TALISK2021/05/01 22:15

 ケルト系音楽で、久々にこれは凄いというものに出会った。
 バンドの名前はタリスク TALISK ―― スコットランドのバンドだ。2016年の演奏,"Echo" が凄い。



 まず圧倒されるのは、ボタン・アコーディオンの一種であるコンサティーナの凄まじい演奏だ。私はピアニストなので並みの速弾きには驚かないが、これには度肝を抜かれた。この楽器の性能の限界まで追い詰めたテクニックではないだろうか。
 演奏者のモーセン・アミニはアイリッシュ・ミュージックでコンサティーナの腕を磨いたという。彼の母親はイングランド人、父親はイラン人だろうだ。その演奏の速さ、正確さ、強弱、アーティキュレーションすべてが高度なレベレルで圧縮されたような、圧巻の演奏。これには参った。

 フィドルのヘイリー・キーナンも上手いが、私が心ひかれたのは、ギターのクレイグ・アーヴィング。ものすごく上手い。実はアーヴィングは2016年のアルバム [Abyss] 発表以降、他のバンドに移籍している。
 ギターが変わるその変遷期に、同じ "Echo" を演奏している動画もあるが、圧倒的にギターの技術が追いついていないのが如実にわかってしまったのだから、アーヴィングがどれほどの名手だったのかが分かるという物だ。

 幸い、アーヴィングの後任グレム・アームストロングも、レベルを合わせてきて、2019年には二枚目のアルバム [Beyond] を発表した。一枚目が評判だったこともあり、二枚目は日本版も発売された。解説は、なんと天辰保文さん。天辰さん、この手の音楽も分野なんだ。
 そして2019年末には来日公演も行われている。しまった。もっと早く知るべきだった。
 来日公演のチラシに印刷されたキャッチフレーズは、「野獣降臨!」 ―― どうしてこういうダサいフレーズをつけるのか。昔、エアロスミスが同じような目に遭っていたような気がする。
 どうやら、アミニのライブでの熱いパフォーマンスを称して「野獣」と言っているらしい。そのエネルギッシュな様子を描写したつもりなのか。
 こういう音楽は、人間だからこそ、できるものであり、野の獣とはかけ離れている。
 ライブ映像は、2019年ケンブリッジ・フォーク・フェスティバルから "Dystopia" ――



 ものすごく格好良い。―― が、メンバー三人以外の音もかなりミックスされているので、ちょっとやぼったいかな。三人だけでも十分に会場を熱く出来るだろう。

 もちろん、アルバム2枚は即購入。ライブ演奏よりやや固いが、何度聞いても良い。
 スコットランドのフォークというと、ハイランド・バグパイプをビャービャー鳴らすだけという偏見を一気に払拭した、タリスクから目が離せない。

Four BOSEs2021/05/05 19:56

 私は音楽好きの割に、オーディオにこらない方だと思っている。アナログ・レコード収集の趣味もないし、何十、何百万円もするような、高級スピーカーにも興味がない。クラシックのファンなどで、もの凄い高額のオーディオを購入している人がいるが、そんなお金があったら欧州の演奏会に行くか、自分で演奏すれば良いのにと思う。
 そうは言っても、自分の身の周りを見ると、音楽を聴く機材としては、Bose をいくつか ―― 正確には四つ持っていることに気付いた。
 Bose は1960年代にアメリカで創業した高級オーディオメーカーだが、家庭用にも少し安価な製品も提供している。だから、高級ブランドだが、なんとか手が届く程度の物も出してくれているという、ありがたい存在なのだ。



 CD プレイヤーとして愛用しているのが、 Wave Music System ―― 最近、修理のために二度も入院した。これがないと、CD をまともな音で聞くことが出来ないので、欠くことが出来ない。
 やや低音が強すぎるのだが(むしろそこが Bose のウリである)、慣れてくるとすんなり聞ける。
 自分が持っているモデルが気に入っているので、これがだめになると困る。今のモデルは、見た目がちょっとやぼったいのだ。

 ヘッドフォンに目を向けると、まず愛用の、QuietComfort 20 ―― これについては、2015年3月29日に記事にしている。
 2015年に購入した一台目は引退しており、今は二台目を使っている。とにもかくにも、このノイズ・キャンセリングがないと、公共交通機関を利用することが出来ないし、飛行機など論外である。
 私が使っているモデルは、有線だ。だいぶ前に無線タイプも発売されたのだが、性能と信頼性の二点において、購入には至っていない。無線タイプはまず駆動時間が10時間未満なのだ。これでは困る。欧州やアメリカへの飛行時間に足りない。「機内で充電すれば」という人が居たが、使用しながら充電すると、ノイズが発声するので、この案は却下なのだ。それから、購入した複数の知人が言うには、すぐに故障したのだという。どうもインターネット上の評価でも、信頼性に問題があるようだ。
 そのような訳で、無線が主流の今になっても、有線の QuietComfort 20 はとても大事な相棒で、欠かすことが出来ない。そのうち Bose が製造を停止するのではなかろうかと恐れた私は(そんな事実は無い)、使用中の二台目が健在な今のうちに、すでに三台目を購入して、大事に保管しているのだ。

 さて、家で仕事をするようになり、パソコンでヘットフォンを使う機会が増えた。私は何の疑問も持たずに QuietComfort を使っていた。ワークアウトの際も、プレイヤーが有線しか対応していないこともあって、同じく QuietComfort で済ましていたのだが、もっと QuietComfort の使用頻度を落として、大事にする必要があるのではないかと思うようになった。
 それに、仕事やワークアウトの時は、無線の方がだんぜん使いやすい。そこで購入したのが、Bose の Soundsport である。流行の buds タイプは却下。絶対に落とす。Soundsport は、本体同士がコードで繋がっているので、紛失の恐れは格段に低くなる。
 音楽プレイヤーも、ワークアウト時専用として、こちらは安物 ―― 3000円程度の Bluetooth 対応の機種を購入。



 現在のところ、使い心地は良好。やはり無線は便利だ。
 外でのワークアウト時は、車の音などに気をつけなければならない。面白いことに、この Soundsport は、車などの音もきちんと聞こえつつ、音楽の音質も凄く良い。これは良い買い物ををした。

 Bose にはこれからも、なんとか手が届く値段でありつつも、高品質の製品を期待している。

さよなら Moto2021/05/09 20:07

 連休中に、本と CD の整理をした。俗に言う断捨離だが、別に部屋が散らかっているわけではない。数をいくらか減らさないと、新たに購入した分を収納できないので、不要,聞かない CD は売却することにしたのだ。
 そして、とうとう全ての邦楽を処分するに至った。

 以前、時々洋楽に混じって邦楽を聴くことがあったが、最近はすっかり聴かなくなった。本当に自分は洋楽好きなんだなぁと実感する。
 そんな中でも、最後まで残っていた邦楽が、佐野元春だった。

 佐野元春を知ったのは、たぶん中学生の頃だったと思う。ビートルズに出会った後だろう。兄が佐野元春を聴いていた。代表曲の "Someday" は既に「永遠の名作」と呼ばれていた。中学生にとって、"Someday" は心に刺さらずにはいられない曲だろう。
 高校生のころ、お金をためてシングル集を購入して、聴き倒していた。
 やがてもっと自由に CD が買えるようになると、欲しい洋楽に混ざって、佐野元春のアルバムも集めていった。
 初期の名作アルバム群も良いし、90年代の [Sweet 16] や、[Barn] なども好きだった。

 しかし、2004年、[The Sun] が発表されたとき、佐野元春と私の分かれ道がやってきた。このアルバムは、発表されると同時に購入したのだが、聴いてみると、失望感が広がった。
 そこには、私の好きな佐野元春がいなかった。これは違う ―― 私の心が彼から離れた瞬間だった。あの悲しいような、空しいような体験は、忘れられない失望感として覚えている。
 そのときから、私と佐野元春の音楽は離れていった。かつて感動した数々の音楽がなんとなく空々しく思えるようになった。
 iPod のアルバム・シャッフルをして、偶然、佐野元春のアルバムになったときも、最初は懐かしく聴き始めるのだが、すぐに飛ばしてしまうようになった。
 [The Sun] というアルバム一枚が、私には合わなかっただけなのに。どうしてこうなってしまったのだろう。そう思いつつも、名曲揃いの大量の洋楽に押し流されて、私の心が佐野元春のところに戻ることはなかった。新譜も、ふっつり買わなくなってしまった。

 そして今年の春。
 私は佐野元春のアルバムを、全て処分することにした。どこかで、心の痛みや、後ろめたさを感じていたような気がする。でも、手元に残しておこうという、強い理由もなかった。
 なんとなく、また聴きたくなったら、買い直せば良いと思っている。
 こうして、本と CD 併せて90点は、6,650円の現金となり、収納スペースが増えた。たぶん、これで良かったのだと思う。

 さよなら、Moto ―― さよなら、中学生だった私。さよなら、確実に、ある時期ファンだった佐野元春。また、いつか。会う日が来るなら、その日まで ――

Drivin' Down To Georgia (Official Video)2021/05/13 21:45

 トム・ペティが1992年に録音した、"Drivin' Down To Georgia" の公式ビデオが公開された。1995年のツアーでのトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの姿をコラージュしたような作品で、とても格好良い。



 トムさん、格好良い…!若トムと、渋トムのハイブリッド期。
 シャツが…シャツ…?これ、素材はなんだろう?なんか、ふわふわしている。確か、1997年のフィルモアの時も、ふわふわ系のシャツを着ているのを見たことがある。個人的な趣味としては、シャツはパリっとしている方が良いな。
 笑顔が可愛いし、この曲の出来に満足しているような表情も印象的。…というか、このトムさん、ある意味「まとも」ではないような…何かイケない物でキメてるんじゃないかという感じも…するなぁ。

 一つ、私にとってちょっとした謎なのは、映像提供者の名前の中に、ロン・ブレアがあることだ。
 私の頭の中の、大雑把なハートブレイカーズ史によると、1995年時点ではまだ、彼はハートブレイカーズに復帰していない。マイクはプライベートでロンと交流を続けていたから、関係が断絶していたわけではないが、1995年のツアーをコラージュした作品の映像提供者がロンだというのは、ちょっと理屈に合わない。
 こういうときは、TP&HB のファン・コミュニティである、ハートブレイカーズ・ジャパン・パーティさんに質問すると、大抵のことは解決する。
 しかし、この社会状況下、直接会っての交流ができないでいるので、質問しそこなっている。しばらくは謎としてとどまりそうだ。

Come Together2021/05/17 22:09

 リンゴが、テレビのトークショーに、オンライン・ゲストとして参加し、質問コーナーにチャレンジした。
 サンドイッチは何が好きかとか、リンゴかオレンジかとか(もちろんリンゴ)、そして「残りの人生で聴くのに1曲のみを選ぶとしたら? One song to listen to for the rest of your life?」という質問が。
 するとリンゴは、間を置かずに "Come Together" を挙げた。ビートルズの中でもお気に入りの曲だし、なんと言っても四人がバンドとして演奏しており、ジョンはジョンらしく振る舞っているから ―― だそうだ。

 この "Come Together" という選択、なかなか絶妙ではないか。
 ビートルズ以外の曲だと、期待を裏切ってつまらないし、ジョージの曲だと個人的な贔屓が過ぎる上に、レノン=マッカートニー連合(暴走族ではない)が怒り狂いそうだ。さらにポールの曲だったら、さらにに怒る人が多そうだし。
 その点 "Come Together" というジョンのやや渋い曲を選んだのは、さすがリンゴ。だてに80年生きていない。



 "Come Together" のアウトロを聴くと、自然と "Something" の出だしのドラムスが思い浮かぶ。

 "Come Together" には、当然たくさんカバーがある。大物だと、マイケル・ジャクソンとか、エアロスミスとか。ブルース・スプリングスティーンとアクセル・ローズという取り合わせもあるが、どちらも遠慮しておく。
 面白かったのは、こちら。オーディエンス録画ではあるが、ザ・ローリング・ストーンズ。



 キースが持っているのは何だろう?ホワイト・ファルコン?あまり活躍していないけど…
 白眉は、なんと言ってもミックのハーモニカだろう。この独特のグルーヴを持つ曲に、上手くマッチさせたハーモニカが最高だ。

Aye Right2021/05/21 20:41

 スコットランドのフォーク・バンド、タリスクにすっかり魅了されてしまい、二枚のアルバムを何度も繰り返して聴いている。
 中でも先日の記事でも紹介した "Echo" が秀逸すぎる。自分でも演奏したくてたまらない。

 タリスクの演奏の原曲は、スコットランドのフィドラーだった、アンガス・グラントが作曲した "Aye Right" という曲である。
 こちらのセットでは、1分57分から始まるのが、"Aye Right" だ。



 フィドラーが作っただけに、フィドルで弾きやすい調になっている。
 ケルティック・ミュージックをやる人はみんなお世話になっているサイト、The Session にも、"Aye Right" が掲載されていて、とてもありがたい。

The Session "Aye Right"

 この曲を弾きたい余り、コンサティーナを習うことを一瞬考えて、検索などしたのだが、さすがに無理。
 ホイッスルの先生は、「新しい楽器だって、まだやれる」と言って励ましてくださるが、経験のある楽器と仕組みが違いすぎるし、私には手が小さい、腕力が無いというハンデもあって、"Echo" の域にはとても達しないだろう…

 ありがたいことに D の譜面もある。
 よし、これをティン・ホイッスルで吹くぞ!と思ったは良いが、このリール、ホイッスルでは吹きにくいこと、この上ない。オクターブの跳躍が多すぎて、ホイッスルでは無理なのだ。

 そこで私は、邪道を思いついた。
 鍵盤ハーモニカなら、いけるんじゃないか…?!
 コンサティーナと同じリード楽器だし、「大人のピアニカ」なら、いけるんじゃないか…?!ハイ F まで出るし、第一、お得意の(?)鍵盤だ。
 そもそも、私は以前から「大人のピアニカ」を買う口実を探していたのだ…これは神のお導きではないか?!

 ホイッスルの先生は、私の「鍵盤ハーモニカ」という思いつきに、苦り切っている。
 しかし、"Echo" を弾いてみたいという、私の野望を叶える道の一つだ。ここはまず、ピアノでイン・テンポ演奏できるように練習するところから、始めようと思う。

 タリスクによる、"Echo" のライブ演奏。2017年で、3分47秒から。素晴らしすぎる。本当にこれ、やってみたい!

 

The Times They Are A-Changin'2021/05/25 20:32

 昨日5月24日、ボブ・ディランは80回目の誕生日を迎えた。
 おめでとう、ディラン様!あなたがいるだけで、同じ人類として生まれたことを、誇ることが出来る。

 お祝いに、ディラン様の何を聴こうかなと思ったとき、すでに頭の中に曲が流れていた。"The Time They Are A-Changin'" ―― よし、これにしよう。
 ディランにしては、歌詞が良く聞き取れる方の曲だ。特に好きなのは、"Don't critisize what you can't understand" というところ。



 名曲なので、当然カバーも多い。
 まずは定番、ザ・バーズから。



 いかにもザ・バーズという、キラキラ・リッケンバッカーに美しいコーラス。お得意のディランのカバー…しかし、"Mr.Tambourine Man" や "My Back Pages" のような、ディランよりもバーズの方が良いというほどの名作に比べると、ちょっともの足りない。
 たぶん、サビの編曲の問題だろう。やや窮屈に詞を押し込んでしまったようで、中途半端な感じがするのだ。

 その点、こちらのフィル・コリンズは伸び伸びとやっているので、凄く良い。おそらく、1990年代のライブだろう。



 いかにも1990年代というオシャレで洗練されて、でもしっかり分厚いサウンド。
 なんと言っても、コリンズの堂々たる歌いっぷりが最高だ。さらに、シンセサイザーを用いて、ハイランド・バグパイプのようなサウンドを、フォーク風に使うところも上手い。ディランの音楽には、トラディショナル・フォークの要素がふんだんに盛り込まれていることを、しっかりとくみ取り、際立たせている。

 最後に、トム・オデールによるカバー。歌詞の紙がピアノに長々と貼り付けてある。
 私はこの金髪青年がどうも好きらしい。私が好きなあの人や、この人の要素をいろいろと部分的に持っていて、一生懸命でいじらしい。
 曲と作者の名前に負けずに力強く歌い上げ、最後のピアノ・ソロで見事のミスるのはご愛敬だ。

I'm Henry the Eighth, I Am2021/05/29 19:47

 クラウス・フォアマンが UK の雑誌のインタビューに答えて、ジョージに初めて会った頃の事を語った。

クラウス・フォアマン、ビートルズのジョージ・ハリスンと初めて会った時のことを振り返る
 「初めてジョージに会った時、彼は弱冠17歳だったんだ。後のジョージとはまったく違っていたね。生意気なガキでさ。彼のいたバンドはまったくの無名だったんだ。
 ジョージは面白おかしい曲を歌っていたよ。後にも少しやるようなね。くつろぎながらウクレレを弾いていた。“I’m Henery the Eighth, I Am”みたいな曲をコックニー訛りで歌っていたんだ。あとは、“Twenty Flight Rock”みたいなエディ・コクランの曲なんかを歌っていたね。」


 エディ・コクランの "Twenty Flight Rock" は、わかる。たしか、[The Beatles Anthology] でも言及されていたと思う。
 興味をひかれたのは、もう一曲 "I'm Henry the Eighth, I Am" である。もっともリヴァプール訛りのきついジョージが、コックニー訛り(ロンドンの下町のアクセント)で?
   "I'm Henry the Eighth, I Am" は、1910年に作曲された古いコミック・ソングだそうだ。ヘンリー8世は、六回結婚したことで有名な人物だが、要するに「自分はヘンリー8世なみの女ったらしだ」という、コミカルな歌詞である。その歌詞をコックニー訛りに歌うのが通例で、Henry の "H" は発音しない(コックニー・アクセントに関しては、ノエル・フィールディングを参照すると良い)。
 そして、これを1962年にレコーディングしてヒットさせたのが、ジョー・ブラウンだった。
 ジョー・ブラウンといったら、日本人にとっては [Concert for George] での感動的な存在感が印象的に違いない。しかし UK では、60年代初期から有名な人で、ジョージはジョー・ブラウンのファンだった。それで、"I'm Henry the Eighth, I Am" を歌っていたというわけだ。



 おお!ジョー・ブラウン、若い!
 ジョージがハンブルグでクラウスたちとつるんでいた頃から、ウクレレをいじっていたというのは…本当だろうか?クラウス的に、ジョージといえばウクレレという印象が強すぎて、ハンブルグ時代のジョージにも、ウクレレが張り付いたのではないかと、疑っている。

 "I'm Henry the Eighth, I Am" に関しては、1965年にハーマンズ・ハーミッツもカバーして、それなりにヒットさせたそうだ。
 しかし、あまり芸の無いカバー。どうしてヒットしたのだろう。マージ-・ビート旋風のなせる技だろうか。