You Ain’t Going Nowhere ― 2025/06/13 20:04
ポピュラー音楽界は、もっぱら亡くなったブライアン・ウィルソンの話題でもちきりだろう。だが、私は彼やビーチボーイズにはあまり縁がない。[George Fest] で “My Sweet Lord” を歌っていた…くらいかな。
マイク・キャンベルの自伝を冒頭から読み始め進めているのだが、もう何もかもが胸がキュンとする展開で、萌え散らかして悶絶している。
まず、マイクの家庭環境の貧しさがなかなか厳しくて、シャイで無口な少年が可愛そうでしょうがない。高校を出たらどこかで働くか、軍隊に入るくらいしか選択肢のなかったマイク少年。ところが、進路指導員が言うには学業成績が抜群に良い。学生生活を通じてすべてAを取っているのだから、進学するべきだとアドバイスする。でも、学校に行くお金はないんだと、涙をこらえながら言うマイク。指導員が資料を見るために後ろを向いた隙にそっと袖で涙を拭くところで、私も大泣きしてしまった。
マイクが学業成績優秀だったという話はいたく私を喜ばせた。私はロックンローラーも好きだが、インテリも好きなのだ。このマイク、学業優秀につき学資金を提供されたことが、ロックの歴史の一部となる。そうでなければマイクはゲインズヴィルには向かわなかった。
基本的に一人でネコ相手にギター(かの有名な日本製のグヤトーン)を弾いていたマイク。一応バンド友達もいるが、あくまでも趣味、遊びの範疇。自分は家族から孤立し、お金もない、寄る辺もない、あるのは音楽への愛情だけ。人生の見通しのなさに孤独と不安を抱えていたある日、キャンパスでなかなか上手なバンド(主にカントリー)の演奏を目にして、感銘を受ける。ブロンドを長く伸ばしたベーシストが印象的に言う。「ありがとう、俺らはマッドクラッチ」。 その時演奏していたのが、ザ・バーズ,バージョンの “You Ain’t Going Nowhere”だった。
程なくしてマイクはマッドクラッチに加わるのだが、そのシーンはもうブロンドを長く伸ばし、シャープな顔つきで、チェロキーらしく頬骨が高く、青い青い、瞳をしている ― トムさんの独壇場だった。マイク曰く、その目の青さは、青すぎて見つめ続けられな硬そうだ。プロ・ミュージシャンとしてのキャリアも積んでいるトムさんは、自信満々で、マイクがバンドに入るということにまったく疑いを持っていなかった。
それから数十年が経ち、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズはボブ・ディランと長いツアーを共にし、ロジャー・マッグインもそれに加わる。そこでマッグインとトムさんがワン・マイクで “You Ain’ Going Nowhere” を歌うのだが、それを見ながらマイクはあの、初めてブロンドのベーシストを見た日のことに思いを馳せるのだ。マイクは、あの瞬間が人生を導いたと信じている。胸に迫るものがあっただろうし、そして読んでいる私も胸が苦しくなるほどキュンキュンして半ば発狂していた。
こちらは2016年マッドクラッチのツアーに、ロジャー・マッグインがゲスト参加したときだろう。トムさんが亡くなる前年だと思うと悲しくなる。でも、当人たちはもちろんそんなことは想像だにせず、ニコニコしながら ― 特にマイクはニコニコしている ― 思い出深い “You Ain’t Going Nowhere” をプレイするのであった。
マイクの自伝は読み進めながら印象的だったり、キュンキュンしたところに付箋をつけているのだが、もうかなり付箋だらけになっている。
英語としてはとても短い文章が多く、簡潔で読みやすい。ハートブレカーズ・ファンで英語読書に挑戦を考えている人には、とてもおすすめだ。
マイク・キャンベルの自伝を冒頭から読み始め進めているのだが、もう何もかもが胸がキュンとする展開で、萌え散らかして悶絶している。
まず、マイクの家庭環境の貧しさがなかなか厳しくて、シャイで無口な少年が可愛そうでしょうがない。高校を出たらどこかで働くか、軍隊に入るくらいしか選択肢のなかったマイク少年。ところが、進路指導員が言うには学業成績が抜群に良い。学生生活を通じてすべてAを取っているのだから、進学するべきだとアドバイスする。でも、学校に行くお金はないんだと、涙をこらえながら言うマイク。指導員が資料を見るために後ろを向いた隙にそっと袖で涙を拭くところで、私も大泣きしてしまった。
マイクが学業成績優秀だったという話はいたく私を喜ばせた。私はロックンローラーも好きだが、インテリも好きなのだ。このマイク、学業優秀につき学資金を提供されたことが、ロックの歴史の一部となる。そうでなければマイクはゲインズヴィルには向かわなかった。
基本的に一人でネコ相手にギター(かの有名な日本製のグヤトーン)を弾いていたマイク。一応バンド友達もいるが、あくまでも趣味、遊びの範疇。自分は家族から孤立し、お金もない、寄る辺もない、あるのは音楽への愛情だけ。人生の見通しのなさに孤独と不安を抱えていたある日、キャンパスでなかなか上手なバンド(主にカントリー)の演奏を目にして、感銘を受ける。ブロンドを長く伸ばしたベーシストが印象的に言う。「ありがとう、俺らはマッドクラッチ」。 その時演奏していたのが、ザ・バーズ,バージョンの “You Ain’t Going Nowhere”だった。
程なくしてマイクはマッドクラッチに加わるのだが、そのシーンはもうブロンドを長く伸ばし、シャープな顔つきで、チェロキーらしく頬骨が高く、青い青い、瞳をしている ― トムさんの独壇場だった。マイク曰く、その目の青さは、青すぎて見つめ続けられな硬そうだ。プロ・ミュージシャンとしてのキャリアも積んでいるトムさんは、自信満々で、マイクがバンドに入るということにまったく疑いを持っていなかった。
それから数十年が経ち、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズはボブ・ディランと長いツアーを共にし、ロジャー・マッグインもそれに加わる。そこでマッグインとトムさんがワン・マイクで “You Ain’ Going Nowhere” を歌うのだが、それを見ながらマイクはあの、初めてブロンドのベーシストを見た日のことに思いを馳せるのだ。マイクは、あの瞬間が人生を導いたと信じている。胸に迫るものがあっただろうし、そして読んでいる私も胸が苦しくなるほどキュンキュンして半ば発狂していた。
こちらは2016年マッドクラッチのツアーに、ロジャー・マッグインがゲスト参加したときだろう。トムさんが亡くなる前年だと思うと悲しくなる。でも、当人たちはもちろんそんなことは想像だにせず、ニコニコしながら ― 特にマイクはニコニコしている ― 思い出深い “You Ain’t Going Nowhere” をプレイするのであった。
マイクの自伝は読み進めながら印象的だったり、キュンキュンしたところに付箋をつけているのだが、もうかなり付箋だらけになっている。
英語としてはとても短い文章が多く、簡潔で読みやすい。ハートブレカーズ・ファンで英語読書に挑戦を考えている人には、とてもおすすめだ。
Mike Bloomfield ― 2025/06/07 20:28
私が働いているビジネス(この場合は商売という意味)のプレジデントが来日した。アジアのセールス・リーダーが来ることはあるし、それでもかなりエライ人。さらにプレジデントとなると、もっともっと上で、彼の上にはもう CEO しかいない。
いち社員も気楽にティータイム・セッションで話そう!とはいっても、やはり下っ端はガチガチで、プレジデントが話してばかりいた。
ところが仕事の話が終わって、さぁ、エライ人達は次のスケジュールの確認でも…というところで、必殺「アメリカ人にはトム・ペティ投入作戦」を実行する。素晴らしい効果があった。とてもエライ・プレジデントは最初度肝を抜かれたような顔をしていたが、もう一人のエライ・アメリカ人と私の三人で、飲み物片手にロック談義で大盛り上がり。「ライブ・エイド見た?」「小学生だったけどテレビでやってたよ!」「うちのハズバンドはフィリーの現場で見てたのよ!」などなど…。日本の部長が「大丈夫?あの人プレジデントだよ?」と感心するより心配するほどだった。トム・ペティは世界をつなぐのだ。
マイク・キャンベルの自伝の拾い読みをやめて、冒頭から読み始めた。印象的なところに付箋をつけていく。普段の読書ではやらないが、英語の場合はそうしないと見失ってしまう。
拾い読みしたときは、ラスト・エピソードがジョージで締められたのにびっくりしてしまったが、プロローグで「彼(トム)はおなじミューズから生まれた兄弟であり、なにものをしても引き離すことは出来ない」と、ちゃんとトムさん愛を語っていたので安心した。
まだ冒頭部分だ。知ってはいたつもりだが、それ以上にマイクが貧しい家庭に育ったことを実感した。英語がわからないからという理由で辞書を引くのは稀だが、アメリカ特有の文化についてはググらないとならない。たとえば「ボローニャ・サンドイッチすら賄えないのにギターどころではなかった」というところ。ボローニャ・サンドイッチを知らないと話にならない。
マイクがラジオやテレビを通じてビートルズにのめり込むのは、60年代少年少女のお約束。エド・サリバンショーでも痩せていてダークヘアーのギタリスト(もちろんジョージ)にロック・オン!するのを忘れない。
教則本のお世話にもなるビーチボーイズに続いて、ディランの “Like a Rolling Stone” に衝撃を受けるマイク。バーガーショップのバイトで、椅子をテーブルに上げ、フロアにモップをかけながらこの曲を聞くところは、まるで映画のワンシーンのようだ。やせっぽちで大人しくて、貧しくて、でも音楽を心から愛するマイクの姿はいじらしくて、いとおしい。
さて、”Like a Rolling Stone” でギターサウンドに感動したマイク。この曲のリード・ギターを弾いているのが、マイク・ブルームフィールドだと知って、彼のブルース・ギターを師匠とするようになる。ポール・バターフィールド・バンドのレコードを手に入れ、回転数を落として音を拾いながら練習するのも、これまた60年代ボーイズの定番だ(たしか、デュエイン・オールマンは足でレコードの動きを止めたり戻したりしながらギターの練習をしていた)。
そういえばマイク・ブルームフィールドのことを深く考えたことがなかった。確認してみると、1943年イリノイ州出身というのだから、ディランとは同郷,歳も近かった。ジョージと同い年で、クラプトンよりは年上なので、白人のブルース・ロック・ギタリストとしてはかなり草分け的な存在だろう。マイクがお手本にするにはこの上ない人だ。
ポール・バターフィールド・バンドといえば、何と言っても “Born in Chicago” で、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズもライブでのカバーもある。もちろん素晴らしいのだが、やはり PBB を超えるものはない。”Twist and Shout” はビートルズが最高なのと同じで、誰にも超えることは出来ないだろう。
マイクも書いているが、PBB は熱量がすごい。まさに「噴出」という感じで、その説得力がこの演奏の特徴ではないだろうか。
いち社員も気楽にティータイム・セッションで話そう!とはいっても、やはり下っ端はガチガチで、プレジデントが話してばかりいた。
ところが仕事の話が終わって、さぁ、エライ人達は次のスケジュールの確認でも…というところで、必殺「アメリカ人にはトム・ペティ投入作戦」を実行する。素晴らしい効果があった。とてもエライ・プレジデントは最初度肝を抜かれたような顔をしていたが、もう一人のエライ・アメリカ人と私の三人で、飲み物片手にロック談義で大盛り上がり。「ライブ・エイド見た?」「小学生だったけどテレビでやってたよ!」「うちのハズバンドはフィリーの現場で見てたのよ!」などなど…。日本の部長が「大丈夫?あの人プレジデントだよ?」と感心するより心配するほどだった。トム・ペティは世界をつなぐのだ。
マイク・キャンベルの自伝の拾い読みをやめて、冒頭から読み始めた。印象的なところに付箋をつけていく。普段の読書ではやらないが、英語の場合はそうしないと見失ってしまう。
拾い読みしたときは、ラスト・エピソードがジョージで締められたのにびっくりしてしまったが、プロローグで「彼(トム)はおなじミューズから生まれた兄弟であり、なにものをしても引き離すことは出来ない」と、ちゃんとトムさん愛を語っていたので安心した。
まだ冒頭部分だ。知ってはいたつもりだが、それ以上にマイクが貧しい家庭に育ったことを実感した。英語がわからないからという理由で辞書を引くのは稀だが、アメリカ特有の文化についてはググらないとならない。たとえば「ボローニャ・サンドイッチすら賄えないのにギターどころではなかった」というところ。ボローニャ・サンドイッチを知らないと話にならない。
マイクがラジオやテレビを通じてビートルズにのめり込むのは、60年代少年少女のお約束。エド・サリバンショーでも痩せていてダークヘアーのギタリスト(もちろんジョージ)にロック・オン!するのを忘れない。
教則本のお世話にもなるビーチボーイズに続いて、ディランの “Like a Rolling Stone” に衝撃を受けるマイク。バーガーショップのバイトで、椅子をテーブルに上げ、フロアにモップをかけながらこの曲を聞くところは、まるで映画のワンシーンのようだ。やせっぽちで大人しくて、貧しくて、でも音楽を心から愛するマイクの姿はいじらしくて、いとおしい。
さて、”Like a Rolling Stone” でギターサウンドに感動したマイク。この曲のリード・ギターを弾いているのが、マイク・ブルームフィールドだと知って、彼のブルース・ギターを師匠とするようになる。ポール・バターフィールド・バンドのレコードを手に入れ、回転数を落として音を拾いながら練習するのも、これまた60年代ボーイズの定番だ(たしか、デュエイン・オールマンは足でレコードの動きを止めたり戻したりしながらギターの練習をしていた)。
そういえばマイク・ブルームフィールドのことを深く考えたことがなかった。確認してみると、1943年イリノイ州出身というのだから、ディランとは同郷,歳も近かった。ジョージと同い年で、クラプトンよりは年上なので、白人のブルース・ロック・ギタリストとしてはかなり草分け的な存在だろう。マイクがお手本にするにはこの上ない人だ。
ポール・バターフィールド・バンドといえば、何と言っても “Born in Chicago” で、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズもライブでのカバーもある。もちろん素晴らしいのだが、やはり PBB を超えるものはない。”Twist and Shout” はビートルズが最高なのと同じで、誰にも超えることは出来ないだろう。
マイクも書いているが、PBB は熱量がすごい。まさに「噴出」という感じで、その説得力がこの演奏の特徴ではないだろうか。
The Beginning of Folk Rock ― 2025/05/10 21:19
先週、マイク・キャンベルの自伝 [A Memoir Heartbreaker] が届いたので、まずは面白そうなところから拾い読みしている。
総じて文章は読みやすい。話がわかりやすいところもトムさんに似ているのか。そしてけっこう表現がロマンチックで胸が熱くなることがある。彼の生涯で重要な人物に出会うシーンなどは特に顕著だ。どうもマイクは一目惚れするタイプらしい。しかも的確に惚れる。トムさんとジョージに出会うシーンは本当に一目で落ちている。
だれでもその本の締めくくりがどうなっているのかは気になるところで、私もその例外ではない。やっぱりトムさんとのエピソードで締めるのかと思ったら…違った。違うんかい!と思わずツッコミを入れたくなるほど、鮮やかな違い。しかも私がキャーキャー言って喜ぶ人とのエピソードなのだから。マイク先生、最高です。
先週なんとなくピーター・バラカンさんのラジオを聞いていたら、告知で「1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルでボブ・ディランがエレキを持ってステージに立った『出来事』をフォーク・ロックの始まりとして、その後の展開を語る」と言っていた。おお、面白そう。私も聞きたいが、どこか遠方でとっくに予約で埋まっているような話だった。
それにしても、気になったのは「フォーク・ロック」の始まりである。果たして1965年7月で良いのだろうか。
そもそもフォーク・ロックとは、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、そしてボブ・ディランに代表されるモダン・フォークとビートルズに代表されるロックンロール(アメリカで誕生した元祖『ロックンロール』よりもUKで洗練されたそれ)の音楽要素が融合したものだといって間違いはないだろう。
そもそも、ロックになにか別の音楽ジャンルの要素が加わると安易に「なんとかロック」と名付けすぎである。「カンタータ・ロック」とか、「ラーガ・ロック」とか。特に音大では不評だった。
ただ、フォーク・ロックだけはそのジャンルが確立され、継承され、今も続いている。ロックのジャンルのなかでも「強い」方だろう。
Wikipedia を見ると、1965年4月にリリースされたザ・バーズの “Mr. Tambourine Man” をもってフォーク・ロックの始まりとしている。私もこちらの説に同意だ。
YouTube を検索したら、ザ・ダーティ・ノブズによる “Mr. Tambourine Man” というものがあって、ちょっと怖いけどけっこう良かった。途中でコードが怪しくなるのは御愛嬌。
マイクの自伝で、ロジャー・マッグインに初めて会うところはまだ読んでいない。そもそもハートブレイカーズが初めてザ・バーズ関連の人に会うのはいつなのだろう?そろそろ拾い読みはやめて最初から読むことにするか。
総じて文章は読みやすい。話がわかりやすいところもトムさんに似ているのか。そしてけっこう表現がロマンチックで胸が熱くなることがある。彼の生涯で重要な人物に出会うシーンなどは特に顕著だ。どうもマイクは一目惚れするタイプらしい。しかも的確に惚れる。トムさんとジョージに出会うシーンは本当に一目で落ちている。
だれでもその本の締めくくりがどうなっているのかは気になるところで、私もその例外ではない。やっぱりトムさんとのエピソードで締めるのかと思ったら…違った。違うんかい!と思わずツッコミを入れたくなるほど、鮮やかな違い。しかも私がキャーキャー言って喜ぶ人とのエピソードなのだから。マイク先生、最高です。
先週なんとなくピーター・バラカンさんのラジオを聞いていたら、告知で「1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルでボブ・ディランがエレキを持ってステージに立った『出来事』をフォーク・ロックの始まりとして、その後の展開を語る」と言っていた。おお、面白そう。私も聞きたいが、どこか遠方でとっくに予約で埋まっているような話だった。
それにしても、気になったのは「フォーク・ロック」の始まりである。果たして1965年7月で良いのだろうか。
そもそもフォーク・ロックとは、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、そしてボブ・ディランに代表されるモダン・フォークとビートルズに代表されるロックンロール(アメリカで誕生した元祖『ロックンロール』よりもUKで洗練されたそれ)の音楽要素が融合したものだといって間違いはないだろう。
そもそも、ロックになにか別の音楽ジャンルの要素が加わると安易に「なんとかロック」と名付けすぎである。「カンタータ・ロック」とか、「ラーガ・ロック」とか。特に音大では不評だった。
ただ、フォーク・ロックだけはそのジャンルが確立され、継承され、今も続いている。ロックのジャンルのなかでも「強い」方だろう。
Wikipedia を見ると、1965年4月にリリースされたザ・バーズの “Mr. Tambourine Man” をもってフォーク・ロックの始まりとしている。私もこちらの説に同意だ。
YouTube を検索したら、ザ・ダーティ・ノブズによる “Mr. Tambourine Man” というものがあって、ちょっと怖いけどけっこう良かった。途中でコードが怪しくなるのは御愛嬌。
マイクの自伝で、ロジャー・マッグインに初めて会うところはまだ読んでいない。そもそもハートブレイカーズが初めてザ・バーズ関連の人に会うのはいつなのだろう?そろそろ拾い読みはやめて最初から読むことにするか。
Mike Campbell Red Dog Telecaster ― 2025/04/15 20:35
フェンダーから、マイク・キャンベルのシグネチャー・モデルが発売された。マイクがキャリアのごく初期に購入し、”Refegee” のシンボリックなリードギター・サウンドを奏でたテレキャスター “Red Dog” である。
話によると、マイクがギターを教えていた生徒から買い取ったのがこのテレキャスターだったとのこと。どうやらマイクというのは良いギターを引き寄せる独特の引力を持っていたようだ。
マイクがいろいろとこのギターについて説明してくれるのだが、どうやらギミックの多いギターのようだ。それから、いくらか傷がついているのだが、マイクに言わせると「トムか誰かがやったんだろうけど、たぶんトムだ。」― ファイヤーバードのときもそうだったが、マイクのギターを壊すか傷をつける化するのは、たいていトムさんということになっている。本当にトムさんがうっかりものなのか、マイクが言いたい放題なのか…?
そもそも、どうしてマイクのギターをトムさんが傷つけるのかと言えば、マイク所有のギターをトムさんが ― さも自分のものであるかのように ― 弾くからだ。この二人のギタリスト、しかもリードギタリストと、メインヴォーカリストが同じギターを弾くということは、実は珍しいのではないだろうか。他のバンドでそういう例をきいたことがない。兄弟のバンドならともかく…売れた兄弟バンドはたいてい仲が悪いし。
ともあれ、マイクのギターは当たり前のようにトムさんも弾く。そういう二人が好きだ。
トムさんが Red Dog を弾いているシーンは、1977年ドイツのテレビ番組 Rockplastで登場する。
Heartbreaker’s Japan Party さんによると、すでにマイクの自伝が届いているとのこと?ええ?!私も注文したのに、全然来ていない!公式ホームページで申し込んだ気がしたのだが…ヤケクソになったので、あらためてアマゾンで注文してしまった。
二冊来ればそれはそれまでだ!
話によると、マイクがギターを教えていた生徒から買い取ったのがこのテレキャスターだったとのこと。どうやらマイクというのは良いギターを引き寄せる独特の引力を持っていたようだ。
マイクがいろいろとこのギターについて説明してくれるのだが、どうやらギミックの多いギターのようだ。それから、いくらか傷がついているのだが、マイクに言わせると「トムか誰かがやったんだろうけど、たぶんトムだ。」― ファイヤーバードのときもそうだったが、マイクのギターを壊すか傷をつける化するのは、たいていトムさんということになっている。本当にトムさんがうっかりものなのか、マイクが言いたい放題なのか…?
そもそも、どうしてマイクのギターをトムさんが傷つけるのかと言えば、マイク所有のギターをトムさんが ― さも自分のものであるかのように ― 弾くからだ。この二人のギタリスト、しかもリードギタリストと、メインヴォーカリストが同じギターを弾くということは、実は珍しいのではないだろうか。他のバンドでそういう例をきいたことがない。兄弟のバンドならともかく…売れた兄弟バンドはたいてい仲が悪いし。
ともあれ、マイクのギターは当たり前のようにトムさんも弾く。そういう二人が好きだ。
トムさんが Red Dog を弾いているシーンは、1977年ドイツのテレビ番組 Rockplastで登場する。
Heartbreaker’s Japan Party さんによると、すでにマイクの自伝が届いているとのこと?ええ?!私も注文したのに、全然来ていない!公式ホームページで申し込んだ気がしたのだが…ヤケクソになったので、あらためてアマゾンで注文してしまった。
二冊来ればそれはそれまでだ!
Taxman with Mike Campbell (1992) ― 2025/03/29 15:34
まさかまさかと思っていたら、あれよあれよという間に、本当にレッドブルのローソンと角田がスワップされてしまった。しかも角田くんのレッドブル初戦が鈴鹿という…!これはとんでもないことになった。普段、フリー走行は見ないのだが、今度の鈴鹿ばかりはフリー走行1回目から見なければ…!
フィギュアスケートは、女子のトップ選手がショートで総崩れしてしまった。まぁ、そういうこともある。大事なのはリカバリーである。そもそも、この大会はアメリカのための大会という観がなくもない。
ジョージが最後にオーディエンスを前にしたライブを行ったのは、1992年のロイヤル・アルバート・ホールであり、バンドはクラプトンから借りた「ハイジャック・バンド」であることも有名だ。
さらに重要なのは、このときマイク・キャンベルがハートブレイカーズのツアーでロンドンにおり、ジョージに電話一本で呼び出されてクラプトンの代役を務めたことだ。マイクにとっては憧れのスターとの夢の共演である。さらに、このとき初めてマイクはスティーヴ・フェローニという超優秀なドラマーを知り、彼がハートブレイカーズに加入するきっかけにもなった。
この大事なライブの映像というのは公式には残っておらず、オーディエンス撮影の断片があるばかりだ。残念な限り。
ところがこのたび、どうやらテレビクルーが撮ったらしき、リハーサルの動画を見つけた。”Taxman” の演奏の様子だ。
まずそのクリアな映像に驚かされる。これ、もっとないのだろうか?!
リッケンバッカーを携えたマイク登場。頭髪がこれでもかと爆発している。ジョージがマイクと話すと…近い!顔が近い!ジョージ特有の距離感である。背後ではスティーヴ(若い!)がレイ・クーパーと談笑している様子も見える。この金髪のベーシストは誰だろうな?ネイサン・イーストではなかったのだろうか?
マイクのギターソロはやっぱり冴えているし、原曲よりも長い。かと言って出しゃばりもしない。[Concert for George] へのつながり思うと感慨深いものがある。
この映像があまりにも良いので、本当に他にないのかと期待してしまう。特に “While My Guitar Gently Weeps” とか。マイクがギター・ソロを聴かせてくれるのでは?ジョージとのツインリードの絡みを見せてくれるのでは?どこからか現れるのを待っている。
フィギュアスケートは、女子のトップ選手がショートで総崩れしてしまった。まぁ、そういうこともある。大事なのはリカバリーである。そもそも、この大会はアメリカのための大会という観がなくもない。
ジョージが最後にオーディエンスを前にしたライブを行ったのは、1992年のロイヤル・アルバート・ホールであり、バンドはクラプトンから借りた「ハイジャック・バンド」であることも有名だ。
さらに重要なのは、このときマイク・キャンベルがハートブレイカーズのツアーでロンドンにおり、ジョージに電話一本で呼び出されてクラプトンの代役を務めたことだ。マイクにとっては憧れのスターとの夢の共演である。さらに、このとき初めてマイクはスティーヴ・フェローニという超優秀なドラマーを知り、彼がハートブレイカーズに加入するきっかけにもなった。
この大事なライブの映像というのは公式には残っておらず、オーディエンス撮影の断片があるばかりだ。残念な限り。
ところがこのたび、どうやらテレビクルーが撮ったらしき、リハーサルの動画を見つけた。”Taxman” の演奏の様子だ。
まずそのクリアな映像に驚かされる。これ、もっとないのだろうか?!
リッケンバッカーを携えたマイク登場。頭髪がこれでもかと爆発している。ジョージがマイクと話すと…近い!顔が近い!ジョージ特有の距離感である。背後ではスティーヴ(若い!)がレイ・クーパーと談笑している様子も見える。この金髪のベーシストは誰だろうな?ネイサン・イーストではなかったのだろうか?
マイクのギターソロはやっぱり冴えているし、原曲よりも長い。かと言って出しゃばりもしない。[Concert for George] へのつながり思うと感慨深いものがある。
この映像があまりにも良いので、本当に他にないのかと期待してしまう。特に “While My Guitar Gently Weeps” とか。マイクがギター・ソロを聴かせてくれるのでは?ジョージとのツインリードの絡みを見せてくれるのでは?どこからか現れるのを待っている。
Written by Benmont Tench ― 2025/03/16 21:32
いつもお世話になっている Heatbreaker’s Japan Party さんのメール・マガジンによると、いよいよベンモント・テンチの二枚目のソロ・アルバムが発表されたそうだ。
CD がほしいので、アメリカのサイトから購入。届くのを待っている。
メルマガによると、ベンモントはここ10年ほどガンとの闘病が続いているとのこと。2023年には顎に転移して去年、大きな手術を受けたとのこと。たしかに最近のベンモントの映像は痩せて、元気のない感じで心配していたのだ。やはり大病をしていたのか…とても心配だが、ゆっくりと自分のペースで養生して、好きに音楽活動を続けてほしい。
ベンモントのソロ・アルバムとなると彼のソングライティングを堪能することができるわけだ。
あらためて確認してみたのだが、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの楽曲でソングライティングにベンモントの名前がある曲はほとんどない。やはりトムさんか、トムさんとマイクのソングライティングがこのバンドのレパートリーだったということだ。
だれか他の人にベンモントが提供している曲はないかを探してみると、これまたあまり多くはない。
こちらはアイルランドの Feargal Sharkey という人に提供した “You Little Thief” という曲とのこと。どうやらベンモントはプロデュースにも関わっているそうだ。80年代大爆発。肩の関節が抜けそうなくらいの力のは入りようで、ついでに血管も切れそうだ。もう少しリラックスしても良いのでは…?
ベンモントは彼の1枚目のアルバムの印象では、大人しく優しい感じが似合うと思う。その点、80年代のバッキバキな気合はやや空振りではないだろうか。
その点、こちらの Hal Ketchumという人に提供した”Stay Forever“ という曲は終始穏やかで良いではないか。
それにしても、どうしてベンモントは曲を提供したこの二人は揃いも揃って顔が大きめ、かつ四角いのだろうか…?
ベンモントのソロ・アルバムは2014年以来、11年ぶりだ。その間いろいろなことがあった。悲しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、心癒されること。それらを経て、彼のソングライティングがどうなっているのか、ピアノプレイや歌声はどうなっているのか。ディスクが届くのがとても楽しみだ。
CD がほしいので、アメリカのサイトから購入。届くのを待っている。
メルマガによると、ベンモントはここ10年ほどガンとの闘病が続いているとのこと。2023年には顎に転移して去年、大きな手術を受けたとのこと。たしかに最近のベンモントの映像は痩せて、元気のない感じで心配していたのだ。やはり大病をしていたのか…とても心配だが、ゆっくりと自分のペースで養生して、好きに音楽活動を続けてほしい。
ベンモントのソロ・アルバムとなると彼のソングライティングを堪能することができるわけだ。
あらためて確認してみたのだが、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの楽曲でソングライティングにベンモントの名前がある曲はほとんどない。やはりトムさんか、トムさんとマイクのソングライティングがこのバンドのレパートリーだったということだ。
だれか他の人にベンモントが提供している曲はないかを探してみると、これまたあまり多くはない。
こちらはアイルランドの Feargal Sharkey という人に提供した “You Little Thief” という曲とのこと。どうやらベンモントはプロデュースにも関わっているそうだ。80年代大爆発。肩の関節が抜けそうなくらいの力のは入りようで、ついでに血管も切れそうだ。もう少しリラックスしても良いのでは…?
ベンモントは彼の1枚目のアルバムの印象では、大人しく優しい感じが似合うと思う。その点、80年代のバッキバキな気合はやや空振りではないだろうか。
その点、こちらの Hal Ketchumという人に提供した”Stay Forever“ という曲は終始穏やかで良いではないか。
それにしても、どうしてベンモントは曲を提供したこの二人は揃いも揃って顔が大きめ、かつ四角いのだろうか…?
ベンモントのソロ・アルバムは2014年以来、11年ぶりだ。その間いろいろなことがあった。悲しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、心癒されること。それらを経て、彼のソングライティングがどうなっているのか、ピアノプレイや歌声はどうなっているのか。ディスクが届くのがとても楽しみだ。
Dylan's Movies ― 2025/03/02 19:02
金曜日に仕事で同僚と話していると、最後に「そういえば今日、映画行くんですか?」と訊かれた。どうして?と問い返すと、「ボブ・ディランの映画の公開日じゃないですか」と言われた。
私はディラン様のファンだけど、ティモシー・シャラメによるディランのモノマネには興味がないなぁ。
私は例の映画は見ないと思うけど、この映画でディラン様に興味を持った方々はウェルカム!もれなくジョージとトムさんとセットでプレゼンさせていただきます!
ディラン様の動画を検索してみると、ジョージがステージに参加したときの映像がでてきた。これは1987年のディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーのロンドン公開だろう。
このツアーに同行していたロジャー・マッグインの姿もある。姿こそ見えないがベンモントが演奏するオルガンの存在感が大きい。一方、存在感がないのがトムさんだ。居るはずだが姿がない。スライドを弾いているのはマイクではないようだから…ハウイがスライドで、トムさんがベースなのだろうか。
ジョージがふらふら〜っとディラン様に近づくと、デレデレな笑顔に溶けそうになるディラン様…幸せがだだ漏れ…!それを軽く受け流し、いい加減な歌詞でやけくそ気味に歌うジョージ。ウィルベリー兄弟見参!
もう一つ見た動画は、ディランとハートブレイカーズのリハーサル風景。テンポがゆっくりで、丁寧に歌うディラン様も良いが、一番気になるのは…背後でふらふらしている金髪青年!くわえタバコで、ふーらふら、近づいてきたり、離れたり、また寄ってきたり…すごく気になる。ディラン様とワンマイクで歌わないときは、こうだったのか。
姿も存在感もキラキラ輝きつつ、やや暇を持て余している感じが、トムさんの魅力を表現していて、これまたたまらんのであった。
私はディラン様のファンだけど、ティモシー・シャラメによるディランのモノマネには興味がないなぁ。
私は例の映画は見ないと思うけど、この映画でディラン様に興味を持った方々はウェルカム!もれなくジョージとトムさんとセットでプレゼンさせていただきます!
ディラン様の動画を検索してみると、ジョージがステージに参加したときの映像がでてきた。これは1987年のディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーのロンドン公開だろう。
このツアーに同行していたロジャー・マッグインの姿もある。姿こそ見えないがベンモントが演奏するオルガンの存在感が大きい。一方、存在感がないのがトムさんだ。居るはずだが姿がない。スライドを弾いているのはマイクではないようだから…ハウイがスライドで、トムさんがベースなのだろうか。
ジョージがふらふら〜っとディラン様に近づくと、デレデレな笑顔に溶けそうになるディラン様…幸せがだだ漏れ…!それを軽く受け流し、いい加減な歌詞でやけくそ気味に歌うジョージ。ウィルベリー兄弟見参!
もう一つ見た動画は、ディランとハートブレイカーズのリハーサル風景。テンポがゆっくりで、丁寧に歌うディラン様も良いが、一番気になるのは…背後でふらふらしている金髪青年!くわえタバコで、ふーらふら、近づいてきたり、離れたり、また寄ってきたり…すごく気になる。ディラン様とワンマイクで歌わないときは、こうだったのか。
姿も存在感もキラキラ輝きつつ、やや暇を持て余している感じが、トムさんの魅力を表現していて、これまたたまらんのであった。
I Want You Back Again ― 2025/01/19 22:09
ザ・ゾンビーズといえば、トム・ペティが大ファンだったということは有名だ。"I want You Back Again" のライブ・パフォーマンスは、何枚かのライブ・アルバムにも収録されている。
ベンモントのオルガン・ソロが冴え渡っている。
こちらのロッド・エージェントのインタビューによると、トムさんとベンモントが再結成後のゾンビーズのライブを訪れ、楽しい時間を過ごしたそうだ。
エージェント曰く、トムさんが初めて見たロックンロール・ライブの一つが、1965年のゾンビーズだったとのこと。"Summer Time" にトムさんはノックアウトされたそうだ。
このインタビューはトムさんが亡くなった後だが、トムさんの生前にエージェントと、ヴォーカルのコリン・ブランストーンがトムさんのラジオ・ゲストに呼ばれたこともある。このときの写真は、色々な意味で面白かった。主にトムさんが。まず、ゾンビーズの Tシャツを着ている。好きなバンドのライブに行くロックンロール好きの格好ではないか。
そしてなんと言っても、トムさんの脱力っぷりがすごい。トムさんはフォト・セッションやツアーとなると、外見をピカピカに磨き上げてのぞんでいた。それで付いたあだ名は「女優」。ところが、このゾンビーズを迎えたときは至ってリラックス・モード。うっかりすると、トムさんということが分からないほどだ。
ともあれ、憧れのロックンロール・スターに会えて幸せなトムさんと、自分たちよりずっとビッグになった、フォロワーに会えてゾンビーズの二人にとっても幸せな瞬間だったろう。
ベンモントのオルガン・ソロが冴え渡っている。
こちらのロッド・エージェントのインタビューによると、トムさんとベンモントが再結成後のゾンビーズのライブを訪れ、楽しい時間を過ごしたそうだ。
エージェント曰く、トムさんが初めて見たロックンロール・ライブの一つが、1965年のゾンビーズだったとのこと。"Summer Time" にトムさんはノックアウトされたそうだ。
このインタビューはトムさんが亡くなった後だが、トムさんの生前にエージェントと、ヴォーカルのコリン・ブランストーンがトムさんのラジオ・ゲストに呼ばれたこともある。このときの写真は、色々な意味で面白かった。主にトムさんが。まず、ゾンビーズの Tシャツを着ている。好きなバンドのライブに行くロックンロール好きの格好ではないか。
そしてなんと言っても、トムさんの脱力っぷりがすごい。トムさんはフォト・セッションやツアーとなると、外見をピカピカに磨き上げてのぞんでいた。それで付いたあだ名は「女優」。ところが、このゾンビーズを迎えたときは至ってリラックス・モード。うっかりすると、トムさんということが分からないほどだ。
ともあれ、憧れのロックンロール・スターに会えて幸せなトムさんと、自分たちよりずっとビッグになった、フォロワーに会えてゾンビーズの二人にとっても幸せな瞬間だったろう。

還城楽 / Red River ― 2025/01/03 19:26
新年といえば、元旦の宮内庁楽部による、舞楽の放映が恒例である。今年は巳年なので、ヘビに関連した演目だった。雅楽を知っている人なら誰でもピンとくる、「還城楽(げんじょうらく)」 ―― 西方にヘビを食する人がおり、ヘビをとらえた喜びを舞で表現するというものだ。
「陵王」とならぶ右方の代表的な舞楽。勇壮で華麗。演奏していても楽しかった。ヘビをとらえて喜ぶ舞なので、小さなヘビが可愛くとぐろを巻いた小道具を使うのも、特徴的だ。
ヘビといえば、どうしても頭から離れないのは、トム・ペティの父親のエピソードだ。
幼い頃からインドア派でアート肌のトムさんは、アウトドア派でワイルドな父親が嫌でたまらなかった。渋々付き合って釣りや狩猟にもいっても、嫌な思い出ばかり。そのはなしは、カントムこと、[Conversations with Tom Petty] に詳しい。
あるとき、トムさんは父親がガラガラヘビを捕らえ、首に掛けたうえに頭上でブンブン振り回すのを見てしまったという。トムさんドン引き。読んでる私は大爆笑した。
そんなトムさんと、父親のエピソードが反映されているのが、[Hypnitic Eyes] に収録されている "Red River" だと思う。この曲に登場する女性も、ヘビを頭上でぶん回している。ちなみに、トムさんの晩年(?)の曲には、"Pulpwood" というあだ名の「祖父」が登場するが、これもまた実際のトムさんの祖父のあだ名だった。
「陵王」とならぶ右方の代表的な舞楽。勇壮で華麗。演奏していても楽しかった。ヘビをとらえて喜ぶ舞なので、小さなヘビが可愛くとぐろを巻いた小道具を使うのも、特徴的だ。
ヘビといえば、どうしても頭から離れないのは、トム・ペティの父親のエピソードだ。
幼い頃からインドア派でアート肌のトムさんは、アウトドア派でワイルドな父親が嫌でたまらなかった。渋々付き合って釣りや狩猟にもいっても、嫌な思い出ばかり。そのはなしは、カントムこと、[Conversations with Tom Petty] に詳しい。
あるとき、トムさんは父親がガラガラヘビを捕らえ、首に掛けたうえに頭上でブンブン振り回すのを見てしまったという。トムさんドン引き。読んでる私は大爆笑した。
そんなトムさんと、父親のエピソードが反映されているのが、[Hypnitic Eyes] に収録されている "Red River" だと思う。この曲に登場する女性も、ヘビを頭上でぶん回している。ちなみに、トムさんの晩年(?)の曲には、"Pulpwood" というあだ名の「祖父」が登場するが、これもまた実際のトムさんの祖父のあだ名だった。
Kings Road ― 2024/12/27 20:09
月に一度配信される、Heartbreaker's Japan Party さんのメール・マガジン、Depot Street を楽しみにしている。ネット上には膨大で雑多な情報が乱れ飛んでいるので、面倒になって遮断することも度々だが、このメール・マガジンという控え目ながらソースがしっかりしていて、しかも内容が充実している読み物には救われる思いだ。
12月の配信では、1983年にキャメロン・クロウがトムさんに短いインタビューした内容が掲載されていた。トムさんがバンドメンバーについて、そのキャラクターを説明しているのだが、スタンを「スタンリー」、マイクを「マイケル」と呼ぶのが面白い。
確かに、トムさんは急に「マイケル」とか「キャンベル」などと呼ぶことがある。もちろん「マイク」呼ぶ方が圧倒的に多いのだが、どういう時にどういうスイッチが入って呼び方を変えるのか、興味深くも、まったくつかみ所がない。
トムさんがギターソロ直前に、"Come on, Mike!" と呼びかけることは良くあるが、[An American Tresure] に収録されていたライブ・バージョンの "Kings Road" では、"Come on, Michael!" と叫んでいる。
この曲で歌われている Kings Road は、ロンドンのチェルシーにある道路で、60年代から最新ファッション、カルチャーの中心地となった。アメリカのいなかから出てきたハートブレイカー (a new world boy) にとっては、クラクラするような光景だったようだ。
「boys やら、girls やら、ちょっとよくわからない人やら」…トムさんこそ、女の子みたいに可愛いくせに。
Kings Road といえばでもう一曲、ストーンズの "You Can't Always Get What You Want" に登場する、"I went down to the Chelsea drugstore" のドラッグストアは、Kings Road にあり、いまはマクドナルドになっているそうだ。
1969年、ミックとキースは26歳。このダイナミズム、豊かな音色、心地よいリズム。プロデューサーがよほど手練れなのかと思えば、プロデューサーのジミー・ミラーも27歳だったというのだから、背筋が寒くなる。
12月の配信では、1983年にキャメロン・クロウがトムさんに短いインタビューした内容が掲載されていた。トムさんがバンドメンバーについて、そのキャラクターを説明しているのだが、スタンを「スタンリー」、マイクを「マイケル」と呼ぶのが面白い。
確かに、トムさんは急に「マイケル」とか「キャンベル」などと呼ぶことがある。もちろん「マイク」呼ぶ方が圧倒的に多いのだが、どういう時にどういうスイッチが入って呼び方を変えるのか、興味深くも、まったくつかみ所がない。
トムさんがギターソロ直前に、"Come on, Mike!" と呼びかけることは良くあるが、[An American Tresure] に収録されていたライブ・バージョンの "Kings Road" では、"Come on, Michael!" と叫んでいる。
この曲で歌われている Kings Road は、ロンドンのチェルシーにある道路で、60年代から最新ファッション、カルチャーの中心地となった。アメリカのいなかから出てきたハートブレイカー (a new world boy) にとっては、クラクラするような光景だったようだ。
「boys やら、girls やら、ちょっとよくわからない人やら」…トムさんこそ、女の子みたいに可愛いくせに。
Kings Road といえばでもう一曲、ストーンズの "You Can't Always Get What You Want" に登場する、"I went down to the Chelsea drugstore" のドラッグストアは、Kings Road にあり、いまはマクドナルドになっているそうだ。
1969年、ミックとキースは26歳。このダイナミズム、豊かな音色、心地よいリズム。プロデューサーがよほど手練れなのかと思えば、プロデューサーのジミー・ミラーも27歳だったというのだから、背筋が寒くなる。
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