マクレラン と ヨドバシカメラ (その1)2008/09/24 22:29

 ジョージ続きだ。
 今回のジョージは、ジョージ・ブリントン・マクレラン。ある歴史家によれば「南北戦争の問題児」。のちに、北軍の勝利を決定づけた将軍ユリシーズ・グラント(第18代合衆国大統領)によれば、「戦争の謎」。評価の難しい男なのだ。

 テンチ家の三男ジェイムズが戦死した戦役で、ウェストヴァージニアを「解放」した英雄ともてはやされた北軍の将マクレランは、わずか34歳だった。彼は戦争初期にして、既に伝説的な英雄な評判を勝ち取っていた。
 第一次マナッサス(ブルラン)の戦いでの北軍敗北後、リンカーンは主力ポトマック軍の司令官マクダウェルを解任し、マクレランをその後任とした。さらに、彼を北軍総司令官に昇進させたのだから、その期待の大きさは推して知るべし。

 マクレランは、軍という組織を作ることにおいては、間違いなく優秀だった。実戦部隊の組織や訓練はもちろん、参謀本部や兵站部門、通信部門の充実をすすめる。マナッサスから大混乱で逃げ出した素人集団は、マクレランの手によって近代戦に耐えるものになったのだ。
 ところが、彼は実戦の指揮官としては、思い切りと大胆さに欠けていた。1861年秋、マクレランは申し訳程度にポトマック軍の一部を北ヴァージニアに派遣したが(大敗)、なかなか主力を率いて南軍と戦おうとしない。マクレランの弁明によれば、マナッサスの南軍は数でポトマック軍を圧倒しているというのだ。
 リンカーンも議会も、マクレランに業を煮やす。1862年、とうとうリンカーンが直々に、南軍への総攻撃を命じた。それでも動かないマクレラン。問題児という表現も無理もない。
 大統領や議会から説明を求められたマクレランは、自分の作戦を説明した。すなわち、ポトマック軍をマナッサスに進軍させるのではなく、海からリッチモンドが付け根に位置する半島(ペニンシュラ)に上陸し、南軍の首都を攻略しようと言う大胆な作戦だった。

マクレランによる半島作戦の大まかな方向


 要するに奇襲なのだから、一気呵成の作戦展開が必要なのだが、面倒なことにリンカーンが難色を示した。政治家であるリンカーンは、首都ワシントンから主力ポトマック軍の全てが居なくなり、遠回りで戦地に赴くことによって、逆に南軍に首都を奪取されることが北軍の致命傷になることを知っていた。リンカーンはマクレラン配下から、マクダウェル(マナッサスの敗将)以下30000の兵を残留させた。
 こうなるとマクレランが少々気の毒に思える。しかし、彼の行動の遅さがロバート・E・リー以下南軍に準備の時間を与えてしまった。しかも、マクレランが「数で勝てない」としていたマナッサス駐留軍が実は少数だったあっては、リンカーンがマクレランを信用しなかったのも無理もない。

 大胆で華やかな半島作戦は、1862年3月に始動した。北軍はじわじわと半島を北西 ― リッチモンド方向へと攻めのぼったが、その間の南軍の抵抗も粘り強く、騎兵の機動性を利用した情報収集にも長けていた。しかもリーは保塁や塹壕設置を進めていた。この地味で辛い作業は兵士たちには不評だったし、マクレランのような華やかな作戦でもない。しかし、これがリッチモンドを守り、夏にはマクレランの半島作戦を結局失敗に終わらせた。
 防戦側の南軍も北軍とおなじくらいの損害を被ったが、マクレランは当初の派手な目標,リッチモンド奪取を果たせず、結局この作戦は失敗と見なさざるを得なかったのだ。

 マクレランの負け惜しみはかなりのもので、リンカーンと戦争省長官が「失敗させた」などと発言している。
 しかし、この時のリンカーンは、マクレランから北軍総司令官の肩書を外しただけで、主力ポトマック軍司令官の任は解かなかった。むろん、リンカーンはマクレランに不満足だったが、彼に代る司令官も見当たらなかった。
 しかも、マクレランには絶大な人気があった。若く、容姿の優れた彼は軍隊形成においては優秀な将軍だったし、派手な作戦計画が好意的にとらえられていた。
 リンカーンには、マクレランでは勝ち切れないことが分かっていた。それでも、英雄マクレランを、解任できなかった。大統領は、1862年暮れまで我慢することになる。

 マクレランの絶大な人気を証明するのが、彼を賞賛する歌の存在だ。
 こちらのページにまとめられている、南北戦争関係の曲目リストを見るだけでも、「勇気あるマクレランの仲間になろうぜ!」「誇り高きマクレラン」「勇気あるマクレランこそ、我らがリーダー」「マクレランのセレナード」などなど、6曲も見つけることができる。

 さて、これらの曲の中から、[ Brave McClellan Is Our Leader Now (Glory Hallelujah!)] を聴いてもらいたい。(右クリックで開く。要Media Player)

 誰もが知っている、「あの曲」だ。しかし、どの歌詞で歌うかは、人それぞれだろう…

(つづく)