Written by Benmont Tench ― 2025/03/16 21:32
いつもお世話になっている Heatbreaker’s Japan Party さんのメール・マガジンによると、いよいよベンモント・テンチの二枚目のソロ・アルバムが発表されたそうだ。
CD がほしいので、アメリカのサイトから購入。届くのを待っている。
メルマガによると、ベンモントはここ10年ほどガンとの闘病が続いているとのこと。2023年には顎に転移して去年、大きな手術を受けたとのこと。たしかに最近のベンモントの映像は痩せて、元気のない感じで心配していたのだ。やはり大病をしていたのか…とても心配だが、ゆっくりと自分のペースで養生して、好きに音楽活動を続けてほしい。
ベンモントのソロ・アルバムとなると彼のソングライティングを堪能することができるわけだ。
あらためて確認してみたのだが、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの楽曲でソングライティングにベンモントの名前がある曲はほとんどない。やはりトムさんか、トムさんとマイクのソングライティングがこのバンドのレパートリーだったということだ。
だれか他の人にベンモントが提供している曲はないかを探してみると、これまたあまり多くはない。
こちらはアイルランドの Feargal Sharkey という人に提供した “You Little Thief” という曲とのこと。どうやらベンモントはプロデュースにも関わっているそうだ。80年代大爆発。肩の関節が抜けそうなくらいの力のは入りようで、ついでに血管も切れそうだ。もう少しリラックスしても良いのでは…?
ベンモントは彼の1枚目のアルバムの印象では、大人しく優しい感じが似合うと思う。その点、80年代のバッキバキな気合はやや空振りではないだろうか。
その点、こちらの Hal Ketchumという人に提供した”Stay Forever“ という曲は終始穏やかで良いではないか。
それにしても、どうしてベンモントは曲を提供したこの二人は揃いも揃って顔が大きめ、かつ四角いのだろうか…?
ベンモントのソロ・アルバムは2014年以来、11年ぶりだ。その間いろいろなことがあった。悲しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、心癒されること。それらを経て、彼のソングライティングがどうなっているのか、ピアノプレイや歌声はどうなっているのか。ディスクが届くのがとても楽しみだ。
CD がほしいので、アメリカのサイトから購入。届くのを待っている。
メルマガによると、ベンモントはここ10年ほどガンとの闘病が続いているとのこと。2023年には顎に転移して去年、大きな手術を受けたとのこと。たしかに最近のベンモントの映像は痩せて、元気のない感じで心配していたのだ。やはり大病をしていたのか…とても心配だが、ゆっくりと自分のペースで養生して、好きに音楽活動を続けてほしい。
ベンモントのソロ・アルバムとなると彼のソングライティングを堪能することができるわけだ。
あらためて確認してみたのだが、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの楽曲でソングライティングにベンモントの名前がある曲はほとんどない。やはりトムさんか、トムさんとマイクのソングライティングがこのバンドのレパートリーだったということだ。
だれか他の人にベンモントが提供している曲はないかを探してみると、これまたあまり多くはない。
こちらはアイルランドの Feargal Sharkey という人に提供した “You Little Thief” という曲とのこと。どうやらベンモントはプロデュースにも関わっているそうだ。80年代大爆発。肩の関節が抜けそうなくらいの力のは入りようで、ついでに血管も切れそうだ。もう少しリラックスしても良いのでは…?
ベンモントは彼の1枚目のアルバムの印象では、大人しく優しい感じが似合うと思う。その点、80年代のバッキバキな気合はやや空振りではないだろうか。
その点、こちらの Hal Ketchumという人に提供した”Stay Forever“ という曲は終始穏やかで良いではないか。
それにしても、どうしてベンモントは曲を提供したこの二人は揃いも揃って顔が大きめ、かつ四角いのだろうか…?
ベンモントのソロ・アルバムは2014年以来、11年ぶりだ。その間いろいろなことがあった。悲しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、心癒されること。それらを経て、彼のソングライティングがどうなっているのか、ピアノプレイや歌声はどうなっているのか。ディスクが届くのがとても楽しみだ。
1964 Concert at Philharmonic Hall ― 2025/03/10 20:04
ボブ・ディランの伝記映画 [A COMPLETE UNKNOWN] を見る気はないし、サントラも聞く気がなかったのだが、ラジオで流れたため、はからずも聞くことになった。
大まかに言って、ティモシー・シャラメは上手いと思う。歌そのものが上手いし、ディランの真似としても上手い。ギターはどこまで彼が弾いた音なのかはわからないが。ともあれ、ディランを演じる歌唱としては、十分なクオリティだと思う。
ただ、似ているだけに、微妙に「かゆい」。気持ち悪いというか、不完全さに苛ついてしまう。やはり私はボブ・ディラン当人のファンであり、彼の容姿も声も、彼自身だからこその、大ファンということを再度認識するに至った。
「かゆみ」を鎮めるには、ディラン様本人のパフォーマンスを耳から叩き込むに限る。
「かゆみ」を発症したのはだいたい1964年頃のディランの真似だったので、ブートレグ・シリーズ Vol. 6 [Concert at Philharmonic Hall] がちょうどいい。
このコンサートと一番好きな場面は、” I Don't Believe You” の歌いだしの歌詞を忘れてしまい、イントロを長々と弾き続け、ああでもない、こうでもない。しまいには観客に「歌詞分かる人?」と呼びかけ、客先から教えてもらい、「そうだ、I can’t understand …」と歌い出すところだ。
トラックの切れ目の関係で、このやり取りはその前の曲 ”It's alright ma (I'm Only Bleeding)” の最後に聞くことができる。ところが、YouTube(静止画だが)だと、観客とのやりとりがまるっきり切り取られているのだ。つまり、あの面白いやりとりを聞くには、CDを買うしかない…のか?配信やダウンロードではこういうものは、どうなっているのかよくわからない。もしオミットされているのだとしたら、とんでもなくつまらない話だ。やはり私は CD を買い続けるだろう。
ラジオで流れた例の映画のサウンドトラックの中には、ジョーン・バエズとのデュエットもも含まれていた。彼女を演じた女優の歌もうまいし、ジョーン・バエズの真似もうまい。しかし、これまた「かゆい」。シャラメと合わせて二倍「かゆい」ので、やはりこれも特効薬は本物を聞くことだ。
このデュエットでも歌詞に怪しいところがあって、二人でボソボソ相談しているのが面白い。幸い演奏中のやりとりなので、オミットされていない。「そっちの番なんだけど」、「なんだっけ?」「when」とバエズがいった途端に間髪入れずに歌い出すディランのタイミングも最高だ。
ディランの長いキャリアの中で、60年代こそが最重要で映画にする価値があるというのが一般の認識だろうか。しかし、私にとっては長い長い彼のキャリア全般が素晴らしい音楽であり、性格に難のある「若気の至り」ではなくなってからの彼も、十分魅力的だ。
私がプロデューサーだったら、ディラン様とジョージの友情物語の映画を作るなぁ。そりゃぁ、もちろん漏れなくトムさんも重要人物になるわけだけど。ラストシーンはディンによる “Something” で間違いないだろう。
本人じゃないから気持ちが悪いと言いつつも、こういうことを想像するのは、この手の映画に一定の「布教活動」的な目論見があるからだろう。私にしてみれば60年代のディランにも、ビートルズにもいまさら布教活動は無用だが、ウイルベリー兄弟の物語や、ハートブレイカーズをたくさんの人に知ってもらうには、「モノマネ大会映画」も一つの手段かもしれないと思う。
大まかに言って、ティモシー・シャラメは上手いと思う。歌そのものが上手いし、ディランの真似としても上手い。ギターはどこまで彼が弾いた音なのかはわからないが。ともあれ、ディランを演じる歌唱としては、十分なクオリティだと思う。
ただ、似ているだけに、微妙に「かゆい」。気持ち悪いというか、不完全さに苛ついてしまう。やはり私はボブ・ディラン当人のファンであり、彼の容姿も声も、彼自身だからこその、大ファンということを再度認識するに至った。
「かゆみ」を鎮めるには、ディラン様本人のパフォーマンスを耳から叩き込むに限る。
「かゆみ」を発症したのはだいたい1964年頃のディランの真似だったので、ブートレグ・シリーズ Vol. 6 [Concert at Philharmonic Hall] がちょうどいい。
このコンサートと一番好きな場面は、” I Don't Believe You” の歌いだしの歌詞を忘れてしまい、イントロを長々と弾き続け、ああでもない、こうでもない。しまいには観客に「歌詞分かる人?」と呼びかけ、客先から教えてもらい、「そうだ、I can’t understand …」と歌い出すところだ。
トラックの切れ目の関係で、このやり取りはその前の曲 ”It's alright ma (I'm Only Bleeding)” の最後に聞くことができる。ところが、YouTube(静止画だが)だと、観客とのやりとりがまるっきり切り取られているのだ。つまり、あの面白いやりとりを聞くには、CDを買うしかない…のか?配信やダウンロードではこういうものは、どうなっているのかよくわからない。もしオミットされているのだとしたら、とんでもなくつまらない話だ。やはり私は CD を買い続けるだろう。
ラジオで流れた例の映画のサウンドトラックの中には、ジョーン・バエズとのデュエットもも含まれていた。彼女を演じた女優の歌もうまいし、ジョーン・バエズの真似もうまい。しかし、これまた「かゆい」。シャラメと合わせて二倍「かゆい」ので、やはりこれも特効薬は本物を聞くことだ。
このデュエットでも歌詞に怪しいところがあって、二人でボソボソ相談しているのが面白い。幸い演奏中のやりとりなので、オミットされていない。「そっちの番なんだけど」、「なんだっけ?」「when」とバエズがいった途端に間髪入れずに歌い出すディランのタイミングも最高だ。
ディランの長いキャリアの中で、60年代こそが最重要で映画にする価値があるというのが一般の認識だろうか。しかし、私にとっては長い長い彼のキャリア全般が素晴らしい音楽であり、性格に難のある「若気の至り」ではなくなってからの彼も、十分魅力的だ。
私がプロデューサーだったら、ディラン様とジョージの友情物語の映画を作るなぁ。そりゃぁ、もちろん漏れなくトムさんも重要人物になるわけだけど。ラストシーンはディンによる “Something” で間違いないだろう。
本人じゃないから気持ちが悪いと言いつつも、こういうことを想像するのは、この手の映画に一定の「布教活動」的な目論見があるからだろう。私にしてみれば60年代のディランにも、ビートルズにもいまさら布教活動は無用だが、ウイルベリー兄弟の物語や、ハートブレイカーズをたくさんの人に知ってもらうには、「モノマネ大会映画」も一つの手段かもしれないと思う。
Grand Valse (Chopin’s Valse, No.5) ― 2025/03/07 22:51
年末に予定されているピアノの発表会では、バッハを弾くことにしている。人前で弾くときは、バッハと決めているのだ。
夏頃からバッハの準備を始めるので、その前にショパンでも弾こうと思い、ワルツの5番、Op. 42 の練習を始めた。
ワルツの5番は、通称 “Grand Valse” , 「大円舞曲」でと呼ばれ、華やかで壮大な曲想をもつ。そのため、演奏会やコンクールでも頻繁に登場する人気曲だ。ショパンのワルツのうち、最高傑作と言われることも多い。
作曲年代は1830年というから、ショパンが20歳のときの作品というころで、彼がいかに早熟の天才だったかがよく分かる。
早速だれかの演奏を参考にしようと思っったのだが、手元にワルツ集のアルバムがないので、動画で聞く。ここはやはり、前回のショパン・コンクールでの、小林愛実さんにご登場願おう。
端正で軽やか、優雅で力強い。これはまさにお手本というべき演奏だ。右手のパッセージが印象的な第二テーマが、出てくるたびに表情が違うのだが、速さの自在さが開放的。特にコーダでの力強さと説得力が良い。
到底手の届かない演奏だが、まずこれを目指したいと思う。
実は、同じく前回のショパン・コンクールで、最終的に優勝したブルース・リウの演奏のうち、一番印象的だったのは、このワルツ5番だった。
久しぶりに聞いてみた。
小林さんの演奏が端正なのに対して、ブルースの演奏はものすごく…良くいえば個性的、はっきりいうとかなりクセのある演奏で、人によっては酷評される。ショパンのワルツをそのように弾くべきではないということを、ことごとくやらかしているのだ。
ウィンナ・ワルツのような拍子の揺れや、極端にシンコペーションを強調した表現。身体的にも、足をバタバタさせて、ピアノと踊っているようだ。品がないとか、冒涜的とか言われることもあるだろうだ。
ところが、この演奏、鬼神のように上手い。難癖をつけるには、上手すぎるのだ。私は好き嫌いはともかく、この演奏で非常に心が突き動かされたし、彼の冒険心に感服した。なにせまだ最終ステージではないのだ。ここで敗退するわけにはいかないが、自分の演奏をやりきる勇気も感じ取ることができる。
だからこそ、私はブルースはこのワルツで勝ったな、という印象を持ったのだ。
ワルツの5番をYouTubeで探すと、のきなみ若手の演奏があがってくる。もしくは素人。大御所の演奏は少なくて、ショパンにおけるワルツの立ち位置というものが見えてくる。
最後に、ルービンシュタインの演奏を聞いてみた。
若者たちにくらべて、テンポは断然ゆるく、しかもかなりタッチが硬い。言うなれば、やや優雅さにかけるだろうっか。愛想もなにもないというか。機嫌でも悪いのだろうかという印象さえ与える。
三人を聴き比べて、まったく異なる表現方法に感動するとともに、まぁ、私の演奏にはあまり関係がないけれどね…とも思ったりする。
夏頃からバッハの準備を始めるので、その前にショパンでも弾こうと思い、ワルツの5番、Op. 42 の練習を始めた。
ワルツの5番は、通称 “Grand Valse” , 「大円舞曲」でと呼ばれ、華やかで壮大な曲想をもつ。そのため、演奏会やコンクールでも頻繁に登場する人気曲だ。ショパンのワルツのうち、最高傑作と言われることも多い。
作曲年代は1830年というから、ショパンが20歳のときの作品というころで、彼がいかに早熟の天才だったかがよく分かる。
早速だれかの演奏を参考にしようと思っったのだが、手元にワルツ集のアルバムがないので、動画で聞く。ここはやはり、前回のショパン・コンクールでの、小林愛実さんにご登場願おう。
端正で軽やか、優雅で力強い。これはまさにお手本というべき演奏だ。右手のパッセージが印象的な第二テーマが、出てくるたびに表情が違うのだが、速さの自在さが開放的。特にコーダでの力強さと説得力が良い。
到底手の届かない演奏だが、まずこれを目指したいと思う。
実は、同じく前回のショパン・コンクールで、最終的に優勝したブルース・リウの演奏のうち、一番印象的だったのは、このワルツ5番だった。
久しぶりに聞いてみた。
小林さんの演奏が端正なのに対して、ブルースの演奏はものすごく…良くいえば個性的、はっきりいうとかなりクセのある演奏で、人によっては酷評される。ショパンのワルツをそのように弾くべきではないということを、ことごとくやらかしているのだ。
ウィンナ・ワルツのような拍子の揺れや、極端にシンコペーションを強調した表現。身体的にも、足をバタバタさせて、ピアノと踊っているようだ。品がないとか、冒涜的とか言われることもあるだろうだ。
ところが、この演奏、鬼神のように上手い。難癖をつけるには、上手すぎるのだ。私は好き嫌いはともかく、この演奏で非常に心が突き動かされたし、彼の冒険心に感服した。なにせまだ最終ステージではないのだ。ここで敗退するわけにはいかないが、自分の演奏をやりきる勇気も感じ取ることができる。
だからこそ、私はブルースはこのワルツで勝ったな、という印象を持ったのだ。
ワルツの5番をYouTubeで探すと、のきなみ若手の演奏があがってくる。もしくは素人。大御所の演奏は少なくて、ショパンにおけるワルツの立ち位置というものが見えてくる。
最後に、ルービンシュタインの演奏を聞いてみた。
若者たちにくらべて、テンポは断然ゆるく、しかもかなりタッチが硬い。言うなれば、やや優雅さにかけるだろうっか。愛想もなにもないというか。機嫌でも悪いのだろうかという印象さえ与える。
三人を聴き比べて、まったく異なる表現方法に感動するとともに、まぁ、私の演奏にはあまり関係がないけれどね…とも思ったりする。
Dylan's Movies ― 2025/03/02 19:02
金曜日に仕事で同僚と話していると、最後に「そういえば今日、映画行くんですか?」と訊かれた。どうして?と問い返すと、「ボブ・ディランの映画の公開日じゃないですか」と言われた。
私はディラン様のファンだけど、ティモシー・シャラメによるディランのモノマネには興味がないなぁ。
私は例の映画は見ないと思うけど、この映画でディラン様に興味を持った方々はウェルカム!もれなくジョージとトムさんとセットでプレゼンさせていただきます!
ディラン様の動画を検索してみると、ジョージがステージに参加したときの映像がでてきた。これは1987年のディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーのロンドン公開だろう。
このツアーに同行していたロジャー・マッグインの姿もある。姿こそ見えないがベンモントが演奏するオルガンの存在感が大きい。一方、存在感がないのがトムさんだ。居るはずだが姿がない。スライドを弾いているのはマイクではないようだから…ハウイがスライドで、トムさんがベースなのだろうか。
ジョージがふらふら〜っとディラン様に近づくと、デレデレな笑顔に溶けそうになるディラン様…幸せがだだ漏れ…!それを軽く受け流し、いい加減な歌詞でやけくそ気味に歌うジョージ。ウィルベリー兄弟見参!
もう一つ見た動画は、ディランとハートブレイカーズのリハーサル風景。テンポがゆっくりで、丁寧に歌うディラン様も良いが、一番気になるのは…背後でふらふらしている金髪青年!くわえタバコで、ふーらふら、近づいてきたり、離れたり、また寄ってきたり…すごく気になる。ディラン様とワンマイクで歌わないときは、こうだったのか。
姿も存在感もキラキラ輝きつつ、やや暇を持て余している感じが、トムさんの魅力を表現していて、これまたたまらんのであった。
私はディラン様のファンだけど、ティモシー・シャラメによるディランのモノマネには興味がないなぁ。
私は例の映画は見ないと思うけど、この映画でディラン様に興味を持った方々はウェルカム!もれなくジョージとトムさんとセットでプレゼンさせていただきます!
ディラン様の動画を検索してみると、ジョージがステージに参加したときの映像がでてきた。これは1987年のディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーのロンドン公開だろう。
このツアーに同行していたロジャー・マッグインの姿もある。姿こそ見えないがベンモントが演奏するオルガンの存在感が大きい。一方、存在感がないのがトムさんだ。居るはずだが姿がない。スライドを弾いているのはマイクではないようだから…ハウイがスライドで、トムさんがベースなのだろうか。
ジョージがふらふら〜っとディラン様に近づくと、デレデレな笑顔に溶けそうになるディラン様…幸せがだだ漏れ…!それを軽く受け流し、いい加減な歌詞でやけくそ気味に歌うジョージ。ウィルベリー兄弟見参!
もう一つ見た動画は、ディランとハートブレイカーズのリハーサル風景。テンポがゆっくりで、丁寧に歌うディラン様も良いが、一番気になるのは…背後でふらふらしている金髪青年!くわえタバコで、ふーらふら、近づいてきたり、離れたり、また寄ってきたり…すごく気になる。ディラン様とワンマイクで歌わないときは、こうだったのか。
姿も存在感もキラキラ輝きつつ、やや暇を持て余している感じが、トムさんの魅力を表現していて、これまたたまらんのであった。
Hold on, I'm Comin' ― 2025/02/26 20:05
ひさしぶりに新宿に行ったので、ディスクユニオンを覗いてみた。まず、トム・ぺティ&ザ・ハートブレイカーズのボックス,[Playback] がないかチェックし、次はケルティック・ミュージックをチェック。あまり収穫はなかったが、スウェーデンのフィドル・デュオと、Four Men and a Dog のベスト版を購入した。
後者は存在を知らなかったのだが、なかなかの収穫だった。アイリッシュ・トラッドミュージックに、ロック、ポップ、ジャズ、ソウルなどを織り交ぜたバンドで、構成がうまい。特に、サム&デイヴの "Hold on, I'm comin'"のカバーが素晴らしかった。
組み合わされているアイリッシュは、"Congress Reel" 素晴らしいコンビネーションで、とても気に入っている。
"Congress Reel" は何年か前に Poitin の演奏がすごく有名になり、私もティン・ホイッスルで挑んだものだ。
"Hold on, I'm Comin'" はサム&デイヴによる1966年のソウルの名曲。バックを務めているのは Booker T.& the M.G's とのことで、さすがの上手さだ。
この印象的なイントロはよく耳にするが、動画を見ていて感心したのが、ブルース・ブラザーズ・バンドのバージョン。かなり切れがあって早い。さすが BBB。これまた手練れの演奏だ。
後者は存在を知らなかったのだが、なかなかの収穫だった。アイリッシュ・トラッドミュージックに、ロック、ポップ、ジャズ、ソウルなどを織り交ぜたバンドで、構成がうまい。特に、サム&デイヴの "Hold on, I'm comin'"のカバーが素晴らしかった。
組み合わされているアイリッシュは、"Congress Reel" 素晴らしいコンビネーションで、とても気に入っている。
"Congress Reel" は何年か前に Poitin の演奏がすごく有名になり、私もティン・ホイッスルで挑んだものだ。
"Hold on, I'm Comin'" はサム&デイヴによる1966年のソウルの名曲。バックを務めているのは Booker T.& the M.G's とのことで、さすがの上手さだ。
この印象的なイントロはよく耳にするが、動画を見ていて感心したのが、ブルース・ブラザーズ・バンドのバージョン。かなり切れがあって早い。さすが BBB。これまた手練れの演奏だ。
Dancing Fiddler ― 2025/02/20 21:32
遅ればせながら、フィドル奏者,奥貫史子さんのソロアルバム [Shared Solstice] を購入。仕事中にずっと聞いている。
アイリッシュを中心に、各地のケルト音楽に、クラシックなども織り交ぜ、アンサンブルも楽しくて聞き飽きない。
奥貫さんは「ケベック・スタイル」も習得している。すなわち、フィドルを弾きながらステップを踏む「踊るフィドラー」なのだ。
普通ケルティック・ミュージックのダンス・チューンを吹くときは足で拍子をとるが、ケベック・スタイルの場合はちゃんとタップダンス用の靴を履き、音のなる床、もしくは板を用いて楽器として機能させる。
フィドラーが踊ると言えば、ザ・チーフテンズが最後に来日した時、バンドに同行したカナダはケベックのピラツキ兄弟が有名。フィドルを演奏していたと思ったら、立ち上がって踊りだしたのは印象的だった。しかもフィドルの余技ではなく、プロのダンサーでもある。
ここまで派手に踊りまくらなくても、座ったままステップを踏むだけでに難しいし、格好良い。
こちらのお三人はハープとコンサティーナの方もちゃんと靴もはいているようだ。すごくやってみたいが、下手にやるとテンポが乱れるだろう…
アイリッシュを中心に、各地のケルト音楽に、クラシックなども織り交ぜ、アンサンブルも楽しくて聞き飽きない。
奥貫さんは「ケベック・スタイル」も習得している。すなわち、フィドルを弾きながらステップを踏む「踊るフィドラー」なのだ。
普通ケルティック・ミュージックのダンス・チューンを吹くときは足で拍子をとるが、ケベック・スタイルの場合はちゃんとタップダンス用の靴を履き、音のなる床、もしくは板を用いて楽器として機能させる。
フィドラーが踊ると言えば、ザ・チーフテンズが最後に来日した時、バンドに同行したカナダはケベックのピラツキ兄弟が有名。フィドルを演奏していたと思ったら、立ち上がって踊りだしたのは印象的だった。しかもフィドルの余技ではなく、プロのダンサーでもある。
ここまで派手に踊りまくらなくても、座ったままステップを踏むだけでに難しいし、格好良い。
こちらのお三人はハープとコンサティーナの方もちゃんと靴もはいているようだ。すごくやってみたいが、下手にやるとテンポが乱れるだろう…
Typewriter ― 2025/02/13 22:41
ボブ・ディランが滞在中のホテルの一室で、ジョーン・バエズが歌っているシーン。ディランは、タイプライターを打っている。タイプライターの独特の音がするし、紙の右端になるとタイプライターに仕込まれたベルが「チン!」と鳴り、リターン・レバーを引いて改行する。
私の家にも、タイプライターがある。1950年頃に祖父がアメリカから持ち帰った物とのこと。有名なタイプライター・メーカーの、レミントン・ランド製。
私がこどものころにはすでに骨董品だったが、どこも壊れていないので立派に機能する。中学生のころはさかんにこれでバンド名や曲名、歌詞を打ったもので、作文の宿題をこれで出したこともある。

インク・リボン式。さすがに年月を経てカラカラになってしまい、色が出ないが、かすかならが文字が打てる。このカシャカシャした打ち心地が気持ち良い。シフトキーが重くて、私には小指で押さえることが出来ないが、ディラン様はちゃんと小指で操作していた。

タイプライターと言えば、ルロイ・アンダーソンの "Typewriter" ―― カジュアルなコンサートではお馴染みのナンバー。
タイプライターを演奏するのは大抵、打楽器奏者。オフィスワーカーっぽい演出や、無意味なチューニングがお馴染みだ。上述の通り、本来紙の右端に来るとタイプライター内のベルが鳴るのだが、この曲では机上のベルを叩くことで音を再現している。
楽器としてのタイプライターの使用というのは意外と珍しくはなく、ビートルズの "Revolution No. 1" の冒頭でも音が聞こえる。
もう一つタイプライターで思い出す話と言えば、モンティ・パイソンがネタの打ち合わせ中、議論が白熱しすぎてケンカになり(主にジョン・クリーズとテリー・ジョーンズの間で)、タイプライターをぶん投げたというエピソードだろうか。
私の家にも、タイプライターがある。1950年頃に祖父がアメリカから持ち帰った物とのこと。有名なタイプライター・メーカーの、レミントン・ランド製。
私がこどものころにはすでに骨董品だったが、どこも壊れていないので立派に機能する。中学生のころはさかんにこれでバンド名や曲名、歌詞を打ったもので、作文の宿題をこれで出したこともある。

インク・リボン式。さすがに年月を経てカラカラになってしまい、色が出ないが、かすかならが文字が打てる。このカシャカシャした打ち心地が気持ち良い。シフトキーが重くて、私には小指で押さえることが出来ないが、ディラン様はちゃんと小指で操作していた。

タイプライターと言えば、ルロイ・アンダーソンの "Typewriter" ―― カジュアルなコンサートではお馴染みのナンバー。
タイプライターを演奏するのは大抵、打楽器奏者。オフィスワーカーっぽい演出や、無意味なチューニングがお馴染みだ。上述の通り、本来紙の右端に来るとタイプライター内のベルが鳴るのだが、この曲では机上のベルを叩くことで音を再現している。
楽器としてのタイプライターの使用というのは意外と珍しくはなく、ビートルズの "Revolution No. 1" の冒頭でも音が聞こえる。
もう一つタイプライターで思い出す話と言えば、モンティ・パイソンがネタの打ち合わせ中、議論が白熱しすぎてケンカになり(主にジョン・クリーズとテリー・ジョーンズの間で)、タイプライターをぶん投げたというエピソードだろうか。
Marianne Faithfull ― 2025/02/06 21:22
毎週のように誰かの訃報に触れているのだが、今度はマリアンヌ・フェイスフルだという。特に音楽的に興味のある人ではなかったが、60年代のアイコンの一人だったことは間違いないだろう。
彼女を最初に見たのは、ローリング・ストーンズの [Rock 'n' Roll Circus] の出演だと思う。出来の良い作品ではないので一度しか見ていないが、一番印象深いシーンだった。
やっぱりその美貌がまず強い。この曲のプロデューサーはミックだとのこと。バックで鳴っているギターは誰なのだろうか。キースとか?
動画を見ていて初めて知ったのだが、1965年,ボブ・ディランがホテルの一室でタイプライターを打っている後ろで、ジョーン・バエズがギターを弾きながら歌っている隣で、座っているのはマリアンヌ・フェイスフルだそうだ。
ディラン様ラジオこと、[Theme Time Radio Hour] にも「夢」についてコメントを寄せたこともある。どうして唐突に彼女が登場したのか不思議だったが、それなりにつながりがあったようだ。
ディランのカバーも多く残しているが、中でも "It's All over Now Baby Blue" は、彼女の声にとても合っている。丁寧で味のある歌唱で、とても良い。
彼女を最初に見たのは、ローリング・ストーンズの [Rock 'n' Roll Circus] の出演だと思う。出来の良い作品ではないので一度しか見ていないが、一番印象深いシーンだった。
やっぱりその美貌がまず強い。この曲のプロデューサーはミックだとのこと。バックで鳴っているギターは誰なのだろうか。キースとか?
動画を見ていて初めて知ったのだが、1965年,ボブ・ディランがホテルの一室でタイプライターを打っている後ろで、ジョーン・バエズがギターを弾きながら歌っている隣で、座っているのはマリアンヌ・フェイスフルだそうだ。
ディラン様ラジオこと、[Theme Time Radio Hour] にも「夢」についてコメントを寄せたこともある。どうして唐突に彼女が登場したのか不思議だったが、それなりにつながりがあったようだ。
ディランのカバーも多く残しているが、中でも "It's All over Now Baby Blue" は、彼女の声にとても合っている。丁寧で味のある歌唱で、とても良い。
Garth Hudson ― 2025/01/30 21:33
1月21日にガース・ハドソンが亡くなったことにより、ザ・バンドのメンバー全員が死去した。私の好きなバンドで、全員が亡くなってしまったのは、ザ・バンドがはじめてのケースではないだろうか。
私の好きなザ・バンドは [The Last Waltz] までに限定されるのだが、その活動期間における、ガース・ハドソンの果たした役割は計り知れなかった。どの曲を聴いても、彼の楽器演奏の才能は、アンサンブルの上手さ、加減、調整、繊細なニュアンスの表現に活かされ、ロックという比較的シンプルで押しの強いジャンルの音楽としては特別に天才的とも言えるものだった。それはもちろん、彼にクラシック音楽の素養があったからであり、同時に彼がロビーの作る曲の最大の理解者だったからだろう。
何を置いてもガースはオルガンのヴィルトゥオーソだった。いくらでも曲が挙げられるが、やはり一番は "Stage Fright" ―― ザ・バンドの中でも一番に好きな曲だ。「舞台恐怖症」という歌詞も好きだし、シンガーとしてのリック・ダンコも大好きだし、格好良くて、そしてガースのオルガン・ソロが最高だ。
その最高な "Stage Fright" のヴァージョンは、もちろん [The Last Waltz] なのだが、気をつけなければならない。映画ではガースのソロが、一部カットされているのとだ。しかも当時のこと、あまり巧妙でもない。この曲はオーディオ版で、フルにガースのソロを堪能するべきだ。
ガースは一種の「器楽器用」の人で、管楽器の演奏にも秀でていた。
"Acadian Driftwood" の特徴的な高音管楽器は、なんとなくティン・ホイッスルだと思い込んでいたが、このたび確認してみると、なんとガースのピッコロだというのだ。もちろん、ピッコロの演奏として世界最高峰とまでは言わないが、余技にしては上手すぎる。
そしてガースの管楽器として最も印象的なのは、サックスの演奏だろう。[The Last Waltz] の "Make No Difference" の最後に、左側からスッとカットインしてサックス・ソロを吹く姿は、この映画の中でも指折りの美しいシーンだ。
87歳。長生きしてくれたこと感謝している。
私の好きなザ・バンドは [The Last Waltz] までに限定されるのだが、その活動期間における、ガース・ハドソンの果たした役割は計り知れなかった。どの曲を聴いても、彼の楽器演奏の才能は、アンサンブルの上手さ、加減、調整、繊細なニュアンスの表現に活かされ、ロックという比較的シンプルで押しの強いジャンルの音楽としては特別に天才的とも言えるものだった。それはもちろん、彼にクラシック音楽の素養があったからであり、同時に彼がロビーの作る曲の最大の理解者だったからだろう。
何を置いてもガースはオルガンのヴィルトゥオーソだった。いくらでも曲が挙げられるが、やはり一番は "Stage Fright" ―― ザ・バンドの中でも一番に好きな曲だ。「舞台恐怖症」という歌詞も好きだし、シンガーとしてのリック・ダンコも大好きだし、格好良くて、そしてガースのオルガン・ソロが最高だ。
その最高な "Stage Fright" のヴァージョンは、もちろん [The Last Waltz] なのだが、気をつけなければならない。映画ではガースのソロが、一部カットされているのとだ。しかも当時のこと、あまり巧妙でもない。この曲はオーディオ版で、フルにガースのソロを堪能するべきだ。
ガースは一種の「器楽器用」の人で、管楽器の演奏にも秀でていた。
"Acadian Driftwood" の特徴的な高音管楽器は、なんとなくティン・ホイッスルだと思い込んでいたが、このたび確認してみると、なんとガースのピッコロだというのだ。もちろん、ピッコロの演奏として世界最高峰とまでは言わないが、余技にしては上手すぎる。
そしてガースの管楽器として最も印象的なのは、サックスの演奏だろう。[The Last Waltz] の "Make No Difference" の最後に、左側からスッとカットインしてサックス・ソロを吹く姿は、この映画の中でも指折りの美しいシーンだ。
87歳。長生きしてくれたこと感謝している。
伶倫楽遊 ―― 伶楽舎第十七回雅楽演奏会 ― 2025/01/26 21:26
雅楽の伶楽舎が創立40周年だそうだ。私が音大で芝祐靖先生や宮田まゆみ先生に雅楽を習っていた頃は、まだ伶楽舎も創立からそれほど経っておらず、人数の要る演奏会では学生も手伝っていたりしたが、時が経つのは早いものだ。
40周年記念演奏会が、紀尾井ホールで開かれた。
四ッ谷の駅からトコトコ歩いて紀尾井ホールへ向かうと、おや?と思ったのが、紀尾井ホールの壁。「日本製鉄 紀尾井ホール」とある。頭に「日本製鉄」なんてついていたっけ?紀尾井ホールも30周年だそうだ。確かに、当時の新日本製鐵のメセナ事業として創立されたのが紀尾井ホールだというのは知っていたが、2025年4月から「日本製鉄 紀尾井ホール」になるとは…!
楽曲は現代曲三曲。現代曲というのは、50年以上昔でも「現代」と言う。古典でなければ現代曲である。
一曲目は ―― 残念。ぜんぜん。イマイチ。雅楽器の響きを理解し切れていない。唐突で説得力がない。よくあるんだよなぁ、この手の「雅楽の現代曲」。玄妙に鳴らしてみたり、目一杯音を出して騒々しくしたり。結局空振り。いつものことなので、驚かない。
二曲目は、芝先生の「舞風神 序破急」 ―― こちらは安定の芝先生。さすが、芝先生は古典への造詣が深い。太食調の音取りから始まり、序破は古典だと言われても分からない。しかし急になると、マーチのように勇ましくなり、ウキウキした気持ちになった。さらに、いつもは最前線にいる打楽器を最後部においたのもよかった。ホールの鏡板(能舞台で言う松の板…)のすぐ前に打楽器があり、特に羯鼓の響きが天上から振ってくるような豊かな響き。とても良かった。

三曲目は、名曲・大曲の誉れ高き武満徹の 「秋庭歌一具」。
これまで私は、「秋庭歌」は過大評価だと思っていた。おそらく、聞いた場所が悪かったのだろう。最初は明治神宮の外庭、二回目は国立劇場。どちらも音が散る、大きすぎるなどで、「秋庭歌」には向いていなかった。この曲は演奏グループをいくつかに分けて、オーディエンスに対して立体的に配置されている。その音の立体構造の中に響くものこそ、「秋庭歌」なのだ。
特に笙の贅沢な使い方が素晴らしい。九人もいるのだ。逆に言うと、笙は蚊の鳴くような音なので、これだけ必要なのだということ。
合計五カ所から響き渡る雅楽器のリレーが滑らかで、巧妙だ。特に龍笛が一つの息が異常に長いのかと思わせるような絶妙なアンサンブルで、はっとするような美しさだった。本曲である「秋庭歌」までがこの曲の良さが詰まったパートだ。後半パートになると、構成的にやや息切れかなと思う。次に聞くときは、この箇所の感想が改まるだろうか。
パンフレットの曲目解説を見ると、「秋庭歌一具」は音大の先輩が書いていた。わぁお、なつかしい!先輩方にも久しぶりに会いたいと思う、演奏会終わりだった。
40周年記念演奏会が、紀尾井ホールで開かれた。
四ッ谷の駅からトコトコ歩いて紀尾井ホールへ向かうと、おや?と思ったのが、紀尾井ホールの壁。「日本製鉄 紀尾井ホール」とある。頭に「日本製鉄」なんてついていたっけ?紀尾井ホールも30周年だそうだ。確かに、当時の新日本製鐵のメセナ事業として創立されたのが紀尾井ホールだというのは知っていたが、2025年4月から「日本製鉄 紀尾井ホール」になるとは…!
楽曲は現代曲三曲。現代曲というのは、50年以上昔でも「現代」と言う。古典でなければ現代曲である。
一曲目は ―― 残念。ぜんぜん。イマイチ。雅楽器の響きを理解し切れていない。唐突で説得力がない。よくあるんだよなぁ、この手の「雅楽の現代曲」。玄妙に鳴らしてみたり、目一杯音を出して騒々しくしたり。結局空振り。いつものことなので、驚かない。
二曲目は、芝先生の「舞風神 序破急」 ―― こちらは安定の芝先生。さすが、芝先生は古典への造詣が深い。太食調の音取りから始まり、序破は古典だと言われても分からない。しかし急になると、マーチのように勇ましくなり、ウキウキした気持ちになった。さらに、いつもは最前線にいる打楽器を最後部においたのもよかった。ホールの鏡板(能舞台で言う松の板…)のすぐ前に打楽器があり、特に羯鼓の響きが天上から振ってくるような豊かな響き。とても良かった。

三曲目は、名曲・大曲の誉れ高き武満徹の 「秋庭歌一具」。
これまで私は、「秋庭歌」は過大評価だと思っていた。おそらく、聞いた場所が悪かったのだろう。最初は明治神宮の外庭、二回目は国立劇場。どちらも音が散る、大きすぎるなどで、「秋庭歌」には向いていなかった。この曲は演奏グループをいくつかに分けて、オーディエンスに対して立体的に配置されている。その音の立体構造の中に響くものこそ、「秋庭歌」なのだ。
特に笙の贅沢な使い方が素晴らしい。九人もいるのだ。逆に言うと、笙は蚊の鳴くような音なので、これだけ必要なのだということ。
合計五カ所から響き渡る雅楽器のリレーが滑らかで、巧妙だ。特に龍笛が一つの息が異常に長いのかと思わせるような絶妙なアンサンブルで、はっとするような美しさだった。本曲である「秋庭歌」までがこの曲の良さが詰まったパートだ。後半パートになると、構成的にやや息切れかなと思う。次に聞くときは、この箇所の感想が改まるだろうか。
パンフレットの曲目解説を見ると、「秋庭歌一具」は音大の先輩が書いていた。わぁお、なつかしい!先輩方にも久しぶりに会いたいと思う、演奏会終わりだった。
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