A Pianotuner2025/07/27 15:34

 毎年、真夏になると標高1000メートルほどの保養地に来る。この「夏の家」に、今年は特に長く滞在するので、これを機に放置していたピアノを調律することにした。
 どの程度放置していたかと言うと、最後に調律したのが20年前。普段弾かない上に、夏季限定、そもそもピアノを弾くのはせいぜい私ともう一人くらいなので、いたしかたがない。
 カワイのピアノなのでカワイのホームページから依頼すると、すんなり県庁所在地から調律師さんが来てくれた。
 この「夏の家」のピアノは、私が生まれ初めて弾いたピアノで、母が祖父から買ってもらったものだった。製造年は1965年位で、調律師さん曰く昭和48年ごろに爆発的にピアノが普及する少し手前のものだそうだ。まだまだピアノは超高級品で(いまでもそうだが)、この時代のピアノは木が抜群に良いし、部品も良いものを使っている。60年モノでしかも20年放置されていたにしては状態が良いとのことだった。せっかくなのだから、もっと弾かねばと思う。

 ピアノの調律、調律師というものにはちょっとした憧れがある。ヴァイオリン職人みたいなもので、熟練の技で楽器に命を吹き込む専門性が格好良い。
 母校の音大には別科調律があり、そこ出身の調律師さんも多い。学生時代の選択講義の中に、「ピアノの調律」というものがあって、ちょっとだけ覗いたことがあるが、のっけから私には全くわからないお話で諦めた。要するに数学なのだ。周波数と、平均律、それを割り出す理論の基礎は数学なので、小学生のころから壊滅的に数学が苦手な私には太刀打ちできなかった。

 これまで何人もの調律師さんに仕事を依頼してきたが、女性の調律師さんの割合は低いと思う。ピアノという巨大な楽器の、大きな力張られた弦を調整するので、ある意味力仕事なのだ。やや女性に不利な面があるかもしれない。また、持ち運んでいる仕事道具も大きく、重い。でも、自動車という移動手段もあるし、これからさらに良い道具が開発されて、女性の調律師さんも増えると良いなと思う。
 ちなみに、私は比較的調律師さんの好き嫌いのあるタイプのピアノ・オーナーだ。ピアノは自分の体の延長のようなところがあり、その扱いや接し方に難があると、どうしても一年にたった一回であっても、会いたくないのだ。一番ムリだった調律師さんは、調律後にメッセージカードを残しており、「いつもピアノをかわいがってくださり、ありがとうございます」と書いてあった。私のピアノだ!背筋が震えるほど気持ち悪く、腹が立ったので二度と頼まなかった。

 調律といえば、お気に入りの話がある。
 いまや日本を代表するピアニストの一人である反田恭平さんがロシア留学時代、ピアノはあれど、ろくに調律師がいなかったという(日本は調律師に恵まれているのだ)。ピアノが調子っぱずれで仕方がないので、自分で適当に道具を揃えて、調律の真似事をしてみると、これが意外とうまく行った。すると、周りの学生たちからも調律の依頼が来るようになり、みるみるうちにスケジュールが調律でいっぱいになってしまったという。それで調律のマネごとはやめたそうだ。