シンセ,メロトロン ― 2009/08/12 23:06
先日、ティン・ホイッスル(アイリッシュ・ミュージック)のレッスンで、こんなことがあった。
先生が、ある現代アイリッシュ・ミュージック奏者のCDを聞かせた。その曲には、壮大な宇宙のイメージによく使われるような、シンセサイザーの「ストリングス音」(具体例で言うと、スネークマン・ショー「愛のチャンピオン号」が分かりやすい)が用いられており、それをホイッスルの伴奏としていた。
私 「これ、誰ですか?」(←この作品を制作したアーチスト名を尋ねている)
先生 「(某有名アーチスト名)。」
私 「わたし、こういうシンセサイザーのストリングス音って嫌いなんですよね…」
先生 「今度のセッションでこの曲をやるために、この音が出せるシンセサイザーの人を、お願いしてあるよ。」
私は自分を呪った。
呪わしい舌禍についてはともかく、私が「あの手の音」を苦手にしている。
「これは効果音的な電子音で、それを用いた電子音楽です」と割り切っている使い方ならまだ良い。電子楽器の作品だという割り切りなら、感覚をそちらに切り替える。ものによっては、好きになる場合もある(「愛のチャンピオン号」など)。
一方で、どうもあのボワァーンとして、エコー過多で、エッジの無い、異様に大仰な、そのくせチープな肌触りの音に、アコースティックな楽器(もしくは、エレキギターのように、生音に近い電気増幅音)や、人の声を合わせられるとやりきれない。せっかくの生音が、ボワァーンによって台無しになるような感覚がする。
ポップスならまだ我慢できる。しかし、トラディショナルな曲、もしくはそれっぽいものとなると、生の楽器と、シンセの安っぽさの間が乖離しすぎて、いたたまれなくなる。
もともと、シンセサイザーにサンプリングした音は、本物の(アコースティックな)ストリングス音かも知れない。その音を一つ一つ細切れにして鍵盤に割り当てても、音楽としての流れ,緊張感,張りは、当然失われている。それらをつなげれば、当然アーティキュレーションも、アクセントも、息遣いもないから、音のエッジが消え、ボワァーンになる。
「ボワァーン嫌い」は、性格の問題であると同時に、ピアノのせいかも知れない。私は日々、ハンマーでピアノ線をぶっ叩いている。アクセント過剰なこの楽器の音を和らげるために、ペダルで「ボワン」とさせる機能があるのだが、私はそれをやらなさ過ぎると、先生に指摘されている。
シンセサイザーが一般化する前、ストリングスなどのサンプリング音を鍵盤にあてはめた楽器としては、メロトロンが存在した。
ビートルズが “Strawberry fields forever” のイントロで使っているのが、最も有名だろうか。アンソロジーで、ポール自ら解説している通り、この曲ではフルートの音をサンプリングしたサウンドを用いている。
アンソロジーのこのシーンを見直して、苦笑してしまったのだが、鍵盤がカタカタ鳴るのがやるせない。ちょっとイラっと来て、庭でメロトロンを燃やしてしまったリック・ウェイクマンの気持ちが分からないでもない。
そもそも、この楽器の仕掛けが凄い。複数のストリングスなり、人の声なり、フルートなり、オルガンなりを、各音程ごとにサンプリングした磁気テープを鍵盤に仕込み、キーを抑えるとテープが再生ヘッドに触れて、音が鳴る。テープの長さに限界があるので、数秒しか音を持続できない。
昔懐かしいカセットテープの再生パーツを細切れにして仕込んだ…ということを想像するだけでも、音が「へたる」のは容易に想像できる。音にキレや、エッジの鋭さを期待するのは無理だが、そのかわり「へたった音」としては、素晴らしい表現力がある。その表現力を演奏者がコントロールするのが難しく、多分に偶然性に依っているようだが…。
ともあれ、メロトロン製作者が意図したとは思えないが、この機構ゆえの音の揺れ、ふわふわした触感、へたり具合に使い道を見出し、多いに活用したのが、ビートルズやストーンズ、ゼッペリンなどのロック黄金期の巨人たちであり、プログレッシブ・ロックの面々だった。
私は、こういったメロトロンの音に関しては、意外にも好意を持っている。それは、ロックバンドという基本的にエッジのきつい楽器揃いのユニットの中にあって、非常に効果的に使われたケースばかりを聴いているからだ。
メロトロンを使ったロッカーたちは、この楽器の扱いにくさ、欠点、その向こうにある、「ほしい音」をつかむための創意と工夫に満ちている。私がシンセのボワァーン音を苦手にしているのは、安易に鳴り響かせるばかりの、「ほったらかし感」も好きではないからかもしれない。
裏を返せば、安易にメロトロンの音を垂れ流すだけの使い方をすれば、やはり私のツボにははまらないだろう。
実は、このシンセサイザーのストリングス音,およびメロトロンの話題を持ち出したのには、前提がある。
今、翻訳している「カントム」のある個所に、「オーケストロン」という楽器が出てきたことが、発端だった。オーケストロンとは何ぞやと思って調べてみたところで、メロトロンが先に立ちふさがったというわけ。
先生が、ある現代アイリッシュ・ミュージック奏者のCDを聞かせた。その曲には、壮大な宇宙のイメージによく使われるような、シンセサイザーの「ストリングス音」(具体例で言うと、スネークマン・ショー「愛のチャンピオン号」が分かりやすい)が用いられており、それをホイッスルの伴奏としていた。
私 「これ、誰ですか?」(←この作品を制作したアーチスト名を尋ねている)
先生 「(某有名アーチスト名)。」
私 「わたし、こういうシンセサイザーのストリングス音って嫌いなんですよね…」
先生 「今度のセッションでこの曲をやるために、この音が出せるシンセサイザーの人を、お願いしてあるよ。」
私は自分を呪った。
呪わしい舌禍についてはともかく、私が「あの手の音」を苦手にしている。
「これは効果音的な電子音で、それを用いた電子音楽です」と割り切っている使い方ならまだ良い。電子楽器の作品だという割り切りなら、感覚をそちらに切り替える。ものによっては、好きになる場合もある(「愛のチャンピオン号」など)。
一方で、どうもあのボワァーンとして、エコー過多で、エッジの無い、異様に大仰な、そのくせチープな肌触りの音に、アコースティックな楽器(もしくは、エレキギターのように、生音に近い電気増幅音)や、人の声を合わせられるとやりきれない。せっかくの生音が、ボワァーンによって台無しになるような感覚がする。
ポップスならまだ我慢できる。しかし、トラディショナルな曲、もしくはそれっぽいものとなると、生の楽器と、シンセの安っぽさの間が乖離しすぎて、いたたまれなくなる。
もともと、シンセサイザーにサンプリングした音は、本物の(アコースティックな)ストリングス音かも知れない。その音を一つ一つ細切れにして鍵盤に割り当てても、音楽としての流れ,緊張感,張りは、当然失われている。それらをつなげれば、当然アーティキュレーションも、アクセントも、息遣いもないから、音のエッジが消え、ボワァーンになる。
「ボワァーン嫌い」は、性格の問題であると同時に、ピアノのせいかも知れない。私は日々、ハンマーでピアノ線をぶっ叩いている。アクセント過剰なこの楽器の音を和らげるために、ペダルで「ボワン」とさせる機能があるのだが、私はそれをやらなさ過ぎると、先生に指摘されている。
シンセサイザーが一般化する前、ストリングスなどのサンプリング音を鍵盤にあてはめた楽器としては、メロトロンが存在した。
ビートルズが “Strawberry fields forever” のイントロで使っているのが、最も有名だろうか。アンソロジーで、ポール自ら解説している通り、この曲ではフルートの音をサンプリングしたサウンドを用いている。
アンソロジーのこのシーンを見直して、苦笑してしまったのだが、鍵盤がカタカタ鳴るのがやるせない。ちょっとイラっと来て、庭でメロトロンを燃やしてしまったリック・ウェイクマンの気持ちが分からないでもない。
そもそも、この楽器の仕掛けが凄い。複数のストリングスなり、人の声なり、フルートなり、オルガンなりを、各音程ごとにサンプリングした磁気テープを鍵盤に仕込み、キーを抑えるとテープが再生ヘッドに触れて、音が鳴る。テープの長さに限界があるので、数秒しか音を持続できない。
昔懐かしいカセットテープの再生パーツを細切れにして仕込んだ…ということを想像するだけでも、音が「へたる」のは容易に想像できる。音にキレや、エッジの鋭さを期待するのは無理だが、そのかわり「へたった音」としては、素晴らしい表現力がある。その表現力を演奏者がコントロールするのが難しく、多分に偶然性に依っているようだが…。
ともあれ、メロトロン製作者が意図したとは思えないが、この機構ゆえの音の揺れ、ふわふわした触感、へたり具合に使い道を見出し、多いに活用したのが、ビートルズやストーンズ、ゼッペリンなどのロック黄金期の巨人たちであり、プログレッシブ・ロックの面々だった。
私は、こういったメロトロンの音に関しては、意外にも好意を持っている。それは、ロックバンドという基本的にエッジのきつい楽器揃いのユニットの中にあって、非常に効果的に使われたケースばかりを聴いているからだ。
メロトロンを使ったロッカーたちは、この楽器の扱いにくさ、欠点、その向こうにある、「ほしい音」をつかむための創意と工夫に満ちている。私がシンセのボワァーン音を苦手にしているのは、安易に鳴り響かせるばかりの、「ほったらかし感」も好きではないからかもしれない。
裏を返せば、安易にメロトロンの音を垂れ流すだけの使い方をすれば、やはり私のツボにははまらないだろう。
実は、このシンセサイザーのストリングス音,およびメロトロンの話題を持ち出したのには、前提がある。
今、翻訳している「カントム」のある個所に、「オーケストロン」という楽器が出てきたことが、発端だった。オーケストロンとは何ぞやと思って調べてみたところで、メロトロンが先に立ちふさがったというわけ。
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