The Night They Drove Old Dixie Down2009/09/03 14:15

 "The Night They Drove Old Dixie Down" に関しては、一連の南北戦争関連記事の最後の方で取り上げようかとも思っていたのだが、これほどの有名で、内容的にも話題豊富な曲ともなると、なかなかそうは行きそうにない。

 この曲は言うまでもなく、ザ・バンドの代表曲の一つだろう。1968年発表のアルバム[The Band]に収録されている。作ったのは、ロビー・ロバートソン。彼に娘が出来て間もなく、赤ん坊を起こさないために静に作曲する必要に迫られ、この美しいメロディが出来たという。
 歌詞に関しては、メンバー唯一のアメリカ人にして、アーカンソー州出身のリヴォン・ヘルムの父親がある時、ロビーに冗談めかして「南部は、またいつか立ちあがるぞ」と言ったことが、きっかけになった。
 今更、言うまでもないが南北戦争の歌である。

 ここで注目するのは、第一ヴァースである。
 オリジナル・アルバムのブックレットには歌詞がついていないため、正確にはなんと歌っているのか、人によって解釈がことなり、前記事で紹介したように、微妙に異なるカヴァー・バージョンがうまれた。

 私が持っている、アルバム[The Band] の日本語解説では、このように歌詞を書き起こしている。

Virgil Caine is the name / and I serve on the Danville train / Till Stormvill's calvary came / And tore up the tracks again /
In the winter of '65 / We were hungry just barely alive / By May the 10th / But Richmond had fell / It's a time I remember so well...


 ヴァージル・ケインが働いていていた、ダンヴィル鉄道をずたずたにするのは、"Stormvill's calvary" となっている。「ストームヴィル」は町の名前っぽい言葉だが、"Calvary" とはキリスト受難の地、もしくは磔刑像、受難そのものなどを指す言葉で、ここでは意味をなさない。邦訳も、「ストームヴィルのカルヴァリーがやってきて」と、苦しいことになっている。

 1971年のライブアルバム、[Rock of Ages] の日本語解説になると、さすがにCalvary は "cavalry"(騎兵)になった。しかし、Stormvill's はそのままで、ストーンマン少将は登場しない。  面白いことに、By May the 10th / But Richmond had fell のところは、I made an atempt / But Richmond had fell となっている。邦訳も「ぼくは試みたが、リッチモンドは倒れてしまった」と、これまたおかしなことになってしまっている。
 南北戦争の事を念頭に置けば、リッチモンドが南部連合の首都であり、 そのリッチモンド陥落を示唆していることは明確だ。
 この "atempt" という表記は、日本独自らしく、アメリカの解説サイトなどで、「日本の軽率な間違い解釈」などと言われていた。

 私が持っている、書き起こし歌詞のあるアルバムとしては、最後に来るのが「ザ・ラスト・ワルツ」の、4枚組バージョンで、たしか2002年に発売さえたのだと思う。  ここでは、"Stoneman's cavalry" ストーンマン少将の騎兵が登場。さらに、By May the 10th / But Richmond had fell に戻っている。おそらく、これが決定版と考えて良いだろう。リヴォンの歌い方も、これが最もしっくりくる。



 アメリカなどの解説サイトでも問題になっているのは、やはり日付の問題だ。
 リッチモンドが陥落するのは正確には、1865年4月3日。4月9日に南軍のリーが、北軍のグラントに投降して、南北の戦闘はひとまず終結したことになっている。
 ロビー・ロバートソンが、この史実を踏まえていたのかどうか、とにかく日付に関しては、「5月10日までにリッチモンドは陥落してしまった」となっている。
 これに関しては二つの解釈が成り立つだろう。

 ひとつは、ロビーの勘違い。南部連合国大統領デイヴィスは、リッチモンド陥落後、他に逃れたため、逮捕されたのは翌月の5月10日だったのだ。このため、ロビーがデイヴィスの逮捕と、リッチモンド陥落を混同した可能性がある。
 もう一つの解釈は、意図的というもの。1865年は、リンカーンが4月14日に銃撃され、翌15日に死亡している。つまり、この時期はいろいろ立て込んでいるのである。ダンヴィル鉄道の一職員に過ぎず、飢えをしのいで冬を過ごしたヴァージル・ケインには、正確な情報が手に入らず、リッチモンド陥落の正確な日も分かっていないとしたら、とりあえず彼が「By May the 10th / 5月10までには」と曖昧表現するのも不自然ではないだろう。

 ともあれ、ジョーン・バエズなどが「書いてなかったから」と言って、異なる歌詞を用いた理由のひとつは、もしかしたらこの日付問題を避ける為だったかもしれない。

 面白いことに、曖昧どころか、「本当に日付が誤っている」カバーが存在する。ジェリー・ガルシアによる、このバージョン。(ピアノは、ニッキー・ホプキンス!)



 さすが、ジェリー・ガルシア。ものすごく味わい深く、格好良い。だが、ばっちり ON May 10th と歌っており、これだと「5月10日にリッチモンドが陥落した」になってしまう。

 まぁ、結局はあまり細部にこだわりすぎる必要もないし、この曲の素晴らしさは細部を超越している。それでも、歴史好きとしては、ちょっと気になる曲ではある。

The Live Anthology Coming Soon !2009/09/04 23:37

 9月9日を目前にして、ビートルズのモノ・ボックス,アメリカ製輸入盤の、日本のショッピングサイトでの入手が、アヤシゲになってきたという話題を目にした。
 私などは、アメリカ製を手に入れるなら、最初からアメリカのアマゾンなどで、購入すればよいのではないかと思う。レートとキャンペーンによっては、送料を払っても日本のショッピングサイトよりも安くなることがあるからだ。
 しかし、アメリカのアマゾンでモノ・ボックスを確認すると、これまた確保についてアヤシゲな雰囲気が漂っていた。
 ともあれ、私には関係がない。モノ・ボックスには興味がないので。

 そんな盛り上がりに欠ける私のもとに、TP&HBのオフィシャルサイトから、メールが届いた。
 かねてから噂になっていた、ライブ・アルバム・セットの発売が公式に発表されたのである。早速、公式ページへGo!  なんだかトップページが、動画で格好良いことになっている。しかもマイクが「ギターを抱いて寝る」をやらかしている。

 ライブ・アルバム・セットのタイトルは、[The Live Anthology] ひねりなし!まだ発売日は決まっていないようだ。
 しかし、アートワークの格好良さにはやられてしまった。30周年プロジェクトあたりから、TP&HB関連のアートワークは、ポップでワイルドで、クールで、非常に素晴らしい。



 セット内容は、デラックス版の場合5枚組CDに62曲、78年のライブや、ワイルドフラーズの頃のドキュメンタリーDVD、76年のオフィシャルブートレグ…ほかにも色々。まだ詳細は決まり切っていないようだ。
 さらに、良く分からないのだが、ネット配信も大々的に行われる模様。難しいことは分からないので、日本の神ファンサイト様の、解説を待つことにする。他力築地本願寺。

 それにしても、なんて豪華な!内容が凄すぎて熱が出そう。76年とか、78年なんて、若い!若過ぎる!トムさん、姫だよ!マイク、やせっぽちのシャイな男前だよ!ベンモントはお坊ちゃま君炸裂だ!
 さすが、TP&HB。ドカンをものすごい物を打ち出してくれそうだ。

 以前にも、こういうパターンがあった。即ち、95年。ビートルズの「アンソロジー」と、TP&HBの「プレイバック」が同時期になった折り。
 ドキュメンタリーはともかく、私はビートルズの「アンソロジー」CDに関しては不満だらけだった。実際、ほとんど聴いていない。一方、TP&HBの「プレイバック」の内容の素晴らしさが、対照的に眩しかった。
 どうも今回も、このパターンにはまってしまいそうな気がする。

 あまりにも嬉しいので、がんばってCool Dry Placeに、「カントム」の"Wildflowers" をアップした。
 もっとも、翻訳はずいぶん前に出来上がっていて、サイトにアップするのを怠っていただけだが。

 脈絡なく話は飛ぶ。
 漫才コンビの一方が新型インフルエンザに感染したら、翌日には相方も感染が判明したという話。これで行くと、やはりトムさんが発症したら、またたくまにマイクとか、バグズにも感染するのだろうか。
 ベンモントはよそ様へ行ってて、無事っぽいけど。

Die nacht schoot Daan een Duitser dood2009/09/07 22:08

 名曲 "The Night They Drove Old Dixie Down" が好きなので、カバー・バージョンを物色したことがある。
 ある時、英語ではないカバーを発見した。タイトルは、"Die nacht schoot Daan een Duitser dood"

 私はとっさに、ドイツ語だと思った。Die Nacht で、瞬時にそう判断したのだ。ドイツ語なら、「キムラ・サガラ」の辞書がある。なんとか自分で翻訳できないだろうかと、さっそく奮闘したのだが…

Ome Daan is de naam
Jongs af aan oorlogsveteraan
Brigade Alphen en Chaam
Met opdracht terug te slaan
Ja, de winter van 4 op 5, kneep de honger
het lef uit je lijf
De tiende mei hij was erbij
Ome Daan, zag de vijand, legde aan

(Chorus)
Die nacht schoot Daan een Duitser dood
Op zijn kop gesprongen
Die nacht schoot Daan een Duitser dood
Onze jongens die zongen, zo van:
La, La, La, La, La, La,

Een week later zat ie weer thuis
Willemien ver over zee
Daantje, hé kom mee
‘t Verzet, NSB Nee
Nog ieder jaar de vierde mei
Ja dan haalt Daan zijn medailles erbij
Vergeven oké
Maar vergeten dus niet
De jeugd moet weten
Hoe hij haast het leven liet

(Chorus)

Ouwe taaie in Bronbeek
Dood ligt op de loer
Hij ziet een documentaire
Een mof herdenkt zijn broer
Die was net achttien, stoer en strak
Maar een kaaskop schoot ‘m van het dak
Dan het detail: Alphen en Chaem
En Ome Daan zijn heldendaad
Krijgt een jongensnaam

(Chorus)

 どうも様子がおかしい。ドイツ語特有のウムラウト(変母音の記号)がないし、どうもウナギっぽい言葉(aa とか ee とか…)が多すぎる。
 そこで、アーチスト,Jacob Klaasseから確認してみると、どうやらオランダ語らしいのだ。

 方向転換。さっそく最寄の図書館に行き、一冊だけある蘭日辞典を引っ張り出した。そして一つ一つの単語を調べた。
 分かったのは、このカバーの詞はオリジナル英語の翻訳ではないということ。題材は南北戦争ではなく、第二次世界大戦であること。大戦で戦った誰かの話、ドイツ兵が出てくる、どうやらドイツ兵が死ぬらしい…

 これだけの材料で翻訳するのはさすがに無理なので、次にオランダ人を探すことにする。
 オランダ人…どこに居るんだろう。さまよえるオランダ人(←偏見)。でも、その辺にはさまよっていない。そこで、私が通う英会話教室をあたることにした。一対一のレッスン形式なのだが、インストラクターは母国語が英語ではない人も沢山いる。私としては、その辺りが面白いと思っている。
 いくつかの教室があるのだが、私が普段通っている職場と地元近くの教室には、オランダ人が居ない。私が行ける範囲では、2か所にのみオランダ人が居ることをつきとめた。

 そこで、その一人であるオランダ人英語インストラクターを予約し、この歌詞と調べ上げた単語を持ってレッスンに臨んだ。インストラクターに事情を説明すると、大爆笑された。そりゃ、英会話のレッスンにオランダ語を持ちこむとは、ヘンテコな生徒としか言いようがない。
 もちろん、本来は英語のレッスンである。基本的に英語で会話しながら、オランダ語の歌詞を解読する。かなり大変なことになったが、とにかく40分ほどのレッスンで、歌詞のだいたいの所は分かったような気がする。その内容については、次の記事にて。

(つづく)

ダーンがドイツ兵を撃ち殺した夜2009/09/08 21:18

 前記事で紹介した、オランダ版 "The Night They Drove Old Dixie Down" を、紆余曲折の末、なんとか翻訳したので、紹介してみることにする。

Die nacht schoot Daan een Duitser dood (Jacob Klaasse)

オーメ・ダーンがその名前
彼は若くしてベテラン軍人だった
アルファン・チャーム連隊で(敵の)物資を押し返してやっていた
1944年から45年にかけての冬
空腹だったけど、勇気を振り絞って生きていた
5月10日、ダーンおじさんは敵が自分に狙いを定めているのに出くわした

(Chorus)
ダーンがドイツ兵を撃ち殺した夜
彼は敵の頭に飛びかかった
ダーンがドイツ兵を撃ち殺した夜
若者はみんな歌っていた
La, la, la, la, la,...

1週間後、彼はまた家に帰ってきた
ウィルヘルミナは海の向こう
「なぁ、ダーン行こうぜ NSBにノー!を突きつけるんだ」
それからも毎年5月4日になると
ダーンは勲章を持ち出して、こう言った
許すのはそれで良い、でも決して忘れない
若者たちは、死にかけるって事がどんなものか、知るべきなんだ

(Chorus)

ブロンビークでは死に損なった
死はそこらで待ち伏せていたのに
ある日ダーンがドキュメンタリーを見ていたら
ドイツ人が思い出話をしていた
彼の弟は18歳の良い奴ではりきっていた
その弟は、屋根の上でオランダ野郎に撃ち殺されてしまった
それは、アルファン・チャーム連隊だったという
ダーンは英雄的ではあったけど
あの少年兵の名前さえ知らなかったんだ

(Chorus)


 ダーンというのは、どうやらオランダ人の名前らしい。おじさんと呼ばれている、ベテランの(退役という意味ではなく)兵士の話らしい。
 1944年から45年の冬と言えば、第二次世界大戦も大詰めで、飢えに苦しんだわけだ。

 その次に登場する日付5月10日は、年代が遡る。1940年5月10日、ナチス・ドイツはオランダに電撃攻撃を仕掛けた。その結果、オランダは降伏。ナチス・ドイツによるオランダ占領が始まる。
 この電撃作戦の日、ダーンは一人のドイツ兵を殺したのだ。

 オランダが降伏してしまったので、ダーンはひとまず故郷に帰ってくる。
 「海の向こうのウィルヘルミナ」とは、イギリスに亡命した当時の女王のこと。彼女は現女王ベアトリクスの祖母である。
 ダーンは、政治活動で抵抗を試みる。NSBとは、オランダ・ファシスト党のこと。

 戦後、5月4日になると毎年ダーンは勲章を見せて、戦争の話をする。1945年の5月4日ごろは、ナチス・ドイツの終末期。オランダにとって、特別な日なのかどうかは、はっきりしない。

 とにかく、大戦を生き延びたダーンは、戦後のある日、ドキュメンタリーを目にする。  ダーンが殺したドイツ兵の兄が現れて、そのダーンが殺したドイツ兵が、18歳だったことを知る。ダーンは英雄だったけど、その相手の名前さえ知らなかった・・・という、皮肉で締めくくっているようだ。

 ここまで、なんとか翻訳っぽいことをしてみたが、やはりアヤシゲ。おそらく所々間違っているだろう。
 ともあれ、ザ・バンドの南北戦争の曲が、オランダで第二次世界大戦の曲になっているのが、面白かった。
 この曲は、iTunesでも手に入る。演奏そのものも、シンプルでなかなか良いので、おすすめだ。

ビートルズがやって来た ヤァ!ヤァ!ヤァ!2009/09/10 23:39

 昨日帰宅すると、HMVからビートルズのリマスター・ボックス(ステレオ)が届いていた。

 開封してみて、予想はしていたものの、やはり大仰な箱にまずウンザリしてしまった。帯ジャマ。外枠ジャマ。箱本体は大袈裟で、しかも扱いにくい。アルバム一つ一つが取り出しにくい。一体どういうつもりなんだろう。聴いてほしくないのだろうか。
 箱の廃棄を本気で考え始める(映画 "Help !" の箱も本気で捨てようと思っている)。

 しかし、中身のアルバム一つ一つは、なかなか良い感じ。写真もきれいで、容姿というビートルズの強みを最大限に生かしている。
 そして、やはり目につくのはジョージの美男子ぶりだ。

 ボーナスとしてついていたドキュメンタリーは、無くても別にかまわない内容だった。アンソロジーを、アルバム紹介に特化して、ダイジェストにしたような内容。新機軸も新鮮味も特になし。ただ、これからビートルズに親しむ人には、入門編として悪くないかもしれない。とにかく、私にとっては別にどうというほどでもなかった。
 ただ一つ、良かったこと。ジョンの二番目の奥さんが、映りこみこそすれ、ほぼスルーされていた。うん、そういう爽やかなビートルズっていうのも、幻想かもしれないけど良いよね。ジョージとポールの公開喧嘩も無いし。

 さて、肝心の音。
 やはり、感想はひとことで言って、「音がきれい。」クリアな音で良いと思う。
 かと言って、「今までは聞こえなかった音が聞こえて、新たな発見が!」…などというのは、大袈裟だろう。別に今までになかった音を追加した訳ではないのだから、今までだって耳には届いていたはずだ。陳列ケースの中の美術品に例えるなら、旧版はやや透明度の劣るガラス越しに見ていたものが、より透明なガラスを通して見る事ができるようになった。さりとて、旧版も色ガラスだったわけではない。
 もし、以前は「聞こえていなかった」としたら、それはかなり迂闊な聞き方だろう。さすがに私にとって、もっとも愛聴キャリアの長いアーチストなのだから、新発見をするほど耳がウブではない。
 ただ、何となく聞いていた音が、強調されているという表現はできる。読みなれた文章の字が大きくなり、一部は太字で強調されたようなものか。
 とにかく、これからのリスナーは、この綺麗な音で聴くことができる。大変結構なことだ。

 色々立て込んでいて、すべてをiPodに入れることはできず、とりあえずお気に入りのアルバムから聴くことにした。
 私のお気に入り。一番は、[Revolver], [Rubber Soul], [with the beatles], [Beatles for Sale]

 [Revolver], [Rubber Soul] を聴いていた時は気付かなかったのだが、[with the beatles], [Beatles for Sale] を聴いて、私は大きな失敗をしたことに気づいた。モノ・ボックスを買わなければいけなかったのだ!
 やっぱりビートルズの呪いだ!TP&HBのライブ・アンソロジーに心を奪われ、投げやりな注文をした報いがここに…!

 オーディオとか、音質とかには全く無頓着と言いつつ、これまでモノラルに慣れていた物を、ステレオで聴くことがこれほどキツイものだとは、思わなかったのだ。
 普通のスピーカーで聴く限りは、ステレオでもあまり気にならない。しかし、私は音楽の大部分をヘッドホンで聴いている。ヘッドホンで、モノラルに慣れていた音楽を、ステレオに「分離した状態」で聴くと、色々と気になって疲れてしまう。
 これは、ステレオとモノラルの、優劣の問題ではない。私の音楽の「聞き方」と、それまでの「慣れ」の問題だ。

 私の場合、ビートルズのアルバム1st~4th は、モノラルに慣れていた。たとえば、[with the beatles] の"Little child" などが顕著に分かる例なのだが、今回のステレオ化によって、ハーモニカの音がかなりぶっきら棒な様子で左から右に飛んでしまう。
 ボーカルも分離できないので、右耳に偏って気になる。
 したがって、ヘッドホンを聴く場合のためには、モノラルが必要なのだ…!

 こうなると、私にとって理想的なリマスターの買い方は、現実には不可能ということになる。つまり、すべてをバラで、それぞれのアルバムを、慣れた旧版の方式(ステレオ or モノ)で買いそろえる、と言うやり方だ。
 現状で、もっとも近いのは「モノ・ボックス」を買って、これに含まれていないアルバムをバラのステレオで買い足すことだが、[Revolver] や、[Rubber Soul] はもともとステレオに慣れているので、どうも上手くいかない。

 結局、急遽アメリカのアマゾンから、モノ・ボックスを購入してしまった。22,810円の追加出費なり。やれやれ。
 こうなると、ますます「ステレオ・ボックス」の、箱廃棄が決定的になりそうだ。

ポン!とジョール2009/09/12 21:24

 9月11日24時過ぎから、ビートルズ関係のテレビ番組が続いた。

 NHKが放映したドキュメンタリーは、リマスター・ボックスを持っている人には不要の内容と思われたので、録画だけして、寝てしまった。
 一方、タモリ倶楽部の「リマスターを聞き比べよう!企画」は断然面白そうなので、オンタイムで見つつ、録画もした。
 案の定、ドキュメンタリーよりも余程面白かった。終始大爆笑(終始無言・・・は、空耳)。そもそも、私はタモリ倶楽部が大好きなのだ・・・

 まず、「ポンとジョール」で掴みは完璧。ポンとジョール・・・ポール、ジョンの事ばっかりコメントするのなら、いっそ名前をポンにしちゃえば良いのに。
 萩原健太さんは、本格的に関取と化している。大丈夫なのだろうか。

 いつもは「興味ないんですけど」が、その役割のおぎやはぎだが、小木のマニアっぷりにおののいてしまった。聴き比べよりも、「小木のベトス10」の方が面白かったではないか。
 小木の趣味は、やや軟弱系か(私が音楽に対して使う「軟弱」は必ずしも悪い意味だけではない)。しかし、"Yesterday", "Let It Be" などを挙げないところが、マニアっぽい。
 小木と矢作が、夜中にドライブしているときに、「なんばないーん なんばないーん」が怖かった・・・というエピソードがあった。待ってくれ、男子二人でどうしてドライブなの?・・・と思ったら、このコンビは異常なほど仲が良いことで有名だそうだ。

 今回のリマスターでの、新発見。"You got to hide your love away" の邦題を、私は「悲しみぶっとばせ」だと長年思いこんでいた。しかし、小木の第2位で「悲しみぶっとばせ」であることを知った。
 べつにリマスター新発見でもないか。

 空耳アワーでも、ビートルズ関係者登場。
 私が「メアリー・ホプキン」だと思いこんでいた彼女の名前は、正しくは「メアリー・ホプキン Mary Hopkin」だった。
 一方、Nicky Hopkins, Anthony Hopkins, Stanley Hopkins(注*) らは "S" のつく人で、厳密な発音は「ホプキン hop-kinz」と、濁るらしい。

 私がアメリカのアマゾンで購入したモノ・ボックスは、到着までかなり時間がかかりそうだ。それまで、[Beatles for Sale] までの4アルバムはお預け。
 せめて、iTunesでモノ・バージョンが購入できれば良いのだが・・・アップルとの調整は間に合わなかったのか。残念。
 ほんと、モノラルはへッドホン用にのみ必要なんだけどね。

 「盛り上がっていない」などと言っていた私だが、斯様に多少は盛り上がっているらしい。
 しかし、PCは壊れた。困ったものだ。Winユーザーとしては、今は買うタイミングではないし。修理完了はいつになるやら。やれやれ。
 こういう時こそ、ポメラ・パワー全開で翻訳を進めるか。

*注:スタンリー・ホプキンズ
 コナン・ドイルの小説,シャーロック・ホームズ・シリーズに登場する刑事。ロード街に住んでいる。

g - moll Sonata2009/09/15 22:01

 PCが本格的に壊れ、長い入院生活に入ってしまったため、記事の編集に限界がある。南北戦争の記事は、おそらくしばらくお預けになるだろう。
 ああ、もう…チャンセラーズヴィル、さっさと書いてしまえばよかった…!

 よほど面白かったので、タモリ倶楽部を引きずっている。
 タモリ倶楽部では、独特のやり方で音楽を使う。ナレーションが「ルールを説明しよう!」と言うと、バックには「夜明けのスキャット」ル~ル~ルル~♪…という具合。要するに、駄洒落で選曲されているのだ。
 「ルール」はまだ簡単な方で、聞いただけではその駄洒落の本意が何なのか、解らないケースが多々ある。

 先日の、ビートルズ・リマスター特集の時。聞き比べで "Taxman" のBGMに、カタカタ言う音と、派手なクラシック音楽が流れた。
 カタカタ言っていたのは、タップダンスのステップ音。クラシックは、シューマンのピアノ協奏曲の冒頭だった。私はしばらく考え込んでしまった。これのどこが "Taxman" なのか…?
 あくまでも、選曲基準は駄洒落だ。タップダンス、タップ、タップ…シューマン…、タップシューマン…タップスーマン…タックスマン!解けた…(脱力)。
 ドイツ・ロマン派を代表する大作曲家ロベルト・シューマンも(1810~1856)、まさか自分の大名曲が、こんな駄洒落に使われるとは思いもしなかっただろう。

 シューマンは1810年生まれ。来年、生誕200周年を迎える。普通なら、彼一人分で大騒ぎになるのだが、幸か不幸か彼はあのショパンとタメ歳なのだ(ショパンの生年は諸説あるが、一般的には1810年となっている)。おそらく、お祭り騒ぎ的にはショパンが勝つだろう。
 シューマンというのは、なかなか面白い人物だ。前時代とは違って、家業として音楽を継いだのではなく、法学を大学で学びつつも音楽への情熱を捨てきれずに作曲家になった。
 当初ピアニストを目指して猛練習をしたが、手を傷めて断念。この手を傷めるほどの練習というのが、「ピアノ上達装置」のような器具のせいだという話もあるのだから、かなり困った男だ。装置やらギプスやら、重りやらでピアノが上達したなんて実例、見た事も聴いたこともない。
 師事したピアノ教師の娘クララ(これまた著名なピアニスト,作曲家)との大恋愛と、結婚も有名。
 さらに、作曲活動のみならず、文章力を駆使した評論活動や、出版、先人の研究、若い才能の発掘と紹介、劇場の音楽監督など、実に多彩な活動を展開した。その近代的な活躍っぷりが私の共感を呼ぶのだが、惜しいことに早くから病魔に犯され、その早い晩年は暗い影に覆われている。

 どうしてここでシューマンについて突っ込んだ記述をしたかというと、私自身が今、彼にお世話になっているからだ。年末のピアノの演奏会に、シューマンのピアノ・ソナタ,ト短調(Op.22)を選んだのだ。
 通称、「ゲーモール・ソナタ g-moll Sonata」。この通称も格好良いし、曲想もかなり格好良い。暗くて、ロマンチックで、ぶっきらぼう。私の実力には余る大曲で、譜読みの時点ですでにへこたれている。ゴールが見えない。どうなることやら。

 ウィキペディアを見てみると、この曲で単独の項目が立っていた。一般的には有名とは言いかねる曲なのにどうしてだろうかと思ったら、人気漫画「のだめカンタービレ」に登場するとのこと。なるほど。
 私はこの漫画やドラマを(ほとんど)見た事がない。「のだめ」の影響による選曲だと思われるのは、ちょっと嫌かも。

別バージョン2009/09/19 21:58


 ビートルズは攻めてくるわ、PCは壊れるわのてんてこ舞いで、すっかりベンモントの誕生日(9月7日)を忘れていた。ごめん、おめでとう。愛してる(おざなり)。
 ま、慣れてるよね。トムさんとマイクはいつも、二人で勝手になんか始めて、置いてけぼりを食らわせるし。…関係ないか。

 1987年10月、ロンドン。有名なトムさんの誕生日パーティ写真は、すでに複数のメディアに登場しているので有名だが、これを旧版とする。そして、別バージョンを発見した。
 これまで見ていた旧版は、ディラン様、ベンモント、トムさん、ロジャー・マッグイン、ジェフ・リン、ジョージ、そしてディランのローディが写っていたが、この別バージョンは、ローディさんの代わりにマイクが写っている。やっぱり、マイクとローディさんが交代で撮影したんだ…。

 可愛い、可愛い、みなさん可愛くて最高です!
 ディラン様、半分です!そうか、あの中途半端な表情の旧版も、半分よりはマシなんだ!トムさんの笑顔はこの別バージョンの方が良いのに、旧版のほうが公表されているということは、ディラン様に配慮していたんだ!泣けるなぁ。
 ジョージが持ってる写真は何だろう。同じ場で取った写真だろうか。
 ベンモント、そのピースサインは…。日本人の小学生か。しかもその格好良く斜めになったか角度はどうよ。(…と思ったら、画像が小さくてよく見えない。PC故障中で、編集がうまくできなくて。いずれ、もう少し大きい画像に差し替えたい…)

 マイク!ひどい顔してる。大丈夫だよ、その位置でもちゃんと写ってるから。でも、良かったね。大好きな仲間と、大尊敬するジョージをはじめとするビッッグ・ネームと記念撮影できて。
 表面積が一番広いのは、ジェフ・リンなのでした。

 結局、ベンモントのではなくて、トムさんの誕生日の話になってしまった。

愛蘭土紀行2009/09/22 23:41

 私が好きな作家は、司馬遼太郎。これは揺ぎ無い。
 純粋に作家として、好きなのだ。小説はとにかく面白い。
 没後は「司馬史観」なる言葉が使われ、なにやら思想家か何かのような扱いをされているが、私の感覚には馴染まない。某有名アニメ製作会社が、監督と司馬遼太郎の座談会で、意見が合ったということを、ことさら強調していたことがあって、心がしらける思いがした。
 とにかくひたすら、作家としてファンなのだ。あの表現力の凄さ、的確な情報の論述には圧倒され続けている。

 好きな作品トップ3は、「坂の上の雲」,「燃えよ剣」,「項羽と劉邦」。そのほか、戦国もの、幕末物、エッセイなども好きだ。
 (ただし、「竜馬がゆく」だけは読むまいと心に決めている。私はもともと、坂本龍馬という人物が特に好きだというわけではない。むしろ、世間一般に人気がありすぎて、敬遠している向きがある。それでも司馬遼太郎で龍馬を読めば、好きになってしまうに決まっている。それを避けるために、読まないことにしている。)

 中でも、「坂の上の雲」の好きさ加減は尋常ではない。最初に読んだ時は、あまりの面白さに中断できなくなり、仕事中にトイレで読んだりしていた。読了後はあまりの衝撃に、この作品は目に毒だと考え、しばらく読むことを自ら禁じた。
 また読み始めた時は、2度、3度の連続読みなどを繰り返している。
 そこまで偏愛しているので、この秋にドラマ化と聞いて「やめろ念力」を本気で送った。もっとも、私の念力など無力で、ドラマは放映される。怒りが収まらないが、見ないというわけにも行くまい。
 (そもそも、淳が「学問がしとうございます!」なんて熱く語って、両親の前に手をつく訳ないだろ!もっと生ぬる~く行かなきゃ。しかも、お律さんの出番増えてるし。あの控えめな出方が良いのに!!イカン!あのラストシーンとか、淳と会う方向に改竄したら今度こそハレ・クリシュナの大鉄槌を食らわしてやる!児玉さんはもっと小柄でなきゃだめだ!田中と津野田を無視したら呪う!etc...エンドレス)
 
 さて。
 司馬遼太郎の紀行文シリーズに、「街道をゆく」がある。1978年から始まり、司馬遼太郎の死(1996年)まで続いた。
 紀行文といっても、まともな紀行文だと思って読んではいけない。むしろ、「歴史だべり」だと思った方が良い。
 司馬遼太郎が、興味のある国内外各地に出かけて行き、そこで感じた諸々を記したエッセイである。つまり、歴史の話をとめどもなく書き連ねたわけで、歴史好き(私)には面白く、紀行文を期待した人には大はずればかりなのだ。

 シリーズ30巻、31巻は、「愛蘭土紀行」。アイルランドを旅している。面白いのは、アイルランドに行くにあたって、まずはイングランドのロンドンと、リヴァプールを経由していることだ。司馬遼太郎自身が、そういうルートを取りたいと、是非に願った。
 無論、リヴァプールはアイルランドとの交流の地であり、さらに大量のアイルランド移民の町だという要因が強い。同時に、司馬遼太郎は「ビートルズの故郷」と記し、リヴァプールを語る上で重要な要素として取り上げている。



 もっとも、司馬遼太郎自身は音楽に興味がない。確かに、彼の他の作品を読んでいても、音楽に関する記述は非常に少ない。
 彼が賢明なのは、音楽が苦手な以上、ビートルズを聴いてどうこういう批評はしていないところだ。興味もないのに、わかったような顔で音楽を聴き、どうにもならない感想を記録するという愚は、ビートルズ来日の時に複数の文士が犯している。
 司馬遼太郎は、ビートルズの音楽は聴かず、彼らに関する本を読んでいる。1987年ごろの話なので、まだそれらの本の内容も、怪しいところが多かっただろう。「作曲はポール、作詞はジョン」などという、今思うと凄まじい記述など、普通にあった頃ではないだろうか。
 ともあれ、司馬遼太郎は物事の本質を掴み取っている。

 そういう本のなかで、往年のビートルズ四人組の写真をみた。さすがの音痴でさえ、
(ああ、かれらか)
 と、なつかしくおもった。
 どの顔も十代の少年のかがやきと清らかさと利かん気と不敵さを残している。


 これほど、あの四人の容姿を的確に記述した文章があるだろうか。
 特に、「清らかさ」と表現するところが、司馬遼太郎らしい。一種の狂気を含んだような清らかさ ― 「燃えよ剣」に登場する沖田総司などの描かれ方に似ている。

   この紀行文では、ビートルズがアイルランド移民の子孫であることに注目しており、彼らの精神にアイルランドを見出しているのだ。
 「四人中、三人」がアイルランド系としているが、ここはよく解らない。確かに、レノンとマッカートニーはアイルランド系の名前だ。どうやら、あと一人はリンゴを想定しているようだが、ジョージもアイルランド移民の子孫であることが、彼の述懐からも、そして容姿からも読み取ることが出来る。
 司馬遼太郎が参照した本の内容に、少し怪しいところがあるせいで、ところどころ首をかしげるところもあるが、小さいことだ。ビートルズと、司馬遼太郎、もしくは歴史が好きであれば、一読の価値がある。

上野の華2009/09/26 22:57


 世界にその名をとどろかす最高のブリティッシュ・コメディ・グループ、モンティ・パイソン。私は当然、大ファンである。
 パイソン結成が1969年。今年はその結成40周年にあたる。これを記念して、「したまちコメディ映画際 in 台東」の一企画として、9月24日に東京国立博物館平成館にて、パイソン特集「コメディ特別講義 祝モンティ・パイソン結成40周年!空飛ぶBBC帝国」が開かれた。どういう手を使ったのか、私も参上したというわけ。

 「フライング・サーカス」の最初のエピソードと、マイケル・ペイリン作品の「リッピング・ヤーン」を鑑賞。それからゲストを交えてのトークだったのだが、ややテンションが低い。もっとマニアックに盛り上がりようがあると思うのだが…進行役が朴訥としていたからだろうか。ともあれ、「自転車修理マン」や、「チーズ・ショップ」なども鑑賞して、会場のみなさんと一緒に大笑いできただけで満足。
 休憩をはさんで、後半は最近のBBCコメディ作品の紹介だったのだが、ここで判明したのが、時間がひどく押していたということ。休憩時間はろくに取られずに後半が始まり、「最近のBBC作品の紹介」のトークは皆無。せっかく、現在を代表する「リトル・ブリテン」と、若者の間で、「クールでパンクな作品」としてある種の熱狂を巻き起こした「ザ・マイティ・ブーシュ」の紹介だったのに。特に後者は、本邦初公開。私はブーシュの大ファンであり、この企画に非常に期待していたので、ちょっと拍子抜けてしまった。
 まぁ、あのブーシュが日本の公衆の面前で公開されただけでも、良しとするか。

 長くなったが、コメディの話はここまで。
 帰りに、初めて上野のハードロック・カフェに行った。上野は普段の行動範囲に入っていないので、縁がなかったのだ。
 オーダーをすると、店員のお兄さんに確認。トムさんのギターの位置は、店内のほぼ中央、カウンターと向き合った柱に、人の身の丈ほどの高さで展示されている。かなり良い場所なので、お宝ランク的にも、上位のようだ。
 
 私は音楽好きなわりに、あまり楽器の細かい情報には詳しくない。これもフェンダーのテレキャスターであることくらいは、普通にわかるだけ。ただ、たしか [Long After Dark] で、トムさんが愛らしく掲げてて、微笑んでいるギターこそが、このテレキャス。と、すればかなり華やかな存在だ。
 ただし、トムさんがこのギターを弾いている絵が、ピンと来ない。80年代前半には弾いている映像があるのだろうか。探したいが、目下PCは機能の限られた借り物で、しかもネット通信の具合が非常に悪くて、なんとも出来ないでいる。
 このテレキャスの来歴など、日本の神ファン・サイトさん(当ブログのカテゴリー,「リンク」参照)で調べたいが、それさえも出来ない。TP&HB待望のライブ・アルバムだの、Surper Highwayだのが控えているのに、これでは何もできないではないか。
 PCの復活もいつになるのか検討もつかない現状、せめてトムさんのギター現物で慰めを得ようとしている。