フェリックス・メンデルスゾーン2009/04/09 22:31

 日本語ウィキペディアによると、今日4月9日は、南北戦争が終結した日だそうだ。
 正確には、リーがアポマトックスで北軍に降伏したのが1865年4月9日のこと。南部連合の首都リッチモンドはそれよりも前、4月3日には陥落している。首都を逃れた南部連合国大統領デイヴィスが逮捕されたのは、ずっと後の5月。
 さらに、南部の深部ではまだ南軍の抵抗が続いており、4月9日をもって終戦,戦闘がピタリと止まったわけではなかった。テンチ家の兄弟たちが降伏するのも、5月になってからである。

 本題。
 前項で、「アラブ風」ということになっている、長い名前の人物に言及して、思いだした。クラシックの作曲家で長い名前の人と言えば、一番に思い出すのが、ヤーコプ・ルードヴィッヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ。通常、フェリックス・メンデルスゾーンで知られている。
 今年2009年は、メンデルスゾーンの生誕200年。誕生日には賑々しいイベントが行われ、日本の普通のニュースにも取り上げられるに違いないと思っていた。そこで、彼の誕生日を確認してみると、なんと過ぎていた。2月3日生まれ…しかし、そんなニュースは目にしなかった。
 私は誕生日を認識していなかったくせに、この状況に憤慨してしまった。確かに、モーツァルトやベートーヴェンほどのビッグ・ネームではないが、メンデルスゾーンはかなり良いやつだ。…これは、私の中の偏見。ともあれ、今年は一年間メンデルスゾーン・イヤーとして、さまざまな演奏会が企画されている。
 ちなみに、来年2010年はロベルト・シューマンと、フレデリック・ショパンの生誕200年。特にショパンは人気のある作曲家なので、これはかなり商業的にも賑やかな事になるだろう。オリンピックに挑む浅田真央は、ショートとフリーに、それぞれシューマン,ショパンを持ってくれば良いのに(変な編曲不可!)。
 さらに言えば、2011年はフランツ・リストの生誕200年。この3年間の生誕密度はクラシックにおいては、他に類を見ない。

 メンデルスゾーンは、良く知られている他のクラシック作曲家とは、かなり異なった育ちをしている。ものすごい大金持ちの家のお坊ちゃまなのだ。
 私は彼を、クラシック界のベンモント・テンチだと思っている。(いや、ベンモントがロック界のメンデルスゾーンなのか…?)

 日本ではあまり知られていないが、フェリックスの祖父モーゼスも、かなりの有名人である。啓蒙主義からロマン派へという思想潮流にあった18世紀末における、偉大なる哲学者なのだ。モーゼスは貧しいユダヤ人として生まれたが、その哲学思想と業績は、哲学史に燦然と輝いている…らしい。私も多くの日本人のご多聞に漏れず、哲学はほとんど分からない。ただし、この偉大な祖父は、フェリックスが生まれる前に亡くなっている。
 モーゼスの二人の息子は銀行家となった。メンデルスゾーン&Co.銀行はベルリンで創業し、メンデルゾーン兄弟の弟エイブラハムに息子フェリックスが生まれる頃には、かなりの成功をおさめていた。
 エイブラハムの代で、一家はキリスト教に改宗し、名前の最後に来る「バルトルディ」は、キリスト教徒としての名前としてつけられた。しかし、フェリックスは敬虔なクリスチャンであると同時に、ユダヤ人である自己を強く認識しており、バルトルディの名はあまり使わなかったようだ。

 フェリックスはその裕福な家庭で十分な教育を受け、五ヶ国語を操り、そして音楽において天賦の才能を開花させた。
 彼の功績についてはここでは詳しく述べないが - いくらか、別の機会に語りたいこともある - 私が好意を持っている理由のひとつに、彼がバッハ・オタクだったことがある。
 メンデルスゾーンはバッハと、その作品の偉大さに敬意を持ち、それ知らしめることに尽力した。今日、私たちがバッハの音楽に慣れ親しむことができるのは、一部メンデルスゾーンのおかげでもある。
 そして、メンデルスゾーンはバッハを愛するあまり、自分でもバッハの形式を模した作品を残している。ピアノ科の学生にとってはおなじみのピアノ作品の数々の中には、そういた「バッハ萌え」の曲があり、これが私の好みなのである。…要するに、私もフェリックスと同じく、バッハ好きらしい(ただし、自分で演奏する範囲のみ)。
 ビートルズが好きなあまり、ビートルズっぽい曲を作って、「ビートルズっぽいね!」と評されて喜ぶ様が、フェリックスに近いものがある…かも知れない。

 メンデルスゾーン&Co. は良好な経営を続け成功をおさめたが、20世紀にドイツでナチ党が政権を取ると、ユダヤ系として政府に資本を接収され、解体に追い込まれた。そのメンデルスゾーン&Co.の資本を取り込んだのが、今も世界有数の銀行として君臨している、ドイツ銀行である。