For Real for Tom2019/11/02 20:50

 ダニー・ハリスンが、自身のツイッターに、Tom Petty やJakob Dylan などのタグをつけて投稿していた写真があった。
 ただ、"Coming soon" とだけコメントして、ウィリー・ネルソンを含めた数人のミュージシャンとのスタジオでの集合写真をアップしていたのだ。
 それがどうやら、トム・ペティの "For Real”のカバーだということらしい。TP&HBの公式ツイッターに、15秒分だけ明かされていた。
 曰く、"For Real for Tom" ...



 なるほどね。
 この場合は、やはり年長者を立ててウィリー・ネルソンがフロントの演奏になるのか、それともダニーやディランなどウィルベリー一族にライトがあたるのか、いろいろ楽しみになる。

 参加者の一人である、ルーカス・ウィルソンが投稿した動画でも、ちょっと紹介されている。



 ちょっとビートルズっぽい味付けかな?

歴史 / KATOKU2019/11/06 21:12

 私は歴史が好きだ。音楽ほどではないが、けっこう好きだ。

 音楽大学の同級生に、T という友人がいる。T の大学生活の初日、緊張しながら教室で待っていると、そこに同じく新入生の私が入ってきた。15人しかいない同学科の仲間である。T と私は、やぁ、よろしくという会話を始めた。
 その流れで、どこに住んでいるのかという話になり、T は「千葉県の流山」と言った。すると私が即座に、
「近藤勇が処刑されたところだね」と応じた。
 T は「えらい所へ来てしまった ――」と思ったという。
(実は T もかなりのもので、私にシェイクスピアの「リチャード三世」を勧めた人だ。)

 私の知識は正確ではなかった。流山は近藤勇が捕らえられた場所(投降?)であり、処刑されたのは板橋だ。

 今でこそ特に新選組好きというわけではないが、中学から高校の頃はかなり好きだった。そんな話をいま持ち出したのは、久しぶりに司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んで、中学生でこんなものを読んでいたのかと、驚くというか、呆れてしまったからだ。
 中学生の私はビートルズを夢中になって聴きつつ、いっぱしの歴史通気取りだった。思えば、ただ土方歳三と沖田総司のキラキラした(?)やりとりが、ティーンエイジャーの琴線に触れただけだったかも知れない。
 「燃えよ剣」はもちろんフィクション小説なのだが、「歴史」そのものだと思わせる筆者の才能はさすがだ。それにしても、話が終盤にきて、会津戦争がすっとばされたのには驚いた。

 話は、飛ぶ。(司馬風)
 テレビで野球を見ていると、ジャーニーの "Separate Ways" を耳にする時期になった。あの史上最もダサいミュージック・ビデオで有名な曲だ。褒め言葉である。
 数年に一度は、あのビデオを見て笑わないとね ―― と思って YouTube を見る。



 この有名なビデオは、そのパロディも多く作られることでも有名。
 そんなパロディの中に、こんなものまであった。
 題して「KATOKU」



 レキシという人が歴史関係の音楽をやっていることは知っていたが、こんな無駄に面白い物も作っているとは、知らなかった。曲も無駄に良い。
 これ、オリジナルのジャーニーを知らなくても笑えるし、知っていたら、さらに笑える。
 べつに世襲制は歌にしなくても知識として持ち得るから、あまり歴史の勉強にはならないだろう。たぶん、「世襲制」と "What do you say" の音が似ていて、そこから発生した曲ではないかと想像する。

The Weight / Playing for Change2019/11/10 22:04

 Playing for Change というのは、某証券会社のCMでおなじみの人も多いか思うが、2002年アメリカで発足したチャリティ企画だ。
 音楽で世界をつなぐというコンセプトで、世界中のミュージシャンが一つの音楽を作り上げてゆく。

 今年9月に発表された "The Weight" は、この曲の発表50年を記念している。そういえば、アルバム [The Band] (Brown Album というのは一般的な言い方なのだろうか?)は1969年発表だ。
 プロデューサーは、Playing for Change の創始者であるマーク・ジョンソンと、ロビー・ロバートソンの息子のセバスチャン・ロバートソン。

 まず最初に、リンゴ・スターが「ロビー、キーは?」と携帯で尋ねる。すごく特別感がある。
 そしてロビー・ロバートソンのギターからこの名曲は幕を上げる。



 歌詞の意味がよく分からない曲でもある。作った当人もよく分かっていないあたりは、"A Whiter shade of Pale" に近いのではないだろうか。
 Aメロの力の抜けた感じ ―― どこか疲れていて、面倒くさそうなメロディ。それでも気を取り直して、サビを歌い上げ、美しくコーラスを重ねて、最後にため息をつくような曲調が特徴的だ。

 この Playing for Change は様々な国の、様々な楽器が登場するのも魅力だ。いずれもその道のスペシャリストなのだろう。私が知っていたのは、リンゴとロビー、ルーカス・ウィルソン(ウィリー・ネルソンの息子)そして Char。
 名曲に、こういう素敵なカバーバージョンができるのは幸せなことだろう。

Isn't It a Pity / Tom Petty & The Heartbreakers 20022019/11/15 23:06

 2002年10月15日から、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは新譜 [The Last DJ] のサポートツアーを開始した。全米を巡る、12月14日までのツアーだ。
 新譜からの曲や、おなじみの名曲が取り混ぜられる中、11月21日テキサス州オースティンのライブにおいて、突如毛色の変わった曲が演奏された。
 それが "Isn't It a Pity" である。言うまでもなく、前年に亡くなったジョージ・ハリスンの曲だ。
 23日LAでのライブでも、同じく "Isn't It a Pity" が演奏されている。

 そしてTP&HBは11月29日ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの [Concert for George] に駆けつけ、"Taxman", "I Need You", "Handle with Care" の三曲を披露。
 12月3日からまたフィラデルフィアから全米ツアーを再開したのだから、かなりの強行軍だった。
 トムさん曰く、ロンドンへ向かう飛行機から虹が見えて、ジョージが迎えてくれたかのようだったとのこと。
 "Isn't It a Pity" は12月3日にも演奏されたが、翌4日からは "I Need You" になった。それが11日のシカゴから "Handle with Care" になり、ツアー最後まで続いた。私は12月13日のニューヨークと、翌日のボストンでそれを見ている。

 どうやら、TP&HBはツアー前半から、リハーサルでジョージの曲を練習していたようだ。無論、これは [Concert for George] のための準備であり、"Isn't It a Pity" もCFGで演奏される可能性があったのだと考えられる。

 ジェネシス出版の豪華本 CFGの147ページには、8月28日時点での予定曲目とアーチスト印字されているのだが、その余白には書き殴りの文字で、
 Michael Campbell Isn't it a pity ―― と記されている。
 マイケル・キャンベルというのはもちろん、ハートブレイカーズのマイク・キャンベルで、彼が "Isn't It a Pity" のリードギターを弾くというアイディアもあったことを示唆していている。マイクの名前をわざわざ書いているのだから、TP&HBとしてではなく、ほかの誰かとのコラボレーションも検討されていたのだろう。

 結局、本番ではクラプトンとビリー・プレストンが、この名曲を素晴らしく演奏することになった。
 しかしTP&HBが演奏することもギリギリまで可能性としてはあったのだろう。だからこそ、彼らはUSツアーでもこの曲を観衆の前で披露したのだ。
 この "Isn't It a Pity" という、深く、悲しく、長大で荘厳な名曲に、トムさんとマイクの二人が強くこだわったと想像される。ただ、彼らは直前までUSツアーに釘付けされていたため、クラプトンたちのリハーサルに加わることが出来ず、共演には至らなかったのではないだろうか。

 ありがたいことに、オースティンでの演奏を、YouTubeで聴くことが出来る。



 美しいギターのストロークにのって、不思議とジョージに似ているトムさんのしっとりしたヴォーカルが染みこむように響く。そしてまさにジョージ本人がいるかのようなマイクのスライドギター。ジョージと共演したこともあるマイク ―― そしてスティーヴにとっても、強い想いのあるこの曲が、どれほど切なく、感動的であるか ―― 
 すでに、トムさんもジョージの世界の人になってしまっている。二度と聴けないこの取り合わせ、ぜひとも公式の音源にしてほしい。

Isn't It a Pity / Mudcrutch January 14th 19712019/11/20 21:51

 ずっと以前にあるところで聴いたことがあるのだが、その音源がブートレッグだっため、もう一度聴くことができず、ずっと探していた ―― それが、マッドクラッチによるジョージ・ハリスンのカバー,"Isn't It a Piy" だ。
 ここで言うマッドクラッチというのは、2007年に再結成されたそれではなく、いわゆる「オリジナル」マッドクラッチである。

 やっと念願叶って、そのブートレッグ音源を手に入れた。
 感無量で "Isn't It a Pity" を聴いている。音源データによると、録音されたのは1971年1月14日。トム・ペティもマイク・キャンベルもまだ20歳だった。
 ベンモントはまだニューイングランドのボーディング・スクールに行っていたので、マッドクラッチには加入していない。たぶん、トム・ペティ,トム・リードン,ランダル・マーシュ、マイク・キャンベルというメンバーだと思う。

 驚くのが、トム・ペティの声の変わらないところだ。彼はすでに深く、愁いを帯びた、でもすこし危ういロック声の持ち主で、20歳にしてその才を遺憾なく発揮していたのだ。
 それはマイク・キャンベルのギターも同様。(リードンかもしれないが、ほぼマイクで間違いないと思う)トムはマイクと初めて会ったときから、何十年後と同じくらいギターが上手かったというが、それは本当だった。
 そして、ジョージの死後、俄に脚光を浴びた「マイク・キャンベルによるジョージ・スライド」が、このとき既に爆発していた。

 運命的に思うのは、この1971年1月14日という日付だ。
 "Isn't It a Pity" が最初に世に出たのは、1970年11月23日にリリースされたシングル "My Sweet Lord" のB面としてであり、さらに収録アルバムは 11月27日に発表された。
 つまり、たったの二ヶ月足らずでマッドクラッチはこの曲をカバーして、ライブ演奏していたことになる。
 そもそも、"My Sweet Lord" が大ヒット曲なので、マッドクラッチの若者たちは(少年に近い)、3枚組の高いアルバムではなく、シングルの方でこの曲を知っていたのかも知れない。
 偉大なるビートルズが解散して、1年足らず。マッドクラッチの連中は、「ビートルズが解散して一番得をした人(つまり才能が解放、開花した人)」が誰かを、証明して見せたのだ。

 大ヒットシングルのB面とはいえ、―― それにしても渋い選曲である。何せまだ20歳の若者だ。
 実はジョージ自身も [All Things Must Pass] の曲を作ったのは20代のことであり、その才能のすさまじさに、ぞっとする。
 おそらく、トムもマイクも、この曲を作ったジョージのことをヒーロー視していたと同時に、どこかで同士だと思っていたに違いない。遠くで光り輝くジョージ・ハリスンの、その手をいつか握り、大の親友になることを、彼らは想像していただろうか。

 そんな事を思いながらこの名曲を聴くと、ロックンロールの深さと強烈な運命を思わずにはいられない。

Come Together / Let It Be / Get Back2019/11/24 19:43

 フィギュアスケート・シーズンも中盤である。一通りトップ選手のプログラムが出そろってきた。
 今年の女子は、ほぼロシアのジャンプ少女三人の勝負だ。私はシェルバコワを推したい。男子はネイサン・チェンの独走状態だと思うが、それに四回転ルッツを持つロシア勢や、完成度で勝負組がどう食らいつくか ――といういったところだろうか。

 使用される曲はそれほど目を引くものは多くない。ある試合で、「シンドラーのリスト」が三人も被ったのは参った。
 そんな中で、ベトナム系カナダ人の、ナム・グエンのフリー・プログラムは、出色の出来だ。ビートルズ・メドレーなのだ。

 名字は Nguyen という綴りなので、ベトナム風に「グエン」だったり、「ニューエン」だったりと、表記は揺れているので、私はナム君と呼んでいる。
 彼は四回転こそ得点の低い方の二つしかないが、踊りの上手い人なのだ。フィギュアスケートにおいては、ダンスの才能が最初からあって、その上手さがジャンプなどの技術とうまく融合する人は、貴重だと言える。私が好きなのはそういうタイプ。もっとも、ジャンプしかできない、「ジャンプ馬鹿」もそれなりに面白くて好きだが。

 カナダ大会のFPの出来は素晴らしかった。最初のトリプル・アクセルからのコンビが抜けた以外は、ほぼ完璧だった。
 当人もそれが分かっていて、滑り終わったときに氷上に突っ伏して感激していたし、得点が出たときはペットボトルを放り投げている。会場の盛り上がりもすさまじい。
 実はこの時、前の滑走者が今シーズン最高点をたたき出しており、会場は異様な雰囲気だった。その後の最終滑走でこの演技は本当に素晴らしかったし、涙腺にくる。



 有名なビートルズの曲をメドレーにして4分強にするのは、難しい。
 まず "Come Together" をたっぷりきかせて緊張感を持たせ、"Let It Be" で美しさを表現。この "Let It Be" を下手に切らずに、比較的たっぷり聴かせたのが良かった。
 そして "Get Back" へのつなぎが上手い。"The End" の音も折り込んでいる。もしかしたら "Love" の音も使っているのかも知れない。
 "Get Back" は短いが、十分に盛り上がりきった会場の熱をさらに上げ、ナム君も観衆を煽る。こういう瞬間、フィギュアスケートの作品としての完成度が、ただのスポーツを芸術に仕上げるのだろう。

 シーズンは後半へ。それぞれの選手が、練習の成果を出して、素晴らしい演技をしてほしい。

Another Concert for George2019/11/30 19:39

 2002年11月29日に、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでジョージ・ハリスンの追悼コンサート,[Concert for George] が行われた。
 そのリハーサルは8月から始まっており、曲名などのメモが、ジェネシスの豪華本 [Concert for George] に収録されている。

 あるメモには、演奏曲目の「第二候補」とも言える曲が並んでいる。これがなかなか面白い内容なのだ。

The Answers at the end
Cloud 9 (Slide - Ry or Eric)
Fish on the Sand
When We Was Fab (Ringo?)
Got My Mind Set on You - Joe Brown
That's Way It Goes (Slide Ry?)
Dream Away
Blood from a Clone
All Those Years Ago - Paul or Jeff
If You Belonged to Me
The Devil's Been Busy - Leon?
Not Alone Anymore
Heading for the Light
Soft Headed Hana - Lonnie?
Blow Away - Andy?
Woman Don's You Cry for Me
This Song - Funcky Piano - Billy or Jools
It's What You Value - Funny & Funcky - Billy? or Jools
I'd Have You Any Time
Let It Down
Apple Scruffs
I Dig Love
Only a Northern Song
It's All Too Much
Horse to the Water
Ding Dong Ding Dong


 驚きなのが、ライ・クーダーの出演も検討されていたことだ。何か不都合があったらしく実現しなかったが、スライド・ギターが聞けたら面白かっただろう。
 レオン・ラッセルの出演も検討されていたことは、ほかのメモでも分かることで、ウィルベリーズの曲があてがわれていたかも知れない。
 ビリー・プレストンとジュールズ・ホランドのファンキーなピアノも聞いてみたかった。それを思うと、もしニッキー・ホプキンズが存命だったらきっと出演していたに違いない。

 ウィルベリーズの曲が3曲も入っているのが興味深い。みんな、ウィルベリーズが大好きなんだろうな。
 "All Those Years Ago" がポールか、ジェフ・リンというのも面白い。二人で歌っても面白いし、"When We Was Fab" のリンゴも絶妙だ。

 実際の CFG の曲目がビートルズ時代と、[All Things Must Pass] にかなり偏っていたのに対して、この幻の曲目リストはダークホース時代や、ほかのアルバムの曲もたくさんあって、ワクワクする。
 この「裏CFG」、誰か ―― それこそクラプトンやダニーでも良い ―― 面白そうなのでライブパフォーマンスとして実現してみてほしい。