サミュエル・クレメンズ2009/10/02 23:50

 私のパソコンは、ハードディスクが壊れて修理に出されたきり、返ってこない。現在のPC環境は借り物で、インターネット通信も不便なため、ウェッブサイトの更新も出来ないし、YouTubeで動画を見ることもできない。
 ましてや、TP&HBのSuper Highway購入など夢の様な話。これは中々面倒なシロモノらしいので、私が技術鎖国状態であるうちに、ファンのみなさんに道ならしをしていただき、その後にハイウェイを悠々と行きたいと思う。無論、心情的にはまったく悠々とはしていないのだが…。

 一方、ポメラは当然無事なので、「カントム」の翻訳はじわじわ続けている。もっとも、それをサイトにアップするPCが無い。  エピローグとされた、[Highway Companion] の所を、翻訳している。

 トムさんは、このソロ・アルバムの中でもひときわ "Down South" がお気に入りのようだ。私も大好きな曲で、特にコーラスの歌詞および、メロディの美しさと、ヴァースのナンセンスな感じの対照が良い。トムさん自身で選ぶ好きな曲トップ10に入るそうだ。
 第2ヴァースに、こんな歌詞がある。

Create myself down South / Impress all the women
Pretend I'm Samuel Clemens / Wear seer sucker and white lines


 この箇所について、「カントム」で、トムさんはこうコメントしている。

 笑えるよね。こいつを演奏した時、サミュエル・クレメンズが何者か、知っている人がいなかったんだ。参ったよ(笑)。若い連中ってのには。とにかく、彼はぼくのヒーローの一人なんだ。

 参ったよ、私も知らない。
 しかし、「カントム」には“サミュエル・クレメンズ”のすぐ後に、括弧書きで著者のポール・ゾロがその正体が記している。
 マーク・トウェイン。
 果たして、アメリカ人の間ではマーク・トウェインの本名が、サミュエル・クレメンズであることは常識なのだろうか。夏目金之助のように?(それだって別に日本人の常識ではなかろう。)今、周囲にアメリカ人がいないのでよく解らない。
 [Highway Companion] の日本国内版の対訳には、ちゃんと注として「マーク・トウェインの本名」と書き添えてあった。最近、日本国内版の解説などをほとんど読まないので、まったく知らなかった。

 マーク・トウェイン、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ。1835年ミズーリ州生まれ。1910年コネチカット州で亡くなったこのアメリカ人作家は、日本においては圧倒的に「トム・ソーヤーの冒険」の作者として有名だ。本国では、「ハックルベリー・フィンの冒険」の方が文学的評価が高く、代表作とされるらしい。
 生まれた家は貧しく、若い頃から印刷工や、ミシシッピ川の水先案内人として働いていた(彼のペンネームは、水先案内人用語に由来している)。

 トウェインが26歳のとき、南北戦争が勃発。彼は南部連合国軍に志願した。
 彼が身を投じたマリオン・レンジャーズは、サウス・カロライナ州マリオンで結成された志願兵集団で、テンチ家の兄弟たち(ベンモント・テンチの曽祖父とその弟二人)が、地元ニューナンでやはり志願兵集団ニューナン・ガーズに身を投じたのと同じようなものだろう。
 マリオン・レンジャーズはサウス・カロライナ騎兵第一連隊に編入され、斥候・偵察に従事した。しかし、マーク・トウェインが実際にその仕事を行ったかというと、甚だ怪しい。彼は2週間で軍隊をやめているのだ。どうやら脱走したらしい。
 トウェインは短期間とはいえ南軍に身を投じ、そして故郷である南部を心から愛していた。それと同時に、黒人差別への強い批判精神を持っていたことは、特に「ハックルベリー・フィンの冒険」に濃厚に現れている。「南部人=黒人差別」という単純な構図では、完全には説明し切れない、複雑さの象徴とも言えるだろう。

 その後、新聞社で記者生活を経て、紀行文などが評判となり、やがて作家としてアメリカに巨大な遺産を残すことになる。
 さらに、いわゆる「ユーモリスト」として有名であると同時に、痛烈な社会に対する批評家でもあった。

 トムさんのヒーローの一人が、マーク・トウェイン。なるほど、と思うと同時に、そういえばトウェインの作品とまともに読んだことがない事に気づいた。昔、子供向きの編集版「トム・ソーヤー」を読んだことはあるが、トウェインの原書訳を読んだことは無い。
 私には、「シェイクスピアは死んでいるか?」などが面白いかもしれない。