George Martin2016/03/09 21:33

 ジョージ・マーティンが亡くなったというニュースを知った。90歳だったとは言え、やはり驚きであり、悲しみだ。安らかでありますように。

 最初にジョージ・マーティンの存在を知ったのは、2時間のドキュメンタリー作品 [The Compleat Beatles]。たしか、邦題は「ビートルズのすべて」だったと思う。1982年のドキュメンタリーを、NHKが後に放映したのだ。ちなみに、原題の綴り, "Compleat" は、ビートルズの綴りに合わせたもの。
 このドキュメンタリーは、[The Beatles Anthology] の2時間バージョンとでも言うべき作品で、コンパクトかつ分かり易く、ビートルズのヒストリーをたどっている。その中に、当時50代後半のジョージ・マーティンがたびたび登場していた。
 私がこのドキュメンタリーを見た頃は、まだビートルズのファンになりたてで、メンバーの顔と名前が一致していなかったのだが、このハンサムな紳士がビートルズに大きく貢献していたことは良く分かった。
 印象的だったのは、その端正な佇まいと、柳生博による吹き替え。「いかんせん、ピートはドラムが下手でした」と言っていたと思う。ドラマーの交代に関して、マーティンは関与していないというのが最近の説のようだが、私の記憶違いだろうか。

 マーティンのビートルズでの仕事と言えば、やはり "Strawberry Fiels Forever" や、"A Day in the Life" などでの大がかりな編曲作業が話題になる。
 しかし、私が一番彼の功績として評価したいのは、酷いデモテープを持ち込んできた、良く分からない少年たちの演奏を聴く気になったことだ。さらにレコードを作り、彼らの自作曲を積極的に採用した。
 クラシック畑で、ピアノとオーボエを演奏し、映画音楽やクラシックの録音を手がけていた彼が、アヤシゲで小生意気な(「あなたのネクタイが気に入りません」)、騒々しいロック少年たちに、すぐさま惚れ込んだというのだ。惚れさせた方も惚れさせた方だし、惚れた方も惚れた方。
 マーティンは小さなレーベルを任されており、ある程度の裁量権があったため、自由に好きなことができたことも、幸いしたのだろう。ともあれ、運命的な勘も同時に働いたに違いない。

 私が特に好きなのは、"Please Please Me" のレコーディング時のエピソードと言われている物だ。
 ジョンとポールが自作の "Please Please Me" がやりたいと(生意気にも)言ったが、それはややスローな、ロイ・オービスン風の曲だった。それが良いとは思わなかったマーテイン ― 彼らは決してロイ・オービスンではないからだ! ― は、アップテンポにすることを提案する。
 そしてレコーディングを終えると、ミキシング・テーブル越しにマーティンが言った。
"Gentlemen, you have just made your first number one record"
 「諸君、最初のナンバー・ワン・レコードが出来たぞ。」



 ストリングスなどのアレンジは、"Eleanor Regby" と "Here Comes the Sun" が傑作だと思う。それから、印象的なのは "In My Life" のピアノソロ。ビートルたちには決して作ることの出来ないポリフォニーを、美しく仕立て上げている。
 どうやら、実際のチェンバロは用いず、ピアノを弾いて速度を変えているそうだ。このソロがなければ、"In My Life" の魅力も半減だ。
 ジョージ・マーティンこそ、間違いなく「5人目のビートルズ」であり、その後のポップス史にとっては、それ以上の存在だったろう。