ウィルダネスからスポットシルヴァニア2011/05/23 21:59

 北軍ポトマック軍の司令官はジョージ・ミードのままだったが、実情としてはその上にいるグラントが、リー率いる南軍と対決することになった。
 いよいよ、本格的な対決が始まったのが、1864年5月4日である。北軍はラピダン川を渡り、対岸のウィルダネスへと100000もの大軍で押し進んだ。このWildanessという土地だが、「荒野」とも、「樹海」とも訳されている。要するに下草の豊富な森である。南軍60000の編成は、第一軍ロングストリート,第二軍ユーエル,第三軍A.P.ヒル、およびスチュアートの大規模な騎兵団。まず、森の中でユーエルとヒルが北軍と衝突した。

 リーとしては、できうる限り戦闘を森の中で行いたかった。環境の悪さのため、北軍は数の優位性を活かすことが出来ないだろうという目論見だが、さすがに倍近い軍勢には押される一方だった。森の中の戦闘は、火災も起こって負傷者が焼死するという惨状だった。翌5月5日も引き続き北軍は南軍を押し続け、ハンコック指揮下の第二軍は、リーの司令部まであと僅かというところまで迫った。
 そこに、遅れてウィルダネスに到着したロングストリートの第一軍が現れて、形勢が逆転した。ハンコックの軍は攻勢に疲労しており、ロングストリートの勢いに瞬く間に押し戻された。さらに、間近にまで敵が迫ったことが影響したのか、リーが自ら前線へと体を向けて戦闘指揮を行おうとしたのである。さすがに総大将を守るべく兵たちはリーを押しとどめ、前へと出て行った。
 北軍ハンコックが決定的な損害を受けなかったのは、ロングストリートが混乱の中で自軍の銃弾に当たり、指揮不能に陥ったためである。1年前、ストーンウォール・ジャクソンが死んだのと同じ状況ではあったが、ロングストリートの場合は致命傷にはならなかった。ともあれ、彼は護送され、第一軍の指揮はアンダーソン少将にゆだねられた。
 このウィルダネスの戦いで、北軍の損害は17600だったのに対し、南軍は8000だった。勝敗で言えば、南軍の勝利と言うべきだが、かと言って北軍もワシントンへ撤退したわけでも無かった。グラントはいったん力を抜いて、戦場を変えることにしたのである。このためウィルダネスの戦いは引き分けというのが、大方の見方のようだ。

 グラントは、森の中で負けたとしてもワシントンへ逃げ帰る気は毛頭無かった。彼はポトマック軍を南東方向へ動かした。すなわち、少しずつ南軍首都のリッチモンドへ近づいていくという動きである。北軍は、辻街道沿いの町スポットシルヴァニア・コートハウスへ向かった。
 リーも北軍のこの動きは察知しており、機動性に優れるスチュアートの騎兵を先行させ、5月9日には先にスポットシルヴァニア・コートハウスに達した。
 北軍第六軍を指揮するのは、ジョン・セジウィック少将だった。セジウィックは南軍に対する防御線を築き、大砲を配置していたのだが、この時珍事が起こった。
 セジウィックの防御・斥候ラインに対する南軍の狙撃が激しかったため、北軍兵たちは物陰に隠れてそれを避けていた。それを見たセジウィックは大胆にも出てきて、「弾ひとつかわすのに、なんだそれは。みっともない。この距離では、象にだって当たらないぞ。」と、部下たちを励ました。
 セジウィックがそう言った直後、顔面に狙撃兵の弾が当たり、彼はほぼ即死してしまった。
 その報を聞いたグラントは、「本当に死んだのか?本当に死んだのか?」と、何度も聞き返したと言う。
 小説などでは、兵士たちを勇気づける優秀で剛胆な将官は、銃弾など恐れずに陣頭に立ち、実際かすり傷一つも負わないものだが(参照:司馬遼太郎,「燃えよ剣」の土方歳三 / 「坂の上の雲」の秋山好古)、どうもセジウィックにはその格好良さは許されなかったようだ。

 ともあれ、戦闘は完全にスポットシルヴァニアに移動した。本格的な衝突が始まると同時に、南北双方の騎兵団が戦場を変えて戦うことになったが、このことは後述する。
 スポットシルヴァニアでは、北軍が南軍の弱点を見つけては突き、その都度南軍の猛攻に跳ね返されるという繰り返しになった。リーはまた自ら戦闘指揮を執って出ようとしたが、南軍の兵士たちは彼らの大事な将軍を守るために、「リー将軍を後方へ!」と合い言葉に奮戦を繰り返した。
 この局面での戦闘は長く続き、5月20日にやっと一段落した。グラントはリーに対してまともな攻撃を続けることは,消耗し続けるだけだと悟ったのである。グラントは5月21日にスポットシルヴァニアを放棄し、再び南東へと戦場を変えるべく、移動を開始した。

 このスポットシルヴァニア・コートハウスでは、北軍の損害36000。南軍はその約半分だったが、今回もまた引き分けという見方が体勢を占めている。重要なのは南北双方とも消耗したということだった。リーの辛さは、戦闘での損害比較上は勝っても、その損害を補強することが出来なかったことである。南部連合の体力は、もうほとんど尽きようとしていた。
 一方、恐ろしいほどの損害を出し続ける北軍には、豊富な補強力があった。ニューヨークにやってきたヨーロッパからの移民が、そのまま戦場に送られるという凄まじさであった。

コメント

_ dema ― 2011/05/26 22:05

ウィルダネスの戦いは、リーの側からすると、ホームの利を最大限生かして、相手のアドバンテージを消そうという作戦ですね。結果的にはリーの意図通りになりました。あの兵力差ではぎりぎり判定勝ち以上の勝利は難しいでしょう。

http://www.howitzer.jp/acw/1864/wilderness.html
の記事はわかりやすくて参考になりました。

兵力、補充能力で行ったら圧倒的に北軍ですが、北軍はもたつくとリンカーンが選挙で負けてしまうという厳しさがあります。実際、西部戦線でのシャーマンの働きがなかったら、マクレランに負けていたかもしれません。

圧倒的兵力差を持ち、兵士の膨大な死傷も計算済みのように、ひたすら押しまくってくるグラント、これが作戦だと言えば言えますが、リーは内心そんなグラントのやり方をちょっと軽蔑していたのではないだろうか?という気がちょっぴりします。(それでも勝てなかったのだし)
それが、あの「マクレランだな。疑いなく。」という言葉に表れたのではないでしょうか。

_ NI ぶち ― 2011/05/29 23:13

>demaさん
 ご紹介くださったページ、面白いですね。もっといろいろな戦績とか、南北戦争関連とか、系統立てて読んでみたい物です。…と、言うか司馬遼太郎で南北戦争が読みたいです(無茶言うな)。

 西部戦線から赴任してきたばかりとは言え、森の中でリーに噛みつこうとしたグラントの意図はよく分かりませんね。西部ボケ?数に物を言わせて押しまくるだけだと、…うーん、作戦とすら言えないような気が…。まぁ、政治情勢敵にも、北軍優勢なのはグラントも分かっていたでしょうから、諸葛孔明風の策を弄さなくても好いのは確かですが。
 マクレラン、大統領候補になっていたことを知ったときは、吹きました。いや!絶対いやよ、マクレランが大統領とか!あり得ないから!…でも、当時にしてみればあり得たんですね。実際、戦後にはグラントが大統領になるわけですし。
 まかり間違って南部連合が独立を勝ち取ったら、あっという間に大統領がリーになってしまいそうだ…!

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