アトランタ陥落2013/01/25 23:11

 1864年7月の下旬まで、北軍の西部戦線司令官シャーマンは、アトランタを落とすべく、南軍のフッドと「陣取り合戦」を繰り返していた。即ち、前進して多くの陣地を取った方が勝ち。北軍が勝ち続ければ、自ずと南部最大の都市アトランタが落ちるという寸法である。
 しかし、実際には一進一退でアトランタを一気に攻め落とすことは出来なかった。小規模な衝突のたびに南北両軍は同じくらいの損害を出し、即ち基礎体力の弱い南軍の方が明らかに劣勢に立たされてたのだが、かといって大きなアトランタを完全に包囲することもできない。

 シャーマンは、アトランタへの補給路となる鉄道網の攻撃に出た。鉄道網を寸断すれば、人口の多いアトランタは早い内に干上がってしまい、軍隊を養うことが出来なくなる。即ち、フッドはアトランタを放棄せざるを得なくなると言う寸法だ。
 手始めとして7月28日、アトランタの西,エズラ教会付近で、両軍が激突した。フッドも西側鉄道網の防衛の重要性を知っており、南軍は多いに戦ったが、結局は北軍に敗れるに至った。

 シャーマンは同時にアトランタの南側で鉄道破壊を目論んだようだが、これは失敗し、北軍司令官の一人、ジョージ・ストーンマンが捕虜になった。
 ここで私はびっくりしてしまった。ストーンマンがこんな所で捕虜になっていて良いのだろうか?彼は翌年、東部戦線におけるのリッチモンド陥落前に、ダンヴィル鉄道を破壊していなければいけないはず。以前にも、記事にした(2009年8月30日参照)。そうでないと、ザ・バンドの名曲が成立しない。
 なんでも、ストーンマンは捕虜生活三ヶ月で、解放されたそうだ。捕虜交換という制度で北軍の戦線に復帰し、その後東部戦線に戻ったとのこと。

 その後も、フッドは兵力,火力に物を言わせて、8月いっぱいアトランタを囲む鉄道網を攻撃し続けた。南軍も、ウィーラーの騎兵隊を北へ回して背後を攪乱しようとしたが、多勢に無勢で、あまり効果はなかったようだ。
 8月末、とうとう北軍はアトランタ市街の側まで迫り、南軍は持ちこたえられなくなった。9月1日、フッドはアトランタからの撤退を決定。アトランタは陥落した。
 大規模な市街戦にはならなかったが、南軍が引き上げる前に軍施設や物資を燃やしたため、アトランタ市内の所々で火災が発生した。有名な映画「風と共に去りぬ」の印象的な火災シーンは、この時の様子を表したものだ。

 しかし、私にとって「風と共に去りぬ」で印象的なアトランタ陥落のシーンは、火災ではなく、「駅」のシーンだった。駅と言っても、すでに鉄道網が破壊され尽くされ、交通機関というよりは、人の集まるところになっている。
 スカーレットは、出産しようとしているメラニーのために、医者を呼びに行くが、時まさに、アトランタが陥落するタイミングだった。駅に医者を探しに来たスカーレットが見たのは、おびただしい負傷兵の姿…
 映画全体を通しても、私にはこのシーンが強烈だった。カメラワークが素晴らしく、ボロボロになってはためく南部連合旗が印象的だ。