B-Day Performance2011/02/02 21:53

 一日遅れで、お祝い。マイク・キャンベル先生、お誕生日おめでとう!61歳ですね!
 なんとまぁ、格好良い61歳。ギターを弾くその姿は、いつもキラキラ輝いている。相変わらずのソングライティング・スキルに、ギター・プレイ、プロデュース&エンジニアリング手腕!その上、歌を歌い始め、さらにハーモニカまで弾き始めたマイク・キャンベルの格好よさに、惚れっぱなしだ。

   2008年のスーパーボウルは2月3日だった。マイク58歳の誕生日の直後だったことになる。
 それはともかく、2月1日は冬の最中ということで、ツアーに出ていることは少ない。したがって、「今日はマイクの誕生日!」…という映像はYouTubeで見当たらなかったのだが、かわりにこういうものがあった。



 1990年2月1日。マイク40歳の誕生日に、お仕事。このリッケンバッカーは、マイクの宝物,ジョージとお揃いの(しかも個体数もかなり少ないらしい)1963年 620/12なのだろうか?私の素人目には同じに見える。自分の誕生日に、取っておきの大事なお宝リックで、キラキラサウンドを美しく披露。こんなに素敵なギタリストが他にいるだろうか?
 スタンや、ハウイの居る、この時期のハートブレイカーズが好きだ。せっかくこのメンバーがそろっているのだから、もっとコーラスワークの利いた曲だったら、もっと面白かったのだけど。

 2月,スーパーボウルで思い出したが…今年も、オードリーがスーパーボウルを見に行くそうだ。ハーフタイム・ショーは残念ながら私の範疇ではないが、オードリーが見たいので、スーパーボウルを見るかもしれない。

ケン・ブロック Tシャツコレクション2011/02/05 23:08

 シスター・ヘイゼルのケン・ブロック。スタン・リンチを迎えてのライブでも、「東京五」という謎の日本語が書いてあるTシャツを着用。ほかにも、へんてこなTシャツを着ていたと思い、久しぶりにヘイゼル唯一のDVD, [A Life In The Day] をチェックした。
 このDVD、シカゴでのステージのほかに、ツアーの裏舞台なども豊富に納まっている。特に、バンドの故郷であるゲインズビルに行くところなどが興味深い。TP&HBの故郷はこんなところ。
 バンドは大物ではないだけに、いたってフレンドリー。ファンとの交流はいたって庶民的な雰囲気だし、バーベキュー大会などでは、メンバー自ら肉を焼く。ヘイゼルのメンバー同士もいたって仲良い。全編にわたって、肥満気味でTシャツ+デニム、コークとピザ大好きアメリカ人がてんこもり。それでもって、音楽は凄いときているから、この国は分からない。

 まずは、楽屋でくつろぎ中のケン。



 イチバーン!ナンバーワンッ!(本田宗一郎)

 続きましては、故郷ゲインズビルでの一こま。となりの人は、ケンのお父さんじゃないかな。



 そして、ファンとのバーベキュー・パーティでは、こんなものもらいました。



 JPNじゃなくて、JAPなところがミソ…かな?
 いずれのTシャツもそれほどおかしなものでもないが…それにしてもどこで買うのだろう?お土産なのだろうか?
 今やSuperdry.極度乾燥(しなさい)なんてものもあるくらいだから(*注)、ケンのTシャツもクール…?なのかも知れない。

*Superdry.極度乾燥(しなさい)
 UKの若者向けブランド。ベッカムが着用したことから火のついた大人気のカジュアルブランドで、UK, 欧州各地や、NYにも店を出している。クールでイケてるモデルがキメまくっているホームページはこちらだが…
 むしろこのブランドの凄さは、日本人の目撃レポートの方が分かりやすい。まずは、英国在住だった人のレポート。そして、ルクセンブルクを訪れた人のレポートはこちら
 もっと早く知っていたら、ニューヨーク店にも行ったのに、惜しいことをした。鞄とか、なかなか格好良いじゃないか。

Tokyo Five in Blue2011/02/07 21:43

 ゲイリー・ムーアが亡くなったという知らせを聞いて、驚いた。さらに、彼が58歳だったと聞いて、もっと驚いた。4月生まれなので、あと2ヶ月で59歳だったとのこと。もっと年上だと思っていた(容姿のせいだろうか…?)。無論、ジョージよりは下だが、トムさんよりは上だとばかり思っていた。
 スキッド・ロウも、シン・リジーも私の守備範囲には入っておらず、その面では聞くことのなかったアーチストだが、やはりウィルベリーズにスポット参加したのは重い。"She's My Baby" の良さの相当量が、彼のギタープレイに依るものであることは間違いない。その縁で、ジョージにとってのラスト・ライブになった、アルバート・ホールでも、"While My Guitar Gently Weeps" で共演している。無論、マイクともしたことになる。
 彼のアルバムで持っているのは、2作品だけ。まず、[Wild Frontier]。日本でも、一般にかなり名の知られた時期だそうだが(タイムリーには知らない)、残念ながらこれは私には響かなかった。楽曲は良いと思うのだが、あのエコーとシンセサイザー過多なサウンドを、私の脳が受け付けないのだ。
 もう一枚は、もちろん [Still Got the Blues]。これはさすがに良い。私のことなので言うまでも無いが、 "That Kind of Woman" がお気に入りだ。クラプトンのバージョンも格好良いので、なかなか甲乙つけがたい。
 ともあれ、ゲイリーの魂が安らかならんことを祈る。天国でロリー・ギャラガーに会いに行く手前で、ジョージにとっ捕まっていそうだな…

 さて。
 2月6日付けで、Cool Dry Placeに「カントム」より、Part Two, Damn the Torpedoes をアップした。今回興味深かったのは、トムの作曲法。さすがに、長期にわたって一線で活躍するプロなだけに、「気分的に作れそうなときだけ作る」という訳には行かない。「来年には10か11曲必要だから、1年かけて作る。マイナーを使いすぎない。ツアー中はツアーに集中して、曲は作らない」…なかなかご立派だが、凡人には絶対無理。当人にも自覚 があるらしいが、多作でクォリティも保てる人にしか出来ない芸当だ。しかもスランプも経験していない。
 その上、「宇宙にアンテナを張って、(曲を)キャッチするんだ!」などと無茶なことを言う。しかも笑えることに、マイクもほぼ同じことをコメントしているのだから、この二人はたちが悪い。そんなアヤシイことできるか!
 そもそも、ハートブレイカーズの場合マイクというソングライターも居るだけに、心強さもある。いや、詞や節回しに関しては、マイクの曲でもトムが仕上げる場合が多いので、それも含めてのコメントかもしれない。
 "Century City" のところで、弁護士がウヨウヨしている中に飛び込んだときのおっかなさを語っている。映画 [Runnin' Down A Dream] の同じ場面で、「こっちは青二才のロックにいちゃんで…」と表現するのだが、そのときの若きトム・ペティの写真がきれい。カメラマンの腕というのも、大したものだ(失礼)。



タイヤを着てるようでもあるけど。

 シスター・ヘイゼルのケン・ブロックが、「東京五」というナゾの日本語が書いてあるTシャツを着ていた件。



 ケン以外にも着ていた人が居たという目撃情報があった。どうもこれは、「一番」だの、「日本」だのいう、いかにもなバッタモノではなく、いわゆる「ブランド」なのではないか、そう、Superdry.極度乾燥(しなさい)のような…と思い、ググってみた。
 すぐに分かった。正真正銘の、ニューヨークのアパレルメーカー,Tokyo Five とのことである。だから「東京五」。公式HPはこちら
 ここまで来ると、ツッコミを入れるのが逆にダサいので、放っておこう!私が好きなのは、








 そうだよね、「ー(長音符号)」だって文字なんだから、縦書きになったからって、90度回転するなんて、おかしいよね。KさんとNY遠征に行ったとき、ホールフーズにショッピングバッグが売っていて、やはりクール・ジャパンなプリントがされていたんだ。





………買えばよかった。

 TP&HBやディラン様など、アメリカオヤジ連中は、イケてるクールな若者ブランドには興味なさそうだから(そもそも、シルエットが細すぎて入らない!)大丈夫だと思うが、ミックあたりはちょっと心配。「東京五」はともかく、「極度乾燥(しなさい)」を着る心配はおおいにある。いや、別に着ても良いけど。
 それよりも、ノエル・フィールディングが、「極度乾燥(しなさい)」で狂ったように買い物をするネタを作るんじゃないかと、ひそかに期待している。トップショップ!

Heaven and Hell (その1)2011/02/10 23:20

音楽は、演奏するか聴くかだ。読むものじゃない。

 東洋最大の音楽図書館で、その恩恵に浴し、学生時代とても楽しく過ごした末に、私が得た結論がこれだ。

 音楽はひたすら奏で、聴き、感じるものであって、音楽関係の書籍を読むのは二の次、三の次である。音楽を学問的に研究する学科を卒業し、いまだにそこを愛している私が言うのもおかしいが、とにかく活字での情報集めに夢中になりすぎると、要らぬ知識が邪魔になって、本質的な音楽への接し方を見失う。これでは本末転倒だ。第一、音楽についての本なぞ、音楽そのものにくらべたら遥かにつまらない。むしろ、世の中にはもっと面白い本がたくさんあり、それらを読んだほうがよほど有益だ。
 無論、まったく本を読まないというのも考えものだ。音楽大学のピアノ科を卒業し、立派にピアノを職業にしている人(教師)が、「クラーマー=ビューロー練習曲」のタイトルは、二人の人物の名前であることを知らなかったら、さすがにまずい。
 要は程度の問題だ。本質たる音楽を楽しみ、理解するのに助けとなる適度な文字情報は歓迎だ。だからこそ、物好きにも趣味で「カントム」の翻訳なぞしている。
 しかし、暴露話やゴシップ、言い訳、悪口、憶測、誇張、様々な恣意的な情報に引っ張られ、音楽そのものに対してつまらないフィルターがかかるのは、避けたいものだ。

 長々と前置きをしたのには、理由がある。「ドン・フェルダー自伝 天国と地獄 イーグルスという人生」(Heaven and Hell: My life in the Eagles 1974-2001)を読んだのだ。
 イーグルスに関しては、特にファンというわけではないし、アルバムも70年代の4枚しか持っていない。ちゃんと聴く前に本を読むというのは、上記のような私の主義にもとる。そのことを、最初に断わっておきたかった。
 それならなぜ読んだのかと言うと、ドン・フェルダーがゲインズビルで生まれ育ち、トム・ペティより三つ年上で、彼にギターを教えてくれたお兄ちゃんの一人だったからだ。しかも、萩原健太さん情報では、バーニー・レドン(イーグルスの初期メンバー。トム・レドン[マッドクラッチ]の実兄)にとってのヒーローが、ジョージ・ハリスンだったらしいとのこと。これは読まずにはいられまい。軽く読んでさっさと断捨離してやろうと思っていたのだが、これが意外に面白かったので、少し困っている。



 本の感想を述べる前に、私にとってのイーグルスについて。  一時期、イーグルスを好きになろうと努力したことがある。"Take It Easy"や "Hotel California" はもちろん名曲だし、大好きだ。さらにお気に入りなのは、"Already Gone" で、こんな格好良い曲を作るイーグルスは、本当にすごいと思った。
 時代といい、場所といい、関連人物といい、きっとファンになっるに違いない。私はそう思って、アルバムを入手した。しかし、最初に [Hotel California] を買ってしまったのがまずかったのだろうか。タイトル曲以外には、グっと来る物がない。ないどころか、私をイラつかせる曲が二つも入っている。"Wasted Time" はよせば良いのにリプリーズまであるので、イライラをさらに増し、"The Last Resort" はラストまで聴いたためしがない。想像がつくだろうが、"Desperado" は世間一般認識ほどには好きにはなれなかった。スローバラードが嫌いなわけではない。この感覚を説明するのは難しい。
 つまるところ、イーグルスは「アルバムに1曲は凄まじい超名曲がはいっているが、そのほかがイマイチ」という位置づけになってしまった。クォリティの問題ではなく、完全に私との趣味の相違だった。

 この本は、とても面白い。ただし、前半と後半でかなり様相が異なる。前半は、フェルダーの生い立ち、音楽との関わり、様々な(そしてゴージャスな)人々との邂逅、挫折感を味わいながら、親友と妻の励ましや、音楽,ギターに対する愛情をもって、成功への道をたどる青年の記録だ。涙あり、笑いあり。誰にでも読むことを薦められる、素敵な内容だ。
 だから前半については、次回の記事に譲ることにする。

 フェルダーがイーグルスに入った頃から、様子が変わる。私はファンではないので平気だが、イーグルスの ― とりわけ、ドン・ヘンリーと、グレン・フライのファンは読まないほうが良い。
 ドラッグが轟轟と氾濫していた70年代、若者が意見の衝突でいがみ合い、乱痴気騒ぎを起こし、レコーディングは苦行で、しまいにはメンバー間の決定的な亀裂が発生する ― 成功も解散も含めて、これらはありがちなことなので、大して驚かない。
 しかし、ドン・ヘンリーと、グレン・フライが本当にフェルダーの言うとおりのパーソナリティだとしたら、ファンにはショックだろう。
 多くの感想記事が述べているように、フェルダーもレドンやマイズナーと同様にイーグルスを抜ければよかったのだ。どんなに音楽を愛していても、ひどいイジメと屈辱に耐え、イーグルスであり続ける必要があるだろうか。幸い、イーグルスの解散によって、いったんはフェルダーは救われることになった。

 しかし、90年代の再結成となると、状況がもっと悪くなる。あのMTVのライブ映像も、フェルダーによれば作り物だし、ヘンリーとフライ ― 特に後者のパーソナリティはさらに酷くなる。その上マネージャーはどこから見ても、フェルダーをハッピーにしてくれる人でない。それでもなお、彼らの横暴とイジメに耐え、何度も訪れるライブでの最高の瞬間を信じ、諦めずに意見する。そして同等の報酬を求めるフェルダーは、気の毒だが学習能力の欠落した、「ば」のつくお人よしではないだろうか。
 全員が対等なバンドなんて、フェルダーがイーグルスに加入した頃にはもう存在しなかったし、レドンもマイズナーはそれを理解し、去っていった。きっと、ティモシー・シュミットと、ジョー・ウォルシュも同じく理解していて、プラスマイナスした結果、逆にとどまる事を選択しているに違いない。ただ一人、フェルダーだけが理解していない。
 フェルダーは、ヘンリーやフライに、そしてイーグルスに求めたものが、本当に実現すると信じていたのだろうか?いっそのこと、偉大なるイーグルスを格好良く蹴ってやったほうが、フェルダーはミュージシャンとして幸せだったのではないだろうか。
 フェルダーは、契約をめぐってヘンリー,フライに苦情を申し立てたところ、あっさりクビにされてしまった。ショックのあまり、フェルダーは取り乱し、クビにしないでくれと哀願し、断られると、裁判を起こして自分の取り分を確保すべく、戦いを始めた。この本は、このどうしようもなく悲しいイーグルスの現実と、フェルダーの愚痴で終わっている。

 ヘンリーとフライのことはともかく、ウォルシュに対するフェルダーの態度はちょっと酷くはないだろうか。「俺はお前にあれだけのことをしてやったのに、お前は何もしてくれないなんて、友達として最低だ。もう口もきかない」…だなんて。
 イーグルスを訴えてやる!…のは、先に辞めたレドンと、マイズナーのためでもあるとフェルダーは言っているが、彼らはどう思っているのだろうか。

 ともあれ。フェルダーの自伝であるだけに、本を読む限り、フェルダーは確かに気の毒だ。「俺が何か悪いことしたか?」と、何度も疑問を投げかけているのが、いじらしく、憐れな気すらする。
 満足のいく賞賛と、報酬が期待できないイーグルスに、もう少し早めに見切りをつけ、セッションに精を出し、伝説のセッションマンとして尊敬を集める可能性だってあっただろう。どこで何をやり損ねたのか。どこで我慢しすぎたのか。
 同じ町でほぼ同じ時期に生れ、同じようなバックグラウンドで、ロックを愛した才能豊かな少年が二人いた。一方がドン・フェルダーになり、もう一方はトム・ぺティになる。双方とも夢のような人生を築き上げた、いわゆるアメリカンドリームの「成功者」ではあるが、人生というのは面白く、難しいものだとつくづく思わされた。

Heaven and Hell (その2)2011/02/11 23:48

 「ドン・フェルダー自伝 天国と地獄 イーグルスという人生」(Heaven and Hell: My life in the Eagles 1974-2001)は断然、前半の方が面白い。私にとって、この手の「ドキュメンタリー」作品は、どれも最初の方が面白い。
 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの映画,[Runnin' Down a Dream] は、サード・アルバムあたりまでの1時間ぐらいが一番面白いし、全8巻 [The Beatles Anthology] も、第1巻が一番好きだ。ブレイク後というのは、その音楽作品の量が思い出話を凌駕するので、けっきょく音楽に負けてしまうのではないかと思っている。

 さて。
 ドン・フェルダーは1947年にフロリダ州ゲインズビルに生まれた。トム・ぺティはこの町はロックバンドが育つに恰好の町だったと言って高評価しているが、どうもフェルダーはこの町が好きではないようだ。
 ロックを愛したギター少年のフェルダーは、無論ビートルズを崇拝しているが、一方でB.B.キングや、のちにはクラプトンをヒーローとして挙げる音楽志向をしていた。
 彼の思い出話を読んでいると、次から次へと面白い人名が登場する。
 少年フェルダーの初期バンド、ザ・コンチネンタルズ(「カントム」にも、ゲインズビルで一番のバンドとして登場する)に、ある日フラリと、スティーブン・スティルスが加わり、楽しくおおはしゃぎ。ところが、突然スティルスは消えてしまう。かなり強烈な印象を残す。
 オールマン兄弟ともよくつるんでおり、デュアンにはよくギターを習ったようだ。兄弟と一緒にレストランに居たら、金髪兄弟の後姿がブロンド娘に見えて、ガールフレンドが激怒したとか。その場に一緒にいたのが、バーニー・レドンである。

 バーニー・レドンの登場は、とりわけ鮮烈だ。この本の中でもっとも魅力的な人物は、間違いなくバーニーだろう。フロリダ大学に転勤でやってきた学者の長男で、すぐ下の弟は、おなじみマッドクラッチのトム・レドン。我らがトム・ペティの旧友だ。
 バーニーは、ゲインズビルにやってくると、町で一番ギターの上手い男(フェルダー)を探しだし、バス停で彼を待ちかまえ、顔一杯の笑顔で「落とした」のである。フェルダーは親と諍いをおこして家出をしても、バーニーという親友と、かわいい彼女と、音楽あれば幸せだった。
 バーニーはビートルズに夢中で、ジョージが彼のヒーロー。いかにして彼らのようになるか、悪戦苦闘している。カーリーヘアに手を焼きつつ、ジョージと同じグレッチ・テネシアンを手に入れて幸せそうだった。
 しかし、バーニーはフェルダーよりも先に、しかも大股で、確実に前進するタイプでもあった。ゲインズビルを飛び出し、LAへ乗り込むというのだ。当然、バーニーはフェルダーを誘う。しかし、彼は断ってしまった。
 旅立つバーニーを見送るシーンでは、読んでるこっちが、「今すぐ、空いているバーニーの助手席に飛び乗れ!」と叫びたくなる。まるでどこかの三流恋愛ドラマのようだ。

 フェルダーの思い出話を読んでいると、やや優柔不断で、自信が不足しており、チャンスを見極める術に欠けていることに気づく。要するに少し不器用なのだ。狡賢いところのない、誠実な人でもあるのだろうが。彼が詰まらないところだと思っていたゲインズビルにだって、多くの人材があって、その人の潮流にもっとうまく乗ることも可能だったかもしれない。
 ともあれ、フェルダーはバーニーからやや遅れて町を出る。そしてガールフレンドの居るボストンに落ち着くのだが、そこではごく短い間、ピーター・グリーン(フリートウッド・マック)との接点がある。面白い事に、とあるスタジオのオーナーに息子が居て雑用をしているのだが、この少年の名前がシェリー・ヤクスだったりする。業界の話なので、世界は狭いのだ。

 やがてボストンに見切りをつけ、フェルダーはバーニーを頼る形で、LAにやってくる。当時、デビッド・ゲフィンのパートナーだったのが、エリオット・ロバーツ。あのディランとTP&HBのコラボのきっかけを作った人だ。彼の紹介でツアー・メンバーとして仕事をもらえるようになるのだが、やがてグラハム・ナッシュのツアーで、ギタリストを務める事になる。デイヴィッド・クロスビーとのツアーだ。
 このグラハム・ナッシュが、涙が出るほどの好人物。良い人すぎて、早く死ぬんじゃないかと思うくらい。後光が差している。(フェルダーは、「英国紳士」に弱いんじゃないかという気もするが…)ナッシュの人格者っぷりが、ヘンリー,フライのやな奴ぶりを引き立てる結果になる(無論、これはフェルダーの見方がそうであるというだけだが)。
 一方、クロスビーはヤクをキメ過ぎて、かなりヤバそうな人だった。ヤバそうな人と言えば、のちにフェルダーがイーグルスに入った時、ストーンズのオープニングをつとめるのだが、そのホテルでキースに会わせてもらおうとしたことがある。しかしキースは、ほぼ死体だった。

 さて、トム・ペティ。
 彼は、ゲインズビル時代、フェルダーがギター教師として小金を稼いでいた時の、「自慢の教え子」として登場する。「そっ歯で瘦せっぽち」で、しかもひどいギターを持っていたとこの事。そっ歯とか言うな!でも、そのあとすぐに、「トミーはとてもハンサムで、そのつややかな長髪は女の子たちを惹きつけた」と言っているので、許してやる。
 次にトムさんの名が出てくるのは、1977年にイーグルスとして英国ツアーに出たとき。当地で複数のインタビュアーに、「今、ワールド(正確にはヨーロッパだろう)ツアーをしている、トム・ぺティが、あなたにギターを習ったそうですね」と尋ねられた時だ。その時でも、フェルダーにとっては「小さなトミー」だそうだ。
 もう出てこまいと思っていたら、意外なところでトム・ペティの名前が出てきた。グレン・フライの横暴でクビになった、ローディーが、その後トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのローディになったというのだ。なんともはや。

 私のこの本に対する感想を読んだ人もまた、読みたくなるかどうかは分からない。前にも述べたとおり、イーグルス・ファンにとっては不快な内容が相当量を占めるし、特にヘンリーとフライの書かれ方は、凄まじいものがある。ウソっぱちだと言うわけでもなさそうだが、すべて鵜呑みにするのも、危険なことだ。
 しかし、前半の部分は、あの時代のロック・ポップス好きなら一読の価値がある。きっと、自分が好きなミュージシャンの名前が一度は出てくるのではないだろうか。そういう意味では、非常に参考になる本だ。アメリカでベストセラーになったとのことだが、それは決して暴露本という側面だけではなく、ロック史のある重要な部分を活写しているからだと信じたい。

 最後に、文章そのものについて。かなり読みやすく、簡潔な良い文章だ。共同執筆者のウェンディ・ホールデンの功績だろう。
 翻訳も、よくできていると思う。誤植は確かにあるが…まぁ、ささいなことだ(私は酷い誤字脱字病なので、そう思いたい)。
 ただ、曲名表記についてはやや閉口した。全ての曲が、邦題で記されているのだ。「テイク・イット・イージー」など、英語名をそのまま邦題にしている曲は良いのだが、「ならず者」はともかく、「我が愛の至上」とか、「過ぎたこと」などと言われても、まったくどの曲のことだか分らない。私がそれらを理解するほどにファンではないのが悪いのだろうが。今やiPodに邦題で登録している人がどれくらい居るだろうか?索引もないので、これは一次資料としての機能を果たせていない。せめて、邦題と、原題を併記した方が、良いだろう。
 実は同じことをTP&HBの [Playback] でも思っていた。もっとも、あれは文章全体が私が知る中で一番の悪文なので、その問題が小さくなっていたのだが。

Mojo, Mitsuko & Conchords2011/02/13 23:18

 日本時間の明日の朝、第53回グラミー賞授賞式が行われる。
 グラミーを獲得することにそれほどこだわる必要はないが、好きなアーチストがノミネートされると、やはり受賞してほしいと思う。

 注目はなんといっても、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのアルバム、[Mojo] だ。Best Rock Album にノミネートされている。私の個人的な意見としては、この [Mojo] は過去2~3作と比較しても、一般受けすると思うし、評価も上々という感触がある。十分受賞が期待できる。
 対抗馬は、ニール・ヤングに、ジェフ・ベック、ミューズ、パール・ジャム。…ベテラン勢も一応ノミネートはしておいて、受賞は若手に…というありがちパターンになりそうな気もするが、それはそれで良いだろう。

 私がとりわけ気にかけているのは、クラシック部門だ。普段はクラシックに興味がないのだが、今回、Best Instrumental Soloist(s) Performance (with Orchestra) に、内田光子がノミネートされているのだ。



 得意としている、モーツァルト。クリーヴランド・オーケストラと録音した、ピアノ協奏曲No.23&24だ。他のノミネート作品は、ドハーティだの、ドルマンだの、いったい何者なのかもわからないようなマイナーな作曲家ばかり。この環境で内田さんが王道モーツァルトで受賞したら、さらに凄かろう。演奏もとても良い。当たり前だが。

 もう一つ気になるのは、Best Comedy Album - フライト・オブ・ザ・コンコーズがノミネートされているのだ。これが、アルバムのタイトル曲。



 彼らがノミネートされるのは初めてではないだろうが、さてどうなるか。なかなか日本でウケそうな気配はない。今回は、対抗馬にロビン・ウィリアムズが入っているので、ちょっと無理かも知れない。
 私なこの曲の方が好きだな。



 そういえば、日本時間明日ということは、2月14日だ。バレンタインデーというと、いつもレコスケくんを思い出す。
 ともだちのレコゾウくんが、いいかげんなニセ・シールド・アルバムを大量に偽造し、レコスケくんに売りつける(無論、全部ジョージ)。レコゾウくんは、もったいないから開封しないだろうとたかをくくっていたのだが、レコスケくんは我慢できずに、[All Things Must Pass] を開けてしまった。すると…

「中から国生さゆりのファースト・アルバムが出てきた!!!」
「いや、そ、それは…」
「これさぁ…もしかしたら、この『バレンタインデー・キッス』、フィル・スペクタプロデュースかもしれないよっ!!ね!!」


 たぶん、レコスケくんでは一番笑った。

Hey, brother !2011/02/17 23:00

 Cool Dry Place に、「カントム」の acknowledgments, about the author, foreword, introduction をアップした。いよいよ最後の翻訳…!と言うときに、まえがきとか献辞などではつまらないので、先に翻訳したと言うわけ。
 べつになんという内容はない。トム・ぺティによる foreword では、一人称を「私」にした。これは日本語特有の遊びの一種だが、私はトムさんの一人称を、シチュエーションで変えている。インタビューでは、「ぼく」。ひらがなが良い。どうも「僕」という漢字は見た目が格好良くない。実際の会話では「俺」。foreword は文語体ということで、「私」を採用した。

 トム・ぺティの好きな飲み物。コカ・コーラ。スタジオの冷蔵庫にどっさり貯めこんでいる!うーん、ノーカロリー飲料ってわけにはいかないのね。トムさんの好みは、クラシカルなボトル。これか。



 やめなさいッ!そういうことするから、ドン・フェルダーに「そっ歯」呼ばわりされるんだ!

 話はかわる。東京都調布市に仙川という土地があり、いかにも郊外のという風の住宅街や、学校などが多い。名門音大T学園もここにあり、以前T学園の別館だった小ホールは、今では学校から離れ、個人経営になっているらしい。この音楽ホールの情報を得ようとホームページをチェックしたのだが、いきなりやたらと盛り上がった売り文句が大噴出していて、びっくりした。
 おやおやと思っていると、こんな文句が…

表参道ヒルズの兄貴分 注目のANDOストリート
 (前略)「世界のANDO」こと、日本を代表する建築家 安藤忠雄氏(東京大学特別栄誉教授)の設計による2004年竣工の建築群が、仙川駅の東南地域に延長423mにわたる通称”ANDOストリート”を構成し、統制的な造形から染み出る洗練された美しさによって、訪れる者の心が洗われるような現代建築に整備された自然が溶け込む閑静な街が形成されています。まさに「表参道ヒルズ」の兄貴分あるこの町は様々な書籍・雑誌などに頻繁にとりあげられ、…(後略)


 文章のヒドさもさることながら…表参道ヒルズの…兄貴分?!
 建築群でしょう?!その建物が並んでいる、「通り」なんでしょう?建築物に兄貴分だの、子分だの言う分類があるわけ?世の中では擬人化がはやるようだが、その一環なのか?兄貴分って、弟分の世話を焼いたり、ご飯をおごってくれたりするんでしょう!?「田中将大の兄貴分、ダルビッシュ有」とか、「川崎宗則の兄貴分、イチロー」とかでしょう?
 そもそも、どうして性別は男なわけ?姉御とか、姐さんとかじゃだめなわけ?
 よし、わかった。建築物にも兄貴分と弟分があっても良い事にする。それで、この仙川こそが、表参道ヒルズの兄貴分ってのは本当なのか?!普通、表参道ヒルズの兄貴分と言ったら、六本木ヒルズじゃないのか?仙川のANDOストリートとやらは、勝手に兄貴分を自称しているだけで、表参道ヒルズには「アニキ」として慕われてなんかいないんじゃないか?
 そもそも、同じ安藤忠雄の建築であることが重要なら、仙川と表参道ヒルズは親の同じ「本当の兄弟」じゃないか。本当の兄弟ってのは、親が同じなだけのしょーもない関係だ。兄貴分,弟分というのは、血縁とは関係なしに、尊敬と愛情で形成されるはずではないか!
 よくあるよね、ある人が急に有名になったりすると、田舎のおっちゃんが、「あいつがまだボンボンだったころ、俺が人生のイロハを教えてやったもんよぉ。まぁ、言うなりゃ、俺があいつの兄貴分ってこったな…」みたいなアレ。あ、「トミー・ペティにギターを教えてやったのは俺だぜぇ」って人が居たな。

 そもそも、この変に盛り上がった売り文句は、この音楽ホール自体の宣伝ではなく(音楽ホールの設計は世界のANDOではないのだ)、「うちの近所にはこんなところがあるぞ!芸能人も来るんだぜ!」…という、イマイチな自慢話なのである。ホームページの冒頭では、さらにこの音楽ホールの盛り上がり宣伝文句は続くのだが…

上質な音響の中には最高のピアノをと、今や、従来のどの名器ピアノをも覆す世界一の新名器としてヨーロッパで高く評価されているFxxxxli (伏字)ピアノを都内初常設し、その驚くべき表現力によって、当館におけるどのコンサートも各界にて絶賛されております。

 …ですって。文章もなんだかスゴいが。このホール、大丈夫なんだろうか…?!と、不安になった。

ユリシーズ・グラント「中将」登場2011/02/20 21:18

 東部戦線では、1863年夏、ゲティスバーグの戦いは北軍の勝利に終わったが、リー率いる南軍を追撃して決定的な打撃を与えることはできなかった。10月から11月にかけて、北軍ポトマック軍を率いるミードは、ワシントンの南東90kmほどに陣取っている南軍に対し、攻撃をしかけた。あわよくばリーを南においやり、南部連合首都リッチモンドをも脅すことも意図していたであろう。
 チカマウガやチャタヌーガにその名が登場したことでも分かる通り、南軍からは西部戦線援護のために、ロングストリートの軍が離れていたのである。戦力的には、ミードにとってチャンスだった。
 慢性的な物資不足にあえぐ南軍では、いつもスチュアートの騎兵隊が、その調達(北軍からの強奪とも言う)に駆け回っているのだが、ミードは、この突出した騎兵から攻撃し、その敗れ目から一気にリーの本体へ襲いかかろうとした。
 しかし、北軍にとって期待外れだったのは、スチュアートの騎兵が簡単に崩れなかったため、なかなか戦力を集中しての一気呵成の攻撃ができなかったことだ。守勢から攻勢に転じたときのリーの強さへの恐れからか、ミードはそれ以上の思い切った行動に出ることはできなかった。
 結局、南軍を駆逐することなく、両者がラピダン川(チャンセラーズビルの戦いのあった樹海の西側)で冬営することになった。

 その間、西部戦線ではブラッグの南軍はテネシー州からジョージア州へ押し戻され、ミシシッピー川はすでに北軍が制圧していた。リンカーンは西部戦線の趨勢は北軍が握っていると判断したのだろう。西部戦線司令官のユリシーズ・グラントをワシントンに呼び出した。彼を中将にして、北軍総司令官の任を与えたのだ。
 北軍では中将は例外的な階級で、普段は存在しない(南軍にはあった)。その中将にグラントをしたというその事が、リンカーンの決意を物語っている。これまで、マクレラン、ポープ、バーンサイド、フッカー、ミードと、満足な戦績をあげられない将軍にいらだち続けたリンカーンにとって、西部戦線では莫大な犠牲を出しつつも、粘り強く、そして最終的には確実な勝利をつかむグラントが、最後の望みだっただろう。
 年が明け、1864年3月。グラントはワシントンでリンカーンと面会し、その任に就いた。
 西部戦線は、グラントに忠実で、しかも確実に任務を遂行することにかけては実勢のあるシャーマンを残し、アトランタ方面を攻めさせた。西部戦線は将官の質において南軍は劣っており、最大の都市であるアトランタを落とせば、あとは一気呵成であろう。ただし、西部戦線は広大な地域に展開する。時間はかかる。
 一方、東部戦線は、グラント自らリーと対決する決心だった。リーを避けて戦は出来ないのだ。いなすことも、はぐらかすこともできない。南北戦争の西部戦線、その南軍そのものがリーであり、グラントはひたすら、リーを追いつめることに集中した。
 リー相手に決定的で華やかな勝利は望めない。それでも、南軍には物資と人員の補充が困難という大きな弱点がある。勝てなくても、負けないことで南軍の体力を減じ、ジリジリとリッチモンドへ迫る。グラントはそれを実行するために犠牲となる兵士の数に動じないほどの、度胸を持っていた。

 とりあえず、1864年春。1年前に北軍が大敗を喫したチャンセラーズビルがあるのと同じ樹海(ワイルダネス)で、グラントはリーとの直接対決を迎えることとなる。
 無論、兵力的に余裕のある北軍は、協調作戦として、ほかに2か所の戦闘をほぼ同時に計画し、樹海での本体決戦の助けとなるように計画した。しかしこれらはグラントの望むような成果は上げられなかった。やはり南北戦争は、優秀な将官の駒不足が最後まで尾を引くことになった。

千分の一秒の阿修羅2011/02/23 22:56

 3月になれば、F1が開幕する。心待ちにしていたら、なんと開幕戦バーレーンGPが、政情不安のためにキャンセルされてしまった。楽しみにしていただけに残念だが、事情が事情だけに、仕方がない。それにしても、これまで自然災害などの影響でキャンセルされたことはあるが、政情不安というのは前代未聞だろう。
 F1には、金持ちの道楽という側面も確かにある。その点について、全否定はしないが、やはりF1は車という機械そのものとその開発に情熱を傾ける文化のある国で、多くの国民が楽しめるように開催されてほしいと思う。そのためにも、もう少しチケットの値段は下げるべきだろうと思うが、どうだろうか。

 F1に関してはいつも、レース中継(実際は多くが録画)を見るのだが、昔は年末の「総集編」もよく見ていた。各レースの面白いところが凝縮され、舞台裏や、インタビューなどもうまく編集され、なんと言っても格好良いF1の映像とイカした音楽の組み合わせが素敵だった。
 私の印象に特に強く残っているのは、1993年の総集編だ。オープニングとエンディングが特に、格好良かった。



 オープニングは、プロコル・ハルムの "Whitershade of pale (青い影)" のカバー。
 アラン・プロストによるモノローグという形を取っているナレーションは、いまは亡き城達也。
 アイルトン・セナがチャンピオンになった1991年、プロストはフェラーリでペチャンコになった。彼が休養を取った1992年は、ナイジェル・マンセルが念願のワールド・チャンピオンを獲得。そして1993年。プロストはウィリアムズでF1復帰し、ワールド・チャンピオンになって引退。デイモン・ヒルはフル参戦としての1年目。ミハエル・シューマッハは3年目の若者で、ゲルハルト・ベルガーには頭髪があった。
 このプロストからセナへという体裁のモノローグは、プロストがこの年をもって引退したことを受けてのものだったのだが、翌年1994年5月、セナがサンマリノで事故死したために、意味が変わってしまった。それを思うと、この短いオープニングだけでもう泣きそうになる。
 私が好きなのは、「ぼくらは千分の一秒の阿修羅かもしれない」というフレーズ。「音速の貴公子」なんかよりも、たしかに阿修羅という表現がぴったりだろう。もっとも、セナとプロストは「お互いがうとましい」とか、「仲良くしようにも無理」というほど、険悪ではなかったらしい。

 エンディングの曲は、ヨーロッパの "Prisoners in paradise"。このバンドはまったく私の好みのジャンルではないのだが、さすがにこう格好良く映像とナレーションを重ねられると、敵わない。私はこの総集編を見た当時、フジテレビに電話して曲名をつきとめ、恥ずかしいことにヨーロッパのベストアルバムを購入した。そのアルバムは、先ごろの断捨離で売り飛ばしている。
 プロストが凱旋走行するところなど、本当に格好良い。政治,経済,科学を巻き込む「文化」という複雑なスポーツであるF1 ― なぜか、愛しくて、「ちょっぴり涙がでる」 ― そんなF1の良さが詰まっている。

 セナの死をもって、ピケ,マンセル,プロスト,セナの時代が終わり ― セナを乱暴に奪う事で終わらされてしまったのだが ― シューマッハを中心に、ヒル,ヴィルヌーヴ,ハッキネン,アロンソが挑戦していく時代になる。そして今は、アロンソ以降の世代へとF1は推移しつつある。そんな中に、シューマッハが復帰してまた走っているのだから、この人はやっぱり凄い。
 1993年総集編のオープニングとエンディングを見るたびに、やっぱりF1が大好きだという気持ちを新たにする。今年はどんなレースを見せてくれるのか、楽しみだ。

Harry & Paul : The Beatles2011/02/27 22:17

 物知りな人に教えていただき、最近また英国BBCでビートルズモノのコメディが作られていることを知った。てっきり、次の「イエロー・サブマリン」でポールを演じる、ピーター・セラフィノウィッチだと思っていた。実際は、ハリー・エンフィールドと、ポール・ホワイトハウスによるスケッチ(コント)番組,[Harry & Paul] の中のキャラクターモノの一つだった。

 設定では、ビートルズは1964年ごろのイメージのまま、歳をとり、解散も死ぬ事もなく未だに元気にやっていることになっている。人気も相変わらずで、「元ガールズ」に追いかけまわされている。エンフィールドはジョン、ホワイトハウスはジョージを演じており、そのほかはゲストコメディアンが演じている。
 まずはかるく、"All You Need is Love and Biscuits"



 ビートルズが年を取っても…というよりは、映画 [A hard day's night] の4人を白髪にしただけという気もするが。マネージャーは、ブライアン・エプスタインというよりは、あの映画のマネージャーを踏襲しているらしい。しかし、プロデューサーはもちろんジョージ・マーティン。この人は常にコントロール・ブースに居ることになっている。
 Fab4の真似は意外と似ている!音楽はさすがにニール・イネスの域には達していないが、かなり良い。
 スタジオに乱入する、眉毛オエイシズ兄弟(このコメディの制作は去年なので、とっくに別れているはずだが)。ビートルズのマネージャーは、若造にヘコヘコする癖があるらしいが、マーティン先生は冷静。「ビートルズのスタジオに、ボブ・ディランをよろしく。」すると、本当にディラン様がやってくる(こっちはなぜか白髪ではない)。「よーう、オエィシズ兄弟、ドラッグいらないかーい?」…なんだ、その危ないジョークは。第一、この人はキースじゃないのか…?

 お次は、ボーンマスでの楽しい休暇![A Long Weekend in Bournemouth"。なぜかここにもボブ・ディランが登場する。かなりディラン様が好きらしい。



 もちろん、怪しいドラッグをすすめるディラン様。その影響でかなりぶっ飛んだサイケ傾向の演奏を始めてしまい、可愛いFab4を妄信しているマネージャー(ここはブライアンの反映かも)がうろたえる。でもこれはジョークで、やっぱりビートルズは今までのビートルズなのでありました。よかったね。

 もう一つ、面白かったのは "Yelp"。ビートルズもそれなりのお歳なので、あそこの癌検診の周知活動を始めることにした。



 途中で、ボノ様登場。例によって若者(比較の問題)にヘコヘコするマネージャー。ところが、あそこの癌検診ともなると、ビートルズは容赦しない!ボノ様も形無しなのでありました。

 ほかには、「ターバックス」という、しょうもないコーヒーショップ(?)で、ジョンが「俺達はチーズよりビッグだ」と発言して、場を凍らせるtarbucksも面白い。

 やはりビートルズはキャラクターとしても存在感があって、やりがいのある素材なのだろう。エリック・アイドルと、ニール・イネスの「ラットルズ」や、ピーター・セラフィノウィッチ(当ブログ記事はこちら)も、実に分かりやすく面白いスケッチに仕上げてくる。ビートルズの偉大さとともに、やはりブリティッシュ・コメディのクォリティの高さを思い知らされる。
 ハリー&ポールでは、次のシリーズでもビートルズをやってもらえるのだろうか。楽しみだ。