ハープにチャレンジ / Farm Aid2011/07/03 22:34

 昨日、生まれて初めてハープを弾いた。アイリッシュ(もしくはケルティックなど、名前は様々らしい)ハープのお試しレッスンで、ほんの1時間ほどだった。
 アイリッシュ・ハープはクラシックほど複雑な構造をしていないし、はじけば音がする。アイリッシュ・フルートのように、体格的な問題で不可能というほどでもないから、現実的には出来なく無い楽器だと思うのだが…。1時間のレッスンで私が得た得た結論は、「ピアノとアイリッシュ・ホイッスルを頑張ろう!」…だった。
 確かに理屈的には弾ける楽器だし、どうにかなりそうな気もするが、まともに演奏できるようにするには、凄まじく練習しなければならない。そもそも楽器が出来るようになるには、練習が必要だが、それこそ尋常ではない練習をこなさないと、一曲も弾けない。
 そもそも、ピアノとアイリッシュ・ホイッスルだってまだまだ練習が足りないのだから、これ以上は無理。第一、何年か前に自分の誕生日プレゼントとしてマーチンのウクレレを買ったくせに、全く弾けないではないか。
 とにもかくにも、良い勉強をした。

 その後は、いつもお世話になっている、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズファンの集い(オフ会)で、大いに盛り上がった。
 今回は貴重な映像の数々の鑑賞会。一番強烈だったのは、ボブ・ディラン with TP&HB に乱入参加したスティーヴィー・ニックス。なんだかもう、凄まじすぎてディランでさえドン引き
 それから、トムさんの髪型がツンツルテンに短い、いつぞやのブリッジ・スクール・ベネフィット。ついでにマイクも短かった。何かの罰ゲームか?

 そして、YouTubeにも公式としてアップされている、ファームエイド映像。ディランと共演している映像はよく見るが、TP&HB単独の演奏もあるのだ。
 まずは "Bye Bye Johnny"。途中からだけど、楽しそう。トムさん、くせでブレイクの時に "Come on Mike!" と叫んでいるけど、実際のソロ演奏はサックス。



 最初のファーム・エイドは1985年。肩パットの分厚さもさることながら、やはり特筆すべきはコーラスセクションの充実だろう。どの曲をとっても、ハウイのコーラスの凄さが際立っている。こんな凄いシンガーをコーラスで使っていたとは、いかにこのバンドが贅沢かが分かる。その上、元々コーラスの上手かったスタンも居るし、ベンモントも加わっている。私には、この時の5人に愛惜の思いがある。

Super Group2011/07/06 22:11

 先日出たニュースによると、ミック・ジャガーが、デイヴ・スチュワート,ジョス・ストーン,ダミアン・マーリー,A.R.ラフマーンらと、バンド,Super Heaveyを結成,9月にアルバムを発表するそうだ。
 ミック・ジャガー、スーパーグループを語る

 ミックと同世代のロッカーたちの中では、昔の仲間ともう一度組む ― つまり再結成という、ある意味保守的な動きが盛んだが、ミックは一度も解散していない現役のバンドに属しているとあって、ひと味違う。
 さすがミック、守りに入らずいつでもロックだね!…という気持ちがする一方、ストーンズのファンにとっては複雑だろう。ストーンズ・ファンにとっては、やはりミックはキース,チャーリー,ロニーと一緒にバンドとして活躍してほしい。でも、ミックだってやりたいことをやって、ストーンズへの鋭気を養いたいだろうし…難しいところだ。

 このままミックがストーンズに戻ってこなかったらどうしよう、という心配もあるだろう。ウィルベリーズの時、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの面々や、ファンたちも同様の恐れを抱いたのではないだろうか
 私はウィルベリーズをオンタイムではなく、後追いで知った。私がTP&HBのファンになったときにはすでに、トム・ペティはソロと言ってもマイクとはいつも一緒だし、結局ハートブレイカーズとツアーをするという、安心感のある人だったから平気でいるのであって、当時はハラハラした人も多かったのではないだろうか。
 ともあれ、私はミックの作曲センスの良さや、耳の良さを非常に信頼しているので、本件のスーパーグループはなかなか面白そうだ。

 元祖スーパーグループと言えば、まず有名だということもあり、ブラインド・フェイス。活動期間は非常に短く、アルバムも小さいものが1枚切りだったが、その存在感はさすが、ロック黄金期のスーパーグループ。

Blind Faith "Can't Find My Way Home"


 最近では、2003年にマシュー・スウィート,ピート・ドロージ,ショーン・マリンズで結成された、ザ・ソーンズ。これはさすがに素晴らしいバンドで、アルバムは私にとってかなりドストライクな名作だった。
 もっとも、このバンドはかなり意識的に「現代のウィルベリーズ」を狙った感じがしなくもないが。

The Thorns "No Blue Sky" 


 現代のウィルベリーズと言えば、フィストフル・オブ・マーシー。ジョセフ・アーサー,ベン・ハーパー,そしてダーニ・ハリスン。狙っているなぁ…

Fistful Of Mercy "As I Call You Down"


 でもやっぱり、世界最高、唯一無二,空前絶後のスーパーグループと言えば、これ!

"What is life" by Shawn Mullins2011/07/09 21:27

 ショーン・マリンズというミュージシャンに関しては、特にファンだという訳ではないが、アルバムを2枚持っている。それは、彼の音楽と印象深い出会いをしたからに他ならない。

 初めて渡米したとき、サンフランシスコのGAPに入ったところ、店内に "What Is Life" が流れていた。ジョージのあの名作だが、歌手が違う。ようするにカバーだ。しかし、私には誰が歌っているのかが分からなかった。
 帰国してから、TP&HBファン仲間の皆さんに相談したところ、たちどころにこれがショーン・マリンズによるカバーであることを突き止めてくださった。この "What Is Life" はマリンズ1999年のアルバム [First ten years] に収録されている。また、映画 [Big Daddy] のサントラにもなっている。



 この完全コピーぶりには感動してしまった。下手をすると、マリンズが歌い出さないうちは、ジョージのオリジナルと間違えてしまいそうだ。
 私はジョージの "What Is Life" という曲が大好きで、かなりの名作だと思っているが、カバー・バージョンは意外と少ない。あまりにも明るく突き抜けて、健康的過ぎるからだろうか。真っ正直にカバーするには気恥ずかしさあり、かといってアレンジを変えると "What Is Life" にならない。
 この点、マリンズのカバーはまさに体当たりのドストライク・パフォーマンス。彼のこの曲に対する愛情があふれ出ている。ちなみに、アルバム [First ten years] には、デイヴィッド・ボウイの "Changing" もカバー収録されている。こちらも良い。

 ショーン・マリンズで一番売れた曲は、1998年のアルバム [Soul's Core] 収録の、"Lullaby" だろう。まず語りから入って、サビでどっとメロディアスに押し出す手法は、まさに "Here Comes My Girl" 。



 容姿は残念ながら私の好みではない。それを言っては気の毒なのだが。どうも顔つきと髪型が合っていないな…と思ったら、最近はすっかり短髪にしたらしい。なるほど。生え際の具合から言っても、これが一番良いのかも知れない。

湧き水の大河になるが如く2011/07/12 21:32

 ストーンズの、[Let It Bleed] を何気なく聴こうとして、気付いた。"Gimme Shelter" のなんと格好良いことか ― 特に、イントロの素晴らしさはどうしたことか。1969年というから、ストーンズ・メンバーのほとんどが、まだ二十代。背筋がゾクっとする。



 このイントロの特筆すべきは、ジワジワと音が集まってきて、やがて楽曲が迸り出る作り。深山の湧水が細流を成し、やがて川になって流れ出すようだと、いつも思う。
 ロックの場合は特に、強烈なイントロのリフが物を言う場合が多く、特にストーンズなどその分かり易い例だ。しかし、この "Gimme Shelter" のクレバーで、器用で、狙いすました格好良さも、たまらなく良い。

 このようなイントロの曲として思い出すのは、スティーヴ・アールの、"Transcendental Blues"。チューニングのような、音出しのような、何となく鳴っている音が集まってきて、我に返るとドラムが二発鳴り、リフが降ってくる。
 この曲の良さだけで、スティーヴ・アールの評価が高いのだが、アルバムは2枚しか持っていない。



 クラシックの場合、この手のイントロはやりやすいが、中でも白眉なのが、第九。クラシックの中で、もっとも有名な曲の一つだが、その冒頭,第一楽章の「入り」が、湧き水系でかなり独特だ。
 これまたチューニング中のような音の切れ間からチラチラと楽曲本体がこぼれ始め、突如、大音響とともに始まりを告げる。ベートーヴェンと言えば、「運命」で、いきなり「ジャジャジャジャーン!」…とやった人物である。その同一人物が「湧き水」のこれをやる。しかも、聴覚を失った後だというのだから、これまた背筋がゾクっとする。

切りすぎたトム・ペティ2011/07/15 22:58

 先日、2000年のブリッジ・スクール・ベネフィットの映像を見て以来、その時のトム・ペティの印象が頭にこびりついている。

 まずは、"I won't back down" から。



 短い!短いぞ!何が短いって、トムさんの髪が短い!短すぎる!この短金髪男を、本当にトム・ペティと呼んでも良いものか、まじめに迷う!
 でも、歌い出したらやっぱりトムさんだった。

 トムさんはただ金髪なら良いのではない!時期によってシルエットや長さにバリエーションはあっても、あくまでも「長髪サラサラ」というカテゴリーにとどまっていなければ、それはトム・ペティではない!短髪はトム・ペティじゃない!トーマス・アール・ペティ氏だ!トーマス・アール・ペティ&ザ・ハートブレイカーズなんてバンド名、長すぎて覚えられないぞ!
 一体、何が起こってあのような短髪になったのだろうか。しかも、シャツは黒イソギンチャクだし。革パンだし。あの長さにした美容師はかなりの勇気の持ち主だ。だって、トム・ペティだよ?!トム・ペティの輝く長髪をあんなに短くしたら、夜中にもったいないお化けが出るんじゃないかなぁ。金縛りに遭うとか。財布を落とすとか。
 なぜ短くしたか、という点で一番考えられるのは…やはり…アレか。この翌年に正式に結婚する新しい嫁の影響…か…?うーん、うーん、それにしても!それにしたって!短い!短すぎるぞ!

 などど呻きながら見ているうちに、だんだん慣れてきた。慣れてくると、今度は格好良く見えてきた。いや無論、長いに越したことはないが。一時期ムクムクと太ったトムさんに比べれば、はるかにマシだし。
 短髪金髪トムさんを見て、「どこかの俳優か何かに似ているような気がする」と言った人がいるが、それはステーヴ・マックィーンじゃないだろうか。
「金髪 → 短髪 → スティーヴ・マックィーン」
 うーん、完璧なロジックだ!

 よし、短髪トムさんが格好良く見えてきた頃合いで、次の曲。"Breakdown"。



 マイクが…マイクが…格好良い。
 いつものことだが、マイクが格好良い。私の認識だと、トムさんが2001年に再婚して指輪を常時はめるようになってから、対抗心なんだか、マイクも指輪をするようになったはずだが…この2000年の映像で、すでにマイクの左手薬指には指輪が見える。先制攻撃だな…。
 そして、短い。マイクの髪が…短い。
 2000年のある日、髪を切ったマイク・キャンベル先生。気が付くと、チャリティ・ライブの日ではないか!リハーサルに向かいながら、思っただろう。「髪、切りすぎたかな~…ま、いっか、トムさえ長けりゃ万事OKだし…楽なバンドだな~良いバンドに入ったもんだな~」
ところが、リハ会場に行ってみると、大事なフロントマンの髪がとんでもないほど短い。
「なんぢゃぁ、そりゃぁ!」マイク先生もたまげたことだろう…。

ピアノの椅子2011/07/19 22:04

 日曜日は、一年半に一度のピアノの発表会だった。私は重度の Stage-Frightのため、毎回ろくでもない演奏をしている。
 それでも今回は、モーツァルトのピアノソナタから、c-moll の第一楽章のみ…という私に向いている要素の曲を選んだため、あまり無理の無い範囲で、マシな演奏をしたかなぁと思っている。
 発表会には色々とやっかいな事があるが、いつも自宅で練習しているのとは環境も楽器も違うところも、難しい。ピアノが違うというのは、当然大きい。さらに、椅子もいつもとは違う。これも緊張していると気になる。素人のピアノなのだから別に椅子に左右されるこなど無いのだが、本番の恐ろしさのもとでは、こういうことに気を取られがちだ。

 ピアノの椅子にも色々種類がある。私が子供の頃には、まだベルベット張りの丸い椅子が時々見られた。グルグル回して高さを調節する。房飾り(フリンジ)がついていて、外見的にはエチゼンクラゲそっくりだった。
 しかし、さすがにまともにピアノを弾こうと思ったら、エチゼンクラゲには無理がある。たしか、私が最初についた先生に命じられて、親はエチゼンクラゲを買い換えたような覚えがある。

 ピアニストがよくリサイタルなどで使っているのは、こういうタイプ。



 フカフカしていてゴージャズな作りなのだが、私は苦手だ。座面がフカフカしていると、体重移動がしにくく、腰に負担がくるので疲れる。特に私は腕が並よりも短いので、特に体重移動は重要なのだ。
 さらにこの椅子のやっかいなところは、座面の高さ調節が面倒なこと。左右のダイヤルを回すと少しずつ上下するのだが、どっちに回せば上がるのか、下がるのかが判然としないため、すばやい調整には向いていないのだ。発表会の時など、その調整でモタモタするのは避けたい。

 その点、このよく見るタイプの椅子は、上下調節が早くて良い。



 おそらく、ヤマハが多くこのタイプを出しているのだと思う。座面も堅いし、上下調節がしやすいので、人気がある。ただし、背もたれはピアノを弾く分には無用だと思う。さらに、左右の幅が狭いのもやや難点。

 私が愛用しているのは、このタイプ。愛器(椅子もそういう言い方をするのか?)は、ピアノと同じカワイ。



 座面が堅く、左右に幅があるし、上下調節も楽。おそらくこれが一番使いやすい。背もたれは使わないし。

 ピアノには連弾というものがあって、椅子を二つ並べなければいけない場合、私が愛用しているタイプは、やや幅が広すぎるかも知れない。かと言って、椅子を二つ並べるのも鬱陶しい…と、したらこれ。



 さらに横長タイプなので、細ければ米国成人男子が二人で座っても大丈夫!象が踏んでも壊れない!(うそ)
 ちなみに、この細かった(一方に関しては過去形?)米国男子のお仲間ピアニストの椅子は、小さなステンレスっぽい丸椅子である。(エチゼンクラゲではない)あの人は、くるくる回りながら弾くので、クラシックピアノ用の椅子は向かないのだろう。

迦陵頻・蘇莫者2011/07/22 23:59

 雅楽演奏団体,伶楽舎の第十回雅楽演奏会に行った。紀尾井ホールは、ほぼ満員だった。

 演目:管絃 迦陵頻(かりょうびん) 破・急
     舞楽 蘇莫者(そまくしゃ)
     湯浅譲二作曲 Music for Cosmic Rites

 雅楽に関しては、基本的に古典がだんぜん良いと思っている。今回もその感想に変化はなかった。
 まず、迦陵頻。これはいつか舞楽を見てみたいと思っている。四人の童子が極彩色の衣装と羽根をつけて舞う舞楽が有名だ。管絃(器楽合奏のみ。弦楽器を含む)としても頻繁に演奏され、私も学生時代に練習した覚えがある。


 プログラムには、音楽監督・芝祐靖先生による、「迦陵頻」の思い出という文章が載っていた。戦後間もない頃、宮内省が進駐軍の家族を招いた園遊会を赤坂御所で催したとき、まだ11歳だった芝先生が、「迦陵頻」の童子の一人として、初舞台を踏んだ話だ。そういえば、学生時代にも聴いた気がする。

 「(前略)筆者は一番のチビだったので四臈でした。何とか出来たのでしょうか、いよいよ本番当日、赤坂離宮の庭園に設けた舞台の脇の楽屋に入って、白衣に着替え、顔を白粉で塗り、口紅、眉毛などを描かれてから、迦陵頻の装束を着せられました。そして極彩色で飾られた羽根を着け、挿頭花(かざし)のついた天冠を被り、両手に銅拍子をつけて準備完了となったわけです、その後、舞台でどう舞ったのかまったく覚えていません。(後略)」

 この簡単な文章だけで、当時の舞を舞う童子たちの、夢のような美しさが目に浮かぶようで、不覚にも目頭が熱くなってしまった。長いキャリアを積んだ芝先生の思い出話だからなのか、その想像される情景のあまりの美しさ故なのか、この感覚の揺れはよく分からない。

 舞楽の「蘇莫者」は、舞が薗家の一子相伝という点でも、演奏形式として太子役(どうやら聖徳太子のことらしい)という、龍笛のソロ奏者が活躍するという点においても、独特な作品だ。
 舞も興味深かったが、なんと言っても演奏の迫力が良かった。笙・篳篥・龍笛の三管が、いずれも七人揃っていれば、それは当然音の厚みに迫力にも格段の差がある。この大音量の雅楽の音が紀尾井ホールに盛大に響き渡った感じが、今回の演奏会では一番良かった。

 雅楽というと、もっぱらゆっくりで、静謐で、神秘的で、そして眠いという印象が強いが、私は傍若無人とすら表現できそうな、押しの強さ、突き抜けた迫力の雅楽が好きだ。
 雅楽楽器を使ったいわゆる「現代曲」で、こういう良さを表現し切れた物に出会ったことが無い。古典でやり尽くされてしまっているとも言えるのだろうか。

You're Gonna Get It!2011/07/24 22:00

 7月23日付けで、Cool Dry Placeに「カントム」の Part Two, You're Gonna Get It! をアップした。前回のアップから約四ヶ月。これまでにないブランクだった。地震以来、生活習慣にいくらか変更があり、その影響が出ている。

 まずは話題に出たのが、"I Need To Know"。あのリフは、ウィルソン・ピケットの "Land Of A Thousand Dances" の影響を受けているとのこと。
 この曲をフルで聴いたことは無かったが、サビの "Na....nananana...." というフレーズはお馴染みだ。確かに、オープニングに聞こえるパターンは、"I Need To Know" とそっくりだ。



 "Listen To Her Heart" は、「あいつまかせ」という凄い邦題がついているそうだが、私はこの曲が好き。明るく軽やかで、若々しい格好良さが、短いこの一曲に溢れている。
 若い頃の演奏も良いけど、ここはあえて最近,2006年のライブから。埋め込みがないので、こちらのリンクで。
 この曲がコンサートのオープニングを飾る格好良さは、体験済み。押しの強い曲では無いが、真っ暗な会場に、どっと明るい光が躍り込むような威勢の良さ、爽やかさが最高に決まっている。

 話によると、エルヴィス・コステロの "Radio, Radio" は、エンディングを "Listen To Her Heart" から拝借しているとこのこと。
 聴いてみると、最後の最後に確かに!確かにそっくり!笑えるくらいそっくりなので、嬉しくなってしまうほど。



 "Hurt" に関しては、ドリー・パートンっぽいサウンドを目指したというのだが、ドリー・パートンを知らないので、どこがどう目指しているのか良くわからない。ともあれ、ドリー・パートンの動画を見てみる。



 ホイットニー・ヒューストンの有名なあの曲が、実はカバーだったということを、今回初めて知った。私の感触では、このドリー・パートンのオリジナルの方が好きだ。バッドフィンガーの "Without You" は、彼らのオリジナルが一番良いと思うのと同様の感覚だと思う。
 それにしても、このドリー・パートン。いろんなところが異様に盛り上がっているんだが…どこにどう何が詰まっているのだろうか。特に頭髪のボリューム感は謎だ。

 ともあれ、長かった「カントム」も残すはあと1チャプター。心して取りかかりたいと思う。

Rock of Ages2011/07/28 21:02

  1864年5月9日、シェリダン率いる北軍騎兵10,000がグラントの本隊を離れ、一路リッチモンドを目指したことを知ると、ただちに南軍の騎兵隊長ジェブ・スチュアート少将は、配下の3師団を吸収しつつ、その後を追った。

 9日も暮れた頃、シェリダンらは南軍の補給基地であるビーバー・ダム駅を急襲し、南軍の資材,医薬品などを焼き払い、さらにリッチモンドへと兵を進めた。
 スチュアートがビーバー・ダムに到着したのは、翌10日の朝で、北軍が去った直後だった。補給基地の損害状況とともに、スチュアートは自分の家族の消息を知らされた。妻のフローラと、子供たちがこのビーバー・ダムのとある家に滞在しているというのだ。
 スチュアートは部隊につかの間の休憩を与え、自分は共を一人だけ連れて、フローラのもとに駆けつけた。彼は馬から下りることなく、そのままフローラにキスをして別れを告げると、ただちに部隊へ戻った。
 その道すがら、普段快活なスチュアートが、黙り込んでいた。日頃、南部が戦争に負けるようなことがあれば、自分は生きていまいと陽気に語っていたスチュアートだが、この時はやや陰鬱だった。
 やがてシェリダンの動向情報が入り始めると、相変わらず北軍はリッチモンドへ向かっていることが分かった。スチュアートは配下の1師団をそのままシェリダンを追うルートを取らせ、自分はフィッツヒュー・リー(ロバート・E・リーの甥。スチュアートとは同年代の親友でもある)の師団とともに、南に回り込んで、シェリダンを迎撃する準備に入った。

 10日の夜はトイラーズヴィルで休息し、翌11日朝、スチュアートは行軍を再開した。前年からスチュアートの副官を務めてるヘンリー・マクレラン(北軍の元ポトマック軍司令官,ジョージ・マクレランの従弟)は、この日の朝、スチュアートがいつになく沈んだ様子だったと記憶している。
 やがてスチュアートはリッチモンド郊外のイエロータバン付近に到着し、リッチモンドへシェリダンの襲来に備えるように伝令を飛ばした。もっとも、10,000という大軍とは言え、騎兵だけで一都市を落とせるとは考えにくい。ともあれ、スチュアートはいかに数的に不利でも、ここでシェリダンを防ぎ止める心づもりだった。

 イエロータバン付近での、南北両軍騎兵同士の衝突は、11日の正午ごろから始まった。何度も南軍が北軍を跳ね返したが、シェリダンは繰り返し攻撃を仕掛けた。スチュアートは、北軍騎兵だけでリッチモンドに傷を与えることは出来ない以上、シェリダンはこのイエロータバンに執着するはずがないと思っていたが、シェリダン当人の認識は違った。
 シェリダンの目標はリッチモンドよりも、むしろスチュアートのその人だった。
 戦闘は数時間続き、午後4時頃、スチュアートはまだ自軍を鼓舞しながらシェリダンの攻撃を防いでいた。北軍部隊は退却しつつあったが、その中の一人が44口径のピストルを発砲し、スチュアートの右脇腹に命中した。撃った男は結果を見ずに逃げていたので、彼が意図的にスチュアートを狙ったのかどうかは判然としない。
 スチュアートの帽子が落ち、彼は脇腹を押さえ込んだが、かろうじて落馬だけはしなかった。配下の騎兵たちがすぐに将軍の負傷に気付き、スチュアートを囲んだ。スチュアートは、彼らに指示した。
「(フィッツヒュー・)リー将軍と、ドクター・フォンテインに、すぐ来るように伝えるんだ。」
 スチュアートが後送されたところに、フィッツヒュー・リーが到着した。
「行くんだ、フィッツ。お前ならできる!」
 こうして、指揮権はリーに移り、スチュアートは戦列を離れた。道々、南軍兵士を励ましながらだが、そんな中で彼は部下の一人に尋ねた。
「なぁ、俺の顔色はどうだ?」
「いつもの通りです、将軍。大丈夫ですよ。」
「さぁ、どうかな。神が俺の命をお召しになるというなら、心の準備はできている。」

 ドクター・フォンテインは経験から、スチュアートは助かるまいと思った。とにかく、彼をリッチモンドに運び、グレイス・ストリートにある、スチュアートの親戚にあたるドクター・ブリューワー宅へ運び込んだ。
 すぐに、ビーバー・ダムに居る妻のフローラに知らせるよう手配されたが、シェリダンの破壊によって電信が不通になり、さらに騎兵の戦闘のため、彼女が夫の元に駆けつけるには時間がかかった。
 その間、弾丸を摘出することも出来ず、ただ傷口を冷やすだけの処置がとられた。スチュアートは死を覚悟し、副官のマクレランに細々としたことを言い残した。
「シェーファーズタウンの、ミセス・リリー・リーに、俺の戦闘用拍車を差し上げると、約束してある。サーベルは、息子に残そう。」
 やがて、スチュアートの負傷を知った南部連合大統領のデイヴィスが見舞いに訪れた。しかし大統領にも、スチュアートは自分は生きられないと伝えた。
 スチュアートは出血のため衰弱し、何度もフローラの消息を周囲に尋ねた。さらに、彼はドクター・ブリューワーに、自分がこの夜を越えることが出来るかどうか尋ねた。ドクターの答えは、ノーだった。
 夜にかけて、スチュアートはさらに衰弱し、7時には牧師が呼ばれた。スチュアートはフローラに一目会いたいと願っていたが、それが叶わぬとも覚悟していた。
 やがて周囲の人々は、スチュアートの好きな賛美歌 "Rock of Ages(千歳の岩)" を歌った。スチュアートも一緒に歌おうと試みたが、衰弱のため声にならなかった。そして7時38分、息を引き取った。
 フローラは夫の回復を信じていたが間に合わず、その三十一歳という若い亡骸の元にたどり着いたのは、11時半だった。

 スチュアートの葬儀は、5月13日午後5時から行われ、デイヴィス大統領も参列した。雨が降っており、遠くから、シェリダンとフィッツ・リーが攻防を繰り広げる銃声が聞こえてきた。

 ロバート・E・リーにとって、スチュアートの死は単に優秀な部下の喪失にとどまらなかった。息子同様に愛していたスチュアートを悼み、リーは「彼のことを思うと、涙を流さずにはいられない」と語った。

スナッキーで踊ろう2011/07/31 23:07

 インターネットを通じてトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのファンの方々と交流を持つようになって以来、たくさんの素晴らしい経験をし、嬉しいこともたくさんあったが、中でも際だって嬉しかったことの一つが、アルバム「スナッキーで踊ろう」を見つけ出し、プレゼントしてもらったことだ。
 この場合の「スナッキーで踊ろう」は、正式には「幻の名盤解放歌集 日本コロムビア編 スナッキーで踊ろう」。60,70年代の「知る人ぞ知る名盤」を復刻したシリーズである。
 学生時代、仲間内で爆発的に流行った。就職してからもたびたび聞き直したくなったが、廃盤の時期だったため、なかなか手に入らなかった。周囲にも散々捜し物情報を共有してもらっていたので、TP&HB仲間のお一人がゲットしたのをプレゼントして下さったときは、本当に嬉しかった。

 やはり強烈なのは、冒頭に登場し、アルバムのタイトルになっている、海道はじめ・スナッキーガールズによる、「スナッキーで踊ろう」だろう。



 どこからどう突っ込めば良いのかすら分からない。一応格好良いギターから入るのだが、どこか間が抜けている。そしてサイドに三味線。…前のめりなドラミングは格好良いのだが、風呂場の録音にしか聞こえない。
 そして「お~お~お~お~お~お~お~…」という深い咆哮。鼻の機能を全開にして「すな゛っきぃー!」…調子っぱずれな女性コーラス。オルガンとか、格好良く入っているのだが、どうしてこうなるのだろう。
 でもそのうち、ノリノリになって聞き入っている自分を発見する。何回目かには、スナッキーガールズと共に、「えす・えぬ・えい・しぃ・けーわい ゴーゴー!」と歌い始める。結論としては、名曲なんだと思う。
 90年代に再発見されて話題になったこの曲。録音の経緯を取材したテレビ番組などもあって、けっこう有名な存在だ。なんでも、60年代末の混沌とした世相を反映し、エネルギーの発露としてあのようなサウンドや歌詞になったんだとか、そもそも食肉メーカーの商品宣伝用のタイアップ曲だったとか、なかなか詳しい取材がなされていた。
 しかし、背後のウンチクなどよりも、素のままでこの化け物サウンドに浸る方がこの曲の凄さが実感できるのでは無いだろうか。

 アルバムに2曲収録されている、港孝也も捨てがたい。特に私が好きなのは、「青春火山」。残念ながらYTで見当たらない。
  歌詞の爆発加減が容赦なくて好きだ。「赤く燃えてる青春火山 若いふたりの 胸は火の海さ…」というのを、初めて聴いたときは大爆笑した。青春火山とか言って、ちゃんちゃら可笑しいわいなどと思いつつも、「火の海」とまで言われたら、納得するしかないのだ。

 異常に悲惨な曲として出色なのは、奈良寮子の「父ちゃんどこさ行った」。以前にも一度、記事にしたことがある。



 「とーきょのねーちゃにだまされで~♪」というフレーズは、日常会話でも時々使う。最初から最後まで悲惨としか言いようのない救いよう無さなのだが、中でも「近所のひどだち口うるせー」に、強烈な恨みが籠もっていて、凄みが増している。このシチュエーション、アメリカだったらブルースになるんだろうな。
 それにしても、当時は本気でこういう歌詞が書かれており、歌手たちもそれを熱唱していたのだ。昨今のテキトーでイイカゲンに英語っぽいものをちりばめているお手軽作詞者は、この曲を聴いて、歌の本質を学んでいただきたい。

 「スナッキーで踊ろう」に収録された曲の中で、最も異彩を放っているのは、間違いなくマリア四郎である。この悶絶ヌード歌手(誤字ではない)については、ついでに語ることは無理なので、機会を見つけて改めて。
 このアルバムは、時々無性に聴きたくなる。電車の中で聴いたりすると、にやにや笑いが止まらなくなり、ときどき吹き出す危険があるので、注意が必要だ。でも、明日聴こう。