オタマトーン2022/07/21 20:08

 オタマトーンが欲しい。
 オタマトーン自体は、2009年からあるが、最近この動画を見てしまい、俄にめちゃめちゃ欲しくなっている。



 "Got Talent" はある程度の演出も入っているだろうから、上手く盛り上げているのだが、とにかくこのギタリストのお兄さんの演奏が凄すぎる。あの可愛くて間抜けなオタマトーンの見た目と、上手すぎる演奏、素晴らしすぎる歌声(?)しかも、超名曲 "Nessun dorma" なので、何度見ても感動してしまう。
 演出上、おじさん審査員は渋い顔をしなければならないのだが、あきらかに頭を抱えて笑うのをこらえている。その後の展開はお約束通りで、無用に感動してしまう。とにかくこのお兄さんと、オタマトーンは圧巻だ。さすがプロは違う。

 オタマトーンは、あの明和電機の開発した楽器,玩具である。明和電機としては、間抜けな味わいとオンチな楽器という馬鹿馬鹿しさを狙ったのだろうが、その上を越える人が居るのだから、びっくりである。
 そもそもあのネック(?)の短さで、あの音域の広さである。音程調整がかなり微妙だろう。F1 で言うと、オーバーステアリング状態で、オンチになることを前提としているような気がする。

 明和電機の土佐社長はさすがに上手 … なのだが、途中でオタマトーン演奏を放棄(?)するのが最高。



 欲しいな~欲しいな、オタマトーン…器楽好きとしてはたまらない…だが、ギタリストのお兄さんのように上手に弾けるはずがない。それは分かっているのだが、"Nessun dorma" を熱唱するオタマトーンをまた見てしまう、そして欲しくなる…!

F. Chopin: Prelude Op.282022/02/06 20:26

 去年のショパン・コンクールの映像は、いまでもよく見る。
 これまでと違って、本選ファースト・ラウンドからほぼ完全に YouTubeで見ることが出来るのだから、遠いポーランドでのコンクールも、身近に感じられるようになった物だ。

 一番頻繁に見るのは、最終的には立派に4位入賞した小林愛実さんの、第三ステージである。彼女は、プレリュード (Op.28) を全曲演奏した。24曲、全曲である。約1時間にわたる緊張感の連続。
 私はちょうど今、ショパンのプレリュードを弾いているので、その参考にしようと見ているのもあるが、これほどに充実した演奏もなかなかないと思い、気に入っている。

 24のプレリュードは、要するにショパンが12音の長調,短調を全て網羅するという意図で作っているのだが、なんと言ってもその「鬱情」がもの凄いのだ。ショパンには、独特の感情,心情 ―― 一言で言えば、「鬱情」がある。モーツァルトの軽やかさ、明るさ、ベートーヴェンの輝かしさ、力強さ、そういうものとは違う、人間として生きる苦悩と悲しみを、それを乗り越えも、克服もせずに痛みとして受け入れざるを得ない、そういう辛さ ――そういう「鬱情」がショパンをショパンたらしめているのだ。
 特にこのプレリュードを作曲した時期のショパンは、上手くいっているようで、不安定なような恋愛経験と、体調不良や鬱の発症、それと同時に作曲家として脂ののりきった時期が入り交じり、独特の作品群となっている。
 私の学生時代のピアノの恩師は、小学生にはどんなに技術的に優れていても、ショパンは弾かせなかったという。それは、どうしても「鬱情」というものは中学生くらいにならないと表現できないからだった。ある意味、納得できる。逆に、中学生時代くらいが、もっともその「鬱情」の対処に苦闘する年齢なのだろう。それが色々な形を取ってあの時期独特の行動になるのだ。

 小林愛実さんのプレリュードは、ものすごい集中力と、研ぎ澄まされた感性が、揺るぎないテクニックに託され、ショパンが残した音楽の魅力を遺憾なく表現している。
 13番の染み入るような美しさに、14番の不気味な地吹雪 ―― 圧巻は16番の卓越した力強さと技巧の見事さ。息をのむようなというのはこのことで、最後の24番など、言葉を失うほか無い。



 私は、年末にバッハを弾く予定もあるし、まぁ15番「雨だれ」でも弾いたらプレリュードは放っておこうかと思っていたが、小林愛実さんのこの演奏を聴いたら、断然、最後まで弾く気になった。

 ところで、小林さんは演奏の合間に、八分音符に真珠のあしらわれたペンダントに手を添えるが、あのペンダントが欲しい。
 そう思っている人はけっこういるみたい。だが、いろいろ検索して見えても、これとしうものはヒットしない。たぶん、どこかのコンクールの副賞か何かなのではないだろうか。ミーハーな話だが、「これであなたも小林愛実さんになれる!」と言って同じ物が販売されたら、飛びつく人間がここに一人居る。

さよならチャイコフスキー2022/01/20 19:52

 Work from Home なので、音楽を聞く時間はたくさんある。それを利用して、持っている CD を端から聞いていって、不要だと思ったら処分していくキャンペーン。ロック部門は終わり、いまクラシックを聞いている。
 そんなに持っていないだろうと思ったら、これが意外と持っている。バッハの鍵盤曲(ピアノ)や、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ,コンチェルトがやたらとあるのは分かるが、どうしてこんなものがと思う物もある。サン=サーンスの「オルガン」など、なぜか二枚ある。もちろん一枚は処分。カラヤンとベルリン・フィルなのでもったいなかったが、もう一枚が「死の舞踏」,「動物の謝肉祭」も一緒に収録していたので、「お得さ」が勝った。

 チャイコフスキーは意外にもピアノ・コンチェルトとヴァイオリン・コンチェルトを持っていないくせに、「交響曲5番」と、「序曲1812」を持っていた。
 前者のきっかけは覚えている。音大に入ったばかりの頃、何かの機会で生オーケストラの演奏を聴き、感銘を受けたのだ。特にあの輝かしい金管の響きにはやられた。私は高校生の頃ホルンを吹いていたので、そういう思い入れもあった。
 だが、しかし。いま聞いてみると…いまいち。なんというか、大袈裟なというか、何というか、中二病…?
 いったんそう聞こえてきたら、もう戻れない。どう聞いてもディズニー映画のサントラみたいな感じで(実際はディズニー映画がチャイコフスキーを模倣したのだろうが)、中二病感がどうしても拭えなくて、居心地が悪く、笑ってしまう。我ながらおかしい。ブラームスとか聞いても、そうは感じないのに。

 「1812」に至っては、本当に笑ってしまう展開になった。よく耳にする曲だし、ビートルズの映画 [Help!] の戦闘シーン(名シーンだ!)でも使われた。
 しかし真面目に冒頭から聞いていると、ああ…ごめん、無理だわ。―― という感じ。しまいには、サクト・ペテルブルグの本物の大砲だの、鐘だのが、とにかくうるさい。これを映像無し、音だけ聞いて、冗談抜きに感動することは、今の私には無理だった。演奏する側だったら違ったかも知れない。

 とにかくそのような訳で、たったの2枚しかなかったチャイコフスキーは、さっさと処分されてしまった。代わりにピアノ・コンチェルトとヴァイオリン・コンチェルトでも買った方が良さそうだ。
 なんだかチャイコフスキーがかわいそうなので、動画サイトから「1812」のフィナーレで、大砲をぶっ放しまくる動画をはりつけておく(ボストン・ポップス・オーケストラ)。これはこれで、馬鹿みたいで好きだ。検索すると、各国の正規軍がドカンドカン撃ちまくっており、日本もその例外ではない。そういう器機がお好きな人は色々楽しめるのではないだろうか

Krystian Zimerman Piano Recital Japan Tour 20212021/12/10 23:03

 12月8日、サントリーホールにクリスチャン・ツィメルマンのピアノ・リサイタルに行ってきた。入国規制に引っかかりはしないかと心配したが、規制がかかる前に来日していた。日本公演のときは、かなり前もって来日,滞在するらしい。
 来日公演の多い人だが、私は今回が初めての鑑賞。(そもそも、私は海外でも無い限り、クラシックの演奏会には普通行かない)
 なにせ、曲目が面白い。ツィメルマンと言えば、ベートーヴェン,ブラームス,ショパンといった、古典後期~ロマン派に強い人という印象があるが、今回はなんと、バッハのパルティータ組曲1番,2番を演奏するという。パルティータなら私も弾いているので、興味津々。
 更に、得意のブラームスの「三つの間奏曲」と、ショパンの「ピアノ・ソナタ3番」という、ラインナップだけでかなり満足な内容だ。

 ツィメルマンというと、どうもこのアルバムのせいで、永遠の「若手のホープ」もしくは「中堅」という印象が強かったのだが ――



 サントリー・ホールの大ホールに現れたのは、堂々たるマエストロだった。
 そりゃそうだ。18歳でショパン・コンクールを最年少優勝してから、もう46年が経っているのだ。(ストーンズやディランのファンにしてみれば、トム・ペティは永遠の若手なのと同じ)
 重厚かつ繊細、思慮深い演奏に定評があり、昔はバーンスタインや、今ではサイモン・ラトルなどと共演してクラシック音楽界を引っ張る存在である。かつての細身の美青年ではなく、堂々たる白髪の、そしてオーラのあるマエストロの登場に、会場が沸いた。



 そして息をのむようにして、バッハのパルティータが始まる。
 熟知している曲なだけに、私にも一家言ある。
 言うなれば、「バッハをどうやって『ピアノで』弾くか」という大命題が、そこにあるのだ。
 飾音、ペダル、強弱、アーティキュレーション … 考え始めたらきりが無く、私ですら先生と意見が合わないことがある。結局、究極的に「グールド」に行き着いてしまうのだから、バッハを弾くのは実に難しい。
 ツィメルマンは、ひとことで言えば「情感たっぷりに弾く」タイプだった。とにかくペダルを多用する。しばらく彼の足下ばかり見ていたくらいだ。華麗な装飾も、過剰とは言わないまでも、かなり多いほう。煌びやか、かつ情熱的で、ロマン派的な解釈だ。テンポも強弱も自在に操って、かなり濃い味付けをしている。
 名手には違いないが、評価が分かれるだろう。私がバッハを弾く上で目指す演奏かと訊かれると、たぶん違う。
 ところが、ツィメルマンの生演奏の影響はかなり強かったようで、翌日練習したバッハで(しかもパルティータ組曲3番)、ちょっと考え込んでしまった。ツィメルマンのように、もっとペダルを踏んでもいいし、もっと情感たっぷり弾いても良いのかも知れない。確かに、先生に言わせると私の演奏はやや淡泊すぎるのだ。


 前半のバッハで盛り上がりきっているのはたぶん私くらいで、多くの聴衆にとって本番は後半のブラームスとショパンだっただろう。
 ブラームスの間奏曲は、いかに穏やかに、透き通るように、静寂を音楽で表現するかが重要になる。ピアノの『ピアノ(弱音)』をどう響かせるかという、ピアニストにとっては果てしない課題だ。
 ツィメルマンがあまりにもメロディは明確でありながら、静寂を表現しすぎているので、私はてっきりソフトペダルをべた踏みしているのかと思った。しかしクレッシェンドしていっても全く音色が変わらないので、つまりはあの繊細な音色を指先で操っていることが分かり、卒倒しそうになった。バリバリぶっ叩くように弾くのもピアニストだが、これもピアニストの真骨頂だろう。

 一番の盛り上がりは、やはりショパンの「ピアノ・ソナタ3番」。ショパンの数々の名曲の中でも最高峰に位置する。
 私がツィメルマンに持っていた印象だと、「かなりもったいぶって、用心しながら、完璧に弾くことを心がける人」だったのだが、実際の演奏はかなり勢いよく飛び込み、大胆にテクニックを披露し、「これがショパンを弾くと言うことだ!」と激しく説得してくる感じだった。ああ、こういう風にその音楽的才能を爆発させる人だったんだなぁと、急に思い知ったような気がする。
 特に第一楽章は重厚かつ疾走感があって、500kgぐらいある駿馬のようだった。そして、やはり最終楽章の豪華絢爛、超絶技巧、ピアニストができる最高の技を爆発させる感じ、会場がピアノの音の渦に飲み込まれる感じが圧巻だった。
 ブラームスや、ショパンとなると、私なんぞ「弾ける」とすら言えないレベルなので、もう「凄い!上手い!尊い!」という、ひたすら頭の悪い感想になってしまう。

 ちょっと意外だったことが二点。
 まずアンコールがなかったこと。どうやら今回の日本ツアーはそうらしい。私はショパンが終わってもまだもう一曲聴けるものだと思い込んでいたので、ちょっと拍子抜けた。
 そして、最初から最後まで、譜面を置いていたことである。譜面立ては伏せた形で、横に長い譜面を置いている。楽章の間でめくっているが、あれは絶対に曲全体をカバーしていないし、第一まったく見ていない。何のために置いてあるのか疑問だが、そこは思慮深いツィメルマンのことなので、なにか考えがあるのだろう。
 ともあれ、私は今後も、堂々と発表会で楽譜を見ることにする。

XVIII Chopin Competition2021/10/19 21:52

 ショパン・コンクールもいよいよ大詰め ―― らしい。一応、各ステージ通過者をチェックしたり、断片的に演奏を聴いてみたりするのだが、どうにもクラシックは長くて困る。

 ファイナルがピアノ協奏曲というのは、どうなんだというのは、学生の頃も議論になったものだ。
 ショパンはピアノに関しては天才だが、オーケストレーションとなると、二流である。私の個人的な意見では、決勝はソナタかファンタジアで良いとおもう。それに対して、オーケストラをバックに大曲を弾ききる技量も必要だという意見もある。それもそうかな…

 ファイナルで、ピアノ協奏曲1番を弾けば勝つというのは、有名なジンクスだ。チャレンジャーは2番を弾くが、確実に勝ちを狙うなら、1番というわけ。
 さっき、既に演奏の終わった四人の曲をチェックしたが、全員1番だった。この調子で12人全員1番だったら、聴く方も大変だな。

 誰が勝ってもいいし、誰も勝たなければそれでも良いだろう。ショパン・コンクールは、「優勝該当者無し」も度々ある。
 勘違いしてはいけないのは、コンクールは才能ある若者の発掘の場であり、「世界で一番ピアノが上手い人」を決める試合ではないということだ。
 コンクールは飽くまでも出発点であり、ピアニストとして大成するかどうかは、その後にかかっている。せっかく優勝しても、残念ながら大成しなかった人もいる。誰とは言わないが…いる。
 そして、二位だったアシュケナージや内田光子がその後世界最高のピアニストになったことや、エフゲニー・キーシンは出場さえしていないことを、忘れてはいけない。

 そんなことを思いながら、ぼんやり YouTube を眺めていたら、なんかとてつもなくおバカなものが引っかかった。
 メタル・ギタリストによる、幻想即興曲!



 うわー、バカだなー!おバカ・メタルを極めてて、やたらと笑える。
 どうせやるなら、左手パートも録音して、重ねればいいのに。その辺りの中途半端さが、メタル・バカっぽくていいね。

Tchaikovsky Piano Concerto No 12021/09/29 19:43

 世界アンチ・ドーピング機関(World Anti-Doping Agency, WADA)の裁定のため、いまロシアは国際スポーツ大会で、国として参加することは出来ず、国旗,国歌も使用できない。
 東京オリンピック・パラリンピックでは、ロシアからの選手が金メダルを取った場合は、国歌の代わりに、チャイコフスキーのピアノ・コンチェルト1番の冒頭をアレンジした曲が用いられたという、話は聞いていた。
 それってアイディアとしては凄いと思う。そりゃもう、格好良く、派手で威厳に満ちた、イケてる曲であることに関しては、これ以上ない ―― 反則じゃん!と突っ込みを入れたいくらいの ―― 選曲だ。

 F1 もこの制裁の対象で、ロシアでグランプリこそ開催されるものの、国旗,国歌は使用できない。シーズン前、ハースのカラーリングがロシア国旗を想起させる物ではないかと、待ったがかかったが、この問題はとりあえず「無関係」ということになっている。
 決勝レースの前、毎回国歌(地域によってはもっと狭い範囲の曲)を演奏することになっているが、先週のロシア GP でも「ナショナル・セレモニー」というものが行われ、ここでもチャイコフスキーの出番となった。
 ところが、これがやってみると、なんとも珍妙なパフォーマンスになっており、もの凄く強烈だった…
 チャイコフスキーをバックに、グルグル回るピアノとピアニスト、ピアノの上には白鳥のバレリーナがクルクル踊る…シュール過ぎる…
 世界のトップレーサー20人が神妙な顔をしているのも、そのシュールさを際立たせた。



 そもそも、私はピアノの上に人を載せるという趣向があまり好きではないのだ。
 ロシアの芸術の誉れ,チャイコフスキーの要素をこれでもかと詰め込んで、よく分からないシロモノになってしまった。これにはピョートルもびっくりだろう。

 レースそのものは凄く面白かった。私としては、もちろんノリスに優勝して欲しかったが、あの雨は難しすぎた。ハミルトンの強さというのは本物で、運の強さ、決断力、チーム力、間違いなく最強だと思う。でもノリス君、きみはすぐに勝つよ。その日は遠くない。応援してる。
 セバスチャンも雨にやられた。アレがなかったら、チームメイトよりも前だったし(ストロール、ミラーを見たまえ)…一方で、帰ってきたライコネンがちゃっかり上位なのだから、この人、本当に引退するのかと不思議な気分だ。

L.v.Beethoven / Complete Piano Concertos2021/07/26 20:25

 クリスチャン・ツィメルマンが、ベートーヴェンの生誕250年記念に、ピアノ協奏曲五曲全てを、サイモン・ラトル指揮,ロンドン交響楽団と録音したという。

 こ れ は 買 い だ ろ !

 迷わず、買いだろう!今この世に、それ以上のものを望めるだろうか?
 そもそも、ツィメルマンは安易に「全集」に手を出さないタイプだ。その彼が、満を持してベートーヴェンのピアノ・コンチェルト全曲を、しかも盟友ラトルと録音するというのだから。
 値段なんて見ずに即買いである。

 

 現物が届き、開いてみると … おお、きれいなアルバム。
 私は CD の装丁にはあまり興味のない方だが、ただでさえクラシック界きっての美男子であるツィメルマンの笑顔と、綺麗な緑色のCD盤が三枚並ぶのは、圧巻だ。

 演奏内容も文句なし。
 私は2番と3番にあまりなじみがなかったのだが、両方とも5番にも劣らないような華麗さ、美しさ、力強さを兼ね備えていて、聴き応えがあった。
 今年、66歳と65歳になるラトルとツィメルマンだが、重厚さを強調するのではなく(そもそも曲そのものが重厚だし)、あくまで軽やかで、爽快に、ドライブ感いっぱいに、縦横無尽に、踊るように奏でる。

 これは本当に凄く良い。かなりお薦め。国内版で5500円 ―― 3枚組で、ベートーヴェンのピアノ・コンチェルト全曲なのだから、お買い得ではないだろうか。

Can't Help Falling in Love / Piacer d'amor2021/03/13 19:34

 [1970 with Special guest George Harrison] で初めて、ディランによる "Can't Help Falling in Love" を聴いた。[DYLAN] を持っていないのだ。
 調子っぱずれなのに、変に説得力のある、ディランの力業が堪能出来て、面白いし、楽しい。こういうディランもけっこう好き。
 もっとも、こういう昔の曲のカバーは、彼の自作の曲をたくさん聴かせてくれる合間に、ちょっとだけ入るから良いのであって、懐メロのオンパレードをディランで聴きたいわけではない。

 しかし、ディランのバージョンばかり聴いていたら、この曲の本来の良さを見失うので、ちゃんとエルヴィスのバージョンも聞かなければ。
 そう思って聴いたら、あまりのエルヴィスの上手さに、鳥肌が立った。やっぱりエルヴィスは凄い。



 この "Can't Help Falling In Love" には、元ネタになった曲がある。
 18世紀から19世紀にかけて活躍した、フランスの作曲家,ジャン・ポール・マルティーニの作品で、原題は "Plaisir d'amour" ―― 「愛の喜びは」だが、内容としては「愛の喜びは長続きしない」というような切ないものだ。
 この曲、イタリア語版の "Piacer d'amor" も非常に有名。音楽高校,大学で声楽をやった者なら、必ず歌った、「イタリア歌曲集」に入っている。
 私も音高時代に歌っており、譜面には発音に関するメモが残っている。
 私の声楽の成績は惨憺たるものだったが、音高生一般の感覚として、「イタリア歌曲集」というのは、クラシック音楽を勉強している中で、大人の領域に一歩踏み出した感じがして、すごく好きだったと思う。発声のコンコーネ,音程のコールユーブンゲンに対して、このイタリア語の歌詞で情感豊かに歌い上げる「イタリア歌曲集」は、やりがいがあったともに、格好良かった。

 動画を検索すると、フランス語版も多いし、男声も多かった。
 その中で、こちらは女声だし、調も Es-Dur (中声用)、ピアノ伴奏なので、私や音高の仲間たちが歌っていたバージョンである。
 ボブ・ディランとはかけ離れた世界だが、これを聴いてからまたディランを聴くのも、味わいがあって良いだろう。

ヴァイオリン職人シリーズ(ポール・アダム)2021/01/11 20:28

 UKのミステリー作家,ポール・アダムの、いわゆる「ヴァイオリン職人シリーズ」は、日本語訳が出ているだけではなく、第三作にいたっては、日本のファンのリクエストに応える形で書かれたという。
 いわゆる「特別な職業の探偵」ものである。探偵役はプロの探偵や警察ではなく、他の分野の専門家で、その知識を生かして事件を解決するというジャンルだ。
 このシリーズの探偵役は、イタリアはクレモナ(16世紀以降、ヴァイオリン類を主とする楽器生産で有名)郊外に住む、ヴァイオリン職人のジャンニがつとめている。彼の周囲で起きる、ヴァイオリンを巡る殺人事件に、友人であり、刑事であるアントニオと共に挑む。

ヴァイオリン職人の探求と推理 The Rainaldi Quartet
ジャンニの友人で同僚だったライナルディが殺され、彼の死と伝説のストラディヴァリの名器をめぐる謎を追う。

ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密 Paganini's Ghost
パガニーニの名器,イル・カノーネを修理したジャンニ。翌日、美術品ディーラーが殺され、そこにはパガニーニをめぐる宝物と歴史の謎が潜んでいた。

ヴァイオリン職人と消えた北欧楽器 The Hardanger Riddle
ジャンニの弟子だったノルウェー人が殺害され、彼が持っていた、ノルウェーの伝統的なフィドル,ハルダンゲル・フィドルが消える。謎を追ってジャン二はアントニオと共にノルウェーに向かう。

 ミステリーとしての出来は…うーん、イマイチかな。おお、凄い!と思わせるような驚きもないし、ああ、そうか!と思わせる「やられた感も」もない。
 むしろ、ミステリーの体裁を取った、ヴァイオリン蘊蓄を楽しむ作品と言うべきだろう。あとは、各地の観光案内も兼ねている。
 このシリーズの良いところと言えば、刑事アントニオ(私の中では、ビジュアルが完全にアンディ・ガルシア)と、ジャンニも関係だった。友人であり、親子のような二人は、信頼感があって、心温まる。ミステリー作品において、警察が探偵を邪魔者扱いする下りは、不要だと思っているので、その点は満足だった。

 第一作では、ストラディヴァリや、グァルネリのような、いわゆる「名器」を巡る、お金の絡んだ、やや馬鹿げた熱狂がよく分かる。
 私はクラシックにおいて、ある程度の品質の楽器の使用は重要だと思っている。 しかし、さすがに億円単位の価格が、真の楽器の価値だとは思っていない。「名器」は楽器としてというより、その希少さに価値のある、骨董品になってしまっている。ストラディヴァリとグァルネリを、異常に有り難がる風潮には、同調できない。

 第二作は、パガニーニをはじめとする名演奏家たちと、歴史に関するあれこれのエピソードが絡む。
 パガニーニと言えば、まずは「24のカプリース」だろう。ここは、ヤッシャ・ハイフェッツの演奏で。



 第三作は、「名器」のみならず、ノルウェーのハルダンゲル・フィドル(ハーディングフェーレ)が登場する。これが中々興味深かった。
 ハルダンゲル・フィドルは、華麗な装飾が施され、通常の四弦のほかに、五本の共鳴弦が張られていることが特徴だ。こういう、様々な楽器を紹介してもらえるのはありがたい。
 すごく魅力的で、自分がヴァイオリニストだったら、きっと手を出しているだろう。日本にも愛好家がいるそうだ。確かに、日本人は好きそうだ。

Pastoral2020/12/18 20:04

 めでたく、ベートーヴェン先生の250回目の誕生日を迎えた。
 テレビなどを見ていると、彼の凄さについて、「一つの短いモチーフを徹底的に展開し続けた」という点を強調することが多く、「メロディ・メイキングの名手ではなかった」とまで言っている番組もあった。
 そうだろうか…
 私は、音楽家として、世紀の大天才だったと思う。

 仕事をしている間に聴くCDを、入れ替えるのが面倒で、ここのところずっとベートーヴェンの交響曲ばかり聴いている。
 一番好きな交響曲だということがわかったのが、6番の「田園 Pastoral」だ。
 ロンドン・レーベルの、ウィークエンド・クラシックスというシリーズの中の1枚として、6番「田園」と、1番の入ったCDを持っている。自分で買ったわけではなく、たぶん音大時代の「CD頒布会」で入手したのだと思う。音大の学科がら、研究室にはレコード会社から、大量の試聴版が届く。先生たちも面倒なので、それらをいちいち聴くこともなく、かと言って捨てるのももったいないので、学生たちに、ただで配ってくれたのだ。



 演奏は、ウィーン・フィルで、指揮はシュミット=イッセルシュテットだから、古いなぁと思って確認したら、1969年の録音だった。いい音だ。
 実にスタンダードな演奏で、クセもなく、誰にでも好かれる演奏だろう。

 この版をあまりにも聞き倒したので、他の指揮者,オーケストラでも聴いてみたくなった。ネットで検索すると、だいたいのクラシックに詳しい人は、ブルーノ・ワルターを薦めている。あとは、カラヤンとか。
 せっかくなら、新しい、最近の録音が欲しいと思ったら、選択肢があまり多くないのだ。クラシック音楽なんて、売れないから、あまり出ない物なのか…?

 ともあれ、サイモン・ラトルと、ウィーン・フィルののバージョンが目に入ったので、これを購入。本当はウィーン・フィル以外が良かったのだが…
 ネットで注文したっきり、なかなか届かなくて、半分忘れかけていた頃に、いずこかの外国から届いた。梱包を開けてびっくり、実はベートーヴェンの交響曲9曲の全集だった。ろくに見ていなかった…
 そのような訳で、シュミット=イッセルシュテット、カラヤン、バーンスタイン、ノリントンに、ラトルが加わったという次第。

 ラトルの版は…うーん、人の評論も微妙なところだし、私の評価も微妙…よく言えば、軽やかでポップな感じ。意識して重厚感を除いている感じがする。
 巨匠たちの「名盤」と呼ばれる演奏に耳が慣れていると、それらが基準になってしまって、重厚感と貫禄がどうしても、軽やかさを圧倒してしまっているようだ。

 そもそも、「田園」の何が良いのか考えた。
 明るくて、楽しくて、爽やか。健康的な音楽で、屈折したところがない。その晴れやかさは、この曲の一番の特徴だと思う。
 それから、最近思ったのは、「田園」は、「フォーク・ロックだ」ということ。
 3番「英雄」や、5番「運命」がゴリゴリのロックンロールだとしたら、そこにフォークの風合いが加わった、フォーク・ロックの感触がする。ビートルズとディランが混ざって、バーズになる感じ。
 そういう、バランスの良い音楽が「フォーク・ロック」で、その流れでトム・ペティが好きなのだし、ウィルベリーズなんて本当に最高なんだと思う。
 私が「田園」に感じるのは、そういう良いミックスのされ方、心地よさ、絶妙さなのだと思う。