下してアトランタを落とすことを、まず第一の目標としていた。
春を迎えた5月。いよいよ、シャーマンは動き出した。マクファーソン,スコフィールド,トーマスの三人の少将が率いる三つの軍 ― 総勢100000以上が、動き始めたのだ。
一方、60000の兵と少数の騎兵(ホイーラーの騎兵)を率いるジョンストンは、南北にのびるアトランタへの補給の生命線,西部・大西洋鉄道を守るべく、その西側,ロッキーフェイスリッジの山沿いに、ジョン・ベル・フットや、ハーディの軍勢を配置して、これを迎え撃った。時に、1864年5月4日のことである。
北軍のシャーマンが巧妙だったのは、いかに数で勝っていても、主力で南軍の正面を全力攻撃はしなかったことである。彼は気が長いのかも知れない。なにもこの一戦で南軍を壊滅させる必要はない。要は、アトランタまで大軍を引っ張っていき、この重要拠点を落とせば良いのである。
シャーマンは数の優位を活かし、まずは南軍の正面を突き、それに対する抵抗に耐えつつ、別同軍を南軍の左翼に回り込ませてゆくという作戦をとった。
必然的に、北軍の先鋒はどんどん南下する。南軍はアトランタを守るために、後退せざるを得なかった。そういうジリジリとした戦闘が約1週間続く。
5月17日には、さらに南下して戦闘はレサカ付近で行われた。レサカは南軍にとって、一定の「食い止め」になった。南軍の左翼に回った北軍は補給路が延びていたし、大軍とは言え、先鋒が先に行きすぎると、戦力の分散になる。
ここでシャーマンは慎重さを発揮して、北軍がまとまるのを待った。これによってジョンストンの南軍は破綻を免れたが、反撃に出ることはできず鉄道を守るにとどまっていた。
レサカ。アトランタまであと100kmほどの距離まで、北軍は迫っていた。
コメント
_ dema ― 2012/06/17 20:59
_ NI ぶち ― 2012/06/24 22:46
>demaさん
西部戦線の後を託されたのがシャーマンでなかったら、戦争終結の時期もちょっと延びていたかも知れませんね。時々軽いことはやっても、大幅に後退を強いられるような無茶なことはしない辺り、グラントも安心だったのでしょう。
ジョンストンに関しては、南部人事の難しさ(要するにデイヴィスとの人間関係)を思い知らされますね。もっと権限と時間を与えていれば…どうかな。リーほどではないにしても、もう少し評価も上向きかも知れませんね。
戦争短編集、面白そう。探してみます。
西部戦線の後を託されたのがシャーマンでなかったら、戦争終結の時期もちょっと延びていたかも知れませんね。時々軽いことはやっても、大幅に後退を強いられるような無茶なことはしない辺り、グラントも安心だったのでしょう。
ジョンストンに関しては、南部人事の難しさ(要するにデイヴィスとの人間関係)を思い知らされますね。もっと権限と時間を与えていれば…どうかな。リーほどではないにしても、もう少し評価も上向きかも知れませんね。
戦争短編集、面白そう。探してみます。
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ジョンストンは、巧みな陣地防御から、突出してきた敵を一気に叩くのが身上だったといいます。東部戦線でも西部戦線でも、巧みな防御までで、一気に叩く前に司令官を降りてしまっているので、真価がわからないままです。やらせてみたかったですね。
A・ビアスの戦争短編集の中でも、「レサカにて戦死」は、傑作のひとつだと思います。彼の人間への冷ややかな蔑視がストレートに綴られています。