蘇莫者 / 小鍛治2023/01/03 20:10

 お正月は、テレビで雅楽や能狂言を見ることが出来る時期である。この両者は、近世邦楽に比べて、極端にテレビに取り上げられる機会が少ない。

 まず、宮内庁楽部による舞楽の放映があった。1曲目が「蘇莫者(そまくしゃ)」。これは初めて見た。唐楽で右方の舞。聖徳太子が山中で笛を吹いたところ、黄金の猿の姿をした山の神が現れて舞い踊るという演目だ。
 とても特徴的なのは、「太子」という聖徳太子役の横笛奏者が一人舞台に立つことである。これは非常に珍しい演出である。芝祐靖先生で見たかった!先生の美しい立ち姿が目に浮かぶようだ。
 そして黄金の面、黄金の鬘を身につけた山の神が神々しく、しかも走り舞という、特殊な足運びで舞い踊る。とても見応えがあった。

 「日本の伝統芸能」という番組でも伶楽舎の雅楽の演奏があるというので見たのだが、残念ながら非常に短いバージョンの「越天楽」だった。確かにあの曲は長いが…短いバージョンにもいくつかやり方があって、今回は短すぎた。始まりから終わりまでの速度感に関して収まりが悪く、消化不良な感じがした。

 能楽では、喜多流の「小鍛治」の放映があった。名工宗近が、勅使から刀を打つことを命じられるが、それにふさわしい合いの手(鋼を一緒に打つ相手)がいない。そこで稲荷大明神に参ると、不思議な童子が現れて、いずれ手助けに現れると言って去る。そこで中入り。
 後シテは稲荷明神で、今回は白頭という白い衣装の演出だった。宗近と稲荷明神が力を合わせて刀を打って勅使に渡し、明神は去って行く…という話しだったが、なんとなくキリが私が記憶していたものと違う。
 動画を見ると、観世流のキリの仕舞があって、ああこれだと思った。やはり能で演じるのと仕舞では大きな違いがある。小鍛治のキリ、この格好良さが好きだった。

いくつかの Walls2023/01/07 20:41

 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの名曲 "Walls" は、"Circus" と "No.3" の二バージョンあり、1996年にリリースされた。だから、1997年のフィルモアでのライブでは、新曲だったわけだ。
 今回、ボックスセットで公式にリリースされた音源は、あきらかに "No.3" のアコースティック・バージョンで、マイクがマンドリンを弾き、ベンモントは主にアコースティック・ピアノを主に鳴らしている。



 しかし、つい先日 YouTube に投稿されたオーディエンス録音によると、このフィルモアでの連続ライブの間に、"Walls" のエレクトリック・バージョンも演奏されたというのだ。



 確かに、マイクはエレクトリック・ギターでソロを弾いているし、ベンモントも主にオルガンを鳴らし、テンポはやや速くてドラムのリズムも強い。
 かと言って、これが "Circus" かというと、それはそうでもないと思われる。飽くまでも、"No.3" のエレクトリック・バージョンの域を出ていない。
 後年 ―― トムさんにとって最後のツアーとなった2017年のツアーでもこの "Walls (No.3)" のエレクトリック・バージョンは演奏された。ウェッブ・シスターズの参加でバックコーラスこそ分厚いが、"Circus" ほど立体的ではなかった。

 いくつかある "Walls" の中で、どれが一番好きかというと、公式レコーディングである、 "Walls (Circus)" がダントツだ。テンポは遅めであり、リンジー・バッキンガムも参加した、複雑で立体的なコーラスが特徴的。なおかつ分厚いインストゥルメンタルが何重にもオーバーレコーディングされている。これぞ、ライブでの再現不可能曲。その不可能加減がまた好きなのだ。
 一応、公式ビデオの動画を貼り付けておくが、ぜひとも公式オーディオを買って、大きな音で聞いて欲しい。
 ついでではあるが、Heatbreakers Japan Party さんが次に Project X を決行するとなったら、"Walls (Circus)" だろうと思っている。

Jeff Beck2023/01/12 19:42

 ジェフ・ベックが亡くなった。驚いたが、残念ながらそういう時代に入っているのだろう。早弾きとか、技巧とか、そういう空々しいこととは無縁で、すごく歌心のあるギタリストだった。
 ジェフ・ベックのライブは少なくとも1回は見ているという認識があった。自分のブログを確認してみると、どうやら2回見ているらしい。インストゥルメンタルに興味が無い私にしては、珍しいことだ。ライブでは、"Beck's Bolero" や、"A Day in a Life" がとても印象深かった。

 CD は [Truth] と [Beck O-La] が一枚になったお買い得盤だった。昨今の CD 売り飛ばしを免れて、ちゃんと保管されている。
 聞き直したが、ジェフ・ベックだけでも凄いのに、ヴォーカルはロッド、ベースはロニー、ピアノはニッキー・ホプキンズである。とんでもないメンバーで、バランスのとれたウィルベリーズ状態だ。
 中でも、"Jailhouse Rock" が凄かった。ジェフ・ベックを聞くつもりが、ニッキーのパワー・プレイのすさまじさに圧倒されてしまった。



 名だたるミュージシャン達が追悼コメントしている。マイク・キャンベルもその一人で、写真のチョイスが良い。



 YouTube でジェフ・ベックの動画を色々見ていたら、こちらの動画に出くわし、すごく良かった。



 どうやらロッドは飛び入り(?)だったらしく、本気で驚いているジェフ・ベックが笑える。一瞬かたまり、え?!なんでお前、ここに居るの?!曲が終わっても「いやーん!」という仕草が可愛い。もうこんなシーンも見られなくなるのだと思うと、とても寂しい。

Jeff Beck (vol. 2)2023/01/15 19:24

 R.I.P. 高橋幸宏さん。日本のジョージ・ファンの代表者のひとりだった!

 とくにファンだったというわけでもないのに、さすがジェフ・ベック。大物である。いろいろ話題になるし、まだ動画をチラチラ見ている。
 昨日、ウクレレのレッスンだったので先生と話したのだが(ウクレレのレッスンは、単なる楽器のレッスンではなく、先生との音楽ダベりが楽しい)、やはり先生にとってもジェフ・ベックはダントツに上手かったそうだ。
 先生の言うジェフ・ベック伝説の中で印象的だったのは、彼のアーム使いのこと。ストラトキャスター型のギターにはだいたいアームがついているが、だいたいの人は外してしまうそうだ。アームを使うと、簡単にチューニングが狂うからだ。確かにフレット楽器でそれはきつい。
 その点、ジェフ・ベックは有名なアーム使いで、彼が弾いた後のギターはチューニングがグチャグチャになっているという話しだった。当人はコンサートの間、アームで音程を調整していたというのだ。とんでもなく耳の良い人でないとできない神業である。

 ジェフ・ベックというと、歌を歌わないし、あまり雄弁な方ではなかったが、ちょっとコメントさせると面白いセンスの持ち主だったという印象も強い。
 音大の図書館にあったロック史に関するドキュメンタリーのなかで、ジェフ・ベックがザ・ヤードバーズに加入する経緯について話していて、
「ある人に超ビッグなバンドに入れてやると言われてついていった。ビートルズに入れるのかと思った」というコメントが楽しかった。やっぱり、ビートルズが憧れだったらしい。

 1995年の Rock 'n' Roll Hall of Fame のテレビ放送の時、冒頭に「これまでの歴史」みたいな短い授賞式のハイライト見たいのがあって,ジェフ・ベックがやたらと映る。演奏している姿もそうだが、コメントも面白い。
 まずヤードバーズに関しては、「(殿堂入りに関して)名誉なことだ言われたけど、俺にとってはそうでもない。連中、俺をクビにしたんだから」で爆笑を取り、背後ではジミー・ペイジがゲラゲラ笑っている。
 そしてロッド・スチュワートの殿堂入りのインダクターとしては、「ロッドとは愛憎関係だといわれる。確かにそうだ。あいつは俺に惚れてるけど、俺はあいつが嫌い!」と満面の笑み。惜しい人を亡くしたなぁ。

Via resti servita2023/01/20 20:26

 ジェフ・ベックが亡くなった時は、そういう時代が来たのだから仕方がないなどと言っていたが、こうも立て続けによく知っているミュージシャンが亡くなると、けっこうこたえる。デイヴィッド・クロスビーの訃報に接し、寂しい気持ちでいっぱいだ。

 一番好きなオペラは、モーツァルトの「フィガロの結婚 Le Nozze di Figaro」―― そもそも、大してオペラ好きという訳でもないが、クラシック音楽全般の中でもかなり上位に来る、大好きな作品だ。
 ウィーンで「フィガロ」を見たときの感想で、この作品はかなり百合っぽいということを書いた。まず女声の主役にスザンナと伯爵夫人があり、さらにケルビーノという男性役の女性が華のある役柄で活躍する。この三人がとにかくイチャイチャする。ほかに、年増女のマルチェリーナと、ケルビーノのガール・フレンドのバルバリーナも登場する。
 物語は、フィガロがスザンナと結婚式をあげる当日に、主人である横暴で好色な(今で言うセクハラ)伯爵を懲らしめるドタバタ劇として展開する。伯爵という旧来の権力に対して、フィガロという逞しい庶民が、伯爵の被害者である女性達と協力して立ち向かうという構図には、18世紀の貴族批判、啓蒙思想、そして革命への機運などが盛り込まれている。
 そのような訳で、主従であり、親友でもある伯爵夫人とスザンナは策を練り、伯爵宛の偽手紙をでっちあげるのだが、そのシーンは「手紙の二重唱 Sull'aria」として有名で、映画「ショーシャンクの空に The Shawshank Redemption」でも使用された。

 「手紙の二重唱」が聞きたくて YouTube を見ていたのだが、途中で第一幕のスザンナ(ソプラノ)とマルチェリーナ(アルト)による、二重唱「お先にどうぞ Via resti servita」の聞き比べを始めてしまった。
 マルチェリーナは、フィガロとは「親子ほど」年の離れた年増女だが、借金帳消しと引き換えにフィガロとの結婚を企んでおり、スザンナとは恋敵ということになる。伯爵の屋敷ではち合った二人は、互いに道を譲りつつも、心にも無いお世辞、皮肉、当てこすりの応酬の末、スザンナが「お歳も l'eta!」と一撃を食らわし、マルチェリーナを激怒、退場させるという短いシーンだ。

 まずは往年の名演。スザンナはルチア・ポップ、マルチェリーナはジャーヌ・ベルビエで。



 この曲は別名「喧嘩の二重唱」とも言うそうだ。スザンナは飽くまでも若々しく、マルチェリーナは貫禄が必要で、聴く方も年を取るとマルチェリーナに共感してくるから面白い。
 もう一つ思い出すのは、音大時代のこと。声楽科(歌科「うたか」という)の連中が授業で、よくこの二重唱を演じていた。学生とは言えさすがは歌科、みんな演技が上手で、その巧みさはスザンナよりも、歳のこと言われて「キィー!」と怒るマルチェリーナの方によく反映された。このシーンでのマルチェリーナの切れっぷりはオペラ全体の評価にも影響すると、個人的に思っている。そしてこの二重唱もまた、「フィガロ」の大事な百合要素だとも思う。

 こちらのデトロイト・オペラは比較的最近の演奏だが、歌手の個性が強くてかなり面白い。思い切ってこれくらいやった方が、「お先にどうぞ」はすかっとする。ただし、第三幕、第四幕の演出はどうするのかがちょっと読めないが…

David Crosby2023/01/24 19:53

 デイヴィッド・クロスビーが亡くなったのだが、自分との距離感でいうと、ジェフ・ベックよりもクロスビーの方が近い感覚がする。やはりザ・バーズが好きだし、クロスビー・スティルス&ナッシュ、もしくはクロスビー&ナッシュのアルバムも持っているからだろう。

 彼を偲ぶ動画としては、まずザ・バーズの "Mr. Tambourine Man" からチェック。彼の楽曲ではないが、数年後からしたら「詐欺!」という次元に若く可愛いデイヴィッド・クロスビーは、まず視覚に覚えさせる価値があるだろう。



 こうして改めてカラーで動く初期バーズを見ると、彼らかなりイケていたなぁとしみじみと思う。

 お次は、クロスビー自身の楽曲,ヴォーカルである、[Younger Than Yesterday] からの曲 "Everybody's Been Burned" ―― かなり独特なマイナー曲調で、かつ不気味というか、不穏な雰囲気がクロスビー独特の個性になっている。こういう個性の人は私が愛好するロックンロール・ジャンルでは少ない方だ。これを当時25歳くらいだったクロスビーが作ったというのは、かなり独自の道を行っていたと思う。



 最後に、やはり盟友と言うべきグレアム・ナッシュとのデュエットを見よう。
 人格者として有名なナッシュにとっても、クロスビーは難しい存在だっただろう。逆にナッシュというロック界随一の人格者がいたからこそ、クロスビーもこの世界で孤立しなかったのではないかと、赤の他人ながら思わずにはいられない。
 1971年のこの演奏、クロスビーの豊かな声が際立ち、ナッシュのサポートも美しい。これを見ると、ロック界は一つの豊かな音楽的存在を失ったのだ、でもその音楽は残り続けるのだという、思いを強くした。

伶倫楽遊/伶楽舎第十六回雅楽演奏会2023/01/28 22:14

 今日は紀尾井ホールで、伶楽舎の雅楽演奏会に行ってきた。
 紀尾井ホールだから、すこし格式のある感じの演奏会で、特別感を体験できる。
 それにしても、入場者制限をしていたのだろうか。それにしては、計画的に席を空けているようには見えず…それでいて入りは六割程度だろうか。なんだか心配になってきた。

 前半は、古典楽曲の演奏。これが目当てである。
 管弦は太食調(たいしきちょう)なので、私も演奏したことのある楽曲もある。まずは仙遊霞(せんゆうが)。斎宮が伊勢に向かう途中、琵琶湖の勢田の橋を通るときに楽人が同行してこの曲を演奏したと伝わっている。この斎宮が伊勢むかうことを「群行」というそうだ。楽人も引き連れていたというのだから、かなり荘厳、かつ華麗な物だったのではないかと想像する。
 管弦のもう一曲は「合歓塩」(がっかえん)。これは学生の時に演奏したことがあり、とても親しみ深い一曲だった。

 舞楽は、春を迎えようとする今にふさわしく、「春庭花」(しゅんていか)。四人で舞われる優雅な舞楽で、平安の春を彷彿とさせる、駘蕩とした雰囲気がまず良かった。さらに、二回繰り返しに入ると、舞人が回りながら位置を変えて舞う。その様がまた華麗で印象的だった。

 さて、後半は「いわゆる」現代雅楽である。
 現代の作曲家に、雅楽の楽曲を作ってもらって演奏するという活動を、伶楽舎はずっと続けており、これはこれで音楽的活動としてとても重要だ。ただし、私が鑑賞するという意味においては、評価がとても低い。「現代雅楽」というもので感動したこともないし、良いなと思ったこともない。例外は芝先生の古典に即した楽曲だけ。
 今回も二曲演奏された。一曲目はオノマトペをふんだんに用いた楽曲だったが。うむ、はぁ、それだけ。
 二曲目は、作曲者みずからなんとも言えない身体表現もみせてくれたが、ああ、やっぱり残念な雅楽の現代楽曲の一つに過ぎず、とっても残念。
 こればっかりは付き合いとはいえ、聞いているのが面倒ください。ただし、演奏している伶楽舎の面々の努力はたいそうな物で、そこは高く評価する。ただ、その音楽に感動しないだけである。

 もらったパンフレットによると、5月の伶楽舎雅楽コンサートは、芝祐靖先生の作品演奏会とのこと。これは期待できそうなので、いまからとても楽しみだ。