Nicky, John and George2013/09/12 21:04

 ディラン様のブートレグシリーズ10 [Another Self Portrait] が…!なんと…!いよいよ~?!?!届きませんでしたーーー!!

 あの…小声でお尋ねしますが…  船なの…?

 よぉし、これは私にディラン様を渡すまいとする世界的な陰謀だな。よぉく分かった!ふふふふ、身の程知らずめ!こっちは陰謀コンサルタントとしてヘンリー7世を雇ってやる。覚悟しやがれぃ!

 ニッキー・ホプキンズの伝記本は、70年代末まで読み終えたところ。これから終盤に入る。ニッキーは1994年に50歳で亡くなっている。

 前半、ロンドンを拠点にしてザ・フーやキンクス、ストーンズ、ビートルズ、ジェフ・ベック・グループなどのセッションに参加しているニッキーは、私のイメージ通りだった。控えめで大人しく、笑顔が可愛くて天才的なピアニスト。
 しかし、60年代末からアメリカ西海岸での活動を始める辺りから様子がおかしくなる。「ドラッグとアルコール」が、それまでの「お茶とビスケット」のニッキーを駄目にしてしまう。それから、奥さんもかなり問題あり。私はドリーというニッキーの奥さんのことを、オリヴィア・ハリスン系統の人だと思っていたのだが、これは誤解らしい。なんだかもの凄い人で、悪いがニッキーにとっては災いだったというのが、多くの友人の感想だ。

 アメリカですっかりジャンキーに染まる前、解散して間もないビートルズの二人と、ニッキーはセッションの仕事をしている。
 一人はジョン。アルバム [Imagine] などでのニッキーの活躍は有名だ。そして、ジョンのセッションに登場する小野洋子が…ええと…有り体に言うと。

 最低。

 言いたくはないが、最低(笑)←笑うところ。どうやら、周りの人から見て小野洋子はニッキーが嫌いだった模様。理由なんて分かるわけがないが…どうにもジョンがニッキーのことをとても愛していたのがまずかったように読める。"like" ではなく、"love" が使われている。
 もともとクローン病の持病があり、アメリカ暮らしやストーンズとの付き合いで体の具合が良くないニッキー。重いスタジオのドアにてこずっていると、ジョンが飛んできて、「ぼくが開けてあげるよ」と助けてくれる。ジョン…!ジョン…!や、優しい!
 でも、ジョンの気遣いも小野洋子対策的には、逆効果だったろうな。ニッキーに対する態度以外でも、セッションミュージシャンたちの間には、小野洋子とジョンの関係や、彼女の音楽面での口出しに、疑問を持つ人は居たようだ。
 この本を読む限り、ジョージなんて、「ジョンの奥さん」に対して寛容な方だったのかも知れない。

 そんなジョンのセッションとは対照的に、ジョージのセッションは心おだやかなものだった。ジョージのセッションのエピソードはあまり書かれていないし、ジョージとの話もこれと言って無い。
 しかし、本書でジョージのことをニッキーの「メンター mentor 良き理解者,指導者」と表現している。後にニッキーのソロ・アルバムにも参加してくれるジョージ。
 ニッキーがもし、70年代にロンドンにとどまり、もっとジョージの側にいたら、人生と才能を無駄に消耗する、不毛なジャンキー生活はどうなっていただろうか。ジョージにしても色々あった時期なので、単純な想像はできないのだろうが、そう思わずにはいられない。
 ジョージとニッキーのコラボレーションは美しい。その中でも、とりわけ美しいのが、"Give Me Love" ともにこの世には居ない二人。どこかで落ち合って、こんな美しい音楽を奏でているのなら。きっと、奏でているのだろう。優しい、ジョンも一緒にね。