ボブ・ディラン ― ロックの精霊2014/01/28 21:49

 何度か書いたことがあるが ― 私は音楽好きな割に、音楽に関する本を読まない。音楽に関する本は、音楽そのものに比べれば何十分の一、何百分の一程度にしか面白くないからだ。
 それでも好きな音楽に関しては、手頃で読みやすいガイドとなる本があると助かる。これが意外と無い。多くの筆者はその音楽のファンであるため、自分がいかに重大なファンであるかを文章に浮き立たせてしまったり、自分の好みによってムラがあったり、読み終わる間に音楽に逃げたくなるほど面倒なシロモノになってしまうことも多い。
 ミュージシャン本人による書籍というものもあるが、当然、その人の音楽より格段につまらないので、なかなか難しい。

 そんな中で、この本は日本経済新聞に書評が載り、なおかつ新書ということで、良いのではないかと思い、珍しく買ってみた。

 「ボブ・ディラン ― ロックの精霊」(湯浅学 著:岩波新書)



 ボブ・ディランの伝記である。ディランの誕生から現在まで、順を追い、エピソードやアルバムを紹介しながら語られている。ディランの場合、社会背景とのつながりを過剰に語りたがる面倒な解説が多いが、この本は時代を分かり易く、簡潔な文章で記述し、その中に生きたディランの説明として、とても説得力があって良い。
 各アルバムの作られた背景 ― とういうよりは、雰囲気,様子を説明し、それが当時どのように受け取られたのかも客観的に書いてある。

 そもそも、ディランに関する記述、評伝というものはマスコミや批評家もさることながら、ディラン本人の言うことが一番信用できないときている。別にディランをけなしているわけではない。彼のことは彼の音楽を聴くほかにないのであり、ディランが世に発表するものはすべからく彼の「作品」にほかならない。
 そんな中で、ディランの音楽を聴く上での「良い参考程度」の本として、手頃なのだ。

 かと言って、筆者個人の考えが皆無なのかというとそうではなく、湯浅さんなりの考察も加わっており、それが過剰ではない。さすがに、2007年以降の記述にはくどさが臭うが、数ページのことだ。
 音楽を文章で語ろうとすると難しいので、いろいろな比喩が用いられる。たとえば、「暗澹たる怒りを疾走させ」とか、「心地よい抱擁力と峻厳な洞察力」…など。やり過ぎると鬱陶しいが、この本は短い文章で簡潔さを心がけているようなので、気にならない。
 もっとも、[Nashville Skyline] でのディランのあの滑らかな歌声について、「まるで、今まで剛毛のヒグマの着ぐるみを着用していたのです、とクリオネがそれを脱いでみせているようだった。」は、ちょっとやり過ぎか。

 やはり私はウィルベリーズのところの記述が気になった。細かいことだが、トム・ペティがディランの家に来たのは、「借りていたギターをボブに返すため」ではなく、ジョージに誘われたから。どうやら、ディランのファンにはトムさんが「ボブの家に返しに来た」と思っている人があるようで、どこかディラン関連の本にそう書いてあるのかも知れない。
 それから、ウィルベリーズのバンド名を「トラヴェリン・ウィルベリーズ」としているが、もちろんこれは「トラヴェリン・ウィルベリーズ」の間違いだろう。ディランの名前も「ラッキー・ウィルベリー」としているが、もちろんこれは「ラッキー・ウィルベリー」。
 湯浅さんは、デル・シャノンを入れての「ヴォリューム2」が録音されたとしているが、私はそもそも録音そのものがされなかった説を支持しているので(「ヴォリューム3」というタイトルは、いかにもジョージらしいジョーク)、この点は意見が合わない。

 ともあれ、新書で読みやすく、ディランのガイドとしては最適の一冊ではないだろうか。ディランのアルバムを全て集めてから読んでも良いし、今後の購入の手引きにしても良い。
 珍しく、2回連続読みをした「音楽に関する本」だった。