しあわせな水曜日だった2019/07/10 23:23

 7月5日に亡くなった、芝祐靖先生のご冥福をお祈りいたします。

 芝先生は、楽家に生まれ、宮内庁楽部に勤められ、若くして退官された後は、さらに広い世界で雅楽の演奏、普及に努めてこられた。龍笛の名手にして、ほかの楽器にも精通されていた。そして古楽の復曲、新作の作曲に情熱を傾けられ、伶楽舎をはじめとする雅楽団体での演奏を盛んに行われた。
 後進の指導にもつとめられ、多くの学校や教室、団体で雅楽愛好者に指導された。こどものための雅楽の作曲や上演、普及活動にも熱心だった。
 芝先生の存在なしに、今日、私たちが雅楽を楽しめる世界はあり得なかった。まさに、雅楽における太陽であった。

 私の音大時代、芝先生は毎週水曜日に大学にいらした。
 まず先生自身が和室の掃除をして、二限目の初心者クラスを待っていた。明るく、優しい先生は、やってきた学生たちを、「いらっしゃ~い!」と素敵な笑顔で迎えてくださった。
 お昼休みは、学科の研究室でランチを食べる。もともと明るい研究室が、芝先生の存在でさらに明るくなった。ふだん傲岸な教授も、芝先生の前ではこども同然だった。
 三限目中級、四限目上級。私や雅楽好き仲間は、必須ではない四年生になっても上級クラスに出て、先生との授業を楽しんだ。
 お茶やお菓子が出て、我が母校らしいほのぼのとした雰囲気は最高だった。さすがに音大生で、学生たちは器用だ。先生は様々な曲に挑戦させてくださった。
 私たちが三年生の時、「陵王一具ができるよ」と言い出したのは、芝先生だった。「蘭陵王」の舞楽、「陵王一具」をやるなどという大それたことは、私たち自身は想像もしていなかった。でも、先生のひとことで、私たちはすっかりその気になった。やろう、やろうと言って、本当に学園祭で披露したのだ。装束はすべて先生が貸してくださった。

 芝先生は、学生たちをとてもかわいがってくださり、飲み会などにも積極的にいらした。
 ある年の新入生歓迎会で、「えぇ~非常勤講師の芝です・・・」と自己紹介したときは、周りが「客員教授です!」と慌てた。
 合宿にも、卒業式後の謝恩会にも、明るく楽しい先生の笑顔があった。
 私と仲間たち数人を、ご自宅に招待してくださったこともあった。ふだんビシっとスーツできめている先生が、作務衣で迎えてくださった。

 私は卒業してからもしばらく、社会人向けの教室で、芝先生に龍笛を習った。
 伶楽舎の演奏会でも、先生にご挨拶すると、いつもの笑顔で答えてくださった。
 近年、先生は体調がお悪いこともあり、早く演奏会場を後にされることも多かったし、私も先生がお疲れにならないよう、お声をかけずに帰ることも多くなった。しかし、去年、文化勲章のお祝いを申し上げに行くと、やはり輝くような笑顔で対応してくださった。
 学生時代の思い出を話すと、さらに先生の笑顔が広がった。

 芝先生のいらした水曜日の音大は、しあわせだった。先生はそういう時の創造主であり、青春の光源だった。
 水曜日の音大の和室。芝先生の龍笛はうっとりするほど素晴らしく、琵琶を弾く姿は美しかった。しあわせな水曜日だった。

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