マクレラン と ヨドバシカメラ (その2)2008/09/25 21:06

 [ Brave McClellan Is Our Leader Now (Glory Hallelujah !) 勇気あるマクレランこそ我らがリーダー] (右クリックで開く。要Media Player)。
 このファイルには歌がついていないが、曲はよく知られた「あの曲」であることは、すぐ分かる。さぁ、この歌をなんと歌うか?

♪ひとりと ひとりが腕組めば たちまち誰でも仲良しさ~♪
 「ともだち讃歌」作詞は阪田寛夫。いかにも優等生的な学童向け唱歌。しかし「ロビン・フッドにトム・ソーヤ みんな僕らの仲間だぞ」とは、大きく出た。

♪おたまじゃくしは蛙の子 ナマズの孫ではないわいな~♪
 「ハワイ民謡」としている資料があるが、深く考えない事にする(ハワイの日系人の間で生まれたとか?)。私は「ナマズの子ではありません~♪」だと思い込んでいた。歌がすすむと、「でんでん虫はカタツムリ サザエの孫ではないわいな~♪」とか、「ぶんぶん空飛ぶ飛行機は トンボの親ではないわいな~♪」などと、哲学的な発展を始める。

♪ゴンベさんの赤ちゃんが風邪ひいた~♪
 幼稚園で子供たちが振りつきで覚えるのが、この赤ちゃんヴァージョン。風邪をひいて、いきなり湿布に行くのはどうなんだ。

♪丸い緑の山手線 まんなか通るは中央線~♪
 おなじみ、ヨドバシカメラのCMソング。「おなじみ」と書いたが、このCMはどの範囲で「おなじみ」なのだろうか?首都圏?東日本一帯?
 これは30年前のヴァージョン。昔は、「やまてせん」と歌っていた。

 もちろんこれら替え歌の原曲は、南北戦争期に北軍で愛唱された[The Battle Hymn of the Republic] で、日本では「リパブリック賛(讃)歌」と呼ばれている。
 後に第二次世界大戦で新兵を主人公にした「死出への道なんてなんのその!」みたいな勇ましい替え歌も盛んに歌われた。

 オリジナルの[The Battle Hymn of the Republic] は、宗教色の強い曲だ。
 「我が瞳は 来るべき救世主の栄光をとらえた …(中略) グローリー,グローリー,ハレルヤ!主の真実は進みつづける…」

 共和国がどうこうというニュアンスはない。私はこの曲のゴスペル・ヴァージョンを持っているが、宗教色ゆえに、とてもマッチしていた。別タイトル[ Glory, Glory, Hallelujah ] の方がしっくりする。(ただし、The Byrdsもカバーしている同名異曲 [ Glory, Glory, Hallelujah] もあるので、要注意。)

 実は、[The Battle Hymn of the Republic] にも、更なる元歌がある。反奴隷制運動家ジョン・ブラウンを歌った曲「ジョン・ブラウンの亡き骸」,もしくは、そのまた元歌が源流にありそうだが、追求すると音楽大学の音楽学学科卒論が書けるほど奥が深い。
 「ジョン・ブラウン」は1855年ごろには作られている。この曲が良く出来ているため、その後さまざまな替え歌ができた。「リパブリック」も、「マクレラン」もその一つと思われる。

 さて、肝心の「勇気あるマクレランこそ我らがリーダー」の歌詞。
 「退却命令のあとは、今やマクレランこそ我らがリーダー 今こそ突き進もう…やぁ、我らを見たかい?今こそ突き進もう…」という感じなのだが、番が進むと…
 “Thomas turned a SOMERSET, and gave the Rebels rats “ などと歌いだす。
 「トーマスがサマーセットを出し抜いて、反逆者ども(レベルズ)にネズミをくれてやった」…?いや、「とんぼ返りをして turn a somersault」なのか?英語がよく分からないが、レベルズが出てくる以上、やはり南北戦争の歌なのだろう。

 戦争当初は、歌に歌われるほどカリスマ性のあったマクレランだが、現代における彼の知名度はロバート・E・リーや、ストーンウォール・ジャクソン、ユリシーズ・グラントなどには遠く及ばない。
 近代的な軍隊を作るという意味では、時代が必要としたマクレランだが、それを用いるとなると別人が必要だった。しかも、単純な目的意識を持った純然たる軍人ではなく、やや政治的な色気があり、それがマクレランを英雄にするには邪魔になった。
 この「南北戦争の問題児」を称えていた歌は、いまや遠い異国でオタマジャクシや家電量販店の歌になっている。

 今日の記事を書く上では、こちらのサイトドナドナ研究室を参照させてもらった。「リパブリック」以外にも、興味深い記事が満載。