ナッシュビル陥落 ― 2008/11/09 21:39
ナッシュビルは、テネシー州を東西に走るカンバーランド川沿いの町で、交通の要衝として栄えた。1843年には、テネシー州の州都になっている。
20世紀には音楽産業で栄え、ナッシュビルと言えばカントリーの聖地、ミュージック・ロウに並ぶ数々の音楽スタジオで有名だ。普通の民家に見えるスタジオのバルコニーで、ベンモント・テンチがウクレレを弾いている映像を見たことがあるが、それだけで私はナッシュビルに行ってみたくなった。
本来の物流と産業の街としても発展を続け、最近は大きな自動車メーカーの工場や本社などもある。
南北戦争の時、テネシー州は最後に連邦から離脱した州だった。
1862年2月、ユリシーズ・S・グラントが「無条件降伏」せしめたドネルトン砦は、ナッシュビルからみるとカンバーランド川の下流にあたった。
それよりも先にテネシー州を縦断するテネシー川も北軍におさえられ、カンバーランド川もドネルトン砦の陥落で北軍に落ちている。南軍のA.S.ジョンストンは主力の防衛線を南のアラバマ州あたりまで下ろすしかなく、ナッシュビルは捨て置かれるも同然になった。
南部連合の州都のひとつとして、ナッシュビルにも意地があったが、その抵抗は長続きせず、2月下旬には陥落した。テネシー州の議会は遠く南東、ミシシッピー川沿いのメンフィス(エルヴィス・プレスリーでも有名な、あのメンフィス)に移動した。
投降したナッシュビルに、北部連邦のリンカーン大統領は、軍司令官として、アンドリュー・ジャクソンを送り込んだ。3年後、リンカーンの暗殺を受けて急遽大統領になった、あのジャクソンである。そのナッシュビル統治は、南部連合軍のゲリラ攻撃に悩まされることになる。
西部戦線における順調な北軍の作戦遂行において、特に大きな功績をあげたグラントだったが、ナッシュビル陥落後にちょっとした事件が起きた。
グラントには酒癖問題があるという噂がワシントンに伝わり、司令官から更迭されたのだ。軍の司令官をむやみに変えるのはあまり良いことではないはずだが、南北戦争当時はかなり頻繁に起こっていた。
もっとも、このグラントのケースは「問題」が誇張してワシントンに伝えられていたようだ。リンカーンにとっても、(マクレランと違って)徹底的に勝ちを取りに行くグラントの存在は、信頼すべきものだった。間もなく、グラントはテネシー川方面の司令官に復帰した。
このドタバタの間、北軍の司令官ウィリアム・T・シャーマンは、テネシー川を南に遡り(テネシー川は南から北へ流れ、西に曲がってミシシッピー川に合流する)、ミシシッピー州にほど近いところに陣を張った。付近にある教会の名にちなんでシャイロー宿営地と呼ばれる。
一方、南軍でも司令官の動きがあった。戦争の口火を切ったサムター要塞攻撃や、第一次マナッサスの戦いで活躍したP.G.T.ボーレガードが派遣されたのだ。A.S.ジョンストンと彼は、シャイローへの攻撃を計画し、戻ってきたグラントとその配下に入ったシャーマンは、その攻撃をまったく予想していなかった。
ちなみに、ここで登場したウィリアム・テムカセ・シャーマンは、のちにアトランタ陥落,ジョージア州を蹂躙する「サバンナへの行軍」のために、南部の人々の憎悪の的となった、シャーマンその人である。
20世紀には音楽産業で栄え、ナッシュビルと言えばカントリーの聖地、ミュージック・ロウに並ぶ数々の音楽スタジオで有名だ。普通の民家に見えるスタジオのバルコニーで、ベンモント・テンチがウクレレを弾いている映像を見たことがあるが、それだけで私はナッシュビルに行ってみたくなった。
本来の物流と産業の街としても発展を続け、最近は大きな自動車メーカーの工場や本社などもある。
南北戦争の時、テネシー州は最後に連邦から離脱した州だった。
1862年2月、ユリシーズ・S・グラントが「無条件降伏」せしめたドネルトン砦は、ナッシュビルからみるとカンバーランド川の下流にあたった。
それよりも先にテネシー州を縦断するテネシー川も北軍におさえられ、カンバーランド川もドネルトン砦の陥落で北軍に落ちている。南軍のA.S.ジョンストンは主力の防衛線を南のアラバマ州あたりまで下ろすしかなく、ナッシュビルは捨て置かれるも同然になった。
南部連合の州都のひとつとして、ナッシュビルにも意地があったが、その抵抗は長続きせず、2月下旬には陥落した。テネシー州の議会は遠く南東、ミシシッピー川沿いのメンフィス(エルヴィス・プレスリーでも有名な、あのメンフィス)に移動した。
投降したナッシュビルに、北部連邦のリンカーン大統領は、軍司令官として、アンドリュー・ジャクソンを送り込んだ。3年後、リンカーンの暗殺を受けて急遽大統領になった、あのジャクソンである。そのナッシュビル統治は、南部連合軍のゲリラ攻撃に悩まされることになる。
西部戦線における順調な北軍の作戦遂行において、特に大きな功績をあげたグラントだったが、ナッシュビル陥落後にちょっとした事件が起きた。
グラントには酒癖問題があるという噂がワシントンに伝わり、司令官から更迭されたのだ。軍の司令官をむやみに変えるのはあまり良いことではないはずだが、南北戦争当時はかなり頻繁に起こっていた。
もっとも、このグラントのケースは「問題」が誇張してワシントンに伝えられていたようだ。リンカーンにとっても、(マクレランと違って)徹底的に勝ちを取りに行くグラントの存在は、信頼すべきものだった。間もなく、グラントはテネシー川方面の司令官に復帰した。
このドタバタの間、北軍の司令官ウィリアム・T・シャーマンは、テネシー川を南に遡り(テネシー川は南から北へ流れ、西に曲がってミシシッピー川に合流する)、ミシシッピー州にほど近いところに陣を張った。付近にある教会の名にちなんでシャイロー宿営地と呼ばれる。
一方、南軍でも司令官の動きがあった。戦争の口火を切ったサムター要塞攻撃や、第一次マナッサスの戦いで活躍したP.G.T.ボーレガードが派遣されたのだ。A.S.ジョンストンと彼は、シャイローへの攻撃を計画し、戻ってきたグラントとその配下に入ったシャーマンは、その攻撃をまったく予想していなかった。
ちなみに、ここで登場したウィリアム・テムカセ・シャーマンは、のちにアトランタ陥落,ジョージア州を蹂躙する「サバンナへの行軍」のために、南部の人々の憎悪の的となった、シャーマンその人である。
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