新しい雅楽 次の世代へ(子どものための委嘱作品集)2017/05/26 22:35

 昨日、伶楽舎の雅楽演奏会へ行った。去年の秋は都合が悪く行けなかったので、久しぶりだ。

 今回のテーマは、「新しい雅楽 次の世代へ (子どものための委嘱作品集)」



 テーマは実に単純なことで、退屈な(私にとっては退屈ではないが)雅楽を、いかに子どもに聴かせるか、その工夫をこらした演奏会だった。

 私がとっくの昔に、「子ども」ではなくなっているだけに、評価が難しい。
 難解そうで、馴染みのない古典音楽を、どうにか説明や、ストーリー性、奇抜さで子どもにアピールしようとする努力は分かる。
 その一方で、「子どものための音楽」とは、何だろうと考えさせられた。

 私は物心ついたころから、「子どもっぽくしたもの」が好きではなかった。押しつけがましくて、馬鹿にされたような気持ちがしたのだ。運動会で、小学1年生は「お遊戯」のような出し物をやらされるのが、嫌でたまらなかった。上級生のように、スポーツで真剣勝負をする方が、よほど格好良い。
 「ホンモノ」が存在することを知りながら、それを「子ども向き」にアレンジされることが、不名誉だと本気で思っていたのだ。
 話が逸れるが、小学生の甥は戦国時代 ― 特に織田信長に夢中だ。私と会うたびに、
「信長クイズか、戦国クイズ出して」という。
 私は手加減せず、
「松永久秀が信長から差し出すように言われて、自分もろとも爆破した茶釜の銘は?」(俗説)などと言う。
 甥は呆然とし、周りの大人は私を非難するのだが、私はこれで良いと思っている。甥は私と同じ歴史好きなのだ。それを尊重し、彼の情熱を自分と対等のものとして、認めるべきである。甥は毎回めげずに、私にチャレンジしてくる。そして私は、戦国時代と、信長について知識のブラッシュアップを怠らない。

 要するに、子どもは小さな大人であって、彼らにも芸術があり、プライドがある。
「この芸術の真の素晴らしさは、『子ども向けのアレンジ』には存在していない」ということを、理解してしまっている子どもも、少なからずいるのではないだろうか。
 演奏や楽曲の善し悪しとは別に、そんなことを考えさせられた。

 ついでのようで申し訳ないが、雅楽を物語の伴奏として用いた、「踊れ!つくも神 童子丸てんてこ舞いの巻」は面白かった。
 面白かったと同時に、「笑ってはいけない雅楽演奏会」状態だった。ハイテンションな語り役は、どこかの劇団員ではなく、伶楽舎の一人であり、個人的によく知っている。笑いを必死にこらえるために、私は琵琶の黒い撥面(ギターで言うピックガード)を見つめていた。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの制作者名最初のアルファベット半角大文字2文字は?

コメント:

トラックバック