Heaven and Hell (その1)2011/02/10 23:20

音楽は、演奏するか聴くかだ。読むものじゃない。

 東洋最大の音楽図書館で、その恩恵に浴し、学生時代とても楽しく過ごした末に、私が得た結論がこれだ。

 音楽はひたすら奏で、聴き、感じるものであって、音楽関係の書籍を読むのは二の次、三の次である。音楽を学問的に研究する学科を卒業し、いまだにそこを愛している私が言うのもおかしいが、とにかく活字での情報集めに夢中になりすぎると、要らぬ知識が邪魔になって、本質的な音楽への接し方を見失う。これでは本末転倒だ。第一、音楽についての本なぞ、音楽そのものにくらべたら遥かにつまらない。むしろ、世の中にはもっと面白い本がたくさんあり、それらを読んだほうがよほど有益だ。
 無論、まったく本を読まないというのも考えものだ。音楽大学のピアノ科を卒業し、立派にピアノを職業にしている人(教師)が、「クラーマー=ビューロー練習曲」のタイトルは、二人の人物の名前であることを知らなかったら、さすがにまずい。
 要は程度の問題だ。本質たる音楽を楽しみ、理解するのに助けとなる適度な文字情報は歓迎だ。だからこそ、物好きにも趣味で「カントム」の翻訳なぞしている。
 しかし、暴露話やゴシップ、言い訳、悪口、憶測、誇張、様々な恣意的な情報に引っ張られ、音楽そのものに対してつまらないフィルターがかかるのは、避けたいものだ。

 長々と前置きをしたのには、理由がある。「ドン・フェルダー自伝 天国と地獄 イーグルスという人生」(Heaven and Hell: My life in the Eagles 1974-2001)を読んだのだ。
 イーグルスに関しては、特にファンというわけではないし、アルバムも70年代の4枚しか持っていない。ちゃんと聴く前に本を読むというのは、上記のような私の主義にもとる。そのことを、最初に断わっておきたかった。
 それならなぜ読んだのかと言うと、ドン・フェルダーがゲインズビルで生まれ育ち、トム・ペティより三つ年上で、彼にギターを教えてくれたお兄ちゃんの一人だったからだ。しかも、萩原健太さん情報では、バーニー・レドン(イーグルスの初期メンバー。トム・レドン[マッドクラッチ]の実兄)にとってのヒーローが、ジョージ・ハリスンだったらしいとのこと。これは読まずにはいられまい。軽く読んでさっさと断捨離してやろうと思っていたのだが、これが意外に面白かったので、少し困っている。



 本の感想を述べる前に、私にとってのイーグルスについて。  一時期、イーグルスを好きになろうと努力したことがある。"Take It Easy"や "Hotel California" はもちろん名曲だし、大好きだ。さらにお気に入りなのは、"Already Gone" で、こんな格好良い曲を作るイーグルスは、本当にすごいと思った。
 時代といい、場所といい、関連人物といい、きっとファンになっるに違いない。私はそう思って、アルバムを入手した。しかし、最初に [Hotel California] を買ってしまったのがまずかったのだろうか。タイトル曲以外には、グっと来る物がない。ないどころか、私をイラつかせる曲が二つも入っている。"Wasted Time" はよせば良いのにリプリーズまであるので、イライラをさらに増し、"The Last Resort" はラストまで聴いたためしがない。想像がつくだろうが、"Desperado" は世間一般認識ほどには好きにはなれなかった。スローバラードが嫌いなわけではない。この感覚を説明するのは難しい。
 つまるところ、イーグルスは「アルバムに1曲は凄まじい超名曲がはいっているが、そのほかがイマイチ」という位置づけになってしまった。クォリティの問題ではなく、完全に私との趣味の相違だった。

 この本は、とても面白い。ただし、前半と後半でかなり様相が異なる。前半は、フェルダーの生い立ち、音楽との関わり、様々な(そしてゴージャスな)人々との邂逅、挫折感を味わいながら、親友と妻の励ましや、音楽,ギターに対する愛情をもって、成功への道をたどる青年の記録だ。涙あり、笑いあり。誰にでも読むことを薦められる、素敵な内容だ。
 だから前半については、次回の記事に譲ることにする。

 フェルダーがイーグルスに入った頃から、様子が変わる。私はファンではないので平気だが、イーグルスの ― とりわけ、ドン・ヘンリーと、グレン・フライのファンは読まないほうが良い。
 ドラッグが轟轟と氾濫していた70年代、若者が意見の衝突でいがみ合い、乱痴気騒ぎを起こし、レコーディングは苦行で、しまいにはメンバー間の決定的な亀裂が発生する ― 成功も解散も含めて、これらはありがちなことなので、大して驚かない。
 しかし、ドン・ヘンリーと、グレン・フライが本当にフェルダーの言うとおりのパーソナリティだとしたら、ファンにはショックだろう。
 多くの感想記事が述べているように、フェルダーもレドンやマイズナーと同様にイーグルスを抜ければよかったのだ。どんなに音楽を愛していても、ひどいイジメと屈辱に耐え、イーグルスであり続ける必要があるだろうか。幸い、イーグルスの解散によって、いったんはフェルダーは救われることになった。

 しかし、90年代の再結成となると、状況がもっと悪くなる。あのMTVのライブ映像も、フェルダーによれば作り物だし、ヘンリーとフライ ― 特に後者のパーソナリティはさらに酷くなる。その上マネージャーはどこから見ても、フェルダーをハッピーにしてくれる人でない。それでもなお、彼らの横暴とイジメに耐え、何度も訪れるライブでの最高の瞬間を信じ、諦めずに意見する。そして同等の報酬を求めるフェルダーは、気の毒だが学習能力の欠落した、「ば」のつくお人よしではないだろうか。
 全員が対等なバンドなんて、フェルダーがイーグルスに加入した頃にはもう存在しなかったし、レドンもマイズナーはそれを理解し、去っていった。きっと、ティモシー・シュミットと、ジョー・ウォルシュも同じく理解していて、プラスマイナスした結果、逆にとどまる事を選択しているに違いない。ただ一人、フェルダーだけが理解していない。
 フェルダーは、ヘンリーやフライに、そしてイーグルスに求めたものが、本当に実現すると信じていたのだろうか?いっそのこと、偉大なるイーグルスを格好良く蹴ってやったほうが、フェルダーはミュージシャンとして幸せだったのではないだろうか。
 フェルダーは、契約をめぐってヘンリー,フライに苦情を申し立てたところ、あっさりクビにされてしまった。ショックのあまり、フェルダーは取り乱し、クビにしないでくれと哀願し、断られると、裁判を起こして自分の取り分を確保すべく、戦いを始めた。この本は、このどうしようもなく悲しいイーグルスの現実と、フェルダーの愚痴で終わっている。

 ヘンリーとフライのことはともかく、ウォルシュに対するフェルダーの態度はちょっと酷くはないだろうか。「俺はお前にあれだけのことをしてやったのに、お前は何もしてくれないなんて、友達として最低だ。もう口もきかない」…だなんて。
 イーグルスを訴えてやる!…のは、先に辞めたレドンと、マイズナーのためでもあるとフェルダーは言っているが、彼らはどう思っているのだろうか。

 ともあれ。フェルダーの自伝であるだけに、本を読む限り、フェルダーは確かに気の毒だ。「俺が何か悪いことしたか?」と、何度も疑問を投げかけているのが、いじらしく、憐れな気すらする。
 満足のいく賞賛と、報酬が期待できないイーグルスに、もう少し早めに見切りをつけ、セッションに精を出し、伝説のセッションマンとして尊敬を集める可能性だってあっただろう。どこで何をやり損ねたのか。どこで我慢しすぎたのか。
 同じ町でほぼ同じ時期に生れ、同じようなバックグラウンドで、ロックを愛した才能豊かな少年が二人いた。一方がドン・フェルダーになり、もう一方はトム・ぺティになる。双方とも夢のような人生を築き上げた、いわゆるアメリカンドリームの「成功者」ではあるが、人生というのは面白く、難しいものだとつくづく思わされた。

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