Isn't It a Pity / Mudcrutch January 14th 19712019/11/20 21:51

 ずっと以前にあるところで聴いたことがあるのだが、その音源がブートレッグだっため、もう一度聴くことができず、ずっと探していた ―― それが、マッドクラッチによるジョージ・ハリスンのカバー,"Isn't It a Piy" だ。
 ここで言うマッドクラッチというのは、2007年に再結成されたそれではなく、いわゆる「オリジナル」マッドクラッチである。

 やっと念願叶って、そのブートレッグ音源を手に入れた。
 感無量で "Isn't It a Pity" を聴いている。音源データによると、録音されたのは1971年1月14日。トム・ペティもマイク・キャンベルもまだ20歳だった。
 ベンモントはまだニューイングランドのボーディング・スクールに行っていたので、マッドクラッチには加入していない。たぶん、トム・ペティ,トム・リードン,ランダル・マーシュ、マイク・キャンベルというメンバーだと思う。

 驚くのが、トム・ペティの声の変わらないところだ。彼はすでに深く、愁いを帯びた、でもすこし危ういロック声の持ち主で、20歳にしてその才を遺憾なく発揮していたのだ。
 それはマイク・キャンベルのギターも同様。(リードンかもしれないが、ほぼマイクで間違いないと思う)トムはマイクと初めて会ったときから、何十年後と同じくらいギターが上手かったというが、それは本当だった。
 そして、ジョージの死後、俄に脚光を浴びた「マイク・キャンベルによるジョージ・スライド」が、このとき既に爆発していた。

 運命的に思うのは、この1971年1月14日という日付だ。
 "Isn't It a Pity" が最初に世に出たのは、1970年11月23日にリリースされたシングル "My Sweet Lord" のB面としてであり、さらに収録アルバムは 11月27日に発表された。
 つまり、たったの二ヶ月足らずでマッドクラッチはこの曲をカバーして、ライブ演奏していたことになる。
 そもそも、"My Sweet Lord" が大ヒット曲なので、マッドクラッチの若者たちは(少年に近い)、3枚組の高いアルバムではなく、シングルの方でこの曲を知っていたのかも知れない。
 偉大なるビートルズが解散して、1年足らず。マッドクラッチの連中は、「ビートルズが解散して一番得をした人(つまり才能が解放、開花した人)」が誰かを、証明して見せたのだ。

 大ヒットシングルのB面とはいえ、―― それにしても渋い選曲である。何せまだ20歳の若者だ。
 実はジョージ自身も [All Things Must Pass] の曲を作ったのは20代のことであり、その才能のすさまじさに、ぞっとする。
 おそらく、トムもマイクも、この曲を作ったジョージのことをヒーロー視していたと同時に、どこかで同士だと思っていたに違いない。遠くで光り輝くジョージ・ハリスンの、その手をいつか握り、大の親友になることを、彼らは想像していただろうか。

 そんな事を思いながらこの名曲を聴くと、ロックンロールの深さと強烈な運命を思わずにはいられない。