マッドマーチ2009/07/28 23:14

 マッドクラッチ MUDCRUTCH ― 「泥の松葉杖」というのは変なバンド名だが、「泥の行進 MUD MARCH 」というのも、変な言葉だと思う。でも、双方とも実際にあったのだから、仕方がない。

 1862年12月、バーンサイド率いる北軍がフレデリックスバーグで悲惨な目に遭った後、南北両軍はラパハノック川を挟んで対峙した。
 バーサイドは余りにも酷過ぎた結果を挽回しようと、あまり時間をおかずに行動に出た。1863年1月、バーンサイドは軍勢をラパハノック川沿いに上流へと向かわせた。そのうえでラパハノック川を渡り、フレデリックスバーグに布陣する南軍に、側面攻撃を仕掛けるのが、その意図だった。要するに奇襲なのだから、これは素早く行われなければならない。

 時は冬のさなか。南部連合の地とは言え、ヴァージニア州北部で降るとしたら雪のはずだった。ところが、バーンサイドの作戦開始日である1月20日は温かく、雨が多いに降り始めた。車やら、大砲やら、とにかくズルズルと引きずって行く軍勢の移動に、雨は悪条件であることは言うまでもない。地面がひどくぬかるみ、兵士たちは前進どころではなくなった。
 北軍は泥の中で悪戦苦闘、なぜか飲酒も許可されたが、あまり効果があるとは思えない。南軍の斥候が、この泥の中で苦しむ北軍の兵士たちに出くわしたというのだから、すでに奇襲もなにもあったものではない。
 結局、この作戦行動は単に「泥の行進」という、どうしようもない名前を奉られたのみの、無駄骨に終わった。バーンサイドは、全軍をもと居た場所 ― フレデックスバーグのほぼ対岸,ファルマスに戻した。

 戦下手が明白である上に、天にまで見放される。よほどバーンサイドはラパハノック軍のような大軍の司令官には、向いていなかったのだろう。しかもやることの結果がいちいち悲惨なのだから、士気に影響するのは当然だった。
 さらに悪いことに、部下の将官たちもバーンサイドを非難して憚らず、抗命行動まで起こったのだから、軍隊としては「終わっている」。そのバーンサイド攻撃の急先鋒が、ポトマック・第一軍の将官ジョゼフ・フッカーである。彼はかなり強烈な表現で、いかに上司バーンサイドが司令官として不適格かを、リンカーンに訴えた。むろん、バーンサイドも黙ってはおらず、リンカーンへフッカーに関する低評価を書き送った。

 結局、リンカーンはどうしたか。バーンサイドをポトマック軍司令官から解任し、東部戦線へと転じさせた。フレデリックスバーグの敗戦や泥の行進だけならまだしも、軍という組織の大事な指揮系統が崩壊しつつあったのでは、もうバーンサイドに挽回の余地はなかった。
 後釜には、フッカーが据えられた。席次順のせいかもしれない。しかし、軍隊おいて上官の命令に抗する ― 組織にとっての致命傷になるようなタイプの男が、上に行けるとは意外な思いがする。この場合のリンカーンは、「文句を言うのなら、お前やってみろ」という気分だったのかも知れない。

 ポトマック軍司令官に就任したフッカーがまず取りかかったのが、軍組織の立て直しである。その崩壊に一役買ったのだから、当然だろう。さらに、士気の鼓舞にもつとめた。あだ名が「ファイティング・ジョー」だったぐらいだから、フッカー本人の士気も大したものだった。彼は名言を吐いている。

 God have mercy on General Lee, for I will have none.
 神のご加護がリー将軍にあらんことを。私はそのようなものは持ち合わせていないので。


 ところで。
 バーンサイドとフッカーは、性格的には対照的だったが、妙な共通点がある。その名前が、一般名詞化したことだ。
 バーンサイドは、彼の頬髭の形に名を残したのに対し、フッカーはある職業の女性を表す俗語 hooker の語源になったというのである(辞書を見てね)。これは、彼がファルマスの野営地で彼女たちに営業することを許可したことに由来するという。
 この話は広く信じられているようだが、実は hooker の俗語的な用法は、フッカーの名が知られるようになる前から存在していたらしい。フッカーにしてみれば迷惑な話だ。しかし、この伝説が信じられるという事実が、彼の業績に対する冷徹な評価になっているのかも知れない。

 私はhookerという言葉が現在でも俗語的な意味で用いられているのかどうか、皆目見当がつかなかった。おいそれと英会話の先生に訊くわけにもいかない。
 しかしある日、某スーパースターの元妻に関するゴシップ(もしくは、根拠のない中傷)に、この意味でのhookerが使われているのを目にして、大いに驚いた。