イェロータバン ― 2011/06/29 22:42
北軍の騎兵隊指揮官フィリップ・シェリダン少将は不満だった。
彼の直属上司であるポトマック軍司令官ジョージ・ミードは、シェリダン率いる騎兵を、従来の偵察や敵の突出部分に対する遮蔽といった、消極的な目的にしか使っていなかったからである。
1864年5月、東部戦線において、北軍と南軍は南部連合首都リッチモンドから北西80キロほどの位置で対峙し、ウィルダネス,スポットシルヴァニアで激突していた。そんな中、シェリダンは機動性という騎兵最大の特徴を生かした、大胆な作戦を上に献言した。
即ち、10000にも上る北軍の大規模騎兵隊を、リッチモンドへ長駆,急襲させるというものだった。大軍とは言え防御に弱い騎兵だけで、リッチモンドを落とすことは無論意図していないが、南軍にとっては後方撹乱という意味で、大きな打撃になる。そもそも、南軍には万事余裕が無いのだ。
そして、シェリダンにとって一番の目標は、花咲ける南軍騎兵 ― とりわけその隊長である、ジェブ・スチュアート少将を叩きのめすことである。いまいましいことに、開戦以来騎兵の活躍は、南軍にばかり賞賛が集まり続けていた。先年のブランディ・ステーションではやっと、北軍も南軍騎兵対と互角に戦えると証明されている。シェリダンはここでスチュアートを倒してしまいたかった。
やっかいなリーの歩兵本体は抜きで、スチュアートの騎兵単独と対戦するには、北軍もまた騎兵のみの機動性でおびき出すしか無い。
しかし、せっかくの大胆な作戦も、ミードが許可しなかった。
ミードの消極性にも、無理からぬところがあった。とにかく騎兵は防御が弱い。一歩間違えると、騎兵隊が全滅しかねない。そうなったら、優秀な偵察隊としての騎兵 ― つまり軍隊にとっての目を失うことになる。
「坂の上の雲」に詳しく描かれているが、古来、騎兵の性能を活かして使い切れるのは軍事的天才のみで、日本では義経の一ノ谷(および屋島)と、信長の桶狭間があるのみだと言う。
ともあれ、シェリダンはミードを飛び越し、さらにその上に立つ総司令官であるグラントに彼の作戦を相談した。グラントは、この作戦に魅力を感じた。そこでグラントはミードを説得し、こうしてシェリダンの作戦が実行されるに至ったのである。
騎兵団とは言っても、その数10000。大砲を30基以上率いた大軍団である。長い長い列を作りつつ、シェリダンは北軍本体から離れ、南東リッチモンドへ向かった。
無論、南軍もそれを放置するわけには行かず、同等の移動スピードを持つスチュアートの騎兵4500が、南下した。スチュアートはシェリダンとリッチモンドの間を進み、ある程度の距離を保っていたが、5月11日、リッチモンドからわずか10kmほどのイェロータバンで両軍が激突した。イェロータバンというのは酒場兼旅館の名前で、地名ではない。
スチュアートたちは数的には半分以下、装備的にも劣りつつも、リッチモンドを守るべく耐え続けた。
しかし、午後3時ごろ、南軍の押し返しに対して退却しようとした北軍から放たれた銃弾が、指揮官スチュアートを直撃した。スチュアートは指揮不能に陥り、後送された。すぐさま、指揮権はフィッツヒュー・リーに受け継がれ(先任少将ではなかったが、スチュアートの近くに居たので、このロバート・E・リーの甥が指名されたのだろう)、さらに南軍騎兵団は抵抗を続けた。
やがてシェリダンは戦闘を避けるように南下し、リッチモンドを迂回し、バミューダハンドレッドの後「瓶に閉じ込められていた」バトラーの軍と合流した。
シェリダンの騎兵によるリッチモンド急襲は、リッチモンドそのものを脅かすことにはならなかったし、当面動きの取れないバトラーと合流したという点からも、完璧とは言えなかった。
しかし、彼にとって最大の目的は果たせた ― いや、予想したよりもはるかに大きな戦果だったかもしれない。
後送されたスチュアートが、死んだのだから。
彼の直属上司であるポトマック軍司令官ジョージ・ミードは、シェリダン率いる騎兵を、従来の偵察や敵の突出部分に対する遮蔽といった、消極的な目的にしか使っていなかったからである。
1864年5月、東部戦線において、北軍と南軍は南部連合首都リッチモンドから北西80キロほどの位置で対峙し、ウィルダネス,スポットシルヴァニアで激突していた。そんな中、シェリダンは機動性という騎兵最大の特徴を生かした、大胆な作戦を上に献言した。
即ち、10000にも上る北軍の大規模騎兵隊を、リッチモンドへ長駆,急襲させるというものだった。大軍とは言え防御に弱い騎兵だけで、リッチモンドを落とすことは無論意図していないが、南軍にとっては後方撹乱という意味で、大きな打撃になる。そもそも、南軍には万事余裕が無いのだ。
そして、シェリダンにとって一番の目標は、花咲ける南軍騎兵 ― とりわけその隊長である、ジェブ・スチュアート少将を叩きのめすことである。いまいましいことに、開戦以来騎兵の活躍は、南軍にばかり賞賛が集まり続けていた。先年のブランディ・ステーションではやっと、北軍も南軍騎兵対と互角に戦えると証明されている。シェリダンはここでスチュアートを倒してしまいたかった。
やっかいなリーの歩兵本体は抜きで、スチュアートの騎兵単独と対戦するには、北軍もまた騎兵のみの機動性でおびき出すしか無い。
しかし、せっかくの大胆な作戦も、ミードが許可しなかった。
ミードの消極性にも、無理からぬところがあった。とにかく騎兵は防御が弱い。一歩間違えると、騎兵隊が全滅しかねない。そうなったら、優秀な偵察隊としての騎兵 ― つまり軍隊にとっての目を失うことになる。
「坂の上の雲」に詳しく描かれているが、古来、騎兵の性能を活かして使い切れるのは軍事的天才のみで、日本では義経の一ノ谷(および屋島)と、信長の桶狭間があるのみだと言う。
ともあれ、シェリダンはミードを飛び越し、さらにその上に立つ総司令官であるグラントに彼の作戦を相談した。グラントは、この作戦に魅力を感じた。そこでグラントはミードを説得し、こうしてシェリダンの作戦が実行されるに至ったのである。
騎兵団とは言っても、その数10000。大砲を30基以上率いた大軍団である。長い長い列を作りつつ、シェリダンは北軍本体から離れ、南東リッチモンドへ向かった。
無論、南軍もそれを放置するわけには行かず、同等の移動スピードを持つスチュアートの騎兵4500が、南下した。スチュアートはシェリダンとリッチモンドの間を進み、ある程度の距離を保っていたが、5月11日、リッチモンドからわずか10kmほどのイェロータバンで両軍が激突した。イェロータバンというのは酒場兼旅館の名前で、地名ではない。
スチュアートたちは数的には半分以下、装備的にも劣りつつも、リッチモンドを守るべく耐え続けた。
しかし、午後3時ごろ、南軍の押し返しに対して退却しようとした北軍から放たれた銃弾が、指揮官スチュアートを直撃した。スチュアートは指揮不能に陥り、後送された。すぐさま、指揮権はフィッツヒュー・リーに受け継がれ(先任少将ではなかったが、スチュアートの近くに居たので、このロバート・E・リーの甥が指名されたのだろう)、さらに南軍騎兵団は抵抗を続けた。
やがてシェリダンは戦闘を避けるように南下し、リッチモンドを迂回し、バミューダハンドレッドの後「瓶に閉じ込められていた」バトラーの軍と合流した。
シェリダンの騎兵によるリッチモンド急襲は、リッチモンドそのものを脅かすことにはならなかったし、当面動きの取れないバトラーと合流したという点からも、完璧とは言えなかった。
しかし、彼にとって最大の目的は果たせた ― いや、予想したよりもはるかに大きな戦果だったかもしれない。
後送されたスチュアートが、死んだのだから。
コメント
_ dema ― 2011/07/03 21:31
_ NI ぶち ― 2011/07/04 21:06
>shoutchiさん
そして今日、7月4日は独立記念日にして、南北戦争においてビッグなことが二つ片付いた日ですね。
こんばんは、コメントありがとうございます。
ほんと、スチュアートの場合、「名将」というよりは、「名優」という感じですね。彼の退場は本当に寂しいです。
歴史上の人物を評価するとき、現代的な価値観を入れすぎてはいけない…とは肝に銘じていますが、さすがにシェリダンにつういてはギクっとします。当時でも、いくらか批判があったようです。
フォレストも評価の分かれる人ですね。
そして今日、7月4日は独立記念日にして、南北戦争においてビッグなことが二つ片付いた日ですね。
こんばんは、コメントありがとうございます。
ほんと、スチュアートの場合、「名将」というよりは、「名優」という感じですね。彼の退場は本当に寂しいです。
歴史上の人物を評価するとき、現代的な価値観を入れすぎてはいけない…とは肝に銘じていますが、さすがにシェリダンにつういてはギクっとします。当時でも、いくらか批判があったようです。
フォレストも評価の分かれる人ですね。
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スチュワートの戦死、また1人名優が東部戦線の舞台を去ることになりました。この先彼が生きていたらどんな働きをしたんだろうと思うと、残念ですね。
ところで、この北軍のシェリダン将軍、僕は個人的にはあまり好きではありません。後に彼がインディアン追討軍司令になってからの彼の言葉「よいインディアンとは、死んでいるインディアンだ。」これに、どうしても悪い印象を持ってしまいます。まだ、奴隷商人上がりのフォレストの方が人物的には魅力を感じます。