無茶と青春のフレンチ・ホルン ― 2008/11/17 23:13
ザ・フーのベーシスト,ジョン・エントウィッスルは、ホルンも吹いていた。トランペットや、サックスならともかく、なぜホルンなのか…?
フレンチ・ホルンと言うのは、ロータリー・バルブのついた「普通のホルン」のこと。バルブ無しで、倍音のみの音階を鳴らすナチュラル・ホルンや、ウィンナ・ホルン、果てはべらぼうに長いアルペン・ホルンと区別するためにフレンチ・ホルンと呼ぶのだが、特にフランスがどうという名称ではない。
ウィキペディアによると、ホルンはギネスで「もっとも難しい金管楽器」という事になっているらしい。何をもって「難しい」とするかは、微妙なところだが、確かに他の金管とはかなり性格が違う。そもそも、マウスピースの形が違う。ホルン以外は「まるっこい釣り鐘型」であるのに対し、ホルンは「漏斗」のような円錐形をしている。
その繊細で幅の広い表現力は、木管五重奏に加わってもまったく違和感がないし、オーケストレーションの名手たち(たとえば、ベートーヴェンやチャイコフスキーなど)は、ホルンを酷使する傾向にある。
実は、私もわずか3年間ではあるが、ホルンを吹いていたことがある。

私の高校は、音大の附属高校・普通科だった。普通科とは言え、ほとんどが音大志望の生徒のため、ほぼ音楽漬けの学校生活。それなのに、選んだ部活が吹奏楽部。部活ぐらい、音楽以外のことをすれば良さそうなものだが。
私は11歳から4年間ほど、フルートを吹いていたので、高校の吹奏楽部でも、フルートを希望した。しかしフルートは人気楽器。ジャンケンで負けてフルートから外れた私は自棄になって、「なんでも良い」みたいな態度でいたら、なんとホルンがを割り当てられた。木管 ― しかもフルート系の人に、金管をやらせるところからして、かなり無茶(唇の使い方がまったく逆のため、両方吹けなくなる恐れがある)。それでも、諦めてホルンを始めたのだから、よほどヤケクソだったのだろう。
新入生でホルン担当になったのはクラスメイトのCと、私の二人。Cも初心者。ところが、この吹奏楽部にはホルンを教える人が居なかった。「ホルンの先輩」が居ないのだ。指導の先生も居るのか居ないのかわからない状態(音高とは言っても、部活はあくまでも余技なので、いたってマッタリしたもの。コンクールなんて絶対に参加しない)。
しかし、秋の学園祭に向けて練習は始まる。Cと私は、二人して「どうやってホルンを吹くのか」を研究し始めた。
まず、構えはテレビで見るようなホルン奏者の真似をしてみる。マウスピースの使い方は、私が10歳のころ、T学園の音楽教室で数分のお試しをした時の事を思い出す。指使いは、楽器ケースに入っていた運指表を参考にした。
つぎは、トランペットのパート練習に紛れ込む。同じ金管で、ピストン3本、音域も近い。トランペットの先輩も、孤児のようなCと私を不憫に思って、付き合ってくれた。
入部して3か月。合宿が始まると、否応なく合奏練習でソロパートを吹かねばならない。吹奏楽経験があって、「大草原の歌」をやった人なら分かると思うが、中間部に美しくゆったりとしたホルンのソロがある。なんとか務めたCと私を、バンドの仲間たちが褒めてくれたものだった。
今思えば、無茶をしたものだ。私は非常に体格が悪くて腕力もないため、シングル管のホルンさえも、持ち上げて吹くことが困難だった。仕方なく、どうしても膝に楽器を置いてしまうのだが、それだと背筋が曲がってまともな呼吸ができない。そこで足を組み、その膝がしらに楽器を置いて吹いていた。万全の呼吸態勢ではないが、猫背よりはましだった。
万事がこの調子でも、学園祭までにはその役割を果たせるようになっていた。
すべては、若さのなせる技だろう。
15,6の子供と言うのは、その適応力や器用さにおいて信じられないほどのパワーを持っている。Cや私が特に上手くやったのではなく、その年齢の人にはすべて、こういう能力が備わっているのだ。しかし、その能力を生かし切れず、さらに無駄に若い時を浪費したことに気づいたときには、もう手遅れ。
大学進学と共に、管楽器はフルート系に戻ったため(フルートに戻ったのではなく、龍笛を始めた)、私がホルンを吹いていた名残は、手元に残ったマウスピースだけになった。それでも、今でもホルンという楽器が好きだし、親切にしてくれたトランペット吹きにも、好意を持っている。
蛇足。
はじめての学園祭の直前になって、突然3年生のホルン吹きが練習にやってきた。どうやら、この先輩は幽霊部員だったらしい。Cと私の目が点になったのは、言うまでもない。
フレンチ・ホルンと言うのは、ロータリー・バルブのついた「普通のホルン」のこと。バルブ無しで、倍音のみの音階を鳴らすナチュラル・ホルンや、ウィンナ・ホルン、果てはべらぼうに長いアルペン・ホルンと区別するためにフレンチ・ホルンと呼ぶのだが、特にフランスがどうという名称ではない。
ウィキペディアによると、ホルンはギネスで「もっとも難しい金管楽器」という事になっているらしい。何をもって「難しい」とするかは、微妙なところだが、確かに他の金管とはかなり性格が違う。そもそも、マウスピースの形が違う。ホルン以外は「まるっこい釣り鐘型」であるのに対し、ホルンは「漏斗」のような円錐形をしている。
その繊細で幅の広い表現力は、木管五重奏に加わってもまったく違和感がないし、オーケストレーションの名手たち(たとえば、ベートーヴェンやチャイコフスキーなど)は、ホルンを酷使する傾向にある。
実は、私もわずか3年間ではあるが、ホルンを吹いていたことがある。
私の高校は、音大の附属高校・普通科だった。普通科とは言え、ほとんどが音大志望の生徒のため、ほぼ音楽漬けの学校生活。それなのに、選んだ部活が吹奏楽部。部活ぐらい、音楽以外のことをすれば良さそうなものだが。
私は11歳から4年間ほど、フルートを吹いていたので、高校の吹奏楽部でも、フルートを希望した。しかしフルートは人気楽器。ジャンケンで負けてフルートから外れた私は自棄になって、「なんでも良い」みたいな態度でいたら、なんとホルンがを割り当てられた。木管 ― しかもフルート系の人に、金管をやらせるところからして、かなり無茶(唇の使い方がまったく逆のため、両方吹けなくなる恐れがある)。それでも、諦めてホルンを始めたのだから、よほどヤケクソだったのだろう。
新入生でホルン担当になったのはクラスメイトのCと、私の二人。Cも初心者。ところが、この吹奏楽部にはホルンを教える人が居なかった。「ホルンの先輩」が居ないのだ。指導の先生も居るのか居ないのかわからない状態(音高とは言っても、部活はあくまでも余技なので、いたってマッタリしたもの。コンクールなんて絶対に参加しない)。
しかし、秋の学園祭に向けて練習は始まる。Cと私は、二人して「どうやってホルンを吹くのか」を研究し始めた。
まず、構えはテレビで見るようなホルン奏者の真似をしてみる。マウスピースの使い方は、私が10歳のころ、T学園の音楽教室で数分のお試しをした時の事を思い出す。指使いは、楽器ケースに入っていた運指表を参考にした。
つぎは、トランペットのパート練習に紛れ込む。同じ金管で、ピストン3本、音域も近い。トランペットの先輩も、孤児のようなCと私を不憫に思って、付き合ってくれた。
入部して3か月。合宿が始まると、否応なく合奏練習でソロパートを吹かねばならない。吹奏楽経験があって、「大草原の歌」をやった人なら分かると思うが、中間部に美しくゆったりとしたホルンのソロがある。なんとか務めたCと私を、バンドの仲間たちが褒めてくれたものだった。
今思えば、無茶をしたものだ。私は非常に体格が悪くて腕力もないため、シングル管のホルンさえも、持ち上げて吹くことが困難だった。仕方なく、どうしても膝に楽器を置いてしまうのだが、それだと背筋が曲がってまともな呼吸ができない。そこで足を組み、その膝がしらに楽器を置いて吹いていた。万全の呼吸態勢ではないが、猫背よりはましだった。
万事がこの調子でも、学園祭までにはその役割を果たせるようになっていた。
すべては、若さのなせる技だろう。
15,6の子供と言うのは、その適応力や器用さにおいて信じられないほどのパワーを持っている。Cや私が特に上手くやったのではなく、その年齢の人にはすべて、こういう能力が備わっているのだ。しかし、その能力を生かし切れず、さらに無駄に若い時を浪費したことに気づいたときには、もう手遅れ。
大学進学と共に、管楽器はフルート系に戻ったため(フルートに戻ったのではなく、龍笛を始めた)、私がホルンを吹いていた名残は、手元に残ったマウスピースだけになった。それでも、今でもホルンという楽器が好きだし、親切にしてくれたトランペット吹きにも、好意を持っている。
蛇足。
はじめての学園祭の直前になって、突然3年生のホルン吹きが練習にやってきた。どうやら、この先輩は幽霊部員だったらしい。Cと私の目が点になったのは、言うまでもない。
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