ボブ・ディランの反論2011/05/17 22:04

 4月にボブ・ディランが、初めて中国でコンサートを行った。このニュースは無論キャッチしていたし、セットリストもチェック済みだった。批評家にしてみれば、彼らが期待するような反戦歌や、人権歌が含まれていなかったと、いくらか不満口調が見られたことも知っている。
 この件に関しては特にこれといった興味もなかったのだが、どうやらディランは厳しい批判にさらされていたらしい。代表的なところでは、ニューヨーク・タイムズ紙が、「愚か(idiot)な風に吹かれて」と題して、「独裁国家で検閲された曲だけを歌うとは(中略)いかさま」と評した。人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「恥知らず」と断言しているとのこと。私前者を読んでみたが、なるほどかなり厳しい。ほかにも、空席が多かった、外国人(中国人以外)ばかりだったなどなどと言われているそうだ。

 そんな声など軽く受け流すのかと思いきや、なんとディラン自身が公式ホームページで、「ファンと、フォロワーのみなさんへ」というコメントを発表したというのだから、驚いた。
 → To my fans and followers / by Bob Dylan

要約してみる。
○ 去年、中国でコンサートをしようとして、中国当局に許可されなかったという事実はない。コンサート開催に失敗した中国のプロモーターが勝手にそうコメントしただけ。
○今回のシートはほぼ埋まっていたし、観客はほとんど中国の若者だった。
○中国のプレスは自分をさかんにジョーン・バエスやチェ・ゲバラ、ジャック・ケロアク,アレン・ギンズバーグの写真とともに60年代の象徴にしようとしていたが、会場の若者たちは彼らのことなんて知らないだろう。
○盛り上がったのは最近の曲で、観客たちは昔の曲は知らなかっただろう。
○コンサートの3ヶ月前にセットリストを当局に提出したが、その内容に関しては、何も言われなかった。
○自分の事を書いた本がやたらとあるものだが、その中には、良いことが書いてるのもあるかもね。

 全体的に、「まぁ、そうなんだろうな」というのが、私の感想。ただし、「最近の曲の方が盛り上がり、古い曲は知らないだろう」というのは、どうかな。
 おそらく最も重要な点だと思うが、当局が許可した曲のみ(つまり、検閲済み)のセットリストだったのかという点。ディランは明確に否定している。
 確かに、3ヶ月前にセットリストを出すというのは異例だと思うが、かと言って検閲済みかと言えば - 実際の曲目を見ると、そういう印象は受けない。

北京のセットリスト
Gonna Change My Way of Thinking
It's All Over Now, Baby Blue
Beyond Here Lies Nothin'
Tangled Up in Blue
Honest With Me
Simple Twist of Fate
Tweedle Dee and Tweedle Dum
Love Sick
Rollin' and Tumblin'
A Hard Rain's A-Gonna Fall
Highway 61 Revisited
Spirit on the Water
Thunder on the Mountain
Ballad of a Thin Man
Like a Rolling Stone
All Along the Watchtower
Forever Young

上海のセットリスト
Gonna Change My Way Of Thinking
Don't Think Twice, It's All Right
Things Have Changed
Tangled Up In Blue
Honest With Me
Simple Twist Of Fate
Tweedle Dee & Tweedle Dum
Blind Willie McTell
The Levee's Gonna Break
Desolation Row
Highway 61 Revisited
Spirit On The Water
Thunder On The Mountain
Ballad Of A Thin Man
Like A Rolling Stone
Forever Young

 人権団体やコラムニストたちが期待した、「風に吹かれて」や、「時代は変わる」が検閲で禁止されたとしたら、「激しい雨が降る」や、「デソレーション・ロウ」が許可されるのは納得できない。他にも解釈によっては反戦や人権問題を歌った物ととらえることの曲もある。
 もっと直感的に言えば、日本公演でのセットリストと大差が無いのだ。ディランも言っているとおり、歌いたい曲を歌っただけと、私には感じられる。

 人によっては、どうしても「ボブ・ディランは、こういうボブ・ディランであってほしい」という欲求から抜けきれないのだろう。自分たちが望んだとおりの行動をしないディランに失望し、裏切られたと感じるのだろうが、ディランにしてみれば迷惑な話だろう。
 実際、彼は60年代すでにその迷惑を被り、それに立ち向かったり、逃げたり、だんまりを決め込んだり、さんざんやり合ってきている。いまや21世紀。それでもなお、ディランに夢と理想を託し、その通りに行動することを望んでいる人も、少なからず居るのだという事実に、60,70年代を知らない私は、あらためて驚いてしまった。
 それほどまでに、ディランは偉大であり、影響力があるのだと言うこともまた、真実だ。ディランがディランとして歌い続ける以上、同様のやりとりは、繰り返されるのかも知れない。

 私にとっては、正直言って今回の論争はどうでも良いし、特に誰がどうしなきゃいけなかったという意見を持っていない。ただただ、ディランとその音楽が好きなだけで、論争とは距離をとって、こんな曲に浸っていたいと思うのだ。