What Becomes of the Brokenhearted ― 2012/09/05 22:34
最近、モータウン・ミュージックにはまっている。
そもそも、ジョージ・ハリスンがスモーキー・ロビンソンの大ファンということで、せめてスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズくらいは聴こうかとは思っていたし、そのベスト版くらいは購入していた。
その程度の認識だったのに、ここに来て、DVDこそ2タイトルにとどまっているものの、CDは10枚以上買い込むに至り、まだまだ買う気でいるのは、2012年7月15日の記事 Martin Freeman Goes to Motownのせいだ。
その詳細はそのうちまた、記事にするとして…
最近、特にヘヴィ・ローテーションで聴いているのが、映画「永遠のモータウン Standing in the shadow of Motown」のライブシーンに登場,サウンドトラックにも収録された、"What Becomes of the Brokenhearted" 、歌はジョーン・オズボーン,バンドはザ・ファンクブラザーズである。
最初にこのシーンを映画で見たときは、衝撃的なほど鳥肌が立った。良いとか、素晴らしいとかではない。凄まじい曲の良さ、凄まじい熱唱ぶり、凄まじいパフォーマンスの迫力に圧倒された。
歌詞の内容が、ひどく悲しいのも良い。私は悲しい音楽が好きだ。最初は比較的淡々と歌い進んでいたジョーンだが、しだいに切羽詰まったような、絶唱になってゆく。それに無理がなくて、余裕があるのに、聴く方には余裕を与えない、胸がいっぱいになる、感動することしかできなくなる ―
私は、ジョージの "Isn't it a pity" や、TP&HBの "Echo" のような、切なさがどんどん重なって、押しつぶされそうなくらい悲しくて、そのくせ力強くて感動的な曲に弱い。
不思議なことに、この曲の構造はやや中途半端だ。しっかりとした「構成」が好きな私にしてみると、サビは二小節か四小節足りないように思える。そこを、かなり微妙な転調で無理に終わらせている感があるのだ。
しかし、この宙ぶらりんな感じを、逆に先へ進めてゆく ― 前につんのめらせるような推進力にしている。不安定な転調もおなじ働きをしているのだろう。ジョーンとファンク・ブラザーズの演奏は、その推進力を目一杯使い、最後にコーダを引き延ばし、壮大に締めくくるところが、最高に格好良い。
オリジナルは、1966年のジミー・ラフィン。もちろん、良いと思う…が、先にジョーン・オズボーンを聴いてしまうと物足りない。
本来は、オリジナルの薄味な演奏の方が良いのかも知れない。しかし、基本的にロックの切なさやその上でのダイナミックさに慣れている私には、どうしてもジョーンの方が圧倒的に良く思われてしまう。
この曲は多くのカバーバージョンを生み出しているそうだが、YouTubeでいろいろ聴いてみる限り、どれもジョーンには及ばない。ロッド・スチュワートは良い線かもしれないが…ロッドならもっと凄く良くできそうだと思ってしまう。こういう懐メロをサラリと歌っているだけのロッドはどうも退屈だ。
ジョー・コッカーのバージョンもあり、これはかなり期待したのだが、どうも年代的な状況(1998年)もあってか、期待はずれだった。
モータウンにはまったとは言うものの、少なくともジョーン・オズボーンの 、"What Becomes of the Brokenhearted" は、ロック的な耳で聞いているようだ。いや、今更、ロック的な耳以外でポップスを聴くこと自体が、無理なのか。
そもそも、ジョージ・ハリスンがスモーキー・ロビンソンの大ファンということで、せめてスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズくらいは聴こうかとは思っていたし、そのベスト版くらいは購入していた。
その程度の認識だったのに、ここに来て、DVDこそ2タイトルにとどまっているものの、CDは10枚以上買い込むに至り、まだまだ買う気でいるのは、2012年7月15日の記事 Martin Freeman Goes to Motownのせいだ。
その詳細はそのうちまた、記事にするとして…
最近、特にヘヴィ・ローテーションで聴いているのが、映画「永遠のモータウン Standing in the shadow of Motown」のライブシーンに登場,サウンドトラックにも収録された、"What Becomes of the Brokenhearted" 、歌はジョーン・オズボーン,バンドはザ・ファンクブラザーズである。
最初にこのシーンを映画で見たときは、衝撃的なほど鳥肌が立った。良いとか、素晴らしいとかではない。凄まじい曲の良さ、凄まじい熱唱ぶり、凄まじいパフォーマンスの迫力に圧倒された。
歌詞の内容が、ひどく悲しいのも良い。私は悲しい音楽が好きだ。最初は比較的淡々と歌い進んでいたジョーンだが、しだいに切羽詰まったような、絶唱になってゆく。それに無理がなくて、余裕があるのに、聴く方には余裕を与えない、胸がいっぱいになる、感動することしかできなくなる ―
私は、ジョージの "Isn't it a pity" や、TP&HBの "Echo" のような、切なさがどんどん重なって、押しつぶされそうなくらい悲しくて、そのくせ力強くて感動的な曲に弱い。
不思議なことに、この曲の構造はやや中途半端だ。しっかりとした「構成」が好きな私にしてみると、サビは二小節か四小節足りないように思える。そこを、かなり微妙な転調で無理に終わらせている感があるのだ。
しかし、この宙ぶらりんな感じを、逆に先へ進めてゆく ― 前につんのめらせるような推進力にしている。不安定な転調もおなじ働きをしているのだろう。ジョーンとファンク・ブラザーズの演奏は、その推進力を目一杯使い、最後にコーダを引き延ばし、壮大に締めくくるところが、最高に格好良い。
オリジナルは、1966年のジミー・ラフィン。もちろん、良いと思う…が、先にジョーン・オズボーンを聴いてしまうと物足りない。
本来は、オリジナルの薄味な演奏の方が良いのかも知れない。しかし、基本的にロックの切なさやその上でのダイナミックさに慣れている私には、どうしてもジョーンの方が圧倒的に良く思われてしまう。
この曲は多くのカバーバージョンを生み出しているそうだが、YouTubeでいろいろ聴いてみる限り、どれもジョーンには及ばない。ロッド・スチュワートは良い線かもしれないが…ロッドならもっと凄く良くできそうだと思ってしまう。こういう懐メロをサラリと歌っているだけのロッドはどうも退屈だ。
ジョー・コッカーのバージョンもあり、これはかなり期待したのだが、どうも年代的な状況(1998年)もあってか、期待はずれだった。
モータウンにはまったとは言うものの、少なくともジョーン・オズボーンの 、"What Becomes of the Brokenhearted" は、ロック的な耳で聞いているようだ。いや、今更、ロック的な耳以外でポップスを聴くこと自体が、無理なのか。
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