海軍兵学校,リチャード三世,フッド2012/09/16 21:47

 歴史の話を三つ。

 今、日本経済新聞に連載されている「私の履歴書」は、新日本製鐵の名誉会長,今井敬さんだ。
 これによると、今井さんは昭和20年、海軍兵学校最後の入校である第78期生であるとのこと。この時、試験の志望者は20000人あまり、合格者は約4000人だった。 ― これを読んだ私は、ぶっ飛んでしまった。これは何かの間違いではないだろうか?
 明治海軍の少佐だった曾祖父の経歴を調べる上で、当然海軍兵学校は登場する。明治25年入校の第23期生は、応募数574名、合格者は曾祖父を含めて20名だった。確かに、この年の入学者は少ない。その周辺の年次で言えば、有名な秋山真之の第17期は88名だし、曾祖父の後数年も、せいぜい30人から、50人程度だ。
 明治と昭和では状況が隔絶しているとはいえ、いくらなんでも、将官候補生が4000人はおかしい。私は本気でこの記述は誤りだと思った。
 そこで確認したのだが ― 恐ろしいことに、本当に第78期生は4048人だったのだ。昭和16年入校の70期生が300人強で、その後は1000人,2000人と膨らんでゆき、最後は4000人…
 言葉では言い尽くせない、どうしようもない気分。本当に、戦争なんてするもんじゃない。

 イングランドからのニュース。レスター市の駐車場で、15世紀の国王リチャード三世の可能性のある人骨が、発掘されたのこと。カナダ在住の遠い血縁(リチャードの姉の女系子孫)と、DNA比較を行うそうだ。
 リチャード三世は、1485年、ボスワースの戦いでリッチモンド伯爵ヘンリー・テューダー(ヘンリー七世)との戦いで敗死。グレイ・フライヤーズ・アベイに葬られたが、後の宗教改革でアベイが破壊されたため、墓が無いとされていた。今回、レスター大学の主導で発掘された現場は、そのアベイの跡地とのこと。

 リチャード三世は、シェイクスピアの戯曲などで、容姿醜悪、残忍で冷酷、幼いプリンスたち(甥)を殺害して王位についた悪の権化、悪人王として知られている。シェイクスピアがそのように作りあげたわけではなく、彼が参照した二次資料や、テューダー朝の当時、一般に信じられていたリチャード像から、戯曲を作りあげた。シェイクスピアの悪人リチャードは、これはこれで非常に魅力的ではある。
 一方、ジョセフィン・ティの小説「時の娘」にもなっているとおり、リチャードの実像はそうではない、彼の名誉は回復されるべきである ― という立場を取る人も多い。テイは、プリンスたちを殺害したのはリチャードではないとしているし、彼は決して、容姿醜悪でもなければ、悪の権化でななかったとする。要するに、彼は論争の的なのだ。

 ちなみに私は、シェイクスピアの作品も好きだが、同時にジョセフィン・テイの側 ― つまり、リチャード擁護派である。リカーディアンとまでは行かないが。

 YouTubeには、レスター大学の記者会見の模様があがっている。居並ぶレスター大学の先生二人が、揃って「リチャード」だ。



 同時に女性の遺体も発見されたようで、「こちらはリチャード三世ではないと思います。」ええ、そうでしょうね。私個人としては、遺骨がリチャードであってほしいような、ほしくないような、複雑な気分がする。
 リチャード三世については、秋津羽さんによる、素晴らしいサイトがある。私も毎日チェックしている。このリチャードでの盛り上がりついでに、歴史好きにはぜひご覧いただきたい。
白い猪亭 真実のリチャードを探して White Boar - Looking for Real Richard -

 本当は、南北戦争の記事でケネソー山・ピーチツリー川のことを書こうと思っていた。そんなところで、歴史のネタが重なったので、次に回す。
 ケネソー山,ピーチツリー川となると、南軍の将軍ジョン・ベル・フッドが登場する。実年齢の割には、ひどく年寄りだと思われがちなこの人物。1830年生まれなので、ジェブ・スチュアートとは三歳しか離れていないし、アトランタ方面戦役の1864年も、まだ34歳でしかなかった。
 このフッドが登場する映画として、トミー・リー・ジョーンズ(宇宙人ではない)主演の、"In The Electric Mist" という作品がある。薬物を盛られた主人公が見る夢に、フッドが登場するのだが、それを演じるのが、あのリヴォン・ヘルムなのだ。

In The Electric Mist

 2008年の映画なので、リヴォンは68歳。実際のフッドが南北戦争に参加したのは三十代前半で、戦後は軍人をやめ、49歳で死去している。よほど実年齢と軍人としてのイメージ年齢がかけ離れた人らしい。