Bob Dylan at Royal Albert Hall Nov. 20132013/12/01 21:50

 本日、無事に帰国。お天気にも恵まれ、充実したロンドン旅行になった。

 リチャード3世をめぐる旅は、レスターまで出かけ、レスター大聖堂や、彼の遺骨が発見された駐車場、そしてボズワース・バトルフィールドまで足をのばし、広大な野原を満喫した。
 思い切って行って、本当に良かった。

 さて、ボブ・ディラン。
 ロイヤル・アルバート・ホールで11月27日と28日。どちらも去年のTP&HBほど席が良くはなかったが、ステージが綺麗に見渡せてとても見やすかった。
 そして去年気付かなかったことだが、ロイヤル・アルバート・ホールは音が良い。先週、巨大で音響の悪い所(東京ドーム)で見ているだけに、なおさら良く感じたのだろうか。

 予想外だったのは、カメラの使用が禁止されていたこと。去年のTP&HBが撮影し放題だったので、少し驚いた。なんでも、アーチスト自身の意向とのこと。
 スポットライトでステージ上のバンドだけが、ぼんやりと浮かび上がるように照らされた中での、フラッシュの使用は確かに気になるだろう。しかし、みんなめげない。スタッフの目を盗んでは頑張って写真を撮る。
 そのようなわけで、私も頑張る。27日のハーモニカを吹くディラン様。なんでも、27日にはジョニー・デップも会場に来ていたらしい。



 27日の動画は、最後のご挨拶(?仁王立ち)のみ。



 そして、翌28日。これぞ命がけの "All Alone Watchtower"。



 詳しくは、改めてレポートする予定。

 ロイヤル・アルバート・ホールのツアーは、サウンド・チェック前だった。これまたアーチストの意向で、サウンド・チェックは非公開とのこと。
 しかし、このことが幸いして、最上階からは写真を撮らせてもらえた。がらんとしたホール、とても雰囲気がある。



 出発する前に発売された、ビートルズのライブ音源集 'On Air - Live at the BBC Volume 2' の内ジャケットになっていた、BBCブロードキャスティング・ハウスにも行った。
 日没後に行ったので、夜景。けっこう綺麗に撮れた。



 11月29日はジョージが亡くなった日。前日のディランのコンサートで特別なことはなかった。それでも全然満足。
 29日の当日は、時間があったのでアビー・ロードにも足をはこんだ。
 ここも特に何もなかったが、いつものとおり観光客が写真を撮っていた。今のロンドンには、従来のような横断歩道模様は無いが(縁の点線だけが描かれている)、このアビー・ロードにだけは残されている。

 モータウンの先生こと、マーティン・フリーマンが行ったレコード・ショップを探したのだが、どうやら閉店してしまったらしい。残念。
 残念だったことと言えばこれくらいで、おおかたの目的は達した、充実の5泊7日だった。

Nelson Mandela2013/12/06 21:58

 帰国してから、大きなニュースと言えば、ストーンズの来日決定。
 来る、来るとは聞いていたが、いよいよ正式な発表となり、チケットの応募も始まった。チケットの高さに目玉が飛び出しているが、経済を活性化させると思って、払うことにする。当選すればだが。
 それにしても行きたい!

 そして今朝のニュースと言えば、ネルソン・マンデラ氏の死去。前から体調が悪いと伝えられていたが、とうとうその時が来たのだという感じ。
 ともあれ、マンデラ氏の生涯について、私がいまさら説明するような事は何一つないだろう。

 ロンドン滞在中、ロイヤル・アルバート・ホールの見学ツアーに参加した。観客の入っていない、ガランとした、スタッフさんたちだけが行き来するホールを見るのは、とても楽しい。
 そして、女王陛下が使うロイヤル・ボックスも外側から見せてもらった。
   このロイヤル・ボックスに女王陛下が来るとき。それがどんなノリの良い音楽だろうと、周りの観客が踊り浮かれていようと、女王陛下と同じボックス内の人々だけは、微動だにせず、決して踊らないのだという。

 「ところが、例外が一人だけ居たのです!」

 ガイドのお姉さんはそう言って、廊下に飾ってある写真の1枚を示した。



 1996年7月11日、当時の南アフリカ共和国大統領ネルソン・マンデラその人だった。
 なんでも、マンデラはステージ上で音楽が始まるなり、ウキウキと踊り始めたのだと言う。その隣りで女王陛下はいつものむっつり顔で不動でいたそうだ。
 後で誰かがマンデラに「あれはまずかった」と言ったらしく、彼は落ち込んでしまったらしいが、これは良いエピソードだろう。
 実はこの話、去年のTP&HB前にも同じくツアーのガイドのお姉さんが話してくれた。ロイヤル・アルバート・ホールにとって、とっておきの良い話に違いない。

 マンデラがまだ獄中にいたころ、彼の70歳の誕生日を祝って ― そして彼の解放と人種隔離政策の撤廃を求めて、ロンドンのウェンブリー・アリーナでトリビュート・コンサートが行われた。
 参加者の名前を見ると、音楽的には私の好きなアーチストがあまり居ないのだが、ビリー・コノリーや、スティーヴン・フライ、ヒュー・ローリーなどのコメディアンの存在が気になる。
 そしてモンティ・パイソンのグレアム・チャップマンの名前もある。グレアムは翌年に亡くなるので、このとき、どんなことをしたのか非常に興味がある。

 コンサートのフィナーレは、ジェシー・ノーマンが務めた。
 ジャンルとしてはクラシックに属するノーマンにとって、このコンサートへの出演は勇気がいったと言っている。とにかく、彼女は圧倒的な "Amazing Grace" を歌ったのだ。
 私はこの映像を、音大時代に学校で見た。ワーグナーを歌うノーマンより、この "Amazing Grace" のノーマンに圧倒された想い出がある。

Ossie Clark2013/12/09 22:33

 いつもの通り、ロンドンへの旅をレポートにまとめようとしているが、やや時間がかかっている。

 今回は、ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムへ、ロンドン3回目にして初めて足を運んだ。さすがに立派なものなのだが、過去二回私がオミットしただけあって、私の特に好みのミュージアムというわけではなかった。
 そんな中で、目を引いたのは舞台衣装などの展示室。シェイクスピアの国だけあって、舞台芸術の展示も充実している。さすがに「ヘンリー五世」の衣装などはすぐに分かる。そういえば、ジュード・ロウが主役を務める「ヘンリー五世」の舞台が、11月末から来年の2月までやっているとのこと。これ、あわよくば映画化でも狙っているのだろうか…

 さて、その舞台衣装などの部屋には、ロック・スターの衣装なども飾ってあった。痩せて格好良かった頃のジミー・ペイジのスーツや、アダム・アントの凄い衣装など。
 そして、このミック・ジャガーのジャンプスーツも展示されていた。



 この写真では上着を着ているから良いが、他のショットではもっと凄いことになっている。ミックだから仕方がない。

 私は服飾,ファッションに非常に疎いため、この衣装のデザイナーのことも知らなかった。オジー・クラークというスィンギング・ロンドンを代表する人物だそうだ。1942年生まれだから、ビートルズやストーンズと、世代も一緒。当時の妻で、テキスタイル・デザイナーだったセリア・バートウェルと共に、1960年代から70年代のファッションを牽引した。
 こちらの動画では、ズンダカズンダカいいながらオジー・クラークの最新ファッション(1969年当時)が次々に登場する。



 なるほど、カラフルでスタイリッシュで素敵なのだが、一体ロンドンの1年の内の何ヶ月、この格好だけで歩けるのだろうか。

 60年代、最新ファッションとなれば登場してもらわねばならぬのが、パティ・ボイド。これもオジー・クラークのデザインだそうだ。



 おお!こ、これは!可愛い!!これくらいのパティが一番可愛くて良いと思うのだが、どうだろう、男子たち…

 オジー・クラークは、1996年に元の恋人(男)に刺されて亡くなったそうだ。

Moon2013/12/12 22:18

 時差ボケというものは意外と深刻な影響があるもので、先週はすこし調子がおかしかった。電車を乗り間違えたりしているうちは良いが、とうとうあの大事なディラン様ラジオを録音し損ねるという大失態を演じたのである。
 幸い、逃したのは初回放送で、日曜日の再放送で録音したのだが。そのようなわけで、前回のディラン様ラジオ "Moon" を聞いたのは、つい二日前のこと。

"Moon" ときて、多くのロック・ファンは、ビートルズの "Mr. Moonlight" を思い浮かべるだろう。ディランはピアノ・レッドによる初期録音バージョンを流した。



 間奏のソロ・メロディの微妙な違いが面白い。ビートルズで言うと、ポールがハモンド・オルガンで弾くパートで、このピアノ・レッドのバージョンではギター。
 簡単に言うと、音階の第7音 ― 主音にメロディを導くから「導音(どうおん)」と言うのだが、これを半音上げるか、上げないかという問題。ビートルズはオシャレにシャープをつけているが、このピアノ・レッドのバージョンはやや素朴な雰囲気を出すためか、半音上げずに弾いている。この箇所が非常に印象に残った。

 ビートルズのバージョンを改めて聞いてみると、やはりジョンのボーカルの素晴らしさに圧倒される。



 ポールも素晴らしいヴォーカリストだが、この時期のジョンには敵わない。ポールのみならず、誰も敵わないのがこの時期のジョン・レノンだ。もし、ただ一人だけ最高のロック・ヴォーカリストを挙げろと言われたら、私はこの時期のジョン・レノンと答える。その理由は、この曲、1曲で十分だ。

 初めて知ったのだが、ホリーズも "Mr. Moonlight" をカバーしているとのこと。



 ビートルズを聞いてからだと、やや分が悪いか。
 面白いのは、実はこのホリーズの場合も、導音を半音上げていないところだ。歌詞の冒頭 "You came to me one summer night" でいうと "summer" や、"Mr. Moonlight come again please" の "again" のところ。
 おそらく、ホリーズの方がビートルズより先にこの曲を録音していて、ピアノ・レッドに近いのだと解釈しているのだが、ホリーズのレコーディングには詳しくないので、自信がない。ビートルズの録音は1964年10月。ホリーズの録音時期をどなたか教えて下さい。

 ディラン様ラジオ日本版のお楽しみと言えば、ピーター・バラカンさんの解説と、1曲流すディラン自身の曲。私は密かにウィルベリーズの "New Blue Moon" を期待していたのだが…残念![Love and Theft] の "Moonlight" だった。
 "New Blue Moon" は本当に大好きなのだ。下手すると、ウィルベリーズ Vol.3 で一番好きな曲かも知れない。何せ、あのボブ・ディランが「フー!!!」とか言ってくれるのだ!ディラン様があんなにはっちゃけるのは、ウィルベリーズだけ!

楽譜の誤植?2013/12/15 14:29

 一般的に出版されている本を読んでいて、誤植というものに出会うことはめったにない。読んでいる私が注意せずにすっ飛ばして読んでいるなら、なおさらだ。
 本の奥付には、よく「乱丁、落丁本は送って下さい」などと書いてあるが、これもそうそうお目にかからない。私が持っている「坂の上の雲」の第八巻で、2カ所の落丁をみつけたのが唯一の例。そのようなわけで、この巻は2冊持っている(送り返していない)。

 長い間、音楽をやっているが、楽譜の誤植を見つけたことはなかった。
 クラシック音楽の場合、作曲者が手書きで残した楽譜を出版する際、その不鮮明な手書き譜をどう印刷するかの解釈が異なり、細かい点が違う「版」が存在することになる。
 ピアノの譜面で言うと、作曲者が書き留めなかった装飾音の入れ方や、スラー,スタッカートなどのアーティキュレーション、ペダルの入れ方、強弱記号、但し書きなどなどで、いろいろと異なった譜面が存在する。指使いを作曲者みずから書き込むことはまずないので、出版の際に監修者が書き入れることが殆どだ。
 音、そのものが版によって違うというのはかなり希なケース。あったとしても、同じ和声(ハーモニー)内での微妙な違いにとどまる。

 ところが最近、版の違いではなく、「誤植」ではないかと思う場面にぶちあたった。
 J.S.バッハの平均律クラヴィア曲集第二巻6番 d-moll プレリュードである。
 私は、ブロイトコプフ版を使っている。この版、正式にはブライトコプフ・ウント・ヘルテル(Breitkopf & Härtel)。ドイツの18世紀創業、世界でも最も古い楽譜出版社である。
 バッハでこの版を使う人は珍しいだろう。何せ音以外は「何も書いていない」か、最低限のことしか書かれないことがことが多いバッハにおいて、このブロイトコプフ版は指使いはもちろん、速度、強弱、アーティキュレーション、装飾音のほか、別の解釈など事細かに書き込まれているのだ。
 バッハの楽譜としてはやや「邪道」と見られる向きもあるだろうが、私はあまり頓着しない(そもそも、それほどクラシックに精通していない)ので、親切丁寧な書き込みを素直に有り難がっている。

 これはどうやら誤植ではないかと思うのは、平均律二巻6番 d-mollのプレリュード、25小節目である。
 (音名は全てドイツ音名表記。Hはシ、Bはシのフラット。平均律二巻を持っている、弾いているほどの人なら、ドイツ音名で分かるだろうから。)
 18小節目から、次々と転調している関係で、本来の調子記号である B が、H になるべく、ナチュラルがついているのだが、どういうわけか、25小節目の左手の B には、ナチュラルがついていない(赤丸の箇所)。



 このままでは B を弾かなければならないが、右手に Gis と Fis がある以上、A-durか、a-mollに転調しているはず。そこで B は絶対にあり得ない。理論上もあり得ないし、ハーモニーを聞いてもあり得ない。
 これは、左手の B にナチュラルをつけ忘れた、つまり誤植であるというのが、私の結論だ。私は他の版を持っていないので、先生に尋ねたところ、先生の春秋社版にはちゃんとナチュラルがついている。
 もし、平均律二巻を持っている人がいらしたら、6番プレリュードの25小節目、左手の B にナチュラルがついて H になっているか否か、教えて下さい。

 YouTubeで何人かの演奏も聴いてみた。速すぎて判然としないが、やはり誰もがナチュラルをつけて H で弾いているように聞こえる。これは、グルダの演奏で、25小節目は3分13秒付近。



 曲がショパンだの、リストだの、それ以降だの言う新しい音楽なら、この違和感のある表記があっても放っておくのかも知れないが、ものがバッハである。しかも平均律。やはり誤植だと思う。

 さて、このことをどう出版社に知らせるか。ブロイトコプフのホームページには連絡先がちゃんとあるが、「お問い合わせ等のメールはすべて英語またはドイツ語にてお送りいただきますよう、お願い申し上げます。」と、日本語で書いてある。
 うっ…!
 ドイツ語は問題外。英語も…英語も…無理!
 そういえば、私が持っているブロイトコフ版の平均律は、一巻こそドイツからの直輸入品だが、二巻はヤマハが日本版として出版しているものだ。巻末にも、「本書についてのお問い合わせは、株式会社ヤマハミュージックメディアまで」と書いてある。ここに問い合わせるか…?
 さんざん騒いでおいてなんだが、面倒だから黙っているかも知れない。

Benmont's Debut Solo Album2013/12/18 21:39

 今年は小規模会場でのコンサート以外、大きな動きの無かったトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ。来年は、新譜の発表と大規模なツアーがあるに違いないと、ワクワクしていたところ、まったく予想外の大ニュースが飛び込んできた。
 ハートブレイカーズ以前、マッドクラッチからのメンバーであり、ロック界にその人ありと知られた凄腕セッションマン、キーボード界の重要人物ベンモント・テンチが、なんとソロ・アルバムを発売するというのだ。
 ブルーノートから、[You Should Be So Lucky], 2014年2月18日発売。さっそく予約を入れた。



 ジャケットがおしゃれ。TP&HBよりずっと趣味が良いじゃないか…

 マイクのように、自分中心のバンドを組んでのアルバムなら想像しないでもないが、ソロ・アルバムというのは本当に驚き。そして嬉しい。
 ベンモントも作曲はするし、キャリアは長いし、技術はあるし、人脈もあるし、考えてみればありえない話ではない。今回は、プロデューサー,グリン・ジョンズの強い後押しがあったようだ。

 お坊ちゃま育ちで、名前が長く、名門寄宿舎学校卒で、大学にも進学したベンモント。
 11歳でトムさんに目を付けられ、パパの説得はトムさん自ら乗り込むほど惚れ込まれたベンモント。
 それなのにマイクだけ確保したトムさんに、置き去りにされてしまったベンモント。
 めげずに自分のデモを作ろうとしたら、そのままハートブレイカーズになってしまったり、
 LAに出てきたころはジーンズさえ持っておらず、いかにも学生然とした服装だったり、
 南国育ちのアニ連中がストーブを扱うことに、やきもきしていたベンモント。
 日本語表記では「ベンモント」だけど、英語だと最後の “T” は発音しないベンモント。
 どんな楽器も弾きこなすけど、声量だけはやや難があるベンモント…

 そんなベンモントのソロ・アルバムはどんな作品になるか今から楽しみだが、すでにローリング・ストーンのページでは “Blonde Girl, Blue Dress” を聴くことができる。

Benmont Tench Steps Out on 'Blonde Girl, Blue Dress' – Song Premiere



 声にも枯れた味わいがあって良い。曲も穏やかで美しい。オルガンの音が優しく映える感じも素敵。
 面白いのは、この曲のゲストミュージシャン。なんと、ベースはトム・ペティさん。これはまた大物が…。そういえば、ゲスト・ミュージシャンの顔ぶれにマイクの名前がないのは意外だった。マイクが居るとすっかりハートブレイカーズ化してしまうからだろうか。
 そして、なんとタンバリンにリンゴ・スター。リンゴー!!
 リンゴについて、ローリング・ストーンでベンモントはこうコメントしている。

 最初、リンゴにはドラムを叩いてもらおうと考えていたんだ。でも、日程が厳しくて、ちょっと切羽つまっていたから、とりあえずジェレミー・ステイシーに叩いてもらった。そうしたら翌日リンゴから電話がかかってきて、「その録音を採用しなよ!」って言うんだ。
 確かに良いテイクは録れていたけれど、何か物足りない。それで彼に来て何か追加してほしいと頼んだら、20分後には大きなキャンバス地のバッグいっぱいのタンバリンを持ってきて、2回プレイしてくれた。そうしたら、たちまち良くなったんだ。やっぱり凄いよね、まさにリンゴだよ。


 リ、リンゴー!リンゴー!!まるでサンタクロースか、大国主命のようだ!バッグいっぱいのタンバリン…!
 トムさんやマイクは口を開ければジョージ、ジョージだし、ベンモントはすっかりリンゴ・ファミリーだし。ビートル関係も味わえる、一口で二度おいしいハートブレイカーズ。
 そんなベンモント・テンチのソロ・アルバムは2月発売。発売直後には、LAでショーも行うとのこと。乞うご期待。

Carol, Jack the Ripper2013/12/21 21:52

 まだ、公式発表ではないが、どうやらボブ・ディランが来日するらしい。

ボブ・ディラン来日公演決定の模様

 わぁお!やったぁ!半年もしないうちにディランを見まくり!…だが、Zeppという場所が…良くない…。不便だし。スタンディングだし。音も良くないし。ロイヤル・アルバート・ホールでゆったり、最高の音で味わうとなおさら。
 しかし、来てくれるのだから贅沢を言ってはいけない!第一、チケットが取れるかどうか、怪しい。前回、本当に取るのが大変だった。

 ディラン様ラジオこと、[Theme Time Radio Hour] は、2週にわけてクリスマスと新年の特集回。ディラン様もカバーした "It's must be Santa" のオリジナル(?)などがあって面白い。お気に入りの曲なのだろう。

 ディラン様ラジオのお楽しみ、いろいろな雑学をディランが語るコーナーで、こんな話があった。

 クリスマスの伝統的な歌のことを、「クリスマス・キャロル」という由来 ― 伝説によると、ある年のクリスマス間近という頃、ロンドンでキャロル・ポールズという少女が行方不明になった。彼女を探す人々は、家々のドアを叩いては、キャロルが居ないか、キャロルを知っていないかと尋ねて回った。
 しかし、ちょうどその頃、「切り裂きジャック」事件がロンドン市民を恐怖に陥れていた。ドアを叩く訪問者を、みんな怖がって開けてくれない。そこでドアの前でクリスマスの歌を歌い、危険ではないと知らせて、ドアをあけてもらったと言う。
 結局キャロルは行方不明のままだったが、その後、彼女の名前にちなんで、家々の前で歌われるクリスマスの歌を、「キャロル」と呼ぶようになった ―


 ピーター・バラカンさんはどうして「キャロル」というのか不思議だったので、「勉強になります!」とコメントしていた。私も一瞬「なるほど、そうなのか…」と思ったのだが、次の瞬間には、「…嘘だな。」と思った。

 Jack the Ripper 事件は、1888年である。シャーロック・ホームズと同時代。それ以降、「キャロル」と呼ばれたということになるが、すぐに思いつくのは、ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」。この小説の舞台は、決して1888年以降ではない!…と、とっさに思ったのだ。
 後で調べてみると、ディケンズの「クリスマス・キャロル」は1843年。40年以上も前なのだ。ググってみると、やはり私と同じ根拠でこの伝説を否定する記事が多い。
 ディランがディケンズの小説を思い浮かべず、さらに時代を勘違いするとも思えない。「伝説によると」と前置きしていたので、ディランも真実だとは思っていないのだろう。ただ、面白い話なので、採用したと想像する(この番組にはリサーチ・チームもある)。

 ちなみに、「キャロル」という言葉の語源については、Wikipedia にはフランス語の "Caroller" や、ラテン語の "Choraula" という説が載っていた。

 ピーター・バラカンさんは、ディラン自身の曲として、"Winter Wonderland" を流したが、私の希望は、やはり "It's must be Santa"。ディラン様自らロン毛ヅラで熱演(?)。やっぱりサラサラ直毛に憧れているのかなぁ…

凄い Silent Night2013/12/24 21:21

 偶然、ラジオから凄い「きよしこの夜」"Silent Night" が流れてきた。
 スティーヴィー・ニックスの "Silent Night"…。すんごい迫力。この曲って、子供達が素朴に歌うものじゃないのか。
 あまりにも凄いので、YouTubeで検索すると、すぐにヒットした。しかも、TP&HBつき。



 おおお…すんごい迫力。
 それにしても、この時のトムさんとマイクは髪が短すぎて、果てしなく一般人。どうして二人揃って短いのだろう。何か二人で反省しなきゃならないことでもあったのだろうか。
 短髪くんたちは良い。スティーヴィー・ニックスである。子供に聞かせたら泣くのではなかろうか。そして、なぜか "sleep in heavenly peace" のところで、下声部になる。普通、メイン・ヴォーカルが上のメロディだろう。まさか上が出ないわけではないだろうから、このドスの利いた歌唱にこだわりがあるのだろう。

 ついでに、数年前のザ・マイティ・ブーシュの不敬なクリスマス・フォト・ショット撮影風景動画。
 ノエルがマリア様(いくら「クリスマス」という名前とは言っても…)、ジュリアンがキリスト、マイク,デイヴ,リッチが三賢王。
 なんでも、連れてきたロバは「ジュリアン!」という声に反応するとのこと。
 ロバはともかく、こんな写真を嬉々として撮っているのだから英国コメディは凄い。「ライフ・オブ・ブライアン」だって当然平気でやってのけるんだろうな。

伶倫楽遊:大名の楽しんだ雅楽2013/12/27 20:50

 年末恒例、伶楽舎のコンサート。毎年、仕事が忙しくて行けなかったり、後半しか見られなかったりするコンサートだが、今年は無事に最初から観賞できた。
 今回のテーマは、「大名の楽しんだ雅楽 - 徳川春宝をめぐって-」。江戸時代の大名 ― 紀州徳川家のお殿様,徳川治宝(はるとみ)の楽しんだ雅楽を中心としている。
  去年の博雅三位以来なのだろうか、今回もチケットは完売したとのこと。雅楽ファンとしては嬉しい限りだ。



 雅楽は奈良時代から平安時代に隆盛期を迎え、その後は寺社仏閣や御所でほそぼそと演奏され、明治維新を期に宮内庁楽所(がくそ)が作られ、現在に至る ― というのが、普通の説明だ。
 室町、戦国から江戸期にかけて、武士は能をたしなみ、江戸時代の庶民の間では歌舞伎や文楽に代表されるような大衆芸術が発達したわけで、古色蒼然とした雅楽が表舞台に立つことはほとんど無かっただろう。
 かといって、私がこれまで想像していたほどの地味な継承では、物が音楽だけに、滅んでしまう恐れがある。寺社仏閣,御所のほかに、時の為政者 ― 武士の間でも、演奏されていたほうが、雅楽が現代まで命脈を保つには合理的な説明になるだろう。なるほど。
 今回、テーマになった徳川治宝(1771-1852)は、若い頃から琵琶や笙を学び、舞や箏もたしなんだとのこと。そして、楽曲の紙面での保存に尽力したため、当時の雅楽演奏のヒントがたくさん残されているのだ。

 まず、芝祐靖先生の琵琶独奏で、「春鶯囀 遊声(しゅんのうでん ゆうせい)」。演奏会の始まりに相応しい、重厚で印象深い演奏。さらに静かに笛の唱歌を口ずさむことによって生まれる空気感が素晴らしかった。大名楽人が、ひとり静かに稽古をする様子が目に浮かぶようだ。
 次に、同じく「春鶯囀 颯踏(さっとう)」を、調弦の異なるふたつの箏と共に演奏する趣向。違う調弦の同じ楽器を同時に鳴らすという、やや現代音楽じみた演出だが、そこは雅楽なので、普通に調和しているように感じられた。
 さらに少し変わった拍子の催馬楽,「安名尊(あなとう)」。

 後半は、まず「越天楽」。雅楽において一番良く知られている曲であり、雅楽を習った人間なら、まず暗譜している有名曲を、紀州徳川家の雅楽譜をもとに、演奏してみるという趣向から始まる。
 これが面白い。明治時代に統一規格として定められた「明治撰定譜」以前、それぞれの場所、それぞれの集団の間で伝承されていた雅楽。当然、いくらかの違い ― 多様性があったはず。この紀州徳川家伝来の「越天楽」にもその多様性が見られる。今回の演奏は、その耳慣れた「越天楽」との違いを味わおうという趣向だ。
 私は龍笛吹きなので、はっきり分かったのは、龍笛の節の違い。「三行目」と呼ばれる箇所でお馴染みの「越天楽」とは大きく異なる節が流れると、のけぞってしまうほど、ドキっとする。
 私の耳ではその程度しか分からなかったが、笙では一行につき、数カ所異なるそうだ。
 ちょっと気になったのは、「越天楽」の尺 ― 長さである。「越天楽」の場合、譜面が三行に分かれており、行数を数字にすると、1-1-2-2-3-3-1-1-2-2 という演奏順になる。これがけっこう長く、学生時代はかなりヘトヘトになっていたものだ。
 しかし今回の演奏は、1-1-2-2-3-3-1-2 と、二行分短かった。果たして、これは紀州徳川家伝来の「越天楽」がそういう演奏指定なのか、単に時間の関係で省略したのか…?
 気になったので伶楽舎のメンバーに確認してみたところ、単に時間の関係で省略しただけだとのこと。
 「違いに注目してください」という解説で演奏している以上、この長さの違いは「違い」の内ではないということを説明しておくべきだろう。
 伶楽舎はいつも興味深いテーマに、素晴らしい演奏を聴かせてくれるが、ややプレゼン下手なのが玉に瑕。昔よりだいぶ上手になったと思うが、もう少し改善の余地がありそうだ。

 最後に、華やかな舞楽を二曲。
 「陵王」は、箏と琵琶、さらに和琴(わごん)が加わるという、かなり珍しい編成だった。舞楽は通常、弦楽器を伴わない。
 弦の加わった舞楽は、きらびやかで華やかで、とても素晴らしかった。残念ながら和琴は音が小さ過ぎてほとんど聞こえなかった。視覚の助けを借りて、かろうじて分かると言う程度。一応、控えめにスピーカーも仕込んでいたのだが、それでも埋没してしまった。
 徳川春宝は自ら和琴を演奏し、その音色の素晴らしさを大絶賛している文書が残っているそうだが、これはお殿様のためのお世辞ではないだろうか。

 徳川春宝は、みずから舞も舞ったとのこと。そのような訳で、四人で舞う「甘州」が最後を飾った。やはり美しい装束で四人揃って舞うと、迫力がある。
 今回は以前、舞をやっていた友人(学生時代、私たちが「陵王一具」をやったときの舞人でもある)と一緒だったので、「あの四人で一番上手いのはどれ?!」など、そんな話題も楽しかった。どれも同じように見える舞だが、動きのなめらかさや、顔の持っていきかたなど、よく見ると違いがあって、面白い。

 今回の演奏会は演奏楽曲の全てが古典だった。
 言いたくはないが…やはり古典は良い。雅楽は古典が良い。現代音楽など、チャレンジングな楽曲もあるが、大抵は「やっぱり古典が良いよね」という結論になってしまう。コンサートでは現代曲を後半にもってくるので、終演後に僅かながっかり感が残る。その点、今回は最初から最後まで雅楽の素晴らしさを満喫できるプログラムだった。
 しかし一方で、新しいものに挑むことも大切。難しいところだ。

The Sapphires2013/12/30 20:28

 まず、今朝とびこんできたショッキングなニュース。ミハエル・シューマッハがスキー中の事故で重体だと言う。
 シューマッハは、私がF1を観戦している間ほとんど全てのシーズンに活躍しており、彼が不在だったのは一度目の引退後から復帰までと、引退後の今年だけだ。
 ジョーダンでデビューしたときから、「天才くん」と呼ばれていたが、まだマンセルと一緒に楽しくサッカーをする無邪気な若者だった。セナが亡くなり、思ったよりも早くF1界を牽引することになり、ベネトンでチャンピオンになった。デイモン・ヒルとチャンピオンを争っていた頃はヒル・ファンの私の目の敵にされたが、フェラーリに移籍して皇帝と呼ばれた頃は、けっこう好きだった。
 最初の引退もつかの間、メルセデスで復帰したときは嬉しかった。優勝こそしなかったが、それなりに存在感を示してくれた。
 彼が困難を克復し、復活してくれることを祈っている。1999年、シルバーストーンでのクラッシュで、骨折の大けがをしたとき。目隠しシートの向こうから手を上げて「大丈夫だよ」と知らせてくれたシューマッハ。その再現を信じている。

 運良く、映画「ソウルガールズ The Sapphires」を試写会で見た。

 1960年代末、歌が好きなアボリジニの三姉妹ゲイル,シンシア,ジュリーは人種を理由にコンテストでも相手にされにされずにいた。彼女たちの歌声に目をつけた飲んだくれの自称ミュージシャン,デイヴは彼女たちに大人しいカントリーではなく、情熱的なソウル・ミュージックを勧め、デビューを目指す。
 従妹のケイを加え、ザ・サファイアーズと名乗った四人は、ベトナム戦争の慰問ミュージシャンのオーディションに挑戦し、彼女たちはスターへの道を歩み始める…



 音楽好きにはだんぜんおススメな映画。特にソウル・ミュージック、モータウン、そしてブルース・ブラザーズのファンは必見だ。"Soul sister, Brown suger", "Land of 1000 Dances","I Can't help myself","Soul man" など、ソウルの名曲の目白押し。
 それだけでなく、映画のオープニングはいきなりCCRの "Run Through the Jungle" だし、デイヴに「クソ」呼ばわりされるカントリーも、マール・ハガードの渋い選曲で素晴らしかった。
 人種差別という重く、悲しい困難と、ベトナム戦争という厳しい現実、それでも力一杯歌う女の子達の姿がキラキラとまぶしく、たかが音楽、されど音楽。ただのお伽噺としての成功物語ではなく、実在したザ・サファイアーズをモデルにしたからこそ得られる説得力も良かった。

 コメディの要素もあって楽しかった。何と言っても自称ミュージシャンで、敏腕マネージャーであるはずのデイヴ役、クリス・オダウドが良い。
 クリス・オダウドと言えば、ブリティッシュ・コメディ・ファンにはお馴染み "The IT Crowd"(邦題「ハイッ!こちらIT課」)のロイ。ひょろんと背が高く、脚がきれいで、飲んだくれで、頼りないダメ男。音楽モノでは定番の強欲マネージャーとは違い ― もちろんお金は大好きだが ― 決して悪党にはなれず、憎めないデイヴを好演していた。エンディング・クレジットでも最初に名前が出ていたし、主演は彼だったのではないだろうか。
 コメディ・ファンの私としては、彼を満喫できただけでもけっこう満足。

 最近モータウンを聴き始めた身にはぴったりの映画だった。サンドトラック購入も検討している。日本での公開は2014年1月11日から。